3 エマ様達との再会ですわ

 クリスティーナとアレシュの婚約の儀の二日後、グリューンの街に数百人の集団がやってきた。精霊教禁教化でヤゲル王国のクラークの街に避難していた、精霊教関係者たちだった。


 アリツェは領主として、グリューンの街の入口で出迎えた。


「あぁ、アリツェ……。立派になりましたね」


 アリツェの姿を見て、ひとりの初老の男が一歩前に進んだ。孤児院の院長、トマーシュだ。クラークでの暮らしぶりは悪くはなかったようで、特にくたびれた印象は感じなかった。


「院長先生、わたくしがんばりましたわ!」


 一年半ぶりに懐かしい顔を見て、アリツェは胸が熱くなった。感極まり、声をついつい張り上げる。


「えぇ、えぇ、あなたの活躍はクラークの街でも聞き及んでいました。困難に耐え、こうして今は、王子殿下の婚約者にまで」


 トマーシュは破顔しながらアリツェの傍に寄ると、やさしく頭をなでた。


「アリツェ、あんた随分とまぁ、どえらい人をフィアンセにしたね。わたしゃびっくりしたよ。それにしたって、まさか伝道師のドミニクが王子様とは……」


 エマもアリツェの傍までやってきた。つい今しがた、アリツェの現状について聞き及んだばかりなのだろう。エマは少し困惑した表情を浮かべていた。


「エマ様、ドミニクの件については、最初から仕組まれていたようですわ。大司教様もなかなかの策士でいらっしゃいましたの」


「ま、権力者なんてそんなもんさ」


 アリツェの言葉に、エマは「あっはっはっ」と豪快に笑い飛ばした。


 変わらないエマの様子に、アリツェも頬が緩む。とその時――。


「あっ……」


 一転して、エマは労わり気な表情を浮かべ、かつてのように優しくアリツェを抱きしめた。


「本当に、あんたはよく頑張ったよ。まだ十三歳だってのに……」


 抱きとめたまま、エマはアリツェの背をポンポンと叩く。


「ありがとうございますわ、エマ様……」


 アリツェはじんわりと、目に熱いものがこみあげるのを感じた。


 人さらいに追われていたあの日、エマに助けられなかったなら、今のアリツェはない。命の恩人とも言うべき人物とこうして無事再会を果たせた僥倖を、アリツェはしっかりと噛みしめていた。


「皆さま落ち着いたら、子爵邸で帰還のお祝いをしたいと思いますの。司祭様や孤児院のお友達も、皆さんご招待いたしますので、ぜひお越しくださいませ」


 少々名残惜しいが、アリツェはエマから離れると、ぐるりと周囲を見回した。隅っこの一団から歓声が上がったが、どうやら孤児院の子供たちのようだ。


 精霊教の禁教化に関してはアリツェ自身には責任はないし、むしろアリツェも被害者の側ではあった。だが、身内である養父のしでかした罪の償いは、しっかりとしなければならない。アリツェは今、領主でもあるのだから。グリューンへの再定住が円滑に進むよう、しっかりと配慮をしなければならなかった。


 こうして子供たちの嬉々とした声を耳にして、アリツェは少しだけ、救われたような気がした。


「そいつはうれしいねぇ。あの子たちもみな、喜ぶだろうよ。アリツェに懐いていたし」


 エマはニッコリと笑みを浮かべた。


「わたくしも皆と思い出を語らえるのを、楽しみにしておりますわ」


 久しぶりに子供たちと触れ合えるかと思うと、アリツェも心が弾む。孤児院時代は年少者の教育係を務めていたので、あの当時の子供たちがどれほど成長しているか、考えるだけでわくわくする。


「落ち着いたら子爵邸に連絡を入れるので、よろしくね」


 トマーシュはアリツェに告げるや、振り返り、座って待つ者たちに身振りで立ち上がるよう指示を送った。竣工したての精霊教会へと移動するつもりなのだろう。


「おい、アリツェ。そろそろ私も」


 とその時、横からラディムが慌てた様子でアリツェの服の袖を引っ張った。


「あら、いけませんわ。わたくしったら懐かしさでつい」


 再会の喜びでラディムの存在をすっかり失念していた。アリツェはトマーシュを呼び止め、ラディムの紹介を始めた。


「エマ様、院長先生。こちら、わたくしの双子の兄で、バイアー帝国第一皇子のラディム・ギーゼブレヒトですわ」


「え!?」


 アリツェがラディムを紹介するや、エマとトマーシュから驚愕の声が上がった。


「これは驚きました。まさかアリツェに双子の兄がいるとは……。しかも、帝国の皇子様だなんて……」


 トマーシュは目を丸くし、眼前のラディムを見つめてつぶやいた。どうやらアリツェがドミニクと婚約し、子爵としてグリューンにやってきたところまでは承知していたようだが、双子の兄が存在し、しかも敵国の帝国の皇子だとまでは、さすがに聞いてはいなかったようだ。


「私はラディム・ギーゼブレヒト。あなた方のお話は、アリツェからよく聞いている。妹が大変世話になった。感謝する」


 二人の戸惑い様を気にも留めず、ラディムは感謝の弁を述べ、頭を下げた。


「いえ、私たちもアリツェから元気をもらっていたし、そんな、気になさらないでください」


 トマーシュはラディムの身分を知り、どう対応していいのかわからないのだろう、あたふたと両手を振った。


「これからも世話になると思う。よろしく頼む」


「えぇ、もちろんです」


 だが、さすがに年の功、トマーシュはどうにか気を落ち着かせ、うなずいた。







 翌日の夜、アリツェは約束どおり、帰還した精霊教徒のための宴を領館のホールで開催した。


 シャンデリアからこぼれる光がホール中をきらびやかに照らし、中央に置かれた広い机の上にはお菓子でできた家や教会、馬車などが置かれている。子供たちが喜びそうな演出を、アリツェは心がけた。食事もかしこまったものではなく、子供向けにするように厨房には指示を送っている。


「アリツェお姉ちゃん、ご招待ありがとう!」


 孤児院でかつてアリツェが勉強を教えた子供たちが、余所行きの服で着飾り次々と会場に入ってくる。ハキハキとかわされる挨拶に、アリツェはたくさんの元気をもらった気がした。


「皆さま、よくお越しいただきましたわ。今日は皆さまのための宴ですの。存分に楽しんでいってくださいませ」


 一通り孤児院の子供たちがそろったところで、アリツェは子供たちだけを集めて挨拶をし、ジュースを振舞った。


「姉ちゃん、最高!」


 小さな男の子が完成を上げ、アリツェに抱き着いた。男の子に触発されるように他の子もアリツェを囲み、アリツェはもみくちゃにされた。


「うふふ」


 子供たちの愛情表現に、アリツェは自然と笑みがこぼれる。忙しい中、無理やりにでも宴を開いた甲斐があったとアリツェは思った。


「あ、ガブリエラ、シモン。あとでわたくしの私室にいらっしゃい。以前約束したとおり、少し精霊術の手ほどきをいたしますわ」


 アリツェは少し遠巻きに様子を見ていた少年と少女に声をかけた。かつて孤児院時代に最も仲よく遊んでいた、同い年の霊素持ちだ。


「アリツェ、本当かい?」


 シモンが少し訝しんだ様子で答える。


「約束、覚えていてくれたのね。嬉しいわ!」


 一方で、ガブリエラは素直に手を叩いて喜んだ。


「もちろんですわ。それと、その時にちょっと相談といいますか、お願いと言いますか、お話したい件もございますの」


 二人は顔を見合わせ、首をかしげた。


「あ、そんなに構えないでくださいませ。あなた方にとっても、良いお話だと思いますので」


 戸惑っている様子のシモンとガブリエラに、アリツェは慌てて補足した。







 宴の後、アリツェはシモンとガブリエラを私室に招いた。


 シモンはきょろきょろと周囲を見回し、見慣れないものを見るや手に取って歓声を上げている。横でガブリエラが無作法だと注意をしているが、シモンは聞く耳を持っていない。そんな二人のやり取りを見て、アリツェは思わず相好を崩した。


 しばらくしてシモンが落ち着いたのを見計らい、アリツェは約束どおり精霊術の手ほどきを始める。最初に実演して見せようと、あらかじめ用意しておいたカンテラを取り出し、霊素を注入して火を灯した。


「おぉー! これが精霊術!」


 火元が何もなかったのにカンテラに突然炎が灯り、シモンは目を輝かせている。ガブリエラも驚いてぽかんと口を開けていた。


「基礎はこんな感じですわ。本当は使い魔の使役までお教えしたいところなのですが、何分今は時間がありませんの」


「アリツェ、忙しいの? ごめんね、手間をかけさせちゃって」


 ガブリエラが申し訳なさげに声を上げる。


「構いませんわ。精霊術の普及も、わたくしの人生の目標の一つですので」


 アリツェの意志としてやっていることなので、二人に気に病んでもらっても困ると思い、アリツェはニコリと微笑みながら頭を振った。


「とりあえずわたくしの時間が取れるようになるまでは、簡単なマジックアイテムを作れるように練習するのがよろしいかと思いますわ。ちょうどお兄様から、帝国謹製の魔術の初期訓練用プログラムを教えていただいておりますので、それをもとに自習もなさってくださいませ」


 アリツェは修練の仕方をまとめた用紙を机の引き出しから取り出し、二人に渡した。孤児院時代にしっかりと読み書きを教えていたので、孤児院の子供たちは皆問題なく文字が読めた。


「あれ? 魔術って何? これ、精霊術だよね?」


 ガブリエラが首をかしげている。


「あ、魔術も精霊術も同じものですわ。世界再生教では精霊術を魔術って呼んでいるんですの」


 普通に生活している分には、両者の違いなんて知っているはずもない。アリツェは慌てて説明を加えた。


「ふーん、別に同じならわざわざ別の名前を付ける必要ないじゃん」


 シモンはつまらなそうに口をとがらせる。


「大人の世界にはいろいろとあるのですわ。シモンにもそのうちわかりますわ」


 確かにシモンの言うとおりではあった。実際、アリツェも馬鹿げていると思う。だが、憎き相手の使う名称とはあえて違う名称を付けることで、相手を攻撃する材料にし、信者を獲得しやすくしている世界再生教側の意図も、わからないではなかった。本当に滑稽だとは思うが。


「そういえばアリツェ、さっき言っていた話って?」


 ガブリエラがふと思い出したとばかりにアリツェに問うた。


「実は、お二人の将来についてなのですわ。もし嫌でなければ、領政府に入ってわたくしの直属になりませんか?」


 以前ドミニクと話したとおり、二人を傍に置いて、精霊術で領の発展に寄与してもらいたいとアリツェは考えていた。精霊術の普及活動や大規模精霊術行使のために、アリツェ自身が領を離れざるを得ない場面も増える。そんな時に、領内に精霊術が使える人材が残っていれば、アリツェとしても安心できる。


「願ってもない申し出だけれど、なぜ俺たちを?」


 孤児からいきなり領政の重要な地位に就く。シモンが戸惑うのも当たり前の反応だろう。


「霊素持ちは貴重ですわ。できれば領のために力をふるってもらいたいという気持ちがあるんですの。それにあなた方お二人の人となりは、わたくし良く存じ上げておりますし、安心してお仕事を任せられますわ」


 アリツェの言葉に、二人は顔を見合わせる。


「どうする、ガブリエラ」


 どうしたものかと思案顔で、シモンはガブリエラに尋ねた。


「悩むまでもないわ。私はアリツェの申し出を受ける」


 ガブリエラは迷うそぶりも見せずに即答した。


「じゃ、俺も」


 ガブリエラに後押しをされたかのように、シモンもうなずく。こういった場面では女性の方が思い切りがいいと聞くが、本当だなとアリツェはふと思った。


「ありがとうございますわ。この戦争が終わったら、精霊術の指導をしつつ、今後の方針などについてご説明いたしますわね」


 この日はここで、精霊術の講義はお開きとなった。アリツェが前線に戻るまでは引き続き、折を見て指導を続ける話にはなったものの、忙しい中どこまで時間が取れるだろうか。二人が自習でも問題なく実力を向上できるようになる程度には、今のうちに教え込んでおきたかった。人に教えてもらうのと独学とでは、効率が全然違うのだから。なんとか時間をやりくりして頑張ろうと、アリツェは心に誓った。

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