2 クリスティーナとアレシュの婚約の儀ですわ
子爵邸に入ると、一足先に到着していたヤゲル王国一行が待っていた。応接室で主だった面々が顔を合わせ、今後の打ち合わせを始める。
「クリスティーナ様、ごきげんよう! ……では、以前おっしゃられたように、ミリア様ではなくクリスティーナ様とお呼びいたしますわね」
アリツェはクリスティーナの姿を確認し、あいさつを交わした。と同時に、呼び方について、周囲に聞かれないようそっとクリスティーナに耳打ちをする。
「アリツェ、なんだか悪いですね。あなたの屋敷を会場にさせてもらって。……えぇ、無用な混乱は本意ではないわ。クリスティーナでお願いしますね」
クリスティーナも返礼をすると、さっと耳打ち返した。
「むしろ、光栄ですわ。それに、わたくしたちにもメリットはしっかりとありますのよ」
アリツェは隣のドミニクに目配せをする。ドミニクはアリツェの様子に気づき、うなずいた。
「アリツェの言うとおり、ボクたちとしてもありがたいんだ。フェイシアとヤゲルの重鎮に、この領の復興状況とボクたちの仲をアピールできる、いい機会だからね」
「では、私も必要以上にかしこまる必要はないってことですね」
クリスティーナは納得したとばかりに、コクコクと首肯した。
「そうですわ。持ちつ持たれつ、グリューンでは気楽にお過ごしくださいませ」
クリスティーナは今回の主賓。できるだけ気持ちよく滞在をしてもらいたいとアリツェは思う。
「ふふ、ありがとう。……クリスティーナの人格がいろいろとやらかしてごめんなさいね。あなた、こんなにいい娘なのに、散々暴言を吐いて……」
クリスティーナはさっと表情を曇らせた。
「いえ、わたくしも不本意ながらではありますが、クリスティーナ様には嫌がらせをしてしまいましたし。お互い様ですわ」
アリツェは慌てて頭を振った。
クリスティーナに暴言を吐かせた原因はアリツェにもあったので、ここまで神妙にされるとアリツェとしても居心地が悪い。お互いさまということで、水に流した方がいいだろう。
「そう言っていただけると、私も助かるわ。それと、今後は親族になるのです。この世界では同い年ですし、私のことを様付けは避けていただけると嬉しいです」
クリスティーナはアリツェの夫の弟の妻になる。近しい間柄になるのだし、クリスティーナの言うように、もう少し砕けて接してもいいのかもしれない。
「それもそうですわね! 今後ともよろしくお願いいたしますわ、クリスティーナ! ……そして、ミリア」
クリスティーナの人格とはそりが合わなかったが、ミリアの人格とならいい友達になれそうだとアリツェは思った。
アリツェたちが領に戻って数日後、盛大にクリスティーナとアレシュの婚約の儀が開かれた。
あわただしく準備を行ったとは思えないほどの立派な式に、参加者からも感嘆の声が上がっている。準備を主導したアリツェとドミニクの鼻も高かった。
「きれいですわ、クリスティーナ」
アリツェは祭壇の前に立つクリスティーナを見つめ、つぶやいた。
「本当だね、かつての性悪少女の面影なんてない。立派な聖女だ」
ドミニクもうなずいて、クリスティーナの姿を凝視している。
クリスティーナは聖女らしく、純白の精霊教のローブを着ていた。前面に金糸で龍の意匠が豪華に施されている式典用のものだ。昼時で、ちょうど聖堂のステンドグラスから入り込む複雑に混じりあった色彩の光に照らされて、クリスティーナの姿は神々しいまでに輝いていた。
「それに隣のアレシュ様も、まだ十二歳とは思えないしっかりした態度だわ」
両国の数多の重鎮の目にさらされているにもかかわらず、アレシュは動じたそぶりを見せていない。まだ準成人を迎えたばかりなのに、大したものだった。
「この婚約の儀の後、アレシュの王太子への立太子が正式に父上から発表される手はずになっている。今回の件が、アレシュを大人にしたのかもしれないね」
「ふふ、性悪聖女様に一目惚れをしたときは、いったいどうなることかと思いましたが、こうしてみるとお似合いですわね」
将来のフェイシア国王になる覚悟を決めたアレシュの横顔は、もう一人前の立派な男のものになっていた。まだ本格的な成長期を迎える前なので、クリスティーナのほうがわずかに身長が高い。だがそれも、あっという間に追い抜き、中性的だった容貌も、やがてはドミニクのような精悍な顔つきに変わるのだろう。
「ただ、アレシュ様とクリスティーナの肉体年齢は一つ違いですが、精神年齢は大分離れていらっしゃいますわ。アレシュ様はクリスティーナの尻に敷かれっぱなしでしょうね」
アリツェは思わず含み笑いをこぼした。
クリスティーナの肉体年齢はアリツェと同じく十三歳だったが、二十二歳だった転生者ミリアの人格を引き継いでいる。精神面ではすっかり大人だ。
「末っ子で甘やかされてきたあいつには、誰かに引っ張ってもらうほうがいいかもしれないよ」
「あらあら、うふふ」
将来のクリスティーナとアレシュの関係がどうなるか、楽しみなアリツェだった。
翌日、アリツェの私室にクリスティーナが尋ねてきた。
「アリツェ、昨日は素晴らしい式を、本当にありがとう。一生の思い出になるわ」
どうやら興奮もあってあまり眠れていないのか、クリスティーナの目の周りにはクマがある。
「いいんですのよ、クリスティーナ。わたくしとあなたの仲ではないですか」
眠いだろうにわざわざ礼を言いに来たクリスティーナに、アリツェは優しく微笑んだ。
「ほんと、かわいいわね、あなた」
クリスティーナはアリツェの傍までよって、そのままアリツェを抱きしめようとした。
「ダメですよ、クリスティーナ様。アリツェはボクのものです。あげませんからね」
その様子を見ていたドミニクが慌てて割って入り、代わりにアリツェを抱き寄せた。
「ちょ、ちょっとドミニクっ!」
ドミニクの突然の行動に、アリツェは慌てて声を上げた。だが、ドミニクは手を緩めない。
「あらあら、お熱いことね」
クリスティーナは苦笑を浮かべていた。
クリスティーナに見られる気恥ずかしさもあり、アリツェは全身が熱くなる。
「……それはそうと、一つあなたに報告をしたい話が。悪いけれど、ラディム君も呼んでもらえるかしら?」
クリスティーナは急に真面目な表情に変わり、ラディムの同席を要求した。
わざわざラディムを指名という点に、どうやら転生者がらみの話だとアリツェは察し、すぐさま侍女にラディムを呼んでくるよう指示をした。
「クリスティーナ様、私にも御用で?」
呼ばれたラディムが、すぐにアリツェの私室に姿を現した。
「すみません、ラディム君。あ、あとあなたもできれば私を呼び捨てにしてもらえると嬉しいわ」
クリスティーナはラディムに微笑んだ。
「あぁ、わかった、クリスティーナ」
一瞬躊躇したものの、ラディムは素直に首肯する。
「……実はね、私の中の人格についてなの」
やはり、転生者がらみの話のようだ。
「昨日の婚約の儀を終えて、疲れたのでベッドで横になってウトウトとしていたんだけれど」
「あ、もしかして……」
アリツェはピンときた。ミリアが表に出てきて以来、一度もクリスティーナの人格が現れていない点を考えると、おそらくは……。
「そう、人格が統合されたわ。私が押さえ込んでいたクリスティーナの人格が急速に消えて、私の中にスーッと溶け込んでいくような感覚を覚えたわ」
クリスティーナは目を閉じ、胸の前で両手を合わせる。
「で、目が覚めたら、かつてのクリスティーナの人格は完全に消えていて、彼女の記憶のみが私の中にとどまったの」
「完全に、消えた……」
クリスティーナの言葉に、アリツェは目をむいた。
「あ、消えたって言っても、なんだか不思議なのよ。こうして人格はミリアなんだけれど、同時にクリスティーナでもあるっていう感覚。説明が難しいわね。とにかく、消えたからって言っても、完全に消滅したわけではない。ミリアの人格の中にクリスティーナの人格が混じりこんでいるのよ」
アリツェとラディムが押し黙っていると、クリスティーナは慌てて弁解した。
「ヴァーツラフ様が言っていたとおり、まじりあうのですわね。実際に体験しないと、感覚はわかりそうにありませんけれど」
クリスティーナの話を聞いてもどうにも理解がしがたいが、人格自体が無くなってしまったわけではないようだ。溶け合って、融合する。言葉で表現すればこんな感じになるのだろうか。
本来であればアリツェと悠太もそうなるはずだった。結局は二重人格で固定されてしまったが。
……だが、最近悠太の様子がおかしいとも、アリツェは感じていた。以前優里菜との会話で、悠太の人格がアリツェに統合されそうだと不安を吐露しているのを見た。悠太の思考がアリツェに寄ってきていて、アリツェを主人格に人格が統合されるのではないかとの危惧を、ここのところの悠太はずっと持っているようだった。
言葉を裏付けるかのように、最近は夜になっても悠太の人格が表に出てこようとはせず、アリツェがそのまま夜も活動する機会が増えていた。ミリアがクリスティーナの人格を抑えて表に出てこないようにしていた状況と、似ていると言えば似ているのかもしれない。であれば、アリツェと悠太の行きつく先は……。
「うまく説明できなくてごめんなさいね」
クリスティーナは少し悔しそうに頭を振った。
「いずれにしても、これでわがまま娘の人格に悩まされはしなくなるわ。これから始まる本格的な対帝国戦に、私もより一層協力させていただくわ」
クリスティーナはアリツェの手を握り締める。
「ありがとうございます、クリスティーナ」
「助かる、クリスティーナ」
アリツェとラディムはクリスティーナの配慮に礼を述べた。今度の戦いは絶対の勝利が求められる。心強い味方は多いに越したことはない。
「ふふ、私たちは同じ転生者同士ですし、アリツェとラディム君の中には私のかつてのパーティーメンバーがいるんです。当然です」
クリスティーナは得意げに鼻を鳴らし、グイっと胸を張った。
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