嘘吐き天邪鬼は青春ブタ野郎に憧れない

第1話

僕は雨が嫌いだ。

靴が汚れるし、傘は邪魔だし、ペトリコールも好きじゃない。

そしてなにより、

「今日一限から英語じゃん」「課題忘れた」「帰りにさぁ」「いっちょんわからん」

周囲を飛び交う雑音が、イヤホン越しでも否応なく耳に刺さる。

運転免許を持てない僕たちは、雨の日は電車やバス等の公共の交通手段に頼らざるをえない。人ごみが嫌いで普段自転車で通学している僕も、雨の日は渋々と普段の3割り増しで息苦しいバスに体を潜り込ませ学校へと向かう。だから梅雨の時期なんかは特に嫌いだ。

「早く着かないかなぁ・・・」

無心で窓に当たる雨粒を数え、時間を潰していた。


靴を履き替え、階段を上って二階へ。教室に入り、真っ直ぐ自分の席に着く。HRまで少し時間があった。僕は人付き合いを苦手とする人種だ。なので誰かに声をかけられる前に気配を消して狸寝入りをしようと、

「よっ、洸太。朝から湿った顔してんな」

・・・したが邪魔が入り、仕方なく顔を上げた。

「おはよう、大輔。君は今日も元気だね。良いことでもあった?」

予想通り、声をかけてきたのは僕の友達の一人、もとい一人の友達、大輔だった。

「体育のマラソン雨で中止だって」

「僕はまぁどっちでもいいかな」

本当は屋内でバスケより個人種目のマラソンの方が気が楽でいいけど。

「ところで洸太」

「なに?」


「『思春期症候群』って知ってるか」


思春期、症候群?

「いっちょんわからん」

「何弁?」

「今朝バスの中で女の子が言ってた。何か響きが可愛いよね」

「方言女子萌えるよな」

「それで?」

「俺は東北推し」

そっちじゃない。

「いや、思春期症候群。結局何なの」

「それな」


〈曰く、他人の心の声が聞こえる。未来が視えた。体が入れ替わった。など、原因は一種のパニック症状とか、不安定な心が見せる思い込みとも言われている。そんなオカルト現象の総称を「思春期症候群」と呼ぶようになった〉

僕はオカルトを否定はしないけど、信者でもないので適当に聞き流した。


昼休み。僕が弁当の卵焼きを箸でつついていると、購買のパンを大量に抱えた大輔が興奮気味に帰ってきた。

「洸太っ、すっげー噂聞いちまった!」

大輔がこの顔をする時は、高確率で面倒ごとに発展する事を僕は知っている。

「・・・何があったの?」

残念ながら対処法はまだ学んでいないが。

「最近この辺りで『野生のバニーガール』が出るんだってよっ‼」

放課後、雨の中遅くまで「兎探し」に付き合わされた。


翌日も雨だった。

イヤホンを着けバスに乗り込み、入り口近い席を確保する。後ろの方の席は大抵、教室内でも騒がしい連中が座りたがるので近づきたくない。

ぼんやり外を眺めながら、思春期症候群について考えてみる。

パニック症状、思い込み、ストレス、精神疾患・・・

「それなら僕にも何か起こるかもね」

何を馬鹿な。大輔に毒されつつある。

下らない妄想を振り払う様に頭を振る。

ふと、違和感を感じた。

この雨のせいでバスは普段より込んでいる。停留所を通る度に人も増えている。

その割に車内が妙に静かだ。

振り返り周囲を窺う。

何だ?

いつもと変わらない光景。狭いバスの中に密集した学生。人、人、人。その口元は皆、絶えず動いている。

なのに声が聞こえない。

イヤホンを外す。

何も聞こえない。

しかし全くの無音でもなく、バスの走行音などは普通に聞こえた。

人の声だけが、世界から抜け落ちている。

音も無く這い寄る虫を連想した。気持ちが悪くなった。

立ち上がろうとした所で、バスが減速し停車する。半端な体制で踏ん張り切れず、座席に腰を落とした。

ドアが開き、学生達が次々に外へと流れ出ていく。

「君、降りなくていいの?」

運転手に言われ、僕も慌ててバスを降りた。


その後、大輔にもう一度詳しく思春期症候群について聞いてみた。けど噂以上の情報は無く、他の症例を数件聞けた程度でめぼしい情報は得られなかった。

時刻は放課後。すぐに帰ると帰宅部連中と鉢合わせるので、雨の日はそれを避けるため校内で少し時間を潰す。

黙っているのも落ち着かず、例の現象について考えながら校内をあてもなく散策していた。

身近に経験者でもいないものか。


「あのさ、人が見えなくなることってあると思うか?」


ふいに聞こえた声に、足が止まる。物理実験室、声は確かにここから聞こえた。

そっと中を伺うと二人の生徒がいる。

机にはアルコールランプやビーカーなど実験器具が並び、変な匂いもした。

部活中か?

「ていうかこの匂い・・・」

スルメ? って、なワケないだろ。

その後、物理の本を出し、光の反射、超音波がどうとかの会話が聞こえ始めた。

「やっぱりただの部活動か」

そう都合よく話が進むわけが無いと、その場を後にした。


それから数日間、この現象について自力で検証してみた。どうやら聞こえない対象は僕が「煩わしく」感じるような音だけらしい。

周囲を省みず騒ぐ集団、怒声、罵声、嘲笑。僕が不快感を感じると脳がそれを遮断している状態のようだ。

おおよそ確証が得られると、僕はこの状況をむしろ好都合と捉え、受け入れた。


「洸太、何か最近機嫌良いな?」

「そう? いつも通りだと思うけど」

それからはまるで世界が変わったような気分だった。

人ごみがほとんど苦にならない。

生活からノイズが消え、読書や勉強に集中しやすい。

一応、普段はイヤホンを付けて過ごした。

音楽を聴いていて気付かなかった、という建前を得るためだ。肩を叩くなど、直接接触してきた場合なら、スイッチを切り替えるように相手の声を拾うことも可能になった。

もはや僕はこの現象を掌握していた。


そのつもりだった。


毎日教室の隅で群がり騒ぐ連中に対しても、今の僕なら寛容になれた。青春なんて虚構を建前に時間を浪費する愚かな人種。そう思うと哀れみの感情さえ芽生える。

今日だってそうだ。

朝、登校して教室に入る。見慣れた風景。教室の隅に群がり笑いあう連中。今日は大輔も輪の中にいた。席に向かう傍ら、僕は彼らを見て小さく嗤った。

席に着いたところで気配を感じた。

視線を移すと、隣にクラスメイトが立っていた。彼も僕に負けず劣らずの不機嫌そうな顔で、何故か僕を睨んでいる。

名前、なんだっけ。確か・・・榊? 金魚のようにパクパクと口を動かしている。けど当然声は聞こえない。

多分、気づかないうちに僕が彼を無視していたのだ。面倒だけど、申し訳なさそうな顔で一言詫びれば大人しく立ち去るだろう。全く、つまらない事で時間を取らすなよ。

迂闊にも、ため息が出てしまった。

その態度が癪に障ったか、榊が肩を掴んできた。

イヤホンが外れ、胸元に垂れ下がる。

「まぁまぁ、落ち着けって」

すぐに大輔が仲裁に入る。

「洸太のヤツ、徹ゲーして寝不足なんだってよ。見ろこのぬぼーっとした顔。気づかなかっただけだって」

「・・・! ・・・・・・―ッ‼」

榊はなおも喚く。

「ほらほら試験勉強しよーぜ」

背中を押して榊を僕から遠ざける。

別に、庇ってくれなくても良かった。

僕は罪悪感なんて感じていない。榊も態度は不良だけど、普通に登校して授業も受ける良い子ちゃんだ。怒鳴るだけで、本気で殴る度胸も多分無い。放っておけばいい。

大輔がわざわざ言い訳をでっち上げてまで僕を庇うから、余計時間を取られた。イライラする。大輔も早く向こうへ行、け・・・?

「・・・?」

総毛立つという感覚を始めて体感した。

「――、――」

声が消えた。

クラスメイトだけじゃない、大輔の声も。

大輔が振り返る。僕の顔を覗きこむ。口が、動いている。

何も聞こえなかった。

「うわああぁぁっっ‼」

叫び、駆け出す。

机を薙ぎ倒し、あちこち体をぶつけながら僕は教室を飛び出した。


気付いたら、砂浜で蹲っていた。

「はぁっ、はぁ、かは・・・」

落ち着け、状況を整理しろ。

さっきのはなんだ何で急に大輔の声まで? 発症は僕が不快に感じる声だけ? 条件が違った? いやまさか、

僕が・・・あいつの事を?

そんなハズない。大輔だけは僕の友達だ。さっきだって、僕を庇って、なのに僕、はっ・・・!

独りになった僕はひたすら後悔と弁明を繰り返した。


長時間同じ姿勢でいたせいで間接が痛むが、動く気にならない。

砂を踏む足音が聞こえる。別段、驚きはない。

肩に手を置かれ、のろのろと顔を上げる。予想通り、息を切らせた大輔がいた。

「―――」

時間を置いたらと少しは期待もしたけど、そんなこともなかった。

「声、聞こえないんだ。多分僕も、『思春期症候群』」

「――、――?」

大輔には、説明しない訳にもいかないだろう。

「しばらく前から。普通の音は聞こえる。人の声だけ聞こえてないんだ」

そこまで聞くと、大輔はスマホを取り出し何か操作した。すぐに僕のポケットの中からピコンと音が鳴った。

メッセージアプリを起動する。新着がある。

『筆談は?』

あぁそうか、こんなにも簡単に伝わるんだった。バカだなぁ僕は。胸に熱いものが込み上げ、瞳から零れそうになる。

「大丈夫。読めるよ」

そして僕は、今までのことを話始めた。


「・・・だいたい、こんな感じ」

話を聞き終えた大輔は腕を組んで少し考えた後、メッセージを打ち込んだ。

『確認なんだけど』

「うん」

『洸太の思う「煩わしい」って具体的には?』

「・・・」

喋り過ぎた、と思った。

『音の大きさが基準?』

「違う」

大輔は僕のついた嘘に気づいてる。

『うるさい、じゃなくて煩わしい、って言ったよな』

「似たような意味だろ。別に他意はないよ」

それこそ、この話の核だった。

『洸太がその違いを蔑ろにするハズないだろ』

「もういいよ」

『聞きたくないんじゃない』

「うるさいっ」

『知りたくなかったんだ』

犯行を暴く探偵のように、淀みなく語る。


『拒絶してたのは多分、自分以外に向けられた言葉、じゃないか』


それでも僕は否定の言葉を探す。

「でもだって、違・・・っ、そうだ榊、あいつはハッキリ僕に向けて怒鳴ってたのに聞こえなかった!」

『他人の会話が聞こえなかったのは、自分が輪の中にいないから。榊は多分、味方じゃないって洸太が判断したから』

必死の反論もあっさり論破される。

『あと俺の時はもしかして』

無邪気に、勝ち誇った顔で。

『俺が榊達といてヤキモチでも焼いたか?』

「違・・・ッ」

詰んだ。

『本当はただ一緒に話たかったんだろ』

バレた。

終わった。嫌だ。やめろ黙れうるさい熱い笑うなっ!

首から上が痛いほど熱い。

『つまり洸太が「独りぼっち」を感じた時だな』

自分の記憶を、むしろ存在自体抹消してしまいたい。

『大丈夫』

「ッ~・・・!」

もはや声にならない。

『言ったろ。俺はお前の友達だ』

たったの一言。

熱くなった頬に冷たいものが伝った。

視界は滲み、画面の字が歪む。


「洸太って案外、寂しがりやだもんな」


スマホはもう必要なかった。


翌朝。

洗面台で鏡と睨み合う。まだ若干、目が赤い・・・かも。気がする。

教室での奇行。本音を看破、挙句の男泣き。

「・・・・・」

気まず過ぎる。

「やっぱ無理」

試験初日とか、今はどうでもいい。

部屋に引き返そうとしたところで、スマホがメッセージの新着を告げる。

『待ってるぞ』


今日は晴れたので、自転車で登校した。

駐輪場に自転車を止め教室に向かう。ドアを開く寸前、躊躇する。

大丈夫、脈が早いのは自転車で少し飛ばし過ぎただけだ。

意を決してドアを開く。

顔を見るなり、榊が詰め寄ってくる。

当然昨日の続きだろう。

「おい洸太っ!」

落ち着け。まずはここが出発点だ。

「昨日は、」

肩を力強く掴まれる。躊躇っている間に先を越されてしまった。

「数学教えろっ」

・・・何故?

「俺今マジで焦ってんだよ助けてくれ」

僕も今マジ焦ってるタスケテ。

予定外の展開に慌てた。

「洸太ー、俺にも頼むわ」

ばしっと、背中を叩かれよろめく。大輔だ。

榊に手を引かれ、大輔に背を押されて連行される。

背中から小さく声がした。

「大丈夫って言っただろ」

肩の力を抜く。呼吸を一つして、呼びとめる。

「榊」

「あ?」

榊が振り返る。

「昨日はごめん」

他人に頭を下げる。以前の僕には考えられない行為だ。

「昨日・・・何だっけ?」

「気にしないで。こっちの話。それからもう一つ」

「何だよ」

「僕と友達になってくれ」

僕は久しぶりに、笑って、笑われた。



その日の試験中。


「お前ら、よく聞け―っ!」


グラウンドから校舎に向かって叫ぶ一人の男子生徒がいた。

「あーいうのを、青春って言うんだろうなぁ」

僕では到底、敵わない。


全校生徒が指を差して笑う中。僕は少しだけ、彼を羨ましく思った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

嘘吐き天邪鬼は青春ブタ野郎に憧れない @hkasasagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ