第三章 生い立ちの秘密
1 捕まってしまいましたわ
アリツェはゆっくりと目を開いた。
見覚えのある天井が目に入ってきた。
……見覚えのある天井?
「うっ……。わたくし、いったいどうしたのでしょうか」
痛む頭を右手の平で抑える。意識が少し混濁していた。
「たしか、世界再生教の少女と、戦っていたはずでは」
(あぁ、そうだ。で、負けて、捕まった)
悠太のぶっきらぼうな声が響く。
「では、わたくしは捕らえられた、ということですわよね。それにしては――」
周囲を見渡す。ここは、虜囚に使うような部屋ではなかった。
華美ではないが、きちんと掃除され、整えられている家具や調度品。孤児院で使っていたような硬い布団とは異なる、清潔でふかふかの羽毛布団。部屋の隅に見えるのは、白い陶器で作られた薪ストーブ。どれもが、そこそこ以上の資産を持つ家庭でなければ、用意できるものではない。
それ以前に、見覚えのある部屋だった。
――なぜなら、ここは、かつてアリツェの部屋だったからだ。
「子爵邸……。領館に、連れてこられたのですね。しかも、わたくしのかつての部屋に、軟禁ですか……」
領館は大きく二つの建物で構成されていた。子爵家の私邸と、領政をつかさどる事務棟。会議室やダンスホールなどがある広い一階部分を共用し、二階以上がそれぞれの建物に分かれている。
アリツェの部屋は、子爵邸側にあった。
あの少女マリエは、アリツェの名前を聞いた際におかしな反応をしていた。推察するに、両親に深く関係をしている可能性が高い。
両親の指示で、アリツェをこの部屋に連れてきたのだろうか。
(しかし、まずいところに捕まっちまったな。マリエはどうやら殺すつもりはないようだけれど、はたして、あんたの両親はどうだろう)
悠太の懸念は、アリツェも感じていることだった。
エマからも、両親はおそらくアリツェが死ぬか奴隷になるまで追い詰めるだろうと言っていた。このままおとなしくこの場所にとどまっていては、危険かもしれない。
「脱出を考えるべき、でしょうか」
(あぁ、そのほうがいい)
アリツェはベッドから起き上がった。
着替えさせられてはいなかった。動きやすい旅装のままだ。ドレスに換えられていなくて、助かった。
窓際に向かい、ジッと外の様子をうかがう。
お昼が近いのか、太陽が大分高くまで昇っていた。
(ペスには救出に来るよう頼んでおいたけれど、大丈夫かな)
今のところ、近くにペスの気配は感じられなかった。精神リンクをつないで言葉を交わそうとも思ったが、距離があるのか、繋がらない。
「自力で脱出を図る必要が、ありそうですわね」
さすがにショートソードは奪われていた。ほかに、武器になるものは身につけていない。
基本的には精霊術のみで戦うので、護身用の簡単な武器以外は持ち歩かないし、そもそも使う技術もない。
(アリツェさんさぁ、武器くらい何か習っておくべきだったんじゃないか? 使い魔が傍にいないと何もできない、これでは、これから先、苦労するかもしれないぞ)
武器の練習については、伝道師として旅に出ることを決意した時からアリツェも少し考え始めていた。
ただでさえ幼い少女の姿をしている。旅に出れば、不埒な輩に付け狙われる危険性は高かった。普段から扱いに長けた武器を携帯しておけば、そういった輩への牽制になるし、襲われた際の有効な対抗手段にもなる。
(このアリツェの体は優秀だ。筋力も体力も敏捷性も、鍛えれば鍛えるほど応えてくれるはず。才能的には、オレの世界で屈指の槍使いと言われていたユリナ以上を、持っている)
受精卵データを見た時の才能限界値と成長速度は、非常に優秀だった。ステータスをきっちりと伸ばせれば、そんじょそこらの戦士や騎士では太刀打ちできないだけの、肉体的才能がある。生かさない手は、ない。
「精霊術に関しては悠太様の経験と知識を生かせるので、修練にそれほど時間はかかりませんよね。でしたら、今後しばらくは、ユリナ様のような槍を扱う練習をしたほうが、総合的な能力を伸ばせるかもしれませんわ」
(オレもそれには同意だな。ただ、一つ懸念しているのは器用さなんだよ。昨晩も、途中でショートソードを取り落としてしまった。もう少し器用に物を扱えるようにしないと、武器に振り回されるだけになりかねない)
昨夜の悔しさを思い出したのか、悠太の声は沈んでいた。
(クラスとしてはあくまで『精霊使い』だ。戦闘クラスの持つ特殊スキルが使えない不利もあるから、ステータスの高さでごり押しをする戦い方になる。器用さが泣き所にならないといいんだけれど)
武器の修練と合わせて、前々から考えていたとおり料理の修行も併せて行うべきなのだろう。器用さは、特に重点的に鍛えなければいけない。
(器用さの不利を考えれば、武器は使わず格闘術のほうがいいのか? ただ、武器を持っていることによる牽制の効果は捨てがたいし……)
「まぁ、そのあたりはおいおい話し合いましょう。今は、まずはここから逃げ出すことを考えなければいけませんわ」
改めて部屋を見回して、何か使えそうなものはないかと探る。
書き物に使っていたテーブルの袖にペーパーナイフを入れていたことを思い出したアリツェは、確認するために引き出しを開けた。だが、私物はすべて処分されていた。中は空っぽだった。
その時、ペスとの精神リンクがつながった。
『ご主人、ご無事ですかワンッ?』
ペスの声にはアリツェを心配しているのか、少し焦りの色が混じっている。
『えぇ、身体は何ともありませんわ。ペスこそ、昨晩あの場からの離脱に、支障はありませんでしたか?』
『奴ら、ご主人の拘束を最優先にしていたためか、深くは追ってこなかったワンッ。問題ないワンッ!』
ペスの無事を確認できて、アリツェは胸をなでおろした。
悠太の精霊術で強化されたペスなら、まず大事に至ることはないとわかってはいても、気がかりであったのだ。
『今、子爵邸のかつてのわたくしの私室にとらわれておりますの。幸い、拘束もされておりませんわ。窓に格子などはありませんので、窓から侵入できませんか?』
ペスが傍に来てくれれば、精霊術で脱出は容易だ。
特に、ここは勝手知ったるかつての住まい、子爵邸なのだから。
『精神リンクで場所は把握済みだワンッ。ちょうど風の精霊の具現化を施してもらっているから、空を飛んで窓まで行くワンッ。窓の開放をよろしくだワンッ』
風属性の精霊は、『かまいたち』や『竜巻』での攻撃だけではなく、空を飛んだり、においを消したりなど、様々な使い道がある。万能に使える使い勝手のいい属性だった。
今のアリツェの精霊使いのクラス熟練度では、使い魔を一体しか持てない。複数の属性を同時に行使できない以上、様々な場面で使い道のある風属性は、とても扱いやすかった。
ペスの気配が近づいてきたのを感じ、アリツェは窓を開いた。
アリツェの私室は三階だ。壁を伝って降りるにしても、ロープもないし、手掛かりになる出っ張りもなかった。このため、警備側は窓からの脱出を想定していないのだろう。鍵も掛けられておらず、容易に窓を開けられた。
おそらく警備の人間は、アリツェが精霊術を行使できる事実を知らない。領館で生活しているころにはアリツェ自身『霊素』の扱い方を分かっていなかったし、ペスを傍に置いていなかったこともあり、精霊術に類するものは無意識も含め一度も発動していなかったのだから。
今この館で事実を知るのは、アリツェ本人と、昨晩実際に戦ったマリエ、領兵のみ。夜に活動していた領兵たちは、昼のこの時間帯は交代で休んでいるはず。領館内にはとどまっていないだろう。
両親も、おそらくは知らない。知っていたならば、街中でスラムのごろつきに襲わせるような愚は冒さなかったはずだ。戦闘経験のない人間が何人いようと、優秀な精霊使いの前では赤子に等しい。そう、昨晩ペスが対峙した領兵のように。
『お待たせしたワンッ』
ペスは背に霊素を使った半透明の翼を纏っていた。空を滑空し、そのまま部屋の中へと飛び込んでくる。
胸に飛び込んできたペスを抱きかかえると、アリツェはペスの顔へ頬ずりをした。お互いの無事を確かめ合った。
「助かりましたわ、ペス。精霊具現化は……。まだ、二時間程度は持ちそうですわね」
さっとペスの様子を確認し、残った霊素の量からそう判断した。
これなら、改めて精霊具現化をし直す必要はなさそうだった。霊素の最大量がまだまだ低めのアリツェの体だ。できれば、霊素は温存しておきたかった。
それに、今纏っている風ならば脱出の補助にも使える。空気の流れを支配して、音と臭いを遮断できるからだ。複数属性が使えれば光の属性で視覚もある程度ごまかせるのだが、ぜいたくは言えない。
万が一見つかって戦闘になった場合を想定すると、風を切って光に切り替えるというわけにもいかない。光単体では目くらまし程度しかできない。光の攻撃はかなりの熱を発生させるため、燃えるものが多い領館内で使うには危険すぎた。
「このまま最短ルートで裏の通用口まで行き、脱出しますわ。ペス、人の気配を感じたら、物陰に隠れますので警告をくださいませ」
できれば、ペスがいま侵入したように窓から脱出できればよかった。
ただ、庭は常に警備兵が巡回をしているし、時間帯的に多くの官僚が行きかっている。空を飛んで脱出すれば、すぐに逃走がばれる恐れがあった。それに、疑似的に翼を纏って空を飛ぶ関係上、ペスの小さな体ではアリツェを抱えて飛ぶのはいささか厳しい。
一緒に飛ぼうとするなら、鳩のルゥのように霊素なしでも飛べる使い魔を使い、使い魔は自らの翼、術者が使い魔の作り出す疑似的翼を用いて飛ぶといった方法か、仔馬のラースのようにアリツェの体を乗せられるだけの大きな体を持っている使い魔に騎乗する方法でないと、だめだった。
そろそろ昼食時だ。食事の用意等で誰かが部屋に入ってくると、具合がよくない。まごまごしている暇はなかった。
アリツェは早々に行動を開始した。
ペスの聴覚、嗅覚を頼りに、廊下に人が歩いていない瞬間をねらい、部屋の外へと滑り出した。
曲がり角ごとにペスに警戒をさせ、安全を確保する。
三階は主に住み込みの使用人たちの私室で構成されている。
アリツェは疎まれていたため、家族の住むフロアである二階ではなく、使用人フロアである三階に部屋を用意されていた。両親の寝室は、当然、二階にある。
昼間なのでほとんどの使用人は仕事中だ。人の気配はしない。
すばやく移動し、無事に三階から二階へと移動した。
二階には両親の寝室のほか、客間、来客用の寝室、図書室、そして、父の執務室があった。
構造上、一階へ降りるためには父の執務室の前を通らざるを得ない。三階よりも危険が付きまとう。
慎重に図書室の前を過ぎると、執務室が視界に入ってきた。
「お父様は中にいらっしゃるのでしょうか。お会いしたいような、したくないような、複雑な心境ですわ」
(お前、まだ両親に未練が残っているのか? 殺そうとしてきた奴らだぞ、親だなんて思うな。甘い考えは捨てろ)
悠太にたしなめられた。
アリツェは十二歳。親の愛情を無条件で求めたとしても、まだまだ許される年齢だ。しかし、今アリツェを取り巻く環境を考えたら、そうも言ってはいられなかった。
頭を振って、アリツェは愚かな想いを断つ。
「……わたくしも、もう子供ではありません。悠太様のおっしゃるとおりですわ。同じような考えをぐじぐじと言うようでしたら、遠慮なく叱り飛ばしてくださいませ」
(あぁ、もちろん。そうさせてもらうさ。あんたの体は、オレの体でもある。甘っちょろい考えで間抜けな罠に引っかかり、あっさり死にました、だなんてオレもごめんだ)
敵が子供であるアリツェの精神面の脆さをついてくる可能性もある。悠太はその点を心配していた。
悠太の人格とは違い、アリツェの人格自体は、あくまで十二歳の少女なのだから。
アリツェとペスは、これまで以上に周囲への警戒を強めた。おそらくは、この領館で一番危険な場所、領主マルティンの執務室。
ペスの指示の下、抜き足差し足で執務室の前を通り過ぎる。
その時、父の執務室から聞き覚えのある声が漏れてきた。
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