8 わたくしの一世一代の精霊術ですわ!

「ちょ、ちょっと! アリツェ!」


 遠くからクリスティーナの声が聞こえる。だが、現実感がない。

 

「頭が、割れそうですわ……」


 アリツェはグワーングワーンと鳴り響く頭を両手で抱え、うめき声を上げた。







 視界が、ぼやけていた。世界が白いもやで覆われているかのようだ。


 ラディムとクリスティーナが、血相を変えて何かを叫んでいる。だが、アリツェの耳には届かない。


 誰かに抱き締められている感覚はある。おそらくは、ドミニクだ。けれども、そのぬくもりまでは感じられない。


 瞼が重い。もうこれ以上、意識を保ってはいられない。


 耐え切れずに、アリツェはゆっくりと意識を手放そうとした。


 しかし、その時――。


 突然、すべての感覚が鮮明によみがえってきた。ドミニクの温もりも、はっきりと感じる。


「これは、霊素が……」


 アリツェは地面に落とした『精霊王の証』を手に取った。


 証のメダルの表面は、火傷をしそうなほどの熱を保ち続けている。アリツェは慎重に布で包み、握り締めた。メダルは布越しに、アリツェの霊素をより一層吸収していく。


 その時、アリツェはなぜだかわからないが、無性にラディムの手を握らなければいけないと思い立った。自然と身体が動きだす。


「お兄様! わたくしの手を、握ってくださいませ!」


 アリツェは叫び、右手をラディムに差し出した。


 ラディムはわずかに首をかしげたものの、黙ってアリツェの言うとおりに手を差し出し、握りしめる。


 すると、ラディムの身体がぼんやりと光り出し、大量の霊素が、繋がれた手を通じてアリツェに流れ込んできた。


「私の霊素が、アリツェに!?」


 ラディムは声を上げ、目を丸くした。


 アリツェはラディムの手の力が緩むのを感じて、即座に強く握りしめなおした。決して離すまいと。


「『精霊王の証』が、どんどん熱を持っていきます。お兄様の霊素とわたくしの霊素が、混じりあっていきますわ……」


 とアリツェが口にした瞬間、どさっと音がする。


 アリツェに手を握られたまま、ラディムは地面に崩れ落ちていた。


「陛下! 大丈夫!?」


 マリエが泣きそうな声を上げ、ラディムに駆け寄った。


「大丈夫、少し眩暈がしただけだ……。霊素を吸われすぎたか」


 ラディムは身を起こすと、片手でマリエを制した。


「いったい、どういうことよ!」


 クリスティーナは取り乱し、ラディムに食って掛かろうとした。だが、マリエによって止められる。


「わからない。わからないが……。今、アリツェの『精霊王の証』に、すさまじい霊素が……」


 ラディムはアリツェの持つ『精霊王の証』を、じいっと見つめた。


 クリスティーナとマリエも、アリツェが左手に持つ布の包みに目を向ける。


 アリツェは感じていた。いま、この『精霊王の証』には、すさまじい量の霊素がため込まれ、濃縮されていると。


 メダルの中で、アリツェとラディムの二人分の霊素がまじりあい、一つの大きな霊素の塊になっている。


 かつての、VRMMO《精霊たちの憂鬱》時代のカレル・プリンツが持っていた霊素をも、上回っているとアリツェは感じた。


「お兄様、クリスティーナ、マリエさん! 離れていてください」


 アリツェは立ち上がると、メダルを持った左手を空へ向かって突き出した。


 アリツェは確信していた。いま、この『精霊王の証』にため込まれた霊素を使えば、五属性同時展開並みの、最大級の精霊術が使えるはずだと。


「これから、わたくしの一世一代の精霊術を、ご覧に入れますわ!!」


 アリツェは天に吠えた――。







 時間が、止まった。


 いや、時間が止まったのではない。アリツェの思考スピードが、常人ではありえないほど、加速している。


 なぜだかわからないが、アリツェはそう直感した。と同時に、頭痛がよみがえる。


『アリツェ……』


 脳裏に懐かしい声が響き渡った。


『悠太様……。融合してからは、初めてですわね』


 アリツェの目の前に、悠太が現れた。


 単なる幻だとは理解をしている。だが、目の前の悠太の顔は、まるで生きているかのように生気に満ちていた。


 悠太はゆっくりと口を開く。


『今、『精霊王の証』を通して、アリツェの霊素とラディムの霊素が一つにまじりあった』


『えぇ、感じております……。お兄様の、温もりを……』


 アリツェはうなずいた。


『二人に分裂していたオレの力が、今一つになった。……今なら、最高の精霊術を放てる!』


 悠太は胸を張って、ニヤリと笑った。


 悠太に言われるまでもなかった。アリツェ自身も、信じて疑わない。


『ですが、あの『龍』には、精霊術が一切効きませんわ』


 相手は『四属性陣』すら弾き飛ばした『龍』だ。たとえこの世界最大最強の精霊術を放ったとしても、跳ね返されるのがオチではないか。

 

『……心配には及ばん』


 と、聞き覚えのない男の声が響き渡った。


『え!? どなた、ですの!?』


 アリツェはきょろきょろと周囲を窺う。


 すると、悠太の隣に、ぼんやりとだが人の姿が浮かび上がった。やがてその姿は、はっきりと人間の男性の形をとる。


 見覚えが、あった……。


『ここまで大きくなって、私は嬉しい。我が娘よ……』


『もしかして、お父様……!?』


 男の言葉に、アリツェは息をのんだ。


 確かに、見覚えがあった。オーミュッツのプリンツ辺境伯邸に飾ってあった、肖像画の男そのものだった。


 アリツェの実父、前プリンツ辺境伯カレル……。


『私はいつでも、お前とラディムを見守っている』


 カレルは一歩踏み出すと、アリツェの頭に右手を置き、優しく撫でた。


『はい……』


 アリツェは声を詰まらせつつ、カレルのされるがままになった。


 自然と目尻に涙が浮かぶ。


『ろくに父親らしいことができなかった私の、罪滅ぼしだ。アリツェに、力を……』


 カレルが手を触れている頭部から、何やら不思議な感覚がアリツェの内部に入り込んでくる。


『これ、は……。もしかして!?』


 アリツェは侵入してきた『それ』が、何であるかをとっさに理解した。


『そう、《祈願》だ。使う使わないはお前に任せる。反動のすさまじさも、聞いているだろう?』


 カレルは微笑を浮かべながら、優し気な眼差しをアリツェに向ける。


 実父カレル・プリンツの技能才能、《祈願》――。


 すさまじい効果と引き換えに多大なペナルティを受ける、扱いの困難なスキルだ。このペナルティのために、カレルは命を落としている。


『ですが、この力があれば、あの『龍』の能力を抑え込める……!』


 アリツェは《祈願》の力の凄まじさを、身をもって知っている。何しろ、この《祈願》の力によって、流産で死ぬ運命から逃れられ、今こうして生きているのだから。


《祈願》ならば、『龍』の分厚い霊素を消し去れるはず。霊素の壁さえなくなれば、証に濃縮された悠太の霊素をもって、『龍』の抱える『精霊王の錫杖』を破壊できる。


 ためらう理由などない。


 悠太の力とカレルの力。二つのかけがえのない力とともに、『龍』を討つ!


『お父さま! ありがとうございます!』


 アリツェは満面の笑みを浮かべ、父の手を握り締めた。


『アリツェ……』


 カレルは嬉しそうに微笑むと、そのまま悠太とともに消えていった。


 とそこで、時の流れが元に戻る。頭痛も消えた。


 悠太やカレルとは、もう二度と会えない。アリツェは直感的に悟った。だが、今は悲しんでいる時ではない。


「この力、使わせてもらいますわ!」


 アリツェは叫び、《祈願》の技能才能を発動した。







「や……やりました、わ……」


 アリツェは全霊素を使い果たし、力無く膝をついた。


「アリツェ!!」


 ドミニクとラディムの声が聞こえる。


「ドミニク……、お兄様……」


 アリツェはかろうじて首を動かし、ドミニクたちに視線を送った。


「しゃ、しゃべるな!」


 ドミニクは泣きながら、アリツェの肩を抱き締める。


「ドミニク、泣かないで……」


 アリツェはドミニクの耳元でつぶやいた。


「これで、あの龍の力は、おさえ、こまれました、わ……」


 息苦しい。思うようにしゃべれない。だが、伝えなければ……。


 アリツェは懸命に口を動かす。


「あぁ、あぁ。確かに、霊素の膜が消え、こちらの攻撃が届くようになっている」


 ドミニクは涙を流しつつも、笑顔を浮かべた。


「あとは、おまかせ、いたします、わ……」


 アリツェは残る最後の力を振り絞り、ドミニクの手を握り締める。と、そのまま目を閉じた。


「アリツェの『精霊王の証』が、割れた!?」


 アリツェは意識を失っていく中で、ラディムが何かを叫ぶ声を聞いた――。

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