第九章 二人の真実

1 いざ辺境伯とご対面ですわ

 深夜、プリンツ辺境伯領領都オーミュッツ――。


 街の門の外には、悠太(アリツェ夜モード)、ドミニク、ラディム(ラディムの担当日)の人間組と、子犬のペスと子猫のミアの姿があった。今日は正面からの、堂々とした訪問だ。


 悠太の持ち込んだ精霊教大司教の紹介状のおかげで、あっさりと事態が進んでいく。門番は紹介状の封印を見るや、悠太からひったくるように奪うと、部下へと渡して辺境伯邸に報告へ向かわせた。戻ってきた部下が辺境伯からの指示を門番へと伝えると、即座に悠太たちは街への入城が許可される。さらに、途中の警備兵に呼び止められることのないよう、辺境伯の客人を示すネックレスまで与えられた。実に順調だった。


 オーミュッツの街中は、深夜にもかかわらず、あちらこちらでかがり火がたかれている。警備兵がひっきりなしに巡回をし、物々しい雰囲気だった。街の外には帝国軍が布陣しているので、仕方がない状況ではあったが。


 通りがかる警備兵が悠太たちを呼び止めようとするが、悠太が首から下げているネックレスを目にするや、そそくさとその場を立ち去って行った。


「しかし、大した警備ですわね。これでは確かに、ラディム様が引き返したのもわかりますわ」


 次々と脇を通り過ぎていく警備兵の姿を、悠太はうんざりしながら見遣る。


「だろう? これではミアの力をもってしても、さすがに厳しそうだと思った」


 ラディムも周囲をきょろきょろと伺っている。


「しかし、大司教から紹介状をもらっておいて正解でしたね。そうでなければ、この不穏な状況の中で、辺境伯に面会なんて不可能だったはずだよ」


 ドミニクがほうっと息をついた。面倒にならなくてよかったと、その顔は物語っている。


 オーミュッツのメインストリートを歩いてしばらくすると、眼前にひときわ大きな館が見えてきた。辺境伯邸だ。


 邸の前にはかなりの規模の庭園が広がっている。丁寧に整備されているが、今は冬真っ只中なため、花が咲いている様子はない。ただ、たとえ色とりどりに花が咲き誇っていたとしても、今は深夜なので、どのみちその色合いを楽しんだりはできないが。


 悠太たちが門に差し掛かると、警備にあたっている門兵が声をかけてきた。誰何の声だったので、悠太は街の門番から渡されたネックレスを見せ、辺境伯へ会いに来た旨を伝える。


 門兵はあらかじめ辺境伯から指示を受けていたようで、すぐに邸の中へと悠太たちを案内した。







「ようこそ、いらっしゃいアリツェ」


 邸の中に入るや二十代後半くらいの青年が、両手を広げながら悠太の前へ歩み寄ってきた。状況からみて、おそらくは当主のフェルディナント・プリンツ辺境伯だろう。


「私はこの館の主、フェイシア王国辺境伯フェルディナント・プリンツ。知っているとは思うけれども、アリツェ、君の叔父だよ」


 大司教からの紹介状のおかげで、スムーズに話に入れそうだ。


 フェルディナント・プリンツ――アリツェとラディムの実父であるカレル・プリンツの弟だ。だが、あまりアリツェたちに似ているとは思えない。前辺境伯カレルとアリツェたちは、表面上は実の親子だが、システム的に見れば受精卵が別の人間――VRMMO『精霊たちの憂鬱』のカレルとユリナ――を両親としているのだから、仕方のない話ではある。たまたま名前は同じだが、前辺境伯カレルと『精霊たちの憂鬱』のカレルの遺伝情報までは、さすがに違っていた。


「アリツェ・プリンツォヴァです。初めまして、叔父様。お会いできて、わたくしうれしいですわ」


 印象を良くしようと、悠太はできるだけにこやかに微笑んだ。


「いろいろと積もる話はあるけれど、入り口で立ち話もよくないだろう。応接室へ移動しようか」


 フェルディナントは悠太たちを先導し、屋敷の入り口の右手側にある扉を開いた。


 部屋の中に案内され、示されたソファーに各々座った。


「素敵な調度品ですね。叔父様のご趣味ですか?」


 悠太はきょろきょろと周囲を見回した。かつてドミニクと一緒に入った王都のレストランの調度品と同じような、落ち着いた品の良いものが多い。


「兄が好きだったんだ。私は騎士団で育ったから、実はこういったものはよくわからないんだよね」


 フェルディナントは自嘲している。


「っと、残りのお二方も紹介いただけるかな?」


「あら、わたくしったら……」


 フェルディナントの指摘に悠太はしまったと思い、慌ててドミニクとラディムを紹介する。


「こちら、精霊教の導師で、今、わたくしの指導も担当してくださっている、ドミニク・ヴェチェレク様です」


「初めまして、プリンツ卿。ドミニク・ヴェチェレクと申します。以後お見知りおきを」


 悠太の紹介に合わせて、ドミニクは深々と一礼した。


「君がドミニク君か……。大司教様からよく聞いているよ。姪のことを、これまでよく護衛してくれた。礼を言わせてもらう」


「とんでもない。私の当然の責務を果たしたまでです」


「そう、か……」


 フェルディナントとドミニクの間に、妙な空気が流れているように悠太は感じた。何かあるのだろうか。


「ドミニク様……?」


 悠太が首をかしげてドミニクに向き直ると、ドミニクは少し困ったような顔を浮かべて、「なんでもないよ」と呟いた。


(何でもない、とは言えない雰囲気だな……。フェルディナントとドミニクの間には、何やら関係が?)


 悠太は疑問に思ったが、今この場で聞ける雰囲気でもないので押し黙る。紹介の続きもしなければいけない。


「こちらは、……バイアー帝国第一皇子、ラディム・ギーゼブレヒト様ですわ」


 悠太は少しためらったが、「ええい、ままよ」とラディムを現在の地位どおりに紹介した。


「ラディム・ギーゼブレヒトです。……あなたの甥にあたるのは、当然ご承知でしょう?」


 ラディムは少し声を震わせながら自己紹介をする。フェルディナントがどういった態度をとるかがわからないので、大分緊張しているようだ。


 しばし続く沈黙――。


「あの赤子が、ここまで大きくなって……。あぁ、そんなに緊張しなくてもいいよ。君を捕らえてどうこうするつもりはないし。そもそも、私は今、帝国軍と戦う気はないからね」


 フェルディナントから意外な言葉が飛び出した。


「数日中に、私からラディムの元へ赴こうかと思っていたんだよね。何とか戦わずに、休戦に持ち込めないかと」


「どうりで……」


 何かを納得したようにラディムは頷いている。


「おかしいと思ったのだ。辺境伯領に入っても一切抵抗がなかったから」


「精霊教会と手を組んで指示をしたんだ。領民が帝国軍にちょっかいをかけないよう、あれこれと工作させてもらった」


 フェルディナントは、「これが結構、骨が折れたんだよね」と苦笑した。


「それと、街に入ってみれば、なぜだか私の情報が出回っている。住民は皆、前辺境伯カレルの息子である私に、妙な期待をしていた。こいつはいったい、どういった理由なんだ?」


「ラディムの情報については、もし道中にラディムが領民と接した時に、領民から嫌な目に遭わされて辺境伯領への敵意を抱いたりしないように、保険として仕込ませてもらったよ」


 フェルディナントの言葉に、ラディムはしきりに首をかしげている。


 つまり、領民が帝国軍に悪感情を持たないようにする目的で、精霊教会の手を借りて人気者だった前辺境伯のカレル名を出し、その息子ラディムが帝国軍にいると周知する。領民はラディムを歓迎する意思を示すようになり、そんな領民に接するラディムも、おそらくは辺境伯領に対して悪い感情を抱かないだろう。こんな筋書きのようだと悠太は理解した。


「なぜ、わざわざそんな真似を?」


「私がラディムを説得し、その後、ラディムから皇帝に働きかけることで、戦争を回避できればと思ったんだ」


 まず第一段階のラディムの説得にあたり、フェルディナントの話を聞き入れてもらいやすくする必要があった。そのための、ラディムに向けた辺境伯領に対する印象操作工作だったらしい。ラディムが辺境伯領に対して悪感情を抱いていると、説得に苦労するだろうからと。


「……以前の私だったら、何をされようとも、一切聞く耳を持たなかっただろうな。だが、今は……」


 ラディムは言葉を濁した。


「話を聞いてくれる、そういうことだよね?」


「ああ……。精霊が邪悪ではないと、気づいてしまったからな」


 フェルディナントの問いに、ラディムは苦笑いを浮かべながら首肯した。


「ちなみになのだが、各街にはどんな指示を出していたんだ? 私の件も含めて」


「各地の代官には私から、一切抵抗することなく帝国軍を受け入れるよう命令を出した。住民については、精霊教の教会司祭から情報を流させている。帝国軍と辺境伯軍で共同して、ここ数年悩みの種になっていた巨大魔獣を退治するとね。魔獣に関しては、軍隊規模でなければ手が出せないと被害に遭った者からの報告で挙がってきていたので、ちょうど利用させてもらった形かな。魔獣が退治されると聞けば、住民も帝国軍に協力的になるでしょう?」


 フェルディナントはニヤリと笑った。


「あの街道にいた魔獣か……。確かに生半可な戦力じゃ、返り討ちにあうのが関の山だったろうな」


 ラディムは魔獣との戦闘の状況を思い出しているのか、うんうんとうなずいている。


「それを倒してしまうんだから、さすがは皇帝親征軍。今は、絶対に戦いたくないね」


 降参だと言わんばかりに、フェルディナントは軽く両手を挙げた。


「ラディム個人については、この領内で絶大な人気を誇っていた兄カレルの名前を、少し使わせてもらったよ。異能の力を持っていたカレルの息子であるラディムなら、きっと精霊に愛されているはずだと。領民はみな、精霊を篤く信奉しているからね。精霊に愛されているという事実だけで、その者に対する信頼感は一気に増すんだ。たとえその者が、今は『帝国に所属する人間』であったとしても」


 フェルディナントは、最後の『帝国に所属する人間』の部分を特に強調した。


「そして、共同作戦の真の目的が、魔獣退治ではなく、カレルの息子ラディムと現辺境伯である私との融和のため、しいてはフェイシア王国とバイアー帝国の関係改善のために企画されたものだと広めた。かつてのギーゼブレヒト皇家とプリンツ辺境伯家の婚姻政策は、決して失敗ではない。生まれた子供のラディムが、両国の橋渡しをするのだから、と」


「おいおい、本人のいないところで、ずいぶん大げさな宣伝工作をしたな」


 ラディムは呆れたようにため息を漏らした。


 確かに、いち辺境伯家が行うにしては、随分な情報操作だと悠太も思った。


「とにかく戦争を回避したかった。領民の血が流れるのはいやなのだ。そのためには、どうしてもラディムの協力が必要だ」


 体を机に乗り出しながら、フェルディナントはラディムの顔を鋭く見据えた。


「武の家の当主がずいぶん弱気な……。フェイシア王家は承知しているのか?」


 プリンツ辺境伯家は武の名門だ。しかも、当主のフェルディナント自身、軍人になるべく育てられている。だが、それにしてはラディムの言うように、ずいぶんと消極的な作戦を取っている。悠太は不思議に思った。


「いや……、実は独断だ」


 フェルディナントはバツが悪そうに頭を掻いた。


「そもそも、王都にお伺いを立てる時間もなかったのでね。帝国軍の侵攻が想定よりも早かった……。てっきり夏あたりかと踏んでいて、帝国軍進軍の一報を聞いた際は、椅子から転げ落ちたよ」


 確かに、冬場の戦争は避ける傾向にあるので、フェルディナントの言い分もわからなくはなかった。だが、それにしてもちょっと不用心すぎやしないかと、悠太は首をひねった。


 フェルディナントが軍人教育を受けていたころは、まだ成人を迎えていなかったはずだ。参謀向けの教育などは、おそらくは時期的に早すぎて受けていなかったのだろう。そして、兄の死で参謀教育を受ける前に軍を退役し、領主教育に入った。軍人としても、領主としても、中途半端な立ち位置になってしまっていると見受けられた。


「そこで、時間稼ぎをしようと思ったわけなんだ。完全な停戦までは難しくとも、一時休戦でもいいから果たせればと。とにかく準備不足なので、今攻められれば、領民が無駄に死ぬだけだ」


 緊急事態のなか、現在取れる方策が、先ほど述べた情報操作だったという訳か。


「ちょうどラディムが同行していると知ったので、これは都合がいいと思ったんだ。すまないね」


 フェルディナントはラディムに頭を下げた。


「事情は分かった。私を利用しようとした点も、いろいろと思うところがあるが、まあいい」


 ラディムはフェルディナントの頭をあげさせて、その顔を見据える。


「で、私は何をすればいいのだ? 私も戦争は回避したい。できれば、皇帝陛下の考えを改めさせて、精霊教を認めさせたいとさえ、今では思っているのだが……」


 まだ少し迷いがあるのか、ラディムは語尾を少し濁した。


「それなら、この書状を持っていくといい。ベルナルド陛下宛ての私の書状だ。それと、これはラディムに対してだね。陣地に戻る前に読んでほしい」


「ここで話すのではだめなのか?」


 フェルディナントは手紙を二つラディムに差し出してきたが、ラディムはすぐには受け取らなかった。


「少し問題がね……。それこそ、私の完全独断の内容があるんだ。今はまだ、家中の者にも知られたくない。すまない」


 フェルディナントは周囲を少し伺ってから、小声でつぶやいた。


「わかった……」


 しぶしぶといった感じで、ラディムは手紙を受け取った。


「とりあえず、今日は皆、我が邸に泊っていきなさい」


 フェルディナントは立ち上がって侍女を呼ぶと、カレルたちを寝室へ案内するように指示を出した。


 ショートスリーパーの悠太でも、さすがにそろそろ寝ないと厳しい。素直に侍女の後に続き、寝室へと向かった。

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