番外編 アリツェと地下迷宮
1 エミルがいなくなったですって!?
「あ、エミル! 違います、こうですわ!」
アリツェは身振りを交えつつ、エミルにランタンの内部へ霊素を注入するためのコツを説明した。
「うぅ、難しいよぉ……」
なかなか思うようにできないエミルは、涙目になってアリツェにしがみついてくる。
「頑張って! あなたなら、きっとできますわ!」
アリツェは心にちくりととげが刺さるも、世界のため、この子のためと、心を鬼にしてエミルを突き放す。
エミルはグスグスと鼻をすすりながらも、再びランタンに霊素を注入し始めた。
アリツェが霊素を失い、エミルがアリツェの後を継いでみせると決意の表明をしてから、すでにふた月が経過していた。
数年後に控えた四属性陣発動のために、アリツェは毎日のように、エミルに徹底した精霊使いへの英才教育を施している。
エミルも泣き言を言いつつも、自らが決意したことだからと、必死に食らい付いてきた。
幼いながらも、信念を曲げずに歯を食いしばる息子の姿に、アリツェはただただ尊敬の念を抱く。はたして、同じくらいの歳の頃の自分が、エミルとそん色のないほどの厳しい努力を積めたであろうか、と。
日々頼もしく成長し、愛する夫ドミニクの面影をだんだんと示し始めたエミルを見ると、アリツェは知らず知らずのうちに笑みがこぼれる。
だが、いくら才能があるとはいえ、エミルはまだまだ五歳になろうかという年齢だ。いまだに使い魔の契約も結べておらず、現在はこうしてマジックアイテム作りをしながら、霊素の育成に励んでいた。
「今日はこの辺にしておきましょう。エミル、しっかりと休んで、明日のために霊素を回復させておきなさい」
「はいっ、母上! ご指導ありがとうございました!」
エミルは元気よく答えると、部屋の入口で待っていたサーシャの元に駆け寄り、一緒に湯浴みに向かっていった。
★ ☆ ★ ☆ ★
その夜――。
珍しく寝苦しい夜だった。アリツェは隣で眠るドミニクを起こさないよう、静かにベッドから這い出た。
「お水を、いただきましょうか……」
壁際の小机に置かれた水差しを手に取ると、コップに水を注ぐ。とその時、足元に気配を感じた。
視線を向けると、いつの間にかペスが傍にいた。アリツェの寝間着の裾を噛み、引っ張り始める。何やら慌てたようなそぶりだ。
霊素を失ったアリツェは、ペスとの念話ができなくなっていた。使い魔としての契約も切れていた。だが、一度結んだ深い深い絆は、たとえ使い魔でなくなったとしても、確固たるものとして残っている。
そのペスからの、何やら警告じみた行動……。
アリツェは非常に気になって、すぐさま隣室に仕舞ってあるザハリアーシュの腕輪を取りに向かった。
シモンやガブリエラに定期的に霊素を注入してもらっている腕輪を身につければ、今の霊素を失ったアリツェにも、ペスとの念話をかわすことができる。
アリツェは腕輪を身につけると、腰をかがめてペスの顔を覗き込み、念話で語りかけた。
『こんな夜更けにどうなさいましたの、ペス』
『ご主人、大変だワン! エミルがいなくなったワンッ!』
『何ですって!?』
アリツェは思わず卒倒しそうになる。が、すんでのところで踏みとどまった。
『どういうことですの!?』
『さっき目を覚ましたら、ベッドにエミルの姿がなかったワン! どうやらサーシャも、気づいていないようだったワン! 最初トイレかと思ったけれど、いつまでも戻ってこないので確認しに行ったら、どこにもいなかったのだワン!』
『なんてことでしょう……』
一大事だと思い、アリツェはドミニクを起こしに寝室へ戻った。
「ん? どうしたの、アリツェ……。もしかして、欲求不満かい?」
ドミニクは目をこすりながら、すっとぼけた声を上げた。アリツェは思わず顔がかあっと熱くなる。だが、すぐにブンブンと頭を振り、冷静に戻る。
こんな非常時に何を言うのかと、ドミニクを張り倒してやろうかとアリツェは思った。だが、まだ詳しい事情の説明をしておらず、ドミニクには、今何が起きているのかがわかっていない。いつものおバカな夫婦のやり取りのつもりだったのだろう。
ここでドミニクに怒るのはさすがに筋違いだと、アリツェはぐっと唇を噛んだ。気持ちを切り替え、ドミニクの肩を掴む。
「大変ですの、ドミニク!」
エミルが消えたとアリツェが話すや、ドミニクは呆けた顔から一転、険しい表情を浮かべた。ベッドから飛び降り、すぐさま着替え始める。
深夜番の領兵を動員し、周辺を虱潰しにさせるつもりだとドミニクは口にしながら、壁に掛けた愛用の長剣を手に取った。
大領地の領主を務めてるだけに、普段とぼけた態度を示してはいても、さすがにいざとなれば行動が早い。頼もしく感じる。
「では、ドミニク。表の捜索はお任せいたしますわ。わたくしは、サーシャとともに屋敷の中を探します!」
「了解! こっちは任せてくれ!」
ドミニクが部屋の外へ駆けていくのを見送ると、アリツェも行動を開始した。動きやすいローブに着替え、ペスを伴いサーシャの元へと向かった。
「奥様! すみません、私がついていながら……」
「サーシャ! 今はそんなことを言っている場合ではありませんわ!」
アリツェは土下座をする勢いのサーシャを手で制し、状況の報告をさせた。とにかく、今は少しでも手掛かりが欲しい。
しかし、どうやらサーシャも、ペス以上の情報は持っていないようだった。
「困りましたわね……。使用人たちを叩き起こして、屋敷中を探して回るしかないでしょうか……」
勤務時間にない使用人を動かすのは、あまり気が進まなかった。だが、エミルの安全には変えられない。
とその時――。
『ご主人、何やら地下から、エミルのものらしき霊素反応を感じるワン!』
『地下……。もしかして、地下上水道ですの!?』
『反応の場所的に、ご主人の言うとおりだと思うワン!』
まだ少女だったころ、ドミニクとともに、グリューンを脱出する際にたどった場所だ。いったいなぜ、そのような場所からエミルの反応があるのか。
――もしかして、外部から侵入した誘拐犯が、地下を伝って逃げた?
領主一家の子供をさらい、身代金を要求する……。よくある話ではないか。ヴェチェレク公爵家は、王家に次ぐ経済力、資産を持っている。標的にされたとしてもおかしくはないだろう。
ただ、地表と違い、地下は霊素だまりができやすい。現状では、グリューンの街中で最も危険な場所と言える。エミル自ら向かったにせよ、誘拐犯にさらわれたにせよ、とにかく早く見つけ出さなければ、不測の事態も考えられる。
つつーっと冷や汗が背中を伝った。……嫌な予感がする。
場所が場所だけに、戦闘訓練を受けていないサーシャを連れていくわけにもいかない。アリツェはペスだけを連れて、地下上水道へと向かうことにした。代わりにサーシャには、ガブリエラに事情を説明し、アリツェの後を追うよう伝えてほしいと依頼する。
万が一、地下に霊素だまりができて魔獣が発生していた場合、霊素持ちがいないと対処が難しい。
今のアリツェは精霊術が使えない。腕輪にためている霊素だけでは、魔獣の霊素の被膜もおそらくは破れない。
持ち前の身体能力のおかげで、武器の扱いには自信があった。だが、物理攻撃が極端に効きづらい魔獣相手には、精霊術のない現状のアリツェの戦い方では、とかく不利だった。ガブリエラの精霊術でのサポートが、絶対に必要になる。
「とにかく、急がなくては……」
アリツェはペスを伴い、地下へ向かって全力で駆けた。
★ ☆ ★ ☆ ★
「なんですの、これは……」
眼前の光景に、アリツェは目を疑った。
地下上水道に入ってすぐ、大きな渦のようなものが行く手を塞いでいた。このままでは、奥に進めない。
『ご主人、これって、大量の霊素が渦巻いているものっぽいワン! しかも、なんだか普通の霊素とは違う気がするワン!』
ペスは警告するように低く唸り、身を屈めた。
『霊素のないわたくしが触れては、危険でしょうか……。しかし、先に進まねば、エミルの身が……』
アリツェは手を伸ばし、渦に触れようとした。だが、躊躇する。
霊素に対抗できるのは、霊素だけだ。現状で腕輪に込めた少量の霊素しか纏っていないアリツェにとって、目の前の渦が抱え込む大量の霊素は、非常に強烈な毒として作用しそうだ。
それに、ペスの『普通の霊素とは違う』という言葉にも、不安がよぎる。
しかし――。
「エミルは、わたくしの大事な大事な息子。その息子の窮地に、母のわたくしが助けに向かわずに、いったい誰が向かうというのでしょう!」
アリツェはぐっと腹部に力をこめた。迷ってなんか、いられない……!
意を決して、アリツェは渦に飛び込んだ。何としてもこの渦を突破し、上水道の奥へと進まなければ。
アリツェの身体はすぐさま、激しい渦の濁流にのまれる。激しく揺さぶられ、そのまま意識を失った――。
★ ☆ ★ ☆ ★
アリツェはゆっくりと身を起こした。
「ここ、は……?」
見覚えのない場所だった。じめっとした地下空間ではあるが、先ほどまでいたはずの地下上水道ではない。上水道のレンガ造りの壁から、今は苔むした石壁に代わっていた。
アリツェは周囲を見渡した。右隣にはペスが倒れている。見た目ケガもないので、気を失っているだけだろう。
だが――。
「お兄、さま?」
なぜだか、少し離れた床の上に、ラディムが倒れていた。しかし、どこかがおかしい。
アリツェは立ち上がると、慌ててラディムの元へと駆け寄った。
「お兄様! お兄様!」
アリツェの呼び声に応えるかのように、ラディムの身体がむくりと動いた。
「うぅ……。なんだなんだ、何があった?」
うめき声を上げつつ、ラディムは身体を起こした。
やはり、おかしい。
身を起こしたラディムの身体は、なんだか小さく見える。顔も幼くなった気がした。まるで、アリツェが初めてラディムと出会った、十二歳の頃のような……。
「あれ? ……これは、夢か? なんで目の前にアリツェがいるんだ? しかも、随分とかわいらしくなって」
ラディムの言葉に、アリツェは自分の身体を見回した。……なぜだか、自分も身体が縮んだような気がする。背負っている薙刀も、不思議といつもよりも長く感じた。
「あの、お兄様? これはいったい……」
「何を言っているんだよ、アリツェ。お兄様って、ラディムのことか? オレは悠太だぞ?」
ラディムの言葉に、アリツェはハッと息をのみ、声を失った。
「しかし、夢にしては妙だな。感覚がやけにはっきりと……」
ラディム――悠太はブツブツとつぶやきながら、自分の身体を叩いたりつねったりしている。
『ご主人……』
『ペス! 無事だったんですね!』
起き上がってアリツェの傍までやってきたペスを抱きかかえると、アリツェは軽く頬ずりをした。
『ご主人、なんだか幼くなっているワン! まるで、十二歳の頃みたいに』
やはり、自分の身体が縮んだのは間違いがないようだ。目の前の幼い兄の姿も、十二歳くらい。
時間が遡ったのだろうか? だが、そんな不思議な現象、聞いたこともない。
加えて、目の前の幼い兄の姿をした少年は、ラディムではなく悠太だと口走っている。いったい、今ここで、何が起こっているのだろうか。
「本当に、悠太様ですの?」
にわかには信じられず、アリツェは悠太に問いかけた。
「間違いないね。アリツェと融合して一つになっていたはずの、悠太本人だよ。しかしなんだって、突然アリツェと分離したんだ? 肉体まで伴って……」
悠太は何度も両手を開いたり閉じたりしながら、自らの身体の動きを確かめているようだ。
「わかりません。わたくしが先ほど飛び込んだ、霊素の渦の影響なのでしょうか……」
ペスの警告通り、何か特殊な霊素だったのかもしれない。
もしかしたら、アリツェや悠太も知らない新たな属性…時空属性のようなものが存在し、あの渦の形で具現化していた可能性も……。
荒唐無稽な話だと笑い飛ばしたかった。だが、余剰地核エネルギーが溢れ出している現状、霊素に関して何か特殊な事態が起こったとしても、あり得ないと即座に切って捨てるなんてできない気がする。
それに、世界崩壊へ向けて地核エネルギーが極限値へと差し迫る中、ゲームシステム的な負荷も、限界に近づいている可能性だってある。予期せぬバクが起こったって、不思議ではない。
「まぁ、こうして座り込んでいたって仕方がないか。エミルの身も心配だ、とりあえず、ここから出られるよう、周囲を探索しよう」
悠太は気を取り直したかのようにうなずくと、立ち上がった。
手にはラディムの愛用している剣を握り締めていた。服装も、よくよく見れば皇子時代のラディムのものだ。
この様子を見る限り、悠太の身体自体は、幼いころのラディムそのものをコピーしているのかもしれない。
本当に、不思議な現象だった。
ただ、今は自分たちの身体の心配をしている場合ではない。悠太の言うとおり、エミルが心配だった。
一刻も早くこの不思議な空間から抜け出し、愛するエミルを助け出さなければ……!
「行きましょう、悠太様!」
アリツェは悠太の手を取った。
――エミル、待っていていくださいね。必ず母が、あなたを助け出して見せますわ!
心の内で叫ぶと、悠太と二人、並んで駆け出した――。
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