手を繋いだ夏

鈴平涼音

手を繋いだ夏

 今年の夏は暑すぎる。

 自室のエアコンが私も休ませろと、ギリギリ唸り不満を漏らす。

 せめて夏休みの間は動いてくれとひとりごちてモニターに視線を戻した。


 数日前、ネットで評判の良かったアクションアドベンチャーゲームを通販で購入した。

 主人公に自分と同じ名前の結大ゆうだいと命名しゲームを始めた。

 画面の中の結大はヒロインを連れ、敵の猛追や罠を掻い潜りダンジョンから脱出を試みる。

 二人は戦闘能力に乏しい為、戦闘自体を回避しなければならない。

 協力する一方でお互いが枷となり、ゲームの進行を難しくしている。

 物語は概ね半分のところで行き詰まっていた。

 何度思考錯誤を繰り返しても打開できない。

 集中力が切れて大きな欠伸が漏れた。不意に現実の方へ引き戻される。


 中学校生活最後の夏休みも終盤の八月二十三日を迎えていた。

 夏休みに入る前は、青春ド真ん中よろしく、海水浴や夏祭り、花火にバーベキュー等々、夏特有のイベントをこれでもかと夢想した。

 現実は、出不精な性格と連日の猛暑も相まって、大半をベッドとゲーム世界の往復に費やした。


 現実もゲームも上手くいかない。

 やる気が失せた。

 コントローラーからスマホに持ち替え、ベッドに寝転がる。

 スマホの画面を見る。十三時五分の時刻案内とメッセージ通知が一件。

 メッセージ内容を確認する。

 幼馴染の依子よりこからだった。

 今夜、二十時に近所の公園で会いたい旨の内容が記されている。

 依子とは同い年で家も隣同士だ。幼い頃は仲が良く、遊ぶ事も多かった。

 中学生になり、互いに歳を重ねるに連れ、少しずつ関係は疎遠になっていた。

 わざわざ公園に呼び出すのは何のつもりだろうか?

 直接家に来たらいいのに。

 家に遊びに来なよと、途中までメッセージを書いてから全部消した。

 きっと何か事情があるのかもしれない。

 メッセージの返信に了承の旨を書き込む。

 送信する間際、夜なら涼しいからと本文に付け加えた。


   *


 夕飯と入浴は手早く済ませた。

 スウェットに着替えた後、少し悩んで、お気に入りのシャツとハーフパンツに着替え直した。

 家族には夜散歩に行くと言い残して家を出る。

 玄関を開けると、蒸し暑い外気が肌にまとわりついてくる。

 夜くらいは涼しくなれと、空に向けて悪態をついた。

 薄曇りの空の後ろ側、朧に光る月が見え隠れする。雲の流れがとても速い。

 依子の家を通り過ぎて公園へ向かう。

 程なく公園に到着したが、約束の時間まで三十分ある。

 夕時の公園には俺以外に誰も居ない。

 住宅地の片隅にある公園は、幼い頃より更に小さく感じられる。

 手持ち無沙汰になり、鉄棒で逆上がりに挑戦してみる。

 三回目で成功してしまい肩の力が抜けた。

 小学生の頃はいつまで経っても逆上がりができなかった。

 依子は簡単にやってのけ悔しい思いをした記憶が蘇る。

 体を動かす事にも飽きて、地面と距離の近いブランコに腰掛け依子を待った。


 結局、依子は時間ぴったりに公園に現れた。

 薄いピンクの上下スウェットにサンダル履きのラフな格好をしている。

 最後に学校で見かけた時より髪の毛が伸びていて、セミロングの黒髪を下ろしたままにしている。

 依子は何故か不機嫌そうに顔を顰めていて、無言のまま隣のブランコに座った。

 甘いシャンプーの匂いが鼻孔をくすぐる。

 呼び出しておいて依子は話し始める素振りがない。

 沈黙に耐え兼ねて口を開いた。

「久しぶり。髪結構伸びた?」

 依子は質問には答えず、こちらを一瞥して話し始める。

「スウェットで来ると思った」

「え?」

「いつも家で着てるやつ」

「外でのお誘いだったから外出用の方が良いかなって」

「合わせたつもりだった!」

 服装のことだろうか? 

 よくわからないが不機嫌な理由はそれらしい。依子が続ける。

「別にいい。夏休みずっと家に居るでしょ? 暇なら付き合って」

 ゲームで忙しいと言い掛けて、すんでのところで飲み込み会話を繋ぐ。

「付き合うって何を?」

「手伝ってほしい事がある」

「もうちょっと具体的な内容を話してほしいんだけど」

「思春期症候群」

 思春期症候群? 依子の口から出た言葉を頭の中で反芻する。

 少し前にネットのニュースで見た事がある。確か、他人の心の声が聞こえる、人格が入れ替わるなど、思春期の少年少女たちに起こると噂される不思議な現象のことだったと記憶している。そんな都市伝説みたいな不思議現象に依子は巻き込まれたのだろうか?

「ええと、依子が思春期症候群を患ってしまったってこと?」

「そう」

 俄には信じ難い。そもそも幽霊やオカルトの類いは信じない質だ。

 依子の話が本当だったとして、俺に何ができるのだろうか?

 無言のまま固まっていた俺に依子が言葉を投げてくる。

「手」

「手?」

「手を繋ぐ必要がある」

「手を繋ぐの? 俺と?」

「そう」

「俺じゃなきゃ駄目なの?」

「駄目」

「なんで?」

「なんでも!」

 埒が明かなかった。

 少しだけ照れくさい気持ちもあったが、手を繋いで解決するのなら易いものだ。

 左手を依子の前に差し出す。

 依子の小さな右手が俺の左手を握り締めた。掌越しに、じんわりと依子の体温が伝わる。熱を受け取り過ぎて汗ばむ手を振り解こうとしても、依子は手に力を込めて離してくれない。羞恥に堪り兼ねて口を開く。

「暑いから離してほしい」

「嫌だ」

「よくわからないけどさ、これで思春期症候群も治まるんじゃないのか?」

「毎日繋がないといけない」

「は?」

「夏休みの間、毎日手を繋がないといけない」

「ええと、罰ゲームか何か?」

 手の甲に依子の爪が食い込む。

「痛い! 嘘! 冗談です! ごめんなさい!」

 依子は俺を睨め付けながら話す。

「上手く説明できないけど必要なことなの。協力して」

「本当に毎日手を繋げば思春期症候群は治まるのか?」

「治まると思う。多分」

 毎日かぁ……

 俺は依子と手を繋いだまま空いた右手で頭を抱え、長く深い溜息を吐き出した。


   *


 公園で話を終えた後、頑なに手を離そうとしない依子に根負けし、二人で手を繋いだまま、もと来た道を歩く。

 誰かに見られたら誤解されてしまいそうだ。

 頼むから知り合いに会わないでくれと、心の中で念じたのが功を奏し、誰ともすれ違わずに家の前に着いた。

 漸く手を離した依子を見送り自宅の玄関を開けた。

 リビングに頭だけ突っ込んで、ただいまを言うと、母から、ずいぶん機嫌良さそうな顔してるねと言われた。

 返事は無視して浴室へ向かう。家に着くまで気づかなかったが、全身に汗を掻いて張り付く服が気持ち悪い。

 シャワーで汗を流し自室に戻った。


 やはりエアコンの効いた自室が一番落ち着く。今日は酷く疲れてしまった。

 改めてゲームの続きをやる気にもなれず、ベッドに体を預ける。

 電気を消して目を瞑ればすぐ眠りに落ちそうだった。

 枕元に投げたスマホが震える。依子からのメッセージだった。

 公園で話を聞いてくれたことについての謝意と窓を開けろと記述されていた。

 面倒くさいと思いつつ、体を起こしカーテンと窓を開けた。

 隣の家の窓から笑顔の依子が手を振っている。軽く手を振り返して話掛けた。

「お互いベランダがあれば良かったな。家に居ながら手を繋げる」

「そうだけど、それじゃ駄目だと思う」

 依子の顔が少しだけ曇った気がしたが、すぐに元の笑顔に戻り話を続ける。

「明日も今日と同じ時間に公園に来てね」

「わかりましたよ」

「あと、全然涼しくなかった。嘘つき」

 メッセージに付け加えた件だろう。怒ってる様子ではないので安心する。

「すみませんでした」

「わかればよろしい。私も暑かったからお互い様だね。うん。お互い様」

 そう言ってケラケラ笑う依子。

 お互い様の使い方が腑に落ちないが、何がおかしいのか上手く指摘する自信もないので飲み込んだ。

「また明日。おやすみなさい」

「おやすみ」

 公園で話した時とは違い、険のない表情と砕けた会話。

 窓を閉める。カーテンはなんとなくそのままにした。

 改めてベッドに横になる。

 体は疲れている筈なのに、眠りに就くまで時間を要した。


   *


 それから、翌日、翌々日と毎日二十時に公園で依子と手を繋いだ。

 ただ手を繋いで他愛も無い会話を交わす。これで本当に思春期症候群は改善されるのだろうか?

 幸いな事に、ここ三日間は、知り合いに会うことも無く平穏に日常は過ぎたが、四日目の夜。夏休み最終日に依子が夏祭りに行きたいと言い出した。

 明日、八月二十六日は近所の神社で夏祭りがある。

 地域で細々と行われる祭りだ。その為、知人に会う可能性も高いのだが、依子は絶対行くと言って聞かなかったので、投げやりに了承した。


   *


 夏祭り当日は十八時に公園に集合する事になった。

 重々しい黒い雲が空にもたげ、今にも雨が降り出しそうだった。

 いつも通り時間ぴったりに来た依子は、藍色に向日葵模様の浴衣を着て髪を後ろで一つ結びにしている。普段より大人っぽく見えて少しだけドキッとする。

「俺も浴衣で来ればよかったかな?」

 依子はくすりと笑って答える。

「大丈夫だよ。行こう」

 依子が右手を差し出して来たので渋々手を繋いで神社に向かった。

 神社は人が多く蒸し暑かった。十数件ある出店に人が寄り集まり、思いの外盛り上がりを感じさせる。

 俺と依子はたこ焼きを分け合い食べたり、くじ引きで末等のキーホルダーを当て楽しんでいたが、運悪く同じクラスの中田に見つかってしまった。

「お前ら付き合ってたのかよ」

 薄笑いを浮かべ言い放つ中田。

 事情を説明するにも思春期症候群の事は言いづらい。

 上手い言い訳がないか考えていると依子が答えた。

「うん。付き合ってるよ。問題ある?」

 心臓が跳ねた。繋いだ掌に汗が吹き出すのを感じる。

 狼狽した様子で中田が捲し立てる。

「別に問題なんてねーよ! 勝手にイチャイチャしてろバーカ!」

 捨て台詞を残して中田は喧騒の中へ消えて行った。

「なんで嘘ついたんだよ? 学校で噂されたら恥ずかしいじゃん」

「この前の嘘のお返し。それに面倒くさそうだったし。結大、顔真っ赤になってる」

「依子だって耳まで真っ赤になってる」

「嘘!?」

「嘘だよ。お返しのお返し」

「もう! 止めてよ!」

 言葉を受け、本当に耳まで真っ赤にした依子の笑顔はとても可愛らしかった。

 

 疲れたと言う依子を連れて祭りの喧騒から離れ、ベンチに座った。

 繋いだ手に力が込められる。依子が話し掛けてくる。

「ねえ、さっきのさ、その……嘘じゃなくて本当にすればいいと思わない?」

「ええと、本当に付き合うって事?」

「私の事嫌い? 嫌ならはっきり言ってほしい。手を繋ぐのもやめる」

 ドキドキする気持ちとは裏腹に頭は何故かハッキリしている。

「嫌いじゃないよ。でも手を繋ぐ事と付き合う事は思春期症候群と何か関係あるの?」

 長い沈黙。一分程経ち、依子は口を開いた。

「関係ない。手を繋がないといけないのも思春期症候群も全部嘘。最近は全然遊んでくれないし、避けられてる気がして、嫌われたのかと思ってた。進路のことだってどうなるかわからないし、このままじゃ嫌だった。だから嘘をついた。ごめんなさい」

 依子の頬に涙が伝う。

 中学生になってから依子が泣いたところを初めて見た。胸が苦しくなる。

 依子に泣いてほしくない。悲しんでほしくない。漸く自分の本心に気がついた。

「依子のことが好きだ。多分ずっと昔から好きだった。嫌いになったことなんてない。ただ恥ずかしかっただけなんだ。苦しめてごめん。だからもう泣かないで」

 涙を指ですくいながら依子が言う。

「キスして」

「む、無理だってそういうのはもう少し順番を踏んでからじゃないと」

「じゃあもう一回好きって言って」

「……好きです」

「目見て、ちゃんと」

「ああもう! 俺は依子のことが大好きです!」

 いつの間にか雲は晴れ渡り、空に浮かぶ満月が二人を照らす。


  *


 夏休みが終わった。

 交際が始まってから何回かデートにも行った。

 共通の友人も増えた。

 依子は頻繁に家に来るようになり、特に進路希望のなかった俺に同じ高校を受験させる為勉強を教えてくれている。

 初めて手を繋いで家に帰った時の母のニヤニヤ顔は暫く忘れられそうにない。

 そういえば、夏休み中にやっていたゲームを一度依子にやらせたことがあった。

 俺が行き詰まっていた箇所を簡単にクリアしてしまった。まあ、その後でまた行き詰まったんだけど。

 攻略サイトを調べれば簡単にクリアできるだろう。

 でも今はそれじゃ勿体無いと思える。受験勉強が落ち着いたら二人でゲームをクリアしてやろうと密かに考えているのだ。

 電源が点く頻度の減ったゲームのパッケージに映る二人のキャラクターが優しく微笑んで見えた。

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