習作2 思い出の味の謎【回答編】

 あれから半月後。首尾良く会場の手配も済ませ、スペシャルコースに件の一品もぶじに用意を整えて、学舎を去る恩師を迎えての最後の宴会が開かれた。

 洒落っ気で料理はすっぽん鍋に決まり、その取り皿の側には小鉢が並べられた。いつもの店で、いつものように女将が迎えてくれる。老教授は馴染んだ店構えと通りの両側を見回して、感慨深げに目を細めた。もうじきお別れのこの景色を瞼に刻みつけようとするのか、じっと路地の奥を見つめていた。

 暖簾をかき分けて、近木が手招きで呼んでいる。


「どうぞ、教授。二階の座敷を用意しています、」

「いや、これは嬉しいな。皆、最近なにかコソコソやっているのは知ってたけど、こんなサプライズを用意してくれていたんだねぇ、ありがとう。」


「さぁさ、どうぞお上がりくださいな。晴れの門出やさかい、湿っぽいのは止めておくれやす。」

 女将の微笑みには、いつも以上の感情が上乗せされているようにも感じられた。教授は職を退いた後には細君の実家のある信州へ帰ることが決まっており、この店に来ることはもうないだろうと思われている。

 少し気を抜けばしんみりとしてしまう空気を、近木は一人、牽引役でなんとか明るいまま保つ努力を続けている。柏手を打つ真似で教授を拝み、もう一度会場への案内台詞を繰り返した。


 上着を脱ぎ、着席した教授はすぐその存在に気がついて、淡い桜柄の小鉢を手に取った。懐かしく、寂しげなその表情は座の全員に見守られている。


「この草はねぇ、抜く時にスポンと抜けるんだそうだ。それで妻は、この辺じゃすっぽんと呼ぶんですよと教えてくれたんだよ……」


 教授は静かに語った後、小鉢の和え物を箸でつまみ、口に運び入れた。





 いつかのように酔い潰れた教授を介抱して、いつかのように座敷の隅に安置する。慣れたこの光景もおそらく今日が最後となるだろう。宴会はたけなわで、しんみりした空気もいつしかどこかへ霧散して、現在ではただのどんちゃん騒ぎだ。


 やかましい界隈とは無縁とばかり一人気取って手酌で飲んでいる後輩の側へ、近木はずりずりと這い寄った。お銚子は畳に転がり、ビール瓶も転がっている、今日もおそらく後輩は酔っ払いだった。肩に手を置き、杖代わりに身を起こす。


「なぁ、縣。あのキーワードの脳内変換はどこでどう繋がったんだ?」


 トリ、すっぽん、シャキシャキ


 後輩の縣は、鍋用の取り皿に日本酒を注ぎながら応えた。先輩への敬意は酒に押し流されてしまったモヨウで、鬱陶しげに横目を向けただけだった。


「山歩きとなれば、思いつくキーワードは山菜だ。シャキシャキした食感などは食レポでよく聞くフレーズだろ? そうなれば、トリというのも野草の名前だという可能性が高い。虫取り草とかトリモチ草とかと同じくで俗称かも知れない。だったら後は、野草、山菜、すっぽん、で検索して答え合わせが出来る。」


 出てきたのは『いたどり』という植物だ。山菜の一つで、俗称には確かに「すっぽん」という記述が記されていた。


「ナルホドね、」


 うんうん、頷きながら近木はまたズルズルと彼の肩から滑り落ちて、畳の間にごろりと転がった。沈没。この調子なら、全滅するのにさほどの時間は要さないだろう。



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