幸せと英雄と『モブ』
河條 てる
プロローグ
これ、辞表です。
英雄。
勇者。
そう呼ばれる人間ってのは大体顔が良い。それに完璧無敵の超人って感じで、女の子にもモテる。そんでだいたい幸せになれる。
思春期の終わり頃には「そんな奴いねえよ」なんて枯れてる風を装って思ってた。
最近はちょっとオヤジ臭くなったのか、ちょっと考え方が変わった。
居ないから求めるんだなって。
そう考えるようになった。
顔が良くても、自分の欲しか考えてない奴だったり、優しくてもすげえブサイクってだけで嫌わたりする。どんだけ剣の腕があっても、性格が悪けりゃただの悪人だし。
天は二物を与えずとはよく言ったものだ。全てを兼ね備えた人間はたぶん居ない。
だからこそ、物語の英雄たちは現実と釣り合うように素晴らしい人間なんだ。
俺には出来ないことだった。
☩
「ヒンツァルトさん、本気ですか?!」
とある王国、とある首都の狩人組合の支部の支部長室。
その一室にはうら若く金の髪が綺麗なお嬢さんと特筆することが無く、普通過ぎて1度は見たことある気がするけど、すぐ忘れそうな顔の青年が向き合っておりました。
「ええ!!何の為に…何の為に今日まで待ったと思ってるんですか!!あいつが!年齢詐称のクソババアがいないこの時まで!!」
ヒンツァルトと呼ばれた、モブ顔の癖に非常に発音しにくい名前をした青年は拳を握りしめ、過去の仕打ちを噛み締めておりました。
お嬢さんは大変動揺なさり、強ばった顔のままこの目の前のモブとこれから出る損害を考え、血の気を引かせてゆきました。
今でこそこんなにも荒ぶっているこのモブ。しかし普段であれば、極めて一般人。
常識もあれば
お嬢さんはそれをよく知っていらしたので、その良心に訴えかけるように語りかけました。
「ヒンツァルトさんが居なければこの街、いえ、この国が滅びます。それはヒンツァルトさんが1番よく知ってるじゃないですか」
「…」
バツの悪い顔をしたモブを見て、これなら押し通せると思ったお嬢さんは更なる一手を加えました。
「ヒンツァルトさんが顔も名前も知らない人ならば見殺しにできるような人ではないと私は知っています」
「…」
お嬢さんは今、この国の未来を託されていました。残念ながらこのモブはそれ程までに重要な存在であったのです。
お嬢さんは背中に伝う冷や汗を感じながら、彼に言葉を繋げました。
「ですからどうか、この国の民の平和の為に御考え直しを!」
お嬢さんは頭をお下げになりました。この状況で断る人間など普通はいません。
モブもその様子に心を動かされたのか、少し驚いた後、おもむろに口を開きました。
「……石……ました」
モブの声は小さく、第三者からすれば腹立たしいものでした。
大体、どうしてこの場に石などという単語が出てくるのか。普通なら考えられません。
お嬢さんは恐る恐る尋ね返しました。
「すみません、聞こえなくて…」
「この国の民とやらに石を投げられました」
そのお言葉にお嬢さんは絶句しました。
そうです。
この男はこの場においては普通ではないのです。傍目から見たら女性に謝らせている屑のようにみえる構図。しかし、寧ろ被害者はモブで、訴えられる側はお嬢さんなのです。
「それは…その…」
「今週3回目です。全部違う場所です」
「あ、あの…それは、その…」
「いや、慰めとか大丈夫です。今日辞めれば解決なんで」
自分が地雷原でコサックダンスした事にお気付きになられたお嬢さんは、それはそれは気まずい雰囲気に耐えかね、俯いて閉口する他ありませんでした。
一方のモブはと言えば、自分が辞めるためとは言え、お嬢さんを上層部と自分とで板挟みしてしまうことを割りきれず、心苦しさを感じておりました。
卑怯な手でこの状況を作った自覚はあったようで沈黙を破りました。
「死んでほしいとまでは思いませんが、それなりの苦を味わえばいいと思っちゃうんですよ」
「俺だって人間なんです。嫌なことされ続けたら嫌いになりますし、自分がその人達を守ってるなら尚更です」
「そう、ですよね」
お嬢さんも正直当惑なさっておりました。まさか彼方遠方まで、彼の悪名が轟いているとは…と。
と言うのも、彼はこの組合のある街で村八分されておりました。
彼の仕事はその並々ならぬ実力を持ってして、国家の存亡を揺らがすような超上位の魔獣を人々の生活に影響が出る前に討伐したり、上位の狩人が失敗してしまった尻拭いなど、人の手に余るような仕事を請け負っておりました。
彼がこの仕事に着いてからはバケモノに数で挑む必要も、生活の一部が侵されることも無くなり、狩人にも実力者が増え、国庫が潤うようになりました。勿論、人口の増加、1部のインフラ産業の仕事の減少等は引き起しましたが、幸せな悩みです。
ヒンツァルトはその立役者ではあるのですが、知られては民の混乱や国際関係の悪化を引き起こす為に彼はその実績を語ることが許されず、ただそんな英雄がいるとの噂だけが流れるのみでありました。
しかし、仕事に就いてから半年も経たぬうちに悪い噂が出始めます。
それもそのはず、首都であるこの街の組合支部は大支部と言い、この国の組合の元締め組織であり、実力者が集う場所なのです。
そこに場違いなモブ顔が常に組合の片隅で依頼も受けず、片隅で飲んだくれていれば命の駆け引きで金を稼ぐ彼等が目くじらをたてるのも当然の事でした。
曰く、受付嬢狙いのストーカー。
曰く、狩人の怪我を肴にするサイコ野郎。
曰く、残飯、忘れ物狙いのホームレス。
如何せん彼の仕事が秘密である故に組合側も表立って庇うことが出来ず終い、出来たのは彼にどうか耐えて欲しいと報酬を上乗せする事のみでした。
次第に噂は広がり彼は忌避されるようになった所にトドメの一撃がとんでもない所から飛んで参りました。
「英雄ヒンツァルトという者を我が騎士としたい」
王位継承権第二位の王子が大々的に発表なされました。彼は王位継承権第一位である皇太子に一矢報いようと、王家でも機密とされた彼の名を公言してしまったとのことです。
苦肉の策として、国王も怪しまれぬ様に彼の功績の読み上げ、これを成した英雄が名乗り出れば王子の騎士としようと仰せになりました。
勿論ヒンツァルト本人には名乗り出ないように重々釘を刺して。
その結果、ヒンツァルト本人は英雄ヒンツァルトと同じ名を持ちつつも対局の屑と認識されてしまいました。
彼は一層虐げられるようになってしまいました。
組合の人間が仕事が無いうちも適当に依頼をこなすよう薦めても、ここが国内最高位の組合であることが災いし、1人で受けられる依頼などほとんどなかったのです。仲間を募ろうにも後ろから刺される可能性が高いと判断されてしまう始末。
虐げられても彼は18の時から8年間この仕事を続け、限界がついに来てしまいました。彼も気晴らしに出向いた辺境区の宿にすら泊まれないのはかなりきたようです。
そして今日、彼は辞表を突きつけたのです。
☩
組合の受付嬢との長い格闘の末、何とか辞表を押し付け、逃げるように組合の裏口から飛び出た俺は爽快感を味わっていた。
おお、空はこんなにも青かったのか!!
今ならば鳥や有翼人種のように飛べる気がした。ああ神様仏様アンリルの龍様!私はこの瞬間の為に生きておりました!!最高!!ざまぁみろ!!こんなクソッタレな街とっととおさらばしてやるぜ。飛ぶようにな、HAHAHAHAHA!
いや待て落ち着け…。
マジで飛べるんじゃねえのか?今の俺の足取りは驚くほど軽い!ちょっと試してみるか…。
少しくらい路地裏で手をばたつかせスキップするが、全く飛べない。まあ別に知ってたしいいけどね。なんたって俺は今日から自由なのだ!!!
俺はこの日の為に働き、金を貯め、隣国の小さな山を丸ごと買い取った。安住の地は用意出来ている。あとはこの街を抜け出し、街の外の森に待たせている愛馬に乗って隣国に転がり込み、ゆったり暮らす。
最高じゃないか。我ながらこの完璧な作戦に鳥肌が立つな。
これでもう支部長に気を使われて組合の寮を使わなくて済むし、王なんかに謁見しなくて済むし、石は投げられないし、罵倒も侮蔑もない、宿も使えれば店にも通えるし、きっと、そうきっと友達だって出来る。
あれ、目から汗が…。はは。
こんなクソッタレな国なんか
「どーにでもなればあああか!!」
細い路地裏で1人叫んだ。
その後ガキに見つかって石投げられて、何とかまいた。でも街を歩けば視線は痛かったし、門番にはニヤニヤしながらぼったくられた。
本当にどうにでもなれ!!こんのクソ共!
☩
「ええ、勿論でございます。有事の際は我々にお申し付け下さい。彼も民の危機とあらば駆け付けて…」
「ガルラード支部長、ガルラード支部長はいらっしゃいますかッ!!」
「…失礼、指名されてしまいましたので恐れ多くも少し席を外させていただきます」
ガルラード支部長と呼ばれた女性は呼び出しに鬱陶しげな態度を取りつつも内心で感謝していた。
(あのタヌキ共、口を開けば要求してきやがって。うっざいわねえ。ったく。自分で頼みなさいよ。自分で。お前らがあの馬鹿を止められなかったせいでヒッツと私がどんだけ苦労してると思ってんのよ)
彼女はその黒いドレスから時折艶めかしい脚を魅せ、たぬき共の視線を一身に受けていた。銀の髪を揺らし、この場の救世主の元へと向かった。
(見てんじゃねえよ、タヌキ。てめぇら急に呼び出してセクハラとはいい度胸してんな。見せるためじゃなくて少しでも美しく見せようとする女の気心だっての、わかんねえんだろうなあ)
「まさかヴィール侯爵とルメント公爵の会食を止めるほどの事でしょうね」
恐らく全力をもってこの地まで急いだのだろう。息も絶え絶えで、事の深刻さは見て取れた。しかも寄りにもよって組合の者ではなく、自分の手の者であり、つまりは大っぴらには出来ないことである。
嫌な予感しかない。
「ヒンツァルト様が辞職なさいました」
すううううう。
はあああああ。
「ごめん。疲れてるみたい。もう一度言って貰える?」
「ヒンツァルト様が辞職なさいました」
「はああああああああああああ」
淑女にあるまじきどでかい溜息をその場で吐く。場所も時間も考えては居られなかった。
(いやまあしょーじき、いつか辞めるだろうとは思ってたよ。守ってる奴からあんな仕打ちはねえよ。でもいざ辞められると、ああ、頭が痛い。あの辺の仕事は前みたいに第一位階の連中組ませて突っ込ませるしかないよなあ)
目の前のタヌキの世話に加え、ヒンツァルトがいなくなったことによる対処をしなければならない事実は彼女の胃と頭を苦しめた。
とりあえずは組合に残っている事情を知る者でどうにかヒンツァルトを引き止めさせるのと王と言った重要人物へ報告するよう駆けつけた彼に伝え、タヌキ共の待つ卓へと戻る。
支部長としての彼女はそれなりに冷静に判断を下したが、ヒンツァルトの友人としての彼女はやり切れない思い出いっぱいだった。
彼女は何かと彼の状況を良くするためにこっそりと手を回していたのだ。今回の会食もその一環であったりする。
(いや、それでも耐えた方よね。あの馬鹿の公言から6年間耐え続けるなんて私なら無理だもの)
もう一度溜息をつく。すると、それをみたヴィール侯爵が不愉快な髭を撫でながら語りかけた。
「おや、ガルラード支部長ともあられる貴女が溜息など、このヴィールめが貴女の悩みを聞きましょうぞ」
その自慢げな語り口に思わずイラッとする。しかし、それは寸分たりとも表に出さない。それが自分の仕事であると弁えていた。時にはこんなタヌキにも下手に出ることも。
「ええ。是非とも願いたい所存にございます。実は、彼が辞職の旨を職員に告げ、その後、行方を晦ましておりますれば、どうかお力添えを」
「それは真か?!」
彼女の言葉にヴィール侯爵は絶句し、ルメント公爵は思わず聞き返す。その気持ちは彼女にも痛いほど分かったが、今はそんな場合ではない。
「ええ。私めが御二方に嘘は言いません。これから国が荒れることとなりましょう」
☩
とある王国には英雄がいた。
正直顔は良くないし、性格もその辺に居る馬鹿な学生みたいなもんだった。
しかし、その剣は個として無類の強さを誇った。
この世界には怪物がいた。
生きる災厄と呼ばれ、彼等は世界中をただただ闊歩する。
その軌跡には文化の跡は残らない。
英雄は言った。
生きているなら、首を落とせば死ぬと。
多くがそれに憤怒した。
それが出来れば民は死なない。
それが出来れば文明は塵とならない。
だが、彼は首を持ち帰ってみせた。
それを見た王や貴族は言葉を失う。
そして彼等は告げたのだ。
災厄を殺すことなど、やはり出来なかった。
だが、この先数十年災厄は王国の前で消えるだろうと。
男は激怒した。
それでは俺の功績はどうなると。
王は答えた。
金はやる。
女もやる。
だが、名誉は望むな。
貴様がそれを持てば面倒が付きまとう。
英雄に憧れた少年は叫んだ。
「俺の夢はどうなる!!」
英雄より国を選んだ男は答えた。
「これも貴様を慮っての事だ。貴様とて、外交の駒や権力の犬にはなりたく無かろう」
英雄など、この世にはいなかった。
居たのは英雄を目指し、物語よりも輝かしい功績を挙げてなお、英雄になれなかった少年だった。
少年は自分を必死に、必死に偽った。
陰ながら国を支える俺かっこいいと、子供の白昼夢のように。
少年は青年へと変わっていく。
青年は気付いた。
騙し続ける事がもう出来ない事に。
英雄になることを諦めようとした青年は人並みの幸せを求めた。
だが、全ては彼の敵だった。
男は国を捨てた。
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