第19話

*☆*☆*

 サイスからアルラントへ続く銀街道を、一頭の馬が疾走していた。

 馬上で髪をなびかせるのは、ボウ・エダイだ。

 アフロの密命を受け、サイスを訪ねたボウは、女官が数年前に殺害されていたと知った。

 アフロは季節折々に、女官の身を案じて書簡を交わしていたが、殺害されてからも誰かが女官を装って返書していたのだ。

 墓を守っていた女は、一足先に訪れたアフロの使者に、女官から預かっていた手紙を渡したと答えた。何者かが巫女王の使者を騙り、秘された過去の出来事を手にした。

『誰が?』

 あれほど身元をあらため、選び抜いた者達で固めていたはずの神殿内に、誰が間者を送り込んだのか。そうでなければ、こんな素早い手は打てまい。

『まさか、あの手紙まで洩れてはいないだろうか。他の御子達のことまで、知られたら』

 アフロから拝読したヴァンキーの古い書簡には、巫女王エレーナの御子を、牙の者に託したと書かれていた。そして、前摂政ヒリヤと、市井にうもれた姫君の間に生まれた御子達のことも。

 もし、その子供達の素性が勢力争いをしている者どもに洩れれば、アルラントは今以上に内紛する。

 行方の知れないヒリアの子供達が、宮殿内の勢力争いに利用されたなら。

 それが対抗勢力の者どもであったなら、ボウがどれほどに助けたくとも、容赦はできない。

 アフロが後ろ盾となるであろう、真の聖太子以外、認める事はできないのだから。

 覇を争い、権を奪い合う臣下を、ひとつに統べ鎮める王が今のアルラントにはいない。

 聖王アルフィルドは、王であって王ではない。

 摂政カイドの庇護下に捕らわれた、力ない青年にすぎない。

 カイドがいるかぎり、孤立無援の王だ。

 現聖王に力がないなら、せめて、少しでも志の高い者が、この国を統べるまでだ。

『ヒリア殿が生きてさえ在れば。あの反乱が起きなければ。もし  』

 前聖王の御子。システィリス・デュマが、無事に成人していてくれれば。

 ヴァンキーの無二の親友だった近衛兵ゼーノとともに、行方知れずとなった、正当な王位継承権者。

『ヴァンキー。 あなたの思い描いたアルラントは。この国は 』

 馬の背で、散々に乱れる想いが痛い。

 あふれようとする涙をこらえ、ボウは鞭を振った。

 

*☆*☆*

 アストライア神殿の謁見の間に、ヴァンキーはいた。

 かたわらには、不安げな顔をしたカリがたたずんでいる。

 バンテ・ロウからエルバスの計画を聞いたヴァンキーは、カリをアストライア神殿へ帰すと決めた。

 大神官として名乗りをあげ、アフロの保護下にいるほうが、カリにとっては安全だと判断したからだ。

「ね、ヴァンキー。どうしてこんな場所へ来たの? ここは、おれたちにとって、その、危ない場所なんでしょ?」

 緊張するカリから、ヴァンキーは目をそらせた。

 地下住居区のアジトで、すべてを話すのは危険な行為だ。かといって、ここで真実を打ち明けるのも、ひどく酷なのだが。

「ね、ヴァンキー。帰ろうよ。おれ、なんだか嫌な気分だ。すごく、嫌な気がする。お師匠様のところから、連れて来られた時みたいに」

たじろぐヴァンキーに、カリは目をみはった。

 肩に置かれた手を振り払い、思わず後退る。

「おれを   売るの?  敵に 売るのかっ」

 自分は、またしても他人の手に渡るのだと。喉元に、熱い塊がこみあげる。

 カリの想いを無視して、なぜ皆は、勝手に事を運ぶのだろう。

 どんなに抗おうと、止まらない流れ。

 あの日、自分をラジェッタから引き離した運命(さだめ)の波は、どこまでもうねりをやめない。

 もう、カリの想いなど、存在しない。

 握り締めた手のひらが、熱をもった。

「カリ。落ち着いて、聞いてほしい」

 ゆっくりと片膝をつき、ヴァンキーは低頭した。

「いえ、アスタルド・デュマ殿下。どうか、お心をお静め下さい。お怒りは重々承知の上で、伏してお願いたします」

 ヴァンキーの変貌に、カリは唇を引き結んだ。

 人に平伏される自分が、無性にいとわしい。

 いたたまれないほど、気分が悪くなる。

「あなた様は、今は亡き巫女王エレーナ様と、摂政ヒリア殿の御子。星姫ベルダが予言された、アルラントの継承者なのです。このアルラントにとって、星姫ベルダに代わり、国そのものの礎となる『地の者の王』なのです」

 アルラントの創世神話は、絶対神エルエアと女神レンヤーの誓約から始まっている。

 滅びの宣告を受けた人間を救うため、女神レンヤーは、みずからの魂に代えて、エルエア神に許しと救済の誓約を願い、予言を残した。

 決められた時間の内に、神と並び立てるほどの力を持った『地の者の王』が現れたなら、人間は滅びの運命から救われるだろうと。

 アルラントの大神官は、歴史上何度か現れている。だが、誰一人として神に認められなかった。

 認められなかった大神官が、どんな生涯を送ったのか、または、どんな末路をたどったのか。記す文書は残っていない。

「あなた様は、なくてはならない大切な御方なのです。今まで、すべてを伏せて御育ていたしましたのは、殿下の身の安全をはかるため。ラジェッタから、手荒い方法でお連れしたのも、暗殺者の手からお守りするためでした」

 うつむいて、カリは目を閉じた。

 どこをどう理解すれば、理不尽な扱いを許せるのだろう。

 まるで、この国の為だけに、自分は存在していると言うのか。

 身体のうちから膨れ上がる怒りに、息が詰まる。

「17年前。アルラントに反乱が起こった日。あなたは、このアストライア神殿で誕生されたのです」

 ヴァンキーは低頭したまま、あの日に想いを馳せた。

 混乱に乗じて禁忌を侵した賊が、大神官となるべき御子を拉致しようとしている。

 一報が入ったとき、反乱は頂点に達していた。

 ヴァンキーは近衛のゼーノと王宮の地下回廊を抜け、兵舎の厩へたどりついていた。そこには、シレーユ候だけが知っている地下通路がある。

 アルラントの創世王にも秘されていた、シレーユ家だけの秘密。

 街の地下街へ通じる道だ。

 厩の外で争う兵がヴァンキーを求め、賊の報を叫んでいた。

「行けっ ヴァンキー。聖太子はおれが!」

 ゼーノは抱えた布の包みを、しっかりと身体にくくりつけた。

「システィリス様は。聖太子殿下は、おれが命に代えても」

 言うなり、ゼーノは地下通路へ飛び込んだ。

「頼む、ゼーノ。 すまん」

 地下への扉を封印し、ヴァンキーはアストライア神殿めざして騎馬を駆る。

 だが。。。

「神殿内に賊が侵入したと報告を受け、わたしは禁忌を侵して浄化の間へ駆けつけましたが、先に誕生された御子は、すでに奪われていました。後を追おうとするわたしを止め、エレーナ様は生まれたばかりのあなた様を、託されたのです。いずれ、天はふたつに割れる。天が望む大神官が、双子として生まれた。そう、おっしゃって」

 カリの背後で、衣擦れの音がした。

 やわらかな花の香りと、陽だまりのように暖かな気配が、カリを包んだ。

「お待たせしました。よく、ご無事で」

 耳に心地よい声だ。

 深く、優しく、断固としているのに、愁いを含んだ声音。

『お師匠様』

 哀しみを胸底に沈めた、イスランの笑顔。

 その声も、今のように聞こえていた。

『帰りたい! お師匠様っ』

 郷愁にかられ、食いしばった唇から嗚咽が洩れた。

 止めようもなく膨れ上がった塊が、身体中からほとばしる。

「殿下っ!」

 悲鳴じみた声をあげ、ヴァキンーは床に叩きつけられていた。

 激しい揺れと地鳴りに家具が横転し、装飾品や硝子が砕け散る。

 何かが。 

 カリの内に目覚めたものが。

 カリそのものを形作っている力そのものが、一気に外側へとほとばしる。

゛いけないっ!  お願い 静まって!″

 ふわりと、カリの身体を包む気配がした。

 おだやかな祈りにも似た、不思議な声。

『だ れ  』

 身体を包む心地よいものに抱かれ、カリは意識を失った。

 倒れ込むカリを受けとめ、アフロは膝をつく。

 そのまましっかりと抱き寄せて、ため息が漏れた。

「大事ございませんか? アフロ様」

 半身を起こして、ヴァンキーは呻いた。

 打ちつけた身体は痛んだが、もはや地鳴りはおさまっている。

 落ちて砕ける物音に、はっと身を縮め、おもわず苦笑する額に冷や汗が流れた。

「いったい  なにが」

 立ち上がり、ヴァンキーは唖然と辺りを見まわした。

 凄まじい力で、破壊された広間。

 なにが起こったのか、理解できない。

「神との誓約を果たす者が、現れたのです。女神レンヤーの予言どおり、地の者の王が」

 かたわらに膝をついたヴァンキーへ、アフロはささやいた。

 

*☆*☆*

「どうなさいました? テン」

 水の幕を通し、ひんやりとさし込む陽の下で、リュイーヌは幼い巫女姫の顔を覗きこんだ。

 胸元でちいさな指を組み、祈りをささげる姿がいとおしい。

「あまり無理をなさっては、身体にさわります」

 つい一週間ほど前、突然に訪れた聖王の使者が、リュイーヌと巫女姫テンに、地下庭園の一室を与えると伝えてきた。

 歴代の側妃に与えられてきた地下庭園は、砂漠の王国にとって贅沢この上ない設備だ。

 暑さで死人が出るほどの昼間、リュイーヌは従者たちを従えて小川の流れる地下へと移動する。

 この涼しさは、ありがたかった。

 苛むような熱気のなかで過ごした一年は、リュイーヌとテンから体力を奪い、食を細らせたからだ。

見かねたシレーユ候の進言で、聖王は庭園の一室をふたりに与えてくれた。

「よかった」

「?」

 意味不明のつぶやきの後、テンはリュイーヌを見上げて微笑んだ。

「やっと、会えたの。もう、だいじょうぶ」

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