番外短編 バレンタインのコーラス部

※本編とは全く関係ない、ジャパリ女学園のトキノコの短編です。





 教室の外は曇り。薄暗くて、今にも雪が降ってきそうな空。彩度の低い世界を透かす窓ガラスに反射する、フードを被ったしかめ面。

「はぁ……」

 ツチノコが朝からため息をつく理由は、教室に蔓延する女の子のピンクな声だった。黒板の脇に書かれた「二月十四日」の文字に、妙な苛立ちすら覚える。

 本命チョコ。義理チョコ。友チョコ。

 バレンタインだからって、女の子は好きな人にチョコを渡すものとは限らない。男の子にいい友達として女の子同士で送り合うこともある。むしろ、昨今のバレンタインは男がいなくても十分な盛り上がりを見せるのではなかろうか。否、見せる。

 そしてバレンタインで盛り上がるガール達の中に、アニマルガールも含まれているのは言わずもがなである。二月十四日のジャパリ女学園はどこもかしこも甘い匂いがするというのも、何もおかしなことはなかった。

 しかし、おかしくないから嫌ではないというわけではない。人混みが苦手、そもそも人が苦手なツチノコにとって、女子がチョコレートを交わしてきゃいきゃいとはしゃぐ教室は不可解でストレスが溜まる空間だった。

 チョコレートを渡すのはいい。それで盛り上がるのも構わない。ただ、TPOをわきまえてほしい。耳がキンキン鳴る教室の隅、窓際の席でツチノコは耳にイヤホンを挿した。





 午前中の授業が終わり、昼休み。授業とは打って変わって騒がしくなる教室を背に、ツチノコは弁当箱を下げて冷える廊下へ繰り出した。

 囲まれる王子様系のアニマルガールや、紙袋片手に落ち着きのないアニマルガールなどとすれ違いながら別の棟の教室を目指す。

 通い慣れた、同じ学年の別のクラス。入口の引き戸の影から顔を出して中を覗けば、白髪に赤い翼の親友がぱっと笑って手を振ってくれる。

 一人で座る彼女の正面に、ツチノコが近くの空いてる椅子を持ってきて座る。何を挨拶するでもなく、弁当を広げ始める。

「聞いてくださいよツチノコ、さっきの授業でマーゲイ先生が……」

 たわいも当たり障りもない、普通の話。

「トキはそういうの好きだな」

 それを楽しそうに話す親友が、トキのことがツチノコは大好きだった。二人だけのコーラス部で放課後を共にするトキは、ツチノコの数少ない友人の一人だった。

 トキも弁当を出そうと、トートバッグを開く。ツチノコも意味もなくその様子を眺める。バッグからトキが手に取ったのは、ツチノコも見慣れた弁当箱。ただ、それよりもツチノコの目を引くのは数々の可愛らしいラッピング。

「……それ、全部チョコ?」

「はい、色んなお友達に貰って」

「ふーん」

 モテるんだな。とは言わない。本命チョコならまだしも、友チョコをたくさん貰うのはトキのような明るい子にとっては普通なのだろう。ただ、何かモヤモヤする。ツチノコは弁当箱の蓋を開けながら、唇を尖らせた。

「そうそう、私も手作りしてきたんですよ!」

 そう言いながらトキが嬉しそうにバッグをまさぐり、中から出したものをツチノコに手渡す。ポップな柄のビニール袋に、ハートの形のチョコクッキーが数枚。

「あ、ありがと」

 明らかに。ツチノコも嬉しくないというわけではないが、トキに見えない所の尻尾は力なく床に垂れさがっていた。何の期待もなかったといえば、嘘になる。

「私も持ってきてるから、部活の後で」

「わ、ホントですか? 楽しみです」

 金色の瞳を輝かせて、にっこり笑うトキは本当に楽しみなのだろう。しかし、その顔は友達なら誰にでも向けるものなのだろうと思うと、ツチノコの心は穏やかではない。トキに貰った数枚のクッキーを、ブレザー代わりに羽織っているパーカーのポケットにねじ込んで、ふんと鼻を鳴らした。

「部活といえば、今日はやってみたいことが……」

 流れる話題。進む食事。チャイムが鳴るまでの間、バレンタインが話題に登ることはもうなかった。





 退屈な授業が過ぎ去り、放課後。ホームルームが終わるなり、ツチノコは鼻歌を連れて教室を後にする。

 音楽室の鍵を開けて、ひとりピアノの椅子に腰掛ける。腹の右の辺りがビニールの音を立てて、ふと昼のことを思い出す。ポケットから出したクッキーは、少し歪で、トキのエプロン姿でせっせと手を動かす様子を想像させた。

 それと同時に、前の週末の自分を思い返す。慣れない洋菓子屋で、何十分も棚を睨んでいた。どれが美味しそうだとか、喜ばれそうだとか、あからさまにならないとか。真剣に悩んだ末に、高級感のあるチョコレートの詰め合わせをラッピングしてもらった。可愛いリボンと共に、今日のツチノコの荷物に混じっている。

「……失敗したな」

 もっと、軽めのものを選べばよかった。少し、重かったかもしれない。トキに渡したら、変な目で見られるかも。

 ツチノコとて、バレンタインの教室は苦手でもこの日を忌み嫌っているわけではない。むしろ、こうして親友と菓子を交換するという貴重な機会を心待ちにさえしていた。

「でも、この様だもんなぁ」

 そんな思考をかき消すためと言わんばかりに、扉が勢いよく開いた。

「ごめんなさいツチノコ、遅くなりました! 練習しましょう!」

 返事の代わりに、ツチノコがピアノの鍵盤を人差し指で押し込む。少々息を乱したトキは、ソの音と共にその顔をぱあっと明るくした。





 練習も一通り終わって、帰り道。青空に紺色を落としたような、暮れきらない曇り空の下でトキとツチノコは肩を並べて歩いていた。オチのない会話とくだらない話題が尽きない中で、ツチノコのチョコレートは未だにバッグを出てはいなかった。

 このまま、トキが忘れてくれたら。すっかり、チョコレートを渡すことが不安になったツチノコは、そんなことを脳に浮かべていた。明日になってから、「ごめん、忘れてた」と言ってもっとカジュアルなものを渡せば、それでいいかな。今日はこのまま渡さずに帰ろうかな。

 そんな思考を知る訳もなく、トキが唐突に話題を切り替えた。

「そうだ。私、ツチノコのチョコほしいです」

 そうなるよな、とツチノコも観念する。

「忘れてた、今出す」

 誤魔化す。バッグを漁るふりで、ため息を隠す。すぐに出てきたトキ用のチョコレートを握って、腹をくくったようにトキに向き合った。

「はい、これ」

 洒落た表現も、心の内も、何もない言葉。口数が少なくて、無愛想。それがツチノコのキャラクターだった。ツチノコ自身もそれを理解していて、それに甘えた。

「わわ、こんなの貰っていいんですか?」

 目を丸くするトキに、明後日の方向に目をやりながらツチノコが答える。

「たまたま安かったから」

 定価のレシートが挟まった、寂しい財布のことは知らないふりをした。

「そういうことなら、ありがとうございます……」

 トキがそれをしまいながら、ヘンテコなお礼をした。歩くのを再開したものの、会話はなかった。ツチノコがトキの顔を伺うと、彼女はずっと地面を見て歩いていた。

 あーあ。重い女だと思われた。

 それが事実かどうかについてはさておいて、そういう風にトキに思われただろうというのが嫌だった。微妙な雰囲気と、すれ違う車のエンジン音にツチノコは激しく後悔した。

「あの……」

 そんな時に口を開いたのはトキ。ツチノコが半ばヤケで目を合わせる。

「その、これも、ツチノコに……」

 トキがトートバッグから、何やら小さな箱を取り出す。暗くてよく見えなかったが、つるつるした箱だった。

「いいのに、私はもう貰ったから」

「あれだけだと、なんか……な。って」

「いいよいいよ。わたしが申し訳ない」

「違うんです、これは元々ツチノコに渡そうと思ってて!」

 そう言われると、胸がキュッとなる。自分もチョロいなとツチノコが自身に呆れてつつも、「そう言うなら」とトキの箱を受け取った。

「ありがと」

 ツチノコの礼に対する返事はない。やけに落ち着かない様子のトキを見て、ツチノコの心拍数も上がっていく。

「え、えっと、私、用事があるので先に失礼しますね!」

「え? うん、また明日」

「はい、また明日」

 トキはツチノコと目も合わせずに別れを告げて、その翼で飛び立ってしまった。そのシルエットが、先程より暗さを増した空に溶ける。

 手の内のつるつるの箱に、ツチノコは興奮と動揺を隠せなかった。遠くに見える街灯の明かりに、駆け足で踏み込む。

 その直後に呆然と立ちすくむ。膝から崩れ落ちそうになるのを堪えて、夢であることを願って頬をつねった。しっかり痛くて、心も痛くて、涙が出そうになる。

「小枝、って」

 スーパーやコンビニでよく見かけるパッケージに、ツチノコは深々とため息をついた。開封して、一本かじる。甘さがしんどい。

 明日からどんな顔をしてトキに会おう。しょっぱさと甘さが口で混じって、それが妙に美味しくて、逆に残酷で、吐き出したくなった。そんなことをする勇気はなかった。

 ツチノコは一人ぼっちの帰路で、静かに泣いた。





 その頃、トキは転がり込むように帰宅していた。何かから逃げてきたかのように扉を閉じて、その前でへたへたと座り込む。震える手で携帯電話を取り出し、メッセージアプリから仲のいい友達とのグループを開いた。


──ねぇ、たすけて


どうしたの?──


──ドキドキでおかしくなりそう


あ、結局渡したんだ?──

チョコレートくらい、気にすることないと思うんですけど──


──だって、小枝だよ?






 おわり

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