6 無事でよかったですわ……

 扉を開いた先には、広い広い部屋――広間と言ってもよいかもしれない――があった。ガラス柱が並んでいた部屋と、ほぼ同じくらいありそうだ。


 ただし、中央に大きな玉座らしきものが置かれている以外は、がらんどうとしていた。


 今アリツェが入ってきた入り口以外にも、真正面、右、左と、それぞれの壁にも同じような扉が見える。


 何者かが待ち構え、襲い掛かってくるかと思っていたが、どうやら奇襲はないようだ。


 アリツェはほっと胸をなでおろした。


 ――エミルは、どこ?


 アリツェは部屋をぐるりと見渡した。


 部屋の中央の玉座に、男の子が一人、ひじ掛けに身体を預けながら、目をつむっていた。意識がなさそうだ。


「エミルっ!」


 アリツェは叫んだ。眼前の意識のない男の子は、まさしくエミルだったから。


 エミルからは何の言葉も返ってこない。眠っているのか、もしくは、失神しているのか。

 死……はなさそうだ。胸がわずかに上下している。


「シータ! この場に、エミル以外の霊素反応はありますか!」


 アリツェの声に応じて、シータはふわりと地面から飛び上がり、アリツェの肩に乗った。


『あの玉座に、すさまじい量の霊素を感じますわ』


 シータの答えに、アリツェは生唾を呑みこんだ。


 霊素の主は、やはり悪意を持っているのだろうか。エミルの現状を見れば、楽観視はできない。


「アリツェ……」


 背後から悠太の声がした。


 アリツェはいったん悠太の元に戻り、身体を支えて立たせる。


「この部屋も、なんだか見覚えがある」

「え!?」


 悠太のつぶやきに、アリツェは声を失った。


「かつてオレが『カレル・プリンツ』として、ユリナたちとともに『精霊王』と戦った、『精霊王の間』にそっくりだ」


 悠太は顔をしかめつつ、部屋を見渡した。


「何ですって!?」


 アリツェは目を見開いた。思わず腕の力が抜け、支えていた悠太のバランスが崩れる。


「あっと……。悠太様、すみません」


 アリツェは悠太を壁際に連れていき、腰を落としながら静かに座らせた。


 再び立ち上がり、周囲を見回す。


 言われてみれば確かに、悠太の記憶の中にある、『精霊王の間』にそっくりだ。各壁に扉があることを除いては。


「玉座にすさまじい量の霊素を感じると、シータが告げています。もしや……」

「『精霊王』の化身、か?」


 アリツェがつぶやくと、悠太はサッと顔を青ざめた。声がわずかに震えている。


 ――『精霊王』の化身……。あの火口で戦ったような、巨大龍でしょうか?


 アリツェは再度、悠太の記憶を探る。


 悠太がかつて戦った『精霊王』は、部屋の中央の玉座から飛び出てきた。その時の『精霊王』の姿も、巨大龍。火口での一戦の『精霊王』の化身も、巨大龍……。


 ――今回も、龍がお出ましになっても、おかしくはないですわ!


 アリツェはキッと玉座を睨んだ。


「エミルを、あの場所から離さないと!」


 玉座へと駆け出した。万が一、巨大龍が現れでもしたら、エミルはひとたまりもなく潰される。


「エミル! エミルーっ!」


 駆けながら、アリツェは力いっぱい息子の名を呼んだ。


 アリツェの声に反応して、エミルの身体がピクリと動いた。


「エミル!」


 玉座に到達したアリツェは、すぐさまエミルの身体を抱きあげた。


「エミル! エミル!」


 アリツェは力の限りでエミルを抱き締める。やや冷たくなった息子の頬に、自分の頬を押し当てる。自然と、目から熱いものが零れ落ちてくる。


「は、は、うえ?」


 耳元でエミルのつぶやきが聞こえた。


 アリツェはすぐさまエミルを抱っこし、悠太の座る壁際へと駆けた。


 この玉座は危険だ……。本能がそう告げたからだ。


「母上。ごめんなさい……」


 エミルは薄目を開けながら、アリツェに謝罪の言葉を述べる。


「かまいません。かまいませんわ! あなたが、無事ならば!」


 アリツェは頭を振り、エミルに微笑んだ。

 エミルに何があったのかはわからない。だが、今はその身の無事を喜ぶ以外の、どんな感情が必要であろうか。


 今回の事件が、エミルが何らかのおいたをした結果だったとしても、叱るのは屋敷に帰ってからで十分だ。


 エミルはしゃくりあげながら、アリツェの胸にぎゅうっと顔を押し付けた。


 アリツェはそんなエミルの背を、ポンポンっと優しく叩いた。


「アリツェ! エミルは大丈夫か?」


 壁際に戻ると、悠太が不安げに尋ねてきた。


 アリツェは首を縦に振りながら、悠太の横にエミルを降ろした。


「あれ? ラディム叔父上?」


 エミルはきょとんとした表情で、悠太の顔を覗き込んだ。


「あー、オレは……」


 悠太は言葉を濁し、頭を掻く。


「エミル、その話はあとです。一刻も早く、ここから逃げ出さなければなりませんわ!」


 アリツェは悠太とエミルの間に割って入り、頭を振った。


 エミルが見つかったのであれば、長居は無用だ。早くガブリエラと合流し、屋敷に帰らなければいけない。

 ドミニクも、心配しているはずだ。


「……母上。ちょっと待ってもらえませんか?」


 エミルが右手を差し出し、アリツェの手を掴んだ。


「僕、あの玉座の声に呼ばれて、ここまで来たんだ」

「え!?」


 エミルの告白を聞いて、アリツェは思わず素っ頓狂な声を上げた。


 何者かにさらわれたわけではなかった。まさか、エミル自身の意思で、こんな地下深くまでやってきたとは……。

 アリツェは眩暈を催しそうになった。


「なんだかね、使い魔になってくれるっていうんだよ?」


 エミルは少しうれしそうに、声を弾ませる。


「詳しく、聞かせてくださいませんか?」


 アリツェに促され、エミルは何が起こったのかを語りだした。


 夢の中で、人語を離す狼が語り掛けてきた。ついて来いという狼は、屋敷の厨房から地下上水道に入っていった。


 夢から醒めたエミルは、夢の中の狼の指示どおり、地下上水道に向かった。そこで、不思議な渦を見つけ、中に入った。


 渦を通過すると、大きなガラス柱がたくさん並ぶ部屋に出て、部屋の中央には夢で見た狼が佇んでいた。


 エミルが近づこうとすると、狼は身をひるがえし、部屋の奥の扉の中へと消え去った。


 エミルも追って部屋の奥に進み、扉を開いたら、この部屋に出たという。出た場所は、アリツェたちが侵入した入り口とは、ちょうど正反対の壁にある扉だったそうだ。


「それでね、モフモフの狼さんが、あの玉座のところで待っていてくれたんだ」


 エミルは玉座へ顔を向け、指さした。


「巨大龍では、ありませんでしたか……」


 アリツェは口元に手を当てながら、小首をかしげた。


 アリツェや悠太の勘は外れた。だが、いずれにしても、その狼は怪しい。エミルの夢の中にまで干渉をしている。


「お前の力を試すって言われたから、母上直伝のマジックアイテムを使って、頑張って戦ってみたんだ。でも……」


 エミルは物を投げるしぐさをした後、一転して表情を曇らせた。


「負けてしまった、というわけですね」


 エミルはこくりとうなずいた。


「その狼さんは、どちらに?」


 アリツェは再度、周囲を窺った。狼らしき姿は見えない。


「わからないよ。気が付いたら、母上に抱き締められていたんだ」


 エミルはぶんぶんと頭を振り、「どこ行っちゃったのかな……」とつぶやいた。


 アリツェはエミルの肩を抱きながら、優しく頭を撫でた。


「あっ! そういえば母上、なんだかちっちゃくなっているね! 叔父上もだけれど!」


 エミルは一転、にぱっと笑いながら、アリツェの顔を見上げた。


「若い母も、良いものでしょう?」


 アリツェもエミルを見つめ、にやりと口角を上げた。


「はいっ! とってもかわいいです、母上!」


 エミルはアリツェの胸に顔を押し付け、ぎゅうっと抱き付いてきた。


「うふふ、ありがとうございますわ。詳しいお話は、屋敷に帰ったらいたしましょう」


 我が息子の可愛らしいしぐさに、アリツェは相好を崩した。


「さて、アリツェ。どう思う?」


 悠太がアリツェの耳元で囁く。


「エミルの精霊使いの才能を見て、その狼が使い魔になろうと名乗り出たのでしょうか? それにしては、わざわざこんな、手の込んだ迷宮を作り出すなんて、おかしな話でもありますわね」


 アリツェはエミルの頭を撫で続けながら、悠太の問いに答えた。


「どう考えても、ただの狼じゃないよな。ガブリエラの話のとおりなら、霊素もかなりの量みたいだし」

「巨大龍ではありませんが、『精霊王』に近い何かなんでしょうか? この広間の様子を考えても」


 アリツェは目線をちらりと玉座に向けた。


「考えられなくは、ないな……」


 悠太も納得気にうなずいた。


「あっ! また狼さんが来るよ!」


 エミルが声を張り上げると同時に、玉座周辺に白い靄が立ち込め始めた。


『アリツェ! 玉座のまわりに、急速に霊素が濃縮し始めましたわ!』


 シータの警告が飛んだ。


 アリツェは、エミルを抱く腕にぎゅっと力をこめる。固唾をのみながら、玉座を見守った。




 ★ ☆ ★ ☆ ★




 玉座は白い靄ですっかりと覆われた。


 不意に、アリツェは背筋がぞくりとする感覚に襲われる。


 ――何ですか、これは……。精霊王?


 目をそむけたくなるような威圧感を感じる。と同時に、どこか懐かしさも抱いた……。


「ほらっ! 狼さんが出てきた!」


 エミルの声とともに、靄が急速に霧散した。


 玉座の上には、体長三メートル以上はあるかという超大型の狼が、凛として立っていた。ふさふさの白の毛並みが、どこか神々しさを感じさせる。そう、まるで後光が射しているかのように……。


「あれは……、魔獣ですの?」

「普通の狼にしてはでかすぎる。おそらくは……」


 アリツェのつぶやきに、悠太は同意を返す。


「しかし、なぜ魔獣が、エミルの使い魔になりたがったのでしょうか?」

「わからないな。転生者の血を引いた霊素の特殊性に、惹かれたとか?」

「あの狼ご本人に聞いてみなければ、わからなそうですわね!」


 アリツェは用心のため、エミルを離し、薙刀を構えた。シータも右肩に待機させる。


 エミルはそのまま一歩下がり、悠太の隣に座った。ペスがその傍で、身体を屈めながら、油断なく唸り声を上げている。


「ふむ……。よくぞここまで来られたな、人間よ」


 狼から声が漏れた。

 エミルの話から予測したとおり、人語を喋るようだ。


「あなたの目的は何! わたくしのエミルを、どうなさりたいのですかっ!」


 アリツェは狼を睨みつけ、怒鳴った。


「なに、エミルに伝えたとおりだ。私は、エミルの使い魔になりたい」


 狼は鼻をフンっと鳴らした。


「魔獣であるあなたが、どうして人間の使い魔なんかに?」

「世界を救うために、必要なのだろう? エミルに、強力な精霊術の力が」


 狼の言葉に、アリツェはドキリとした。


 なぜ魔獣が、いま世界に起きている危機について知っているのだろうか。

 なぜ、世界を救うためにエミルに強力な精霊術の力が必要な事実を、知っているのだろうか。


 ――やはり、ただの魔獣ではありませんわ。『精霊王』様の、お遣い?


 アリツェは油断なく、狼の一挙手一投足を見守った。


「私が使い魔になれば、エミルは転生者並みに力を振るえるようになるだろう」


 決定的だった。


『転生者』の事実を知っているのであれば、それはゲーム管理者ヴァーツラフ絡みか、はたまた、この世界の神である『精霊王』の関係者……。


 ヴァーツラフ――幼女マリエからは、目の前の狼のような存在は知らされていない。であるならば、おそらくは、後者だ。


「だが、そのためには、わたくしの抱える膨大な霊素の器を、きちんと扱いきれる人物かどうかの見極めが必要だ」


 狼はじろりとエミルに視線を送った。


「そうですか……。それで、エミルの力を試そうと」

「ご明察のとおりだ」


 アリツェのつぶやきに、狼はこくりとうなずいた。


「仲間の協力があってもよい。さあ、エミル。私にお前の力を認めさせてみるのだ!」


 狼は大口を開けて、吠えた。


「どうなさいます、エミル?」


 アリツェがエミルに振り返ると、エミルは震えながらも、両手をぎゅっと握りしめ、狼をきつく睨みつけていた。戦意は十分、と言った様子だ。


「狼さんを使い魔にしなくちゃ、母上にいつまでたっても楽をさせてあげられない! やるよ、僕!」


 エミルは立ち上がり、アリツェの隣に駆けてきた。


「怖くはないのですか?」

「大丈夫です、母上!」


 エミルはアリツェの腕をぎゅっと掴む。

 わずかに震えているのを感じたが、それ以上に、掌から感じる熱に、エミルの強い意志を感じざるを得ない。


 まだ幼い子供とはいえ、立派な精霊使いだ。エミルの気持ちを、アリツェは精いっぱい汲んでやろうと思った。


「あなたの覚悟、確かに受け止めましたわ! さあ、母とともに、戦いましょう!」

「はい!」


 アリツェたちは、地面を思いっきり蹴った――。

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