社長戦争
プロローグ
それは朝の通勤ラッシュを終え、昼にまた騒がしくなる前のビル街を歩いていた。
私はそのビル街から少し抜けたところにある、ノスタルジックな喫茶店へと向かっていた。
そこに向かう理由はいくつかあるが、一番としての理由はしばらく遠征にでなければ行けないことを伝えるためだ。
やがて喫茶店につき、心地良いベルの音を鳴らしながら店へと入る。
そこのマスターは、私が来たのを見るなり、静かに笑みを浮かべ、いつものようにエスプレッソを作る準備を始めてくれた。
外観は、先ほども言ったようにノスタルジックな懐かしいものであるが、中はむしろ今風だと言える。
道路沿いにある席は、アンティーク調の窓から差し込む光がいつも美しい。
そんな席に、一人の少女が座る。
白のブラウスに、紺のスカートを履いた、長く水色の髪を持つ黒目の彼女は、相変わらずの無表情で本を読んでいた。
私はその向かいの席へ座る。
「珍しいですね。こんな時間に貴女がくるのは」
本から目を離さずに彼女は話かけてくる。
「これからしばらく離れなければならないのでな。それを貴女と、他の二人にも伝えにきたのだが……」
軽く店内を見渡しても、それらしき影はどこにもない。
時間もそうであるために、彼女以外の客もいない。
「海藤さんは学校へ、轟さんは市街地で調査を行っています。どちらも午後まで帰ってくる予定はありません。ですので、他に急ぎの用がないのであれば伝えておきますが。いかがでしょうか?」
本からは、一切目を離さことはなく、淡々とした口調でその事を伝えてくれる。
「それじゃあ伝えておいてくれ、スネー……いや、今は白亜という名前であったのだな済まない」
前職の癖で、いまだにその時の名前で呼んでしまう。
その度に、自分でも嫌な気持ちになってしまう。
だが、白亜は表情を変えることなく淡々とした態度でいる。
「別にどちらでも構いません。私と轟さんはあまり名前というのに拘りを持っていませんので。ただ……」
そこで止めると、本を閉じ私の目をしっかりと見ながら続ける。
「他の方達はそこを気にしていたりします。貴女の場合、私達や海藤さんとは違い人間です。突如それで襲われでもしたら命に関わりますので注意して下さい」
その顔は先ほど変わらないように見えるが、確かに私を心配している表情だ。
いつも彼女が海藤さんに向ける顔だ。
「あぁ、ありがとう。だが、そのような顔は私にではなく、海藤さんに向けてくれ」
「海藤さん、ですか?」
なぜここでその名前が出てくるのか分からないような顔しているが、彼女の本意は鈍い私にでも分かった。
だが、私達の中で一番しんどい思いをしているのは間違いなく彼に違いない。
人間でも、ドーパントでもない、半人半機の彼には、少なくとも私が、彼女が、轟さんが近くにいなければ。
少し会話が途切れると、カチャリと静かに器が鳴る音を聞こえた。振り返るとマスターがエスプレッソと、なぜか生クリームの乗ったバームクーヘンを二つ用意していた。
「サービスです」
低く柔らかい声でそう言い、微笑みながらカウンターの方へと戻って行った。
そうだな、あの人も私達にとって大切な人間だ。
私達の素性を知りながら、こうして白亜や海藤さんに部屋を貸してくれてるだけでなく、こうして話す場も提供してくれている。
普通こんなのに巻き込まれたくはないと思うのが普通であるのに。
正直、あの人ほど立派な人物には簡単に出会えるものではないだろう。
「新城さん、モキュモキュ、早くしないと、モキュモキュ、コーヒーが、モキュモキュ、冷めてしまいますよ」
「……あなた食べるの少し早すぎない? もう半分を食べ終えてるのだけど。それと、これはコーヒーじゃなくてエスプレッソよ」
「そうですか。モキュモキュ、しかし、モキュモキュ、このお手製生クリームが、モキュモキュ、おいしいので、モキュモキュ」
「ハイハイ、分かったから。とりあえず口の中のものを全部食べてから話なさいよ」
その後、無表情のまま無言で食べ始めた。無表情なのになぜかとても、美味しそうに食べてるのが分かるというのはスゴいことだと思う。
私はカップを持ちあげ、中身を少し飲んだ。
ここのエスプレッソは、他の喫茶店や自販機などで売ってるものよりも断然に美味しい。
この微かな苦味が含まれる、ふんわりとした香りがなんとも言えぬ深みを出している。
私は少し落ち着き、先ほどまで読んでいた白亜の本に目を移す。
「ヘミングウェイって、また難しい本を読んでるのね」
「……ゴクリ。そんなのですか? 私はマスターに借りて読んでみましたが、とても人間について勉強になります」
「へぇ、そうなんだ。私はこれを最後まで読めたのは高校生の時だよ。だけど中身を理解することはできなかった」
はやり、知能は私達より上なんだな。そう思ったが、お皿を見るとすでにバームクーヘンは無く、僅かなクリームさえも残さずに綺麗に片付いていた。
「ところであなたが行く場所はどこなのですか? しばらく帰らないにしては荷物が少ないと思います」
「あぁ、大丈夫よ。今、持ってるもの以外はすでに送ってるから」
行く場所に関しては……、あまりよく分かってないのよね。ただ一つ言えるのは。
「もし、私が三日。三日が経っても帰って来なかったらよろしく頼んでも良いかしら?」
「ーーーー分かった。それでは、そうならないことを祈っている」
「フフフ、ありがとう。それじゃあ行くわ。二人にはよろしくね」
「了解した。それと会計の時にマスターにお代わりをお願いしてきてはくれないだろうか?」
ハイハイ、そう笑いながら私はカバンから財布を取り出し会計へと向かった。
……しかし、まさか私が彼女と普通に話せる日がくるとはね。なんだか感慨深いものね。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ビル街から遠く離れた、薄暗い路地裏にある自動販売機の前に、私はたどり着く。
時計を確認すると、予定より一分遅くついてしまった。少し話過ぎたのかもしれない。
「新城セイナさん。っで、間違いないでしょうか?」
少し疲労が混じった声で暗がりから声をかける人物。
それは徐々に光が当たる場所に向かい、その姿をはっきり現す。
くたびれたスーツにネクタイ。生気があまり感じることができない目を持ったその男は、私に胡散臭い笑いを浮かべている。
「えぇ、そうよ。ごめんなさいね、少し着く時間が遅れてしまって」
「何をおっしゃいますか。予定の時間まで後八分もあるではないですか。貴女が十分前に行動するとは聞いていましたが本当のようですね」
どうしてそのような事を知っているのか。普通なら気になるところだが、この男が言うなら別段おかしくないように思える。
「それでは予定の時刻より早いですが、早速移動することにしましょう。あぁ、もちろん。お預かりした荷物もそこにお送りしておりますのでご心配なく」
そしてその男は、チラシの後が残る壁に触れる。
そして、そこが徐々に歪み始め人一人が歩いてでも通れる大きな穴となった。
穴の向こうは何やら光が蠢きあい、あまり気持ちのよいものではなかった。
「それではこちらの方へ。しかし、技術も進歩したものですね。私がまだ新人の頃は、特定の発信器の近くで、相手に触れていないと転送できなかったのですから。汚れた相手を転送する作業は、あまり気持ちの良いものてではありませんでしたね……」
どこかを懐かしむようにそれを言い終えると、手を前に差しのべ、ホテルマンのように穴へと私を誘導する。
さて、ここからはどうなるかなんて見当もつかない。でも、私はやるだけだ。責任を、生き残った責任を。
そして、ここに残る仲間たちに、返し切れていない責任を果たせるために……
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