1-10.分からない気持ち

「大事ないか?」


 そう言ってヨハンが慌てた様子で部屋に入ってきた。あの後、別の部屋を用意してもらい、事の次第をヨハンに伝えるよう煌賀こうがが衛兵に言うと、すぐに彼が駆け付けてきてくれた。


「見せてみよ。少しあざになっておるのう。可哀想かわいそうに、怖かったじゃろう」


 そうしてしわしわの手で肩をさすってくれる。ヨハンは視線を上げ、隣に立つ煌賀に詳しく話すよう言った。


「俺が部屋を離れている間に事が起きたんだ。部屋に戻った時には、桜花おうかが千晴の上に馬乗りになって首を絞めてた。千晴の話だと、明日天管てんかんに行くという話をしてから急に態度が変わったという事だから、おそらくダブル達のいる場所で過ごす事で悪い影響を受けると思ったんだろうな」

「馬鹿な事を……」

憶測おくそくだが、桜花は初めて会った時から人間である千晴の事をよく思っていなかったんだろう。千晴には良い顔をして、手にかける機会をうかがっていたのかもしれない」


 ヨハンは苦し気に小さくうめくと、こちらへ視線を戻した。


「千晴、今回はわしの考えが足りんかった。みずからの臣下を過信したばかりに、お前を危険な目に合わせてしもうた。本当にすまん」


 そう言って頭を下げられる。千晴はその姿を、ただうつろに見つめていた。


『桜花は初めから私を嫌っていたんだろうか。人間が嫌いだから、私の事も本当は憎んでた? いつでも相談してと笑ってくれたのは、全部嘘だったの……?』


「桜花は何て言ってるの……?」


 そう呟いたが、ヨハンも煌賀も答えてくれなかった。彼女の優しく微笑ほほえんでくれたあの顔が、とても遠い記憶のように感じる。

 千晴は桜花が好きだった。彼女は支えになってくれた人だった。そんな相手に、本当は殺したいと思われるほど憎まれていたのだろうか。そう考えるだけで、また涙がにじんでくる。

 せめて真意が知りたい。彼女は本当にそう思っているのだろうか。こちらに向けてくれていた笑顔の全てが嘘だったのだろうか。

 口をつぐんだまま一向に返事をしない二人を見て、千晴は再度同じ質問を投げかける。


「桜花は何て言ってるの?」

「桜花は死んだ」


 煌賀が淡々たんたんと、そう言った。

 え、という声の後に続く言葉が見つからない。その言葉を理解するのにいくらもかかり、そして理解した瞬間、さっと血の気が引いた。


「え、どういう事……?」


 さっきまでここにいたのに。さっきまで話をしていたのに。死んだ? 桜花が? 何故?

 疑問ばかりが渦を巻き、頭が正常に働かない。


「なんで……」

賢竜けんりゅうを殺そうとするのは大罪だ。許す訳にはいかない。そういうふうに罰すると決まっているんだ」

「だって、でも、私は……! まだ賢竜じゃないのに……!」

「今ここで桜花を罰しないと、お前の身に危険が及ぶんだ。賢竜を殺すのはたとえ未遂でも死罪だ。なのにお前に対しては違うとなれば、また他の者がお前の身を狙う可能性がある。お前の為にも、厳正げんせいな対処をしなけりゃならない」


 その言葉に絶句する。それはつまり、


「私のせいって事……?」

「違う!!」


 煌賀は声を荒げて否定した。


「桜花は自らの罪によって身を滅ぼしたんだ! お前のせいじゃない!」


 そう言われたが、千晴は納得出来なかった。

 桜花が死んだのは自分が賢竜だったからだ。そうでなければ、彼女は何の不満を持つ事もなく、こんな事をしようとも思わなかった筈なのだ。

 それに彼女は言っていたじゃないか。


「桜花は私の事が怖いって言ってたよ。人間が、未熟な私が賢竜になる事がどれだけ恐ろしいかお前に分かるかって……。私がもっとしっかりしてたら、愚痴ばかり言って駄目なところばかり見せてたから、不安になってこんな事しちゃったんじゃないの?」

「なんでそうなるんだよ!? お前の事を殺そうとした奴だぞ!! なんでそんな奴の事を、お前はかばおうとするんだよ!!?」

「庇ってない! 桜花が実際にそう言って、私もそう思ってるから……!」

「じゃあお前は、あの時死んでた方が良かったっていうのか!? 死にたくないって言ったじゃないか!!!」

「死にたくないよ!! 今だってそう思ってる!!!」


 激しく言い合いだした二人の間に、ヨハンが割って入る。


「二人とも落ち着きなさい。煌賀、千晴を危険にさらしてしまった事はお前のせいではない。お前も自分をめているんじゃろうが、その不満を千晴に向けるのはやめなさい」


 老人の骨ばった指に、強く肩をつかまれた。


「千晴、今回の事はお前のせいではない。桜花の事について自分を責めるのはやめなさい。無理にここに連れてきたのはわしらじゃ。お前さんには心の整理をする時間もなかった。たとえ桜花の意にそぐわぬ行動を取ったとしても、それはお前さんのせいではない」


 それでも納得いかず、唇を噛む。


『本当に? そう思ってしまっていいんだろうか。そんなふうに納得してしまっていいんだろうか。だって桜花は死んでしまった。その死に、私はからんでいるのに』


 ふと、自分でも思いもしていなかった言葉が口からこぼれた。


「私に死んで欲しいと思ってるのは桜花だけ……?」


 こんな事聞きたくないのに、口かられ出た言葉は、一度零れてしまうと止まらない。


「本当は、他の人達も、私が死ねばいいと思ってるんじゃないの? ヨハンや煌賀だって」

「なんでそんな事言うんだよ!!?」


 また煌賀が叫んだ。詰め寄ろうとした彼を、ヨハンの腕がはばむ。

 視線を上げ、彼のゆがんだ顔を見返した。その怒った表情を見ていても、彼の本当の真意など分かりはしない。


『私は、何て言って貰いたいんだろう?』


 そんな事は思ってないと言われたところで、今の自分にそれを信じる事が出来るだろうか。


『仲良く出来ていると思ってた。一緒にご飯を食べて、授業を受けて、色々な所に出かけて。桜花とだって、ヨキとだって。最近は、上手く出来ていると思っていたのに……』


 どれだけ相手を見つめても、その真意は分からない。また涙が滲んで、ほおを伝った。


「なんで、そんな事言うんだよ……」


 蚊の鳴くような声で、煌賀がもう一度言う。酷く失望したような声だった。

 どうすれば良かったのか、どうすればいいのか、千晴には分からなかった。


「……今日はもう眠りなさい。眠れなくても、横になって体を休めなさい」


 そう言って、ヨハンは煌賀を連れて部屋を出ていく。今晩は誰も部屋に入らないよう、部屋の外の者達に言付ことづけてくれていた。

 千晴は備え付けの新しいベッドに横になり、目を閉じる。体は重くだるいのに、一向に眠れそうになかった。

 まぶたの裏には桜花の笑顔が張り付いていて、いつまでも涙は止まってくれなかった。





 ********





 扉横の壁にもたれていると、廊下を通るひんやりとした風が体をでていく。遠くの方で野鳥や虫の鳴く声以外は何も聞こえない。静寂せいじゃくの夜の空気が流れていた。

 部屋の中からは、千晴ちはるの小さな嗚咽おえつが聞こえてくる。それを聞いていると、煌賀は無性に自分が腹立たしく、叫びだしたい気分になるのだった。その衝動を無理におさえようとすると、鼻の頭がつんといたむ。

 ふと廊下の先から足音が聞こえ、そちらに目を向けるとヨハンが立っていた。


「まだおったのか。今日は夜通し、ここで見張りをするつもりか?」

「……朝起きた時に事が全て終わっていた、なんて事になったら、寝覚めが悪すぎるからな」

「そうか」


 そうして二人そろって扉横に並ぶ。


「明日、天管てんかんに連れていくのか?」

「そうしようと思うておる」

「こんな事があった次の日に、あいつを一人にするのか?」

「確かに心配じゃが、あの子の精神面を考えても、新しい場所に移してやるのも一つの手ではないかと思うておる。あの子は今、この城にいる全員を怖がっているように思えるしの」

「……俺達もか?」


 先程言われた言葉を思い出す。煌賀やヨハンさえも自分が死ぬのを望んでいるんじゃないか、千晴にそう言われ、彼は酷く傷付いた。そして咄嗟とっさに怒鳴り返してしまった事を、とても後悔していた。

 そんな事は思っていない。ただそれを分かって欲しかっただけなのに、どれだけ感情をぶつけても相手には伝わらなかった。


「分かっておやり。あの子は今、混乱しておる。あの子からの絶対の信頼を得るのに、わしらでは一緒に過ごした時間も密度も少なすぎるのじゃ。今の状態では、むしろわしらを信頼させようとする事の方が負担をいるやもしれん」


 うつむくと、視線の先には月明りで照り返す白い床が見える。千晴と二人で廊下を歩いていた時、そんな気もなく発した言葉で彼女を怒らせてしまったのは、ほんの一月ほど前の事だ。

 怒ってるよ!と千晴の怒った顔が浮かぶ。


『そんなのいちいち説明しなくても分からない!? 人の心の機微きびとかそういうの』


 じくり、と胸が痛んだ。煌賀にはどうしても、分からなかった。


「……俺はどこで間違えた?」


 き止めきれなかった想いが、口の端から伝って落ちていく。

 もっと上手い事言えたんじゃないか? あんな事言わせずに済むように、もっとかけてやれる言葉があったんじゃないか?

 自分の無力さに嫌気が差しすぎて、体から力が抜けていく。壁をずるずると伝い落ちて座り込んだ煌賀を、ヨハンは目で追った。


「あの時どうしていれば正解だった、なんて事はありえん。そこに万人共通の答えなどない。今起こっている事が全てじゃ」


 前に投げ出した腕の間に、煌賀は顔をうずめる。

 人型の体はどうしてこうも不便なのだろう。胸が痛いので十分なのに、鼻と目頭めがしらが熱かった。この器の機能の中で、どうしてもこれだけは好きになれない。見た目も酷いし、息苦しい。

 俯いた頬に、熱いものが流れていった。

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