3 グリューンよ、わたくしは帰ってきましたわ!

 辺境伯領を出て、アリツェたち一行はプリンツ子爵領の領都グリューンへと馬車で向かった。


「はぁ……、なぜアリツェも一緒なんですか?」


 クリスティーナから不満げな声が漏れた。


 アリツェは頭を抱えたかった。よりにもよってこの長い旅路を、クリスティーナと同じ馬車に同乗する羽目になるとは。周囲の言い分では、同い年の女の子同士、仲良くおしゃべりでもして旅を楽しんでもらおうという配慮らしいのだが……。余計なお世話だった。


「オーッホッホッホ! この件はもともとわたくしに与えられた問題ですわ。クリスティーナ様があとから横入りなさったんですのよ」


 アリツェはもう、クリスティーナに対しては雑に対応しようと決めていた。悪役令嬢モードに切り替え、扇子で口元を隠しながら高笑いをあげる。


「まぁっ! この聖女たる私に対して、何たる言い草かしら。これだからちんちくりんは……」


 クリスティーナは目をむき、グイっと顔をアリツェに寄せてきた。鬱陶しいことこの上ない。


「何とでもおっしゃってくださいませ。……これから向かうプリンツ子爵家は、わたくしの実家でもありますの。ですから、わたくしが全責任を負うのは当然でございましょう?」


 アリツェは近づくクリスティーナの顔を手で押し返し、顔をしかめた。


「ふぅん……、あんた、子爵の養女でもあったんだ」


 アリツェの言葉を聞くや、クリスティーナは表情を一変させた。いきなり神妙な顔をされたので、アリツェは少々面食らう。


「不本意ながら、そのとおりですわ」


「ま、あの子爵のうわさはいろいろ聞いているわ。あんたも大変だったのね」


 そう口にしながら、クリスティーナはアリツェの頭をやさしく撫でた。


「な、何ですの急に……。何か企んでいらっしゃるのですか?」


 突然の態度豹変に、何か含むものでもあるのではないかとアリツェは警戒し、後ずさった。


「いえ、別に……。たまには聖女らしい言葉でもかけようかなって」


 クリスティーナはにこりと笑った。……普段からこんな殊勝な態度でいれば、良い友達になれそうなものなのにと、ふとアリツェは思った。


「とにかく、警告しておきますわ。マルティン子爵は娘を平気で殺そうとした男です。決して油断はなさらないでくださいまし」


 態度には態度で返すのが礼儀、アリツェはクリスティーナへの態度を幾分正した。だが、ただの気まぐれだとも思えたので、用心だけは怠らない。


「肝に銘じておくわ……」


 クリスティーナはゴクリとつばを飲み込み、素直にうなずいた。







 かつてのドミニクとの追跡におびえながらの逃避行とはうってかわり、快適な高速馬車での移動だった。辺境伯邸を出て二週間ばかりで、特段の問題も起きずにグリューンの街に入った。


「随分としみったれた街ね」


 クリスティーナのグリューンを見ての第一声だった。


「嘘……、これがグリューンですの?」


 アリツェは見慣れたはずのグリューンの中央通りを目にし、絶句した。かつては通りの両側に所狭しと並んでいた、異国情緒あふれる様々な露店。それが、今ではすっかり数を減らしていた。通りを歩く人の姿もまばらで、かつての賑わいからは想像できないほどの寂れっぷりだった。


(こいつはひどいな。活気がまったくなくなっているじゃないか……)


 悠太も呆然とつぶやいた。


「ヤゲル王国との交易が途絶えて、一気に辺境の田舎街に没落したって感じですわ」


 グリューンの街はヤゲル王国と国境を接していたために、辺境とは思えない賑わいを見せていた。精霊教の禁教化でヤゲルの商人の往来が止まってしまえば、このような結果になるのも当然ではあった。


「元は違ったのかしら?」


 今の寂寥感漂うグリューンしか知らないクリスティーナは、元の賑わいを全く想像できないのだろう。しきりに首をかしげている。


「ええ、ヤゲル王国の商人の往来も多く、様々な国の物品が所狭しと並べられ、皆うきうきと買い物を楽しむとても活気のある街でしたの。それが、こんな……」


 アリツェは再びぐるりと周囲を見回した。街の人の表情も、疲れ切っているかのように暗かった。


「そう……。ということは、プリンツ子爵も相当参っているってわけね。これなら領の財政は危機的状況になっているでしょう? 話をつけるのは簡単なのではないかしら」


 領都がこれでは、それ以外の街や村の状況は推して知るべしだろう。もともと農業よりは交易が主で栄えた領地でもあるので、領の財政はひっ迫の一途をたどっているに違いなかった。


「ならいいのですけれど、お養父様は熱心な世界再生教徒でしたから、果たして精霊教を受け入れるでしょうか」


「私の精霊術を見れば、誰だろうとひれ伏すわ! まぁ、あんたは黙って横で見ていなさい。私ひとりでケリをつけてやるわ」


 クリスティーナはこぶしを握り締めて、鼻息荒くアリツェに宣言した。傍に侍っている三匹の使い魔の子猫達も一斉に鳴き声をあげた。どうやら、聖女様のやる気は満々らしい。


「はぁ……」


 ため息をつきつつ、とんでもない失敗をやらかさないだろうかと、不安な気持ちがアリツェの心をよぎる。


 変に意気込んでいる時に限って、周りが見えずに致命的なやらかしを冒しかねない。十分に注意をしようと、アリツェは胸に刻んだ。


(随分と自信家だよなぁ、この聖女様。まぁ、今回はクリスティーナに花を持たせるのも目的だ。せいぜい頑張ってもらおうや)


 悠太の言うとおり、不本意ながらもクリスティーナには頑張ってもらわなければいけない。せっかくの機会だ、万事うまく事態を進めたかった。







 グリューンの街に着いて宿をとると、アリツェはペスとルゥを伴い、街のはずれの西の森まで足を運んだ。


「グリューンを去って約一年。とうとう戻ってきましたわ」


 アリツェの目の前には、大きな湖が広がっている。周囲は深い森に囲まれており、わずかに吹く風によってあおられる木々のざわめき以外には、静寂だけが支配をしていた。お昼を少し過ぎた時間だったが、うっそうとしており日差しがあまり差し込んでこない。薄暗く、もの寂しげな雰囲気が漂っていた。


(この地にまた、足を踏み入れようとはね……。ラディムも連れてきてやりたかったな)


「えぇ……、この、マリエ様の眠る地に……」


 ここはグリューンの街に上水を送り込む取水口がある湖。かつてアリツェがマリエと戦い、命を奪った場所だった。


「ペス、ルゥ、お願いしますわ」


 アリツェは傍らに控えている使い魔たちに声をかけた。


『承知したワンッ』


『お任せくださいっポ』


 二匹は念話で元気よく返事を返すと、ペスは地の精霊術で地面を掘り返し、ルゥは掘り返された土の中の粘土質の部分を使って、風の精霊術で形を整え、壺を作り出した。


(本当に持っていくのか? マリエの遺骨)


 悠太が少し戸惑いを含んだ声で尋ねた。


「えぇ、丁重に弔うことが、わたくしがマリエ様とお兄様にできる、精いっぱいの罪滅ぼしですわ」


 たとえ精霊術でも、死者は蘇らせられない。どのような形であれ、再びラディムにマリエの姿を見せてやるのが、今アリツェのできる最大限の懺悔であった。


 アリツェはペスの掘った穴の中で燃え広がる炎を、茫然と見つめた。


『ご主人、終わったワンッ』


『この素焼きの壺に、骨は収めたっポ』


 ルゥが壺をアリツェの傍に運んできた。中には白い骨が詰められている。マリエのものだ。


「ありがとうございますわ、ペス、ルゥ」


 アリツェは二匹の頭をなで、労をねぎらった。


 アリツェは立ち上がると、肩掛けのバッグから布を取り出し、壺の口を覆って、最後に紐で縛り布を壺に固定した。


「……さて、次はお養父様との対面ですわね」


 明日はいよいよマルティンとの会談に臨む。はたして素直に会ってくれるだろうか……。


 頬を撫でる晩秋の寒風に、アリツェはゾッと身を震わせた。

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