第47話 憧憬
「あの時、そんなことになってたんか……」
6年前の夏、小学生だった稲荷はまだ葛葉家の中では守られる立場にある子供である。
彼女が知っていたのは、突如行方不明になった女子供が翌日に見つかったというニュースだけだ。
そこに「銜尾蛇」や結城家が関与しているとは知らなかったし、考えもしなかった。
「辛いんは白雪だけやない、アンタも今まで大変やったやろ。小さい頃やのにそんな経験したら」
「……心を殺すだけです。あの時は1人も生かしておくわけにはいかなかったし、俺の感情がそれを許さなかった。必要であればなんでもしますよ、身も心も鬼になったのだから」
蒼真の目からは感情を読み取ることができない。
稲荷も裏社会に生きる妖狐として、時には冷酷な判断を下さなければいけない場面もあるが、蒼真ほどの冷たい目をする様になるのはまだ先だろう。
「もう今日は白雪連れて帰りや。長話で疲れたやろ」
稲荷は蒼真を立ち上がらせた。
その本音は白雪を思ってのことだろう。
白鬼と妖狐の間に割って入り、その後も2人が話している間、部屋の外で待ち続けているのだ。疲労がないはずはない。
「では、今日のところはこれで失礼します」
蒼真も彼女の意図は理解している。
長居する理由もなく、ここは彼女の厚意に甘えておくことにした。
「あぁそうや、さっきの話の前にこっちからも相応の話できるって言うたけど、また別の機会にしとこか。まぁ、ウチら葛葉家だけが知っているっていう話でもないやろうし、別の場所で別の誰かから聞く事になるかもしれんけどな」
別れ際、稲荷はふとそんなことを言った。
葛葉家に代々伝わるある話。
それが蒼真達に打ち明けられるのは、今回ではなさそうだ。
彼女は屋敷の門まで蒼真と白雪を送ると、葛葉家を出て行く2人の背中をぼんやりと眺めていた。
「……白鬼か。ご先祖もやってくれたもんやわ」
小さく呟いた彼女の声は風にかき消され、その真意は誰も知る由もない。
✳︎ ✳︎ ✳︎
葛葉家を後にした2人は、白雪の希望で結城家までの道を少し遠回りしていた。
「蒼真さん、すみませんでした。会長には私から話すべきだったのに、席を外すことになったのは私が弱いから……」
白雪は蒼真と稲荷が話している間、そしてここまで歩いている間、ずっと自分を責めて続けていた。
誰よりも辛い過去を持ち、魔力のせいで不自由な体の彼女であったが、その責任感は他の誰よりも強かった。
「私が話せば、蒼真さんはあの日のことを思い出さずに済みました。それ以前に、私があの時捕まりさえしなければ——」
「それ以上は何も言うな」
蒼真は白雪の言葉を断ち切ると、彼女の手を握りしめた。
僅かに体温の低い白雪の方へ握った手を介して、蒼真から熱が伝わって行くのを2人は感じた。
「あれはお前の過去じゃない。俺も含め、結城家全員の過去だ。自分を責めてしまうのは仕方ないし、悪いとも言わない。俺や澪、それに直夜だって自責の念に駆られることだって、今までいくらでもあった」
いつもは楽観的な態度で周囲に接し続ける直夜も、先日の魔法高校襲撃事件の際には後悔が残ったほどだ。
自分を責めない人間に進歩はないのだ。
「でもな、本当にダメになった時はその責任を俺に押し付けろ。俺達に押し付けろ。全部まとめて責任を取ってやる。だから、たまには人を頼ってくれ。絶対にお前を1人にはしないからな」
2人の視線が交わり、白雪の白い頬がポッと紅潮した。
恥ずかしさに耐えきれなくなった彼女が顔を背けると、その横顔は長い黒髪に隠された。
(私、やっぱり蒼真さんのことが……)
蒼真は体の弱かった白雪の体質に真剣に向き合った。
「銜尾蛇」に連れ去られた白雪を全力で救い出した。
そして今も白雪は蒼真に支えられている。
いつでも側にいて、道標となってくれる英雄だった。
彼は彼女にとって命の恩人であるが、それ以上に蒼真の心、信念に恋をしていたのだと改めて感じた。
昔は憧れだった。
それがいつの日か恋愛感情に昇華していた。
だが、蒼真はいずれ結城家の当主となる身であり、白雪は傘下の娘だ。
叶えるのは難しい恋だと、彼女自身もわかっている。
(でも、今だけは……2人でいられるこの瞬間だけは……)
彼女を包み込む大きな手に、大きな背中に甘えていたかった。
「蒼真さん……今度また……」
「ああ、また皆で出かけようか」
白雪の2人で出かけたいという思いは完全には蒼真に伝わっていなかったが、彼が白雪のことを考えて計画を立てようとしているだけで、今の彼女には十分だった。
今は1秒でも長く蒼真の横にいたいという思いだけだった。
しかしその幸せな時間も、望めば望むほど長くは続かないものだ。
「あれ、蒼真? と……蒼真って、彼女いたの?」
「修悟……お前何でもう京都に!? ここへ来るのは来週じゃなかったのか?」
声をかけてきたのは、まだ京都にいるはずのない修悟だった。
「何でよりによって今来ているんだ……」
「リサさんがね、少し早く行って蒼真達を驚かせようって計画しててさ。でも、僕もびっくりしたよ。蒼真にこんな綺麗な彼女がいたなんて」
「いや、彼女じゃ……おい、白雪!」
「か、かの……あっ……」
2人の時間を邪魔された苛立ちと、蒼真の彼女と言われた喜びと恥ずかしさで白雪の思考はオーバーヒートしていた。
湯気が出そうなほど赤くなった顔で口をパクパク動かしているが、声は全く出ていない。
「まぁいいが、リサ達も来ているだな? どこにいるか案内してくれ。今の京都は魔法使いにとって危険だ」
「わ、わかった。ついてきて」
誤解を晴らすことよりも、別行動をとっているリサ、志乃の安全の確保を優先させると決めた蒼真は修悟の後をついて行った。
彼らの目的地は無数の鳥居が立ち並ぶ、伏見稲荷大社だ。
神域への門である鳥居が多くあるこの地はパワースポットとなり、術師にとっては心身の整う心地よい場所である。
その伏見稲荷の千本鳥居までたどり着いた3人は、別れ道に直面していた。
「あいつらがどっちに行ってるとか聞いてないよな?」
「流石にそこまではね……連絡してみるよ」
修悟は携帯端末を取り出そうと、ポケットに手を入れる。
だが、結果的に彼が携帯を使うことはなかった。
「——シューゴ! こんなところにいたの!? ちょっと匿って!」
「変な人が追ってきてるの! って、蒼真君!?」
声を上げながら階段を駆け降りてきたのはリサと志乃だった。
彼女達の慌てた表情以上に異様な光景が、その後ろにはあった。
屈強な男達が、2人の少女を追いかけてきているのだ。
完全に通報案件である。
「ちょ、ちょっと何があったかは知りませんけど、追いかけるのはやめてあげてくれませんか?」
怯える志乃とリサを体の陰に回りこませると男達の前に立ち塞がった。
奇しくも4月に炎珠とその取り巻きからリサを守ろうとした時と同じような体勢である。
その時と異なるのは、蒼真が相手の素性を知っているという点だ。
「大丈夫だ、2人とも。すぐ話をつける」
蒼真は志乃とリサを安心させようと、落ち着いた声で話しかけると、目の前の男達と向き合った。
「……こんな時に何をしてるんですか、
「何って、ナンパやけど? もしかして、やったことないんか? 蒼真は堅物やもんなぁ」
男達をかき分けるようにして現れたのは、派手な紫色の髪に派手な柄物の服を着飾った長身の男だ。
スーツを着用中の蒼真とは対照的である。
「お嬢ちゃんら、蒼真の知り合いやったんかいな。って、白雪ちゃんもおるんかい。もしかして、俺に口説かれに来た?」
「そんな訳ないでしょう。大学生がこんなところで女子高校生をナンパですか。通報しますよ」
白雪は心底軽蔑した目で光を睨みつける。
「そんな怖い目すんなや。可愛い顔が台無しやで」
ヘラヘラと軽い態度で白雪の言葉を受け流すと、側に立つ男達の1人に札を3枚出すように命じた。
「ごめんな、怖がらせたみたいで。君にも迷惑かけたな。この札はお詫びの品として受け取ってくれ」
修悟、志乃、リサに1枚ずつ配ると、光は先程までの態度とは一変して志乃とリサとの距離を詰めることはせず、一定の距離をとるようになった。
「君らのことは蒼真に任せるけど、京都におるうちはその札持っときや。陰陽師特製の対魔の札や」
「それを渡すのが目的なら、あんなに追い回さなくてもよかったのでは?」
「アホか、俺が女追っかけへん方が異常やろ」
「威張って言うことじゃないですよ」
京都の術師は光の女癖の悪さを知っている。
見かけるたびに違う女性が隣を歩いているか、1人でいる時は大抵ナンパに精を出しているような男だ。
「あと、これも渡しとくわ。俺の連絡先な。もし京都で困ったことがあったら何でも俺に言いや。日本一の陰陽師、土御門光さんが全部解決したる」
素行は悪いが実力は折り紙付き、それが「全能の陰陽師」土御門光だ。
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