斯くの如く、ノアの方舟は荒野へと帰還する

@ikurararara

1-1

 聞くところによると、人類は20年くらい前に滅びたらしい。


 かの有名な日本の天才物理学者“立花明日華”が発見したAnti-Uran、通称AURと呼ばれる反物質を巡って第三次世界大戦が勃発し、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、中国、韓国、日本、アメリカを除く全ての国が行政機能を失い、40億人が死んだ。


 終戦後AUR汚染の浄化、10億人近い重度被爆者の治療、復興、様々な課題があったが、最早人類にそれらを成し得るだけの余力はない。



 さらにそこで、人類に対してさらなる追い打ちが掛けられた。


 AUR汚染地域から未知の生命体“コモノート”が現れ、人類を襲い始めたのだ。非常に高い生命力と、無限に湧き出てくる数の暴力によって人類は苦戦を強いられることになる。


 コモノートを排除する為にAUR兵器を使えば、そこから更なるコモノートが生まれる。まさに負のスパイラル、いや死のスパイラルだ。


 僅かに灯っていた種の蝋燭の火が遂に掻き消えるかと思われたその時、人類に救い手を差し伸べる者がいた。


 その人物は皮肉な事に、第三次世界大戦の元凶たる立花明日華を含む4人の天才AUR研究者であった。日本の立花明日華、アメリカのアリス・ジェファーソン、イタリアのリリアナ・エヌマエーレ、ドイツのソフィー・ルートヴィヒ。



 彼女らは人類に対してとある“提案”をした。それはーーー



「地上を捨てて天空に楽園を作ろう」



 それと、同時に彼女らは人類が空で暮らすための“方舟”の設計図を公開した。それは、第三次世界大戦中、日本によって試作された多目的飛空戦艦と呼ばれる巨大兵器の資料だった。


 そして、2079年8月18日。これを受けて、9カ国は彼女ら、後に四賢女と呼ばれる事となる4人の能力者の管理下にはいる議案を全会一致で可決。これこそ俗に言われる「八・一・八人類淘汰宣言」である。



 まず4人は“国の整理”を行った。大韓民国は中華人民共和国に吸収され、中華立憲君主主義帝国に名前を変えた。フランス、イタリア、イギリスが合併して新欧州連合共和国(新EU)を建設。こうして残ったのは日本、中国、ドイツ、新EU、ロシア、アメリカの6カ国。



 早速人類は多目的飛空戦艦の製造に取り掛かった。



 それから約2年後の2081年。新たに製造された20機に、WW3時に製造された日本の“エルドラド”を加えた21機の超大型多目的飛空戦艦が遥か天空に飛び立った。



 それから約16年、今なお人類は空の楽園で細々と生きていた。



**



 時刻は23時を回ったところだった。



 真珠の様に光沢のある純白で、プラスチックの様な滑らかさがあるが、それでいて触れてみると金属の様な冷感がある。そんな、なんだかよくわからない建材。


 都市などで希に見られるものだが、なんだか無機質な感じがしてあまり好きにはなれない。


 上下東西南北のうち五面はそれに覆われていて、残りの一面は灰色の積乱雲が外部から光を閉ざしており、なんだか白黒テレビの中に閉じ込められたような錯覚を覚える。


 別段、この部屋に入ったのは初めてのことではなく、むしろ慣れていい頃だが...やはり長くいたいとは思わない。



「あぁ、暇だなぁ...」



 無駄に広く、質素でつまらない部屋の中央付近、ロッキングチェアにだらしなく寝転がり、艦内のコンビニエンスストアで購入した紙パックのカフェオレを啜るその少年は、きっといい反面教師になることだろう。



 自衛隊から防衛軍に名を変え、さらに日本正規軍と呼ばれるようになっても、大して変わり映えのしない制服。


 少年は深碧色のそれにきっちりと身を包んでおり、垂らした金色の肩章は正規軍の中でも高い階級の者である証拠だ。そんな、日本の“尖兵”たる人物がこれとは...文字通り世も末である。


 と、少年が何処か遠い目で天井を見上げていると、不意に「ブーッ、ブーッ」というバイブレーション音が静かな艦内に鳴り響く。


 なんとも気怠そうな動作で、その振動するタブレット端末をポケットから引っ張り出すと、そっと耳元に当てる。



「もしもし」



『久しぶりね、蓮。今大丈夫?』



 電話越しに聞こえてきた鈴の音は、聞きなれた物だが、なんだか少し懐かしい。たっぷり2秒間程悩んだ末に「別に構わないよ」と少し呆れ混じりに返す。


 彼女、電話の相手の少女の名前はアナスタシア・トルスタヤ。少年改め、蓮と同じ日本正規軍に所属している同僚だ。7年ほど前、蓮が日本正規軍に入隊してからずっとバディを務めているが、訳あって今は別行動中。


 性格は真面目というか、きちんとした性格というか、まぁ少し堅いが根は優しい人で、容姿の方も非常に整ってる。


 それ故、我が隊の男共からの人気は非常に高い。ただ、俗に言う“ツンデレ”という奴で、時々蓮に冷たく当たるのが玉に瑕だ。



「最近どう?調子どう?」


「そうだね。体の方は良好だよ。でも、最近は趣味に掛けられる時間が少なすぎで精神衛生面で言えば、とっても不健康だね」


「趣味ってたしか音楽鑑賞なのよね?」


「そうさ。最近じゃ『NOAH』っていうシンガーソングライターの曲を聞いてるんだけど...情報漏洩がうんたらこうたらってんで、音楽プレイヤーの持ち込みを拒否されてね。『手榴弾をその鼻の穴にぶっこんでやろうか』って言ってやったよ」



「そ、そう...アメリカって野蛮な国なのね...」



 つい数日前まで蓮はアメリカの多目的飛空戦艦エリュシオンにいた。名ばかりの長期休暇のためにこうして日本に戻って来た訳だ。


 しかし、まあ、アメリカが野蛮な国というのはちょっとした偏見になるだろう。野蛮なのは、アメリカという国そのものを裏で牛耳っているあの白髪頭だ。



「えっと...たしか今エルドラドに向かってるのよね?」


「そうだよ。丁度今、小型輸送艦で旧北アメリカ大陸上空を飛行中さ」


「そう、なんだ。えっと、ほら、明日から私達って長期休暇じゃない...?」



 この時点でアーシャの用事の方は、おおよそ察した。しかし、折角の機会なのだから、ちょっくらアーシャの恥ずかしいがる声を楽しむとしよう。



「1週間を長期というなら、まあそうだね。少しの間、仕事を忘れられるよ」


「ふ、ふ〜ん。仕事嫌なら辞めちゃえばいいのに。蓮なら仕事しなくても投資で生きていけそうだわ」


「君はこんな言葉を知ってるかい?10月、それは株式投資には特に危険な月だ。それ以外にも危険なのが、7月、1月、9月、4月、11月、5月、3月、6月、2月、8月、そしてなんと言っても12月だ」



 数拍置いて、なんとも的確な指摘が入る。



「全部危険じゃない」


「そうだよ。投資なんていつやろうが、誰がやろうが危険なものは危険なんだ。世の中そう上手くいかないってことさ」



 「ふ〜ん」とわかったような、わかっていないような微妙な声。なんだか偉そうに適当な事をうそぶいてしまったな、と少し反省する。


 しかし、この仕事、つまり日本正規軍の特殊任務遂行部隊に不満があるというのは常日頃から蓮が口にしている事で、というかそもそも、仕事内容の割に給料が新卒社会人とあまり変わらないという事実に、不満がないわけがない。


 例えば、危険手当が毎月10万円付いて、年間休日が30日増えてもまだまだ納得出来ないくらいである。



「それで、君の方はどんな用事なんだい?」


「あぁ...えっと、エルドラドに着いたらさ、たまには2人っきりで何処かに出かけない?その、ほら....最近、新横浜の方でドラゴンホルモンっていうーー」


「アーシャ」



 と、少し早口になり始めていたアーシャの言葉を塞き止めると、



「な、何よ...?」


「実は君にどうしても伝えなきゃいけないことがあるんだ」



 酷く深刻そうなトーン。ゴクリ、とアーシャが生唾を飲む音が聞こえてくる。



「実は僕はね、ゴロゴロ病っていう病気に侵されてるんだ。この病気は激しい運動や、長時間日に当たったり、デートをしたりすると心臓発作が起きて、たちまち死んでしまう病気なんだ」


「...」


「僕の命もそう長くないんだ...だから、アーシャ。君は僕の分まで生きてくれ...頼んだ...よ...ぐはっ!!」



 迫真の演技を終えると適当なタイミングで通話終了ボタンに触れる。


 さて、電話を切ってから何秒で着信がなるのだろうか...その答えは約4秒であった。少し待っても、なり止む気配がないので、電話に出てみる。



「ねぇ、前に約束した事、覚えてる?」



 真っ先に聞こえてきたのは「もしもし」でも「ハロー」でもなく、アーシャの少し威嚇じみた借問だった。



「ああ、『好きです。付き合って下さい』でしょう?」


「それは2年前だし、言ったの私じゃない!!」


「んん...?じゃあ、『柿の種に入ってるピーナッツ嫌いだから食べて』かな」


「いつの話よ!今度2人っきりでどこか行こうかって約束したじゃない!」



 無論、蓮も覚えている。蓮は頭の回転の早さと、人間離れした記憶力に関しては自他共に認めている。それはアーシャだってよくわかっているはずだ。



「仕方ない。ならば、あの話をしよう。昔昔あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ芝刈りに行き過ぎて過労死し、おばあさんは川で洗濯し過ぎて過労死しました。めでたしめでたし」


「何がどうめでたいのよ。貴方ね、恋人からのデートの誘いを『めんどくさい』って理由で断るなんて、人として感性を疑うわ!」



 いよいよアーシャの"怒りメーター"が頂点に近付いている。


 彼女、アナスタシア・トルスタヤとは、一応恋人関係にある。一応と付け加えたのは、正直恋人らしい事は一切していないからである。


 蓮とアーシャが所属している日本正規軍特殊任務遂行部隊“ファランクス”は、高序列能力者だけで構成された部隊で、しばしば「日本最強の部隊」だとか、「悪魔の集い」だとか、なんだか畏怖の念が込められている様にしか思えない通り名で呼ばれたりする。


 そんな部隊だからこそ、回ってくる仕事も多く、かつ危険度の高いものばかり。休みの日は月に1回あるかないか程度で、その日は大抵皆昼頃まで爆睡決め込むので、出かける機会など滅多にない。


 そう、それこそ明日から始まる名ばかりの長期休暇ぐらいなのだ。


 正直、アーシャと二人きりで出掛けたのは過去に1回くらいだろう。



「やーだやーだ!おぉそぉとでたぁくなぁいぃぃ!!」


「いきなり幼児退行しないでくれる!?」


「君さ、どんだけ僕とデートしたいわけ?」


「その質問に答えるのは宇宙の真理を紐解くより難しい事だわ」



 僕は宇宙の真理を紐解く事より難しい事を理解してしまっているらしい。



「貴方がモテない理由を教えてあげるわ。たしかに貴方は顔と頭と性格だけは良い。でも、貴方には決定的に欠けている所があるわ!」


「だけ...?それってかなり重要な要素なんじゃ...」


「それはね、女心をわかっていないところよ」



 とんだ茶番である。彼女とて、蓮がそんな薄情な人間では無い事をわかっているはずである。


 さて、そろそろ飽きて来たので、この世界一無駄な会話を終わらせるとしようか。



「ああ、はいはい。明日は色々と忙しいから明後日でいいかい?」


「ええ。いいわ」


「デートプランの方は全て一任するよ」


「ま、任せなさい!」



 斯くて、蓮の大切な休みのうちの1日はアーシャに供物として捧げられる事となった。しかしまぁ、運命とは残酷なもので、この後起こる出来事によって、そのデートの約束はぶち壊される。そうだな、それっぽくいうならば



 まさか“あんな事”になるなんて、あの時の蓮は知る由もなかった...



 あたりだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

斯くの如く、ノアの方舟は荒野へと帰還する @ikurararara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ