第十三章 グリューン帰還

1 子爵領へ行けとおっしゃるので?

 婚約の儀から間もなく二週間、フェイシア国王夫妻やヤゲルの外交使節団の王都プラガ帰還の日が迫ってきた。


 そんな折、アリツェは前線よりオーミュッツへと戻ってきたフェルディナントから、応接室に呼ばれた。


「え? プリンツ子爵領に、ですの?」


 アリツェは思わぬフェルディナントの言葉に、大きく目を見開いた。アリツェの故郷であるプリンツ子爵領へ、急ぎ赴いてほしいとの提案だったからだ。


「そうなんだ。対帝国戦を本格的に進めるにあたり、国王陛下は精霊教を国教とする決断をなされてね」


 現状でも、フェイシア王国内はほとんどの領主貴族が精霊教を信仰している。だが、精霊教の敵である世界再生教を国教とするバイアー帝国との全面戦争に入るにあたり、王国内の意志をきっちりと統一しておきたいとの意図があるようだった。


「そこで問題となるのが、お養父様とうさまのプリンツ子爵領ですわね?」


 王国内の数少ない世界再生教信奉者がマルティン・プリンツ子爵、アリツェの育ての親だ。


「しかも、同盟国であるヤゲル王国とを結ぶ主要街道も、子爵領内を走っている。今は新たに迂回路ができたので、こうやって使節団のやり取りを再開できるようにはなったが、ただ、遠回りなのは間違いがない」


「対帝国戦で援軍を派遣してもらうとなれば、最短距離を行軍していただけるほうが、圧倒的に有利ですわね」


 戦時にはより迅速な行動が求められる。わざわざ迂回路を使わなければならない現状は、どうにか解消しなければならなかった。


「そういうことだ。で、子爵領をどうにかしたいという話になっている。何とかマルティン卿に改宗を促せないかと」


 フェルディナントはうなずき、アリツェの顔を見据えた。


「そこで、わたくしに白羽の矢が?」


 アリツェはフェルディナントからわずかに視線をそらした。正直な話、もう二度と養父マルティンに会いたくはなかった。何しろ、アリツェを殺そうとした男なのだから。


「アリツェは養子として、十二年間グリューンの街で暮らしていたからね。それに、現状では精霊教側の貴族で子爵と最も関係の深い人物でもある。長らく一緒に生活していたわけなんだし。本家とはいっても、我々辺境伯一家はもう子爵家と袂を分かっているし、交流がほとんどない。私では不適任なんだよ」


 フェルディナントは頭を振った。


「しかし、わたくしとお養父様は不仲ですわよ? お養母様なんて、私と話そうともしませんですし」


 事情はアリツェも辺境伯一家とそう大差はない。マルティンから恨まれている点では、一緒だった。


「事情はよく分かっている。だが、今、子爵領に一番詳しいのはアリツェなんだ。すまないが、お願いできないかな? 国王陛下からも、王子の婚約者としてぜひ務めを果たしてほしいと言われている」


「はぁ……」


 素直に納得のできる話ではなかったため、アリツェはげんなりと気のない返事をした。


(おい、アリツェ。これはチャンスじゃないか?)


 そこに、悠太が横から割り込んできた。


(どういうことですの? できればもう二度と、お養父様とはかかわりあいになりたくはなかったのですが……)


 悠太の言葉に、アリツェは首をひねった。


(ドミニクとの婚約破棄に、今回の件は使えると思うぞ。国王から婚約者の務めを強調されているってことはだ、ここでひどい失敗をすれば、王国上層部もアリツェを見限るんじゃないか?)


(あぁ、なるほど。確かに、一理ありますわね)


 マルティンへの説得自体を断るのではなく、引き受けたうえで大きな失敗をすればいいと悠太は言う。


(それに、アリツェもいい加減、マルティンには思うところがあるだろ? ひとつ、悪役令嬢らしく復讐劇っていうのもまた、乙なもんじゃないかな)


 悠太は声を弾ませる。


(乙な物って、復讐はそのような代物ではないと思うのですが……。まぁ、悠太様のお話はよく分かりましたわ。確かに、わたくしの命を奪おうとしたお養父様に、一回痛い目にあってもらうのも悪くはないですわね。むしろ、改易でもさせましょうか?)


 仕返しなどはあまりアリツェの好みでもないが、今は悪役令嬢を演じている。復讐は、悪役アリツェを彩る良い添え物になるかもしれない。


(そこら辺のさじ加減は、実際につらい目に遭ったアリツェが判断するといいさ)


 隠居、改易、追放、そして処刑……。悠太はアリツェに任せると言ったものの、アリツェ自身は、マルティンに対してどこまでの仕打ちをしていいかがよくわからなかった。いくら憎いとはいえ、命まで取るべきだろうか。だが、相手はアリツェの命を奪おうとした。……人生経験の浅いアリツェには、判断が付きかねた。


 今はまだ深く考えないようにしよう。どうしても困ったら、最終的な判断は国王に丸投げすればいいのではないか、とアリツェは思い直した。


(で、国王陛下も失望するような失敗とは、いったい何をすればよいのでしょうか……)


 マルティンの処分云々の前に、まずは一番の目的、アリツェが周囲の失望を買うにはどうすればよいかを考えなければならなかった。


(単純にマルティンの説得失敗程度じゃ、ダメだよなぁ)


(そうですわね。さすがに陛下なら、わたくしの過去の事情もある程度はご存じでしょう。不仲のわたくしが説得に出ても、そんなに簡単に成功するとはお考えにはなられていないかと思いますわ)


 と、ここでフェルディナントから返事を促す言葉をかけられ、思考はいったん中断された。


「で、どうかなアリツェ? 引き受けてくれるかい?」


「えぇ、承知いたしましたわ。どうやらわたくしが適任者であるのは、間違いなさそうですし」


 アリツェは首肯した。


「ではそのように回答しておくよ。あと、同行者にヤゲルの聖女様もつくので、お相手をよろしく」


「ほへ!?」


 フェルディナントの発した言葉に、アリツェは思わず素っ頓狂な声を上げた。あまりにも意外な人物の名が飛び出したからだ。


「ちょ、ちょっと待ってくださいまし。なぜクリスティーナ様がご一緒なさるのですか! 隣国の王女を、精霊教を禁止している危険な子爵領に連れて行くだなんて!」


 普通に考えればあり得なかった。『聖女』とまで呼ばれ精霊教に崇められているクリスティーナを、よりにもよって精霊教が禁教化されている子爵領に同行させるとは、正気の沙汰とは思えなかった。


「本人たっての願いでね。プリンツ子爵領はフェイシアとヤゲルを結ぶ重要な地だから、ヤゲルの王女である自分の精霊術で、どうにかしたいっておっしゃってね」


 どうやらまた、あのわがまま聖女様のごり押しのようだった。


「はぁぁぁ……、本気ですか、あの聖女様……」


「ま、そういうわけだ。頑張ってくれ、アリツェ」


 フェルディナントは苦笑する。


(先が思いやられますわ……)


 アリツェは鬱屈した気持ちになり、肩を落とした。

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