5 見捨てたりなんていたしませんわっ!

「これは……。悠太様、動けそうですか?」


 アリツェは悠太の顔を覗き込み、尋ねた。


 悠太はケガを負った脚を動かそうと、身をよじる。


「うっ! く、くそっ!」


 だが、悠太はうめき声を上げ、出血部位を手で押さえた。

 この様子では、立ち上がれそうにない。


 ――完全に手詰まりになってしまいましたわ。負傷した悠太様を、このまま置いていくわけにもいきません。さて……。


 アリツェは周囲を見回した。

 今のところ、追加の魔獣の姿は見られない。


 とりあえずは、悠太の出血が完全に収まるまで、この場にとどまったほうがよさそうだ。


「ペス、悠太様をお願いいたしますわ。わたくしは、血で汚れたシータを洗ってあげなければ」

『お任せだワンッ!』


 アリツェはペスの頭を撫でると、シータを肩に乗せ、壁際まで移動した。


「随分と返り血を浴びてしまいましたわね。ごめんなさい、シータ。すぐに気付いてあげればよかったのですが……」


 アリツェはバックパックから水筒を取り出した。


 シータの翼は、ところどころ乾いた血糊がべっとりとはりつき、団子のようになっている。これでは、満足に飛べないのも当たり前だった。


 シータは気にするなと言わんばかりに、明るい調子の鳴き声を上げた。


 アリツェはシータに静かに水をかけ、優しく血糊を剥がした。

 シータは今のアリツェたちにとって、最後の希望だ。ケガを負わせるわけにはいかない。


「さて、こんなところですわね。翼が乾いたら、申し訳ありませんが、ご自身で毛づくろいをお願いいたしますわ」


 シータは元気よく鳴くと、再びアリツェの肩に乗った。


 それからしばらくの間、アリツェたちは座り込み、休息をとった。


 悠太の出血は完全に止まった。

 しかし、利き足に深いダメージを負ったため、自力で立ち上がることすら困難だ。アリツェが肩を貸せば、どうにか移動はできるが……。


「ただでさえ足手まといになっていたのに、これじゃあな……」


 悠太は荒く息を継ぎながら、自嘲気味に笑った。


「しかし……。わたくしが背後からの奇襲に気づかなかったせいでもあります。悠太様は、戦えなかったのですから」

「いや、片手は動かせたんだ。きちんと対処をしていれば、むざむざ脚に噛みつかれはしなかったはず。まったく、口だけは達者で、肝心の時には役立たずだよな、オレって……」


 悠太は深いため息をつき、頭を振った。


 しばらく無言のまま、アリツェは悠太に肩を貸しながら、ゆっくりと通路を進んでいった。


 カツンカツンと、二人の足音だけが、暗くじめじめとした地下空間に響き渡る。


「……なぁ、アリツェ」


 沈黙を破り、悠太がアリツェに話しかけた。


「どういたしました、悠太様。傷が、痛みますの?」


 アリツェは悠太の顔を覗き込んだ。

 歩くのがよほどつらいのだろうかと、アリツェは不安に思う。


「もういいよ。オレをここに置いて、先に行ってくれ」

「なっ……!」


 アリツェは絶句した。


「ば、バカなことをおっしゃらないでくださいまし! どうしてわたくしが、悠太様を置いて先へ行けましょうか!」


 立ち止まり、悠太の顔をじいっと見つめる。


「でもな、アリツェ。見てのとおり、オレが一緒じゃ進軍速度が……。エミルが心配だ。あの子を、優先してやってくれ」

「し、しかし……」


 悠太の言葉は、重々理解ができる。それでも、アリツェは決断がつかない。


 アリツェは手を握り締め、唇をかみしめる。


「大丈夫だ。オレはおとなしく、ここでペスと身を潜めている。近くに魔獣の気配もない。無事にエミルを見つけ出したら、呼びに来てくれよ」


 悠太は強気にアリツェを諭してくるが、対称的に、表情は苦しげに見える。

 無理をしているのが、アリツェにもありありとわかった。


「いけませんわっ! 先ほどのように、魔獣からの奇襲がないとも言えません。そんな、見捨てるような真似……」


 アリツェはぶんぶんと頭を振った。


「エミルのためだ。わかってくれ、アリツェ!」


 悠太は顔を歪めながら、声を張り上げた。


「ですが……。あなたはわたくし、わたくしはあなた。一心同体の悠太様を、放ってなんておけません……」


 アリツェはうつむいた。


 ――たとえ悠太様が何と言おうと、見捨てられるはずがありませんわ!


 アリツェが改めて拒否の言葉を口にしようとした時、唐突に、悠太はアリツェに抱き付いてきた。


 そのまま、悠太は手にぎゅっと力をこめ、アリツェを抱き締める。


「頼む……、エミルを……。オレたちの息子を、助けてくれ。できるのは、今、アリツェだけなんだ……」


 悠太はアリツェの耳元でささやいた。


「悠太、さ、ま……?」


 アリツェは肩に熱いものを感じた。悠太は泣いているのか。


 確かに悠太も、アリツェと一心同体として、エミルの妊娠出産、子育てを経ていた。人格は男性だが、ほぼ母親同然の経験をしてきている。


 ――わたくしと、想いは同じ……。


 悠太の心の苦しみを知り、アリツェは胸が痛んだ。


 自らの手で助けに行けない。あまつさえ、助けに向かおうとするアリツェの足を引っ張ってもいる。


 これでは、泣きたくなるほど自身を責めるのも、当然だとアリツェは思う。


 アリツェはそれでも迷った。このまま、悠太をこの場に置いていってもよいのかと……。


 とその時――。


「ははうえーーーーーっ!」


 エミルのものらしき叫び声が、周囲に響き渡った。


 アリツェは悠太と顔を見合わせる。


「おい、アリツェ! 今のって!」

「えぇ、エミルの声ですわ!」


 声は通路のさらに奥から聞こえた。

 声量的に、それほど離れた場所ではなさそうだ。


「行ってくれ、アリツェ!」


 悠太は目を細めながら、両手でアリツェを突き飛ばした。


 アリツェはたたらを踏んだが、ぐっとこらえる。そのまま、通路の奥と悠太との間で、視線を交互に動かした。


 ――行かなければ! でも、この距離なら、悠太様も!


 アリツェは再び悠太の傍によると、腰を沈めて背を見せた。


「悠太様、わたくしの背に! 行きましょう、一緒に! 供に、エミルを助けるのです!」


 アリツェの叫びに、悠太は戸惑ったそぶりを見せた。


「お急ぎくださいませ! この距離なら、あなたを背負っても走り切れます!」


 時間がない。ダメを押すために、アリツェは一層声を張り上げる。


「くっ! すまない、アリツェ!」


 悠太は観念したのか、身体をアリツェの背に寄せかけた。


 ――行きますわ! エミル、待っていてください!


 アリツェはぐっとお腹に力を入れると、一気に立ち上がった。


 悠太の身体をしっかりと背負い、傍らに侍るペスとシータにうなずきかけた。


「さぁ、一気に行きますわ! 悠太様、振り落とされないように、お気をつけあそばせ!」  


 口ではそう言ったが、悠太が片手しか使えない点は、もちろんアリツェもわかっている。


 素早くローブの裾を破き、ひも状にして、悠太の身体がアリツェの身体にぴたりとくっつくよう、きっちりと結びつけた。


 アリツェのローブは膝上までのミニスカート状になったが、行動に支障はないだろう。貴族の女性としてはだいぶはしたない格好だが、今はそんなつまらないことを言っている時ではなかった。


 アリツェは駆けだし、通路の奥に向かった。




 ★ ☆ ★ ☆ ★




「アリツェ、扉が見えるぞ!」


 悠太が指さしながら、前方を示す。


「先ほどガラス柱のある部屋で見た、強い霊素反応を感じた扉とそっくりですわね」


 今はガブリエラがいないので、目の前の扉に霊素反応があるかどうかはわからない。

 だが、落とし穴に落とされる直前に見た扉との類似性と、扉の奥から聞こえたエミルの叫び声と……。

 何かがあるのは間違いない。


 自然と、全身に力が入る。


 アリツェたちは扉の前に立った。傍にはペスが侍り、頭の上にはシータが乗っている。


 アリツェはつばを飲み込んだ。喉を鳴らす音が、周囲に響く。


 今、目の前の扉の奥からは、何の物音もしない。


 ――エミルは、無事でしょうか……。


 アリツェは扉に手をかけ、ゆっくりと押し開けようとした。


「おい、アリツェ。ちょっと待て」


 そこに、悠太から声がかかる。アリツェは押す手を止めた。


「いったん、オレを降ろしてくれ。この先、何が待ち受けているかわからない。アリツェは身軽な状態でいたほうがいい」


 悠太の提案に、アリツェも納得した。


 悠太を静かに床に下ろして、改めて扉に相対する。

 アリツェは意を決し、片手でぎゅっと薙刀を握りながら、空いた手で扉を押し開けた。


 ――はたして、鬼が出るか蛇が出るか……。


 エミルの無事を祈りつつ、アリツェは扉の先を睨みつけた――。

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