核シェルター

知多山ちいた

第1話

 雑居ビルが立ち並ぶ東京のとある街に、ひときわ汚れた10階建てのビルがあった。地震が来たら倒壊しそうなそのビルの5階に、山本義之やまもとよしゆきの経営する会社がオフィスを構えていた。オフィスの中には数名の社員がいたが、仕事をしている様子はなく、ボーッとしたりパソコンのゲームで遊んだりしている。

 山本義之は核シェルターの販売会社を経営していた。北朝鮮が核実験やミサイルの発射実験を繰り返していた頃はそこそこの売り上げを出していたが、米朝首脳会談で一変した。北朝鮮が核廃棄を約束したことによって山本の会社は苦境に立たされていた。

 商品そのものには自信があった。元来核シェルターは一部の金持ちにしか縁のないものであったが、山本の会社が扱うシェルターは組み立て式で、マンションの一室にも設置できるものだった。値段を一般人が購入できるレベルまで下げることに成功していた。

 ある日、山本がパソコンでフリーセルをプレイしていると、ドアをノックする音が聞こえた。どうせビルの管理人だろうと思いながらドアを開けると、そこには40代ぐらいのスーツを着た男が立っていた。肌には皺が刻まれていたものの、整った髪には艶があり、清潔さが感じられた。山本は訝しみながらも用件を尋ねた。

「なにか御用でしょうか?」

「突然申し訳ございません。私、サンデーマーケティングの出間でまと申します」

「はあ」山本は差し出された名刺を受け取った。サンデーマーケティングという会社は聞いたことがなかった。目の前にいる男は出間弘でまひろむという名前らしい。

「こちら、核シェルターの販売会社だと伺いましたが、間違いございませんでしょうか?」

「はい……そうですが」

「どうですか、最近? 色々とご苦労されているんじゃないですか?」

「まあ、平和な世の中ですからね……」山本は余計なお世話だと思いながらも、他にやることもなかったので相手をした。

「どうでしょう、我々の会社に販売のお手伝いをさせてはいただけませんかね?」

「広告宣伝なら十分やっていますよ」

「どんなことをやっていらっしゃるんですか?」

「まあ、普通に新聞や雑誌に広告を出したり、Webに広告を出したりですが……」

「ダメダメダメダメ!」出間は姿勢を正したまま頭を振った。「今どきそんな方法で商品は売れませんよ。特に御社の場合は特殊な商品を扱っておられますから、戦略的なマーケティングが必要です」

「そんなことを言われても、どうしたら……」

「そこでですね……ぜひとも我々にお任せしていただきたいのですよ。さあ、続きは中に入って話しましょう」

 出間は招き入れてもいないのにオフィスの中に堂々と入ってきた。


 図々しさに負けた山本は仕方なく出間を応接室に入れた。木製のテーブルの両側に二人掛けのソファーが置いてあったが、ソファーはところどころ革が剥がれていた。出間はソファーに深く腰掛けると、コーヒーを運んできてくれた社員に向かって礼を言った。山本が渡した名刺をちらりと見て、さっそく話を始めた。

「さて山本さん、御社の商品のようなものが売れるには、一体何が必要だと思われますか?」

「何と言われても……。結局ウチの商品の場合はそういう状況にならないとどうしようもないんでね……」

「そうです、まさにそれ。具体的には核戦争が起こるかもしれないという状況でしょう」

「あなたもご存知だと思うけど、北朝鮮は核放棄を約束しちゃったんでね……」

「そんなことは関係ございません」

「は?」

「核放棄しようがしまいが、恐怖さえそこにあればいいんです」

 山本は訳が分からず困惑していたが、出間は構わずに話し続けた。

「恐怖とは何によってもたらされるのでしょうか? そう、情報です。その情報さえ握ってしまえば、人々に核戦争の恐怖を植え付けることは簡単です」

 大げさな身振り手振りを混じえて熱弁をふるう出間とは対照的に、山本の期待感は急激にしぼんでいった。

「つまり、デマを拡散するってことか?」

「汚い言葉を使えば、そう言うこともできます」

「今どきそんなデマを信じるやつがいると思うか? これだけ情報がありふれた時代に」山本は少しでも期待した自分が馬鹿だったと思いながら言った。「お話ありがとうございました。お帰りください」

 出間は暫し下を向いた後、不敵な笑みを浮かべて山本の方へ視線を戻した。

「みなさん、最初は必ずそうおっしゃいます。しかし我々は凡庸なマーケティング会社とは違います。誰もが驚く画期的なマーケティング手法を開発したのです!」

「はあ……」

「やることは情報操作であることに変わりありません。ただし不特定多数に送信する情報を操作するのではなく、特定の個人に送信される情報を操作するのです。我々はこれをターゲットマーケティングと呼んでおります」

「ははあ……あれか? 身内を装って老人を騙すやつか?」

「いえいえ。残念ながらこの手法はご年配の方には有効ではないのです。プライベートな問題なら騙せるかもしれませんが、ニュースになるようなことは騙せません。彼らは新聞やテレビをよく見ますからね。世間話も好きなのであっという間にウソだってことがバレてしまうでしょう」

「それじゃなんだ? 若者を騙すっていうのか?」

「その通りでございます」出間は自信満々な表情で答えた。

「馬鹿な! 確かに若者は新聞やテレビを見ないかもしれないが、インターネットというものがあるんだぞ」

「フフフ……」

「何がおかしい?」

「そこが肝でございます。しかしこれは実際に見ていただかないと信用されないでしょう。後日、無料でターゲットマーケティングの実演をお見せいたします。判断していただくのはそれからで構いません。いかがでしょうか?」

 犯罪行為をマーケティングと言い張るこの男をまだ信用できなかったが、山本は提案に乗ることにした。なによりも、会社の先行きが暗く藁にもすがりたいという思いがそうさせた。

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