94 魔法の森で暮らしている魔法使いのお話 その三 禁断の果実


 魔法学校の正門までくると、メテオラとニコラスはアネットと別れた。アネットはわざわざ正門まで二人を見送りにきてくれたのだ。

「メテオラくん。ニコラスくん。私はお二人に出会って勇気をもらいました。初めて一歩を踏み出す勇気をもらったんです。私は確かにメテオラくんとニコラスくんから大切な勇気を受け取りました。自分の秘密を友達に打ち明けるという勇気を、そして、その大切な友達の存在をしっかりと受け止めるという勇気を、です。……ありがとう。いつか必ずこのお礼はしたいと思っています。そのときは恥ずかしがらずに、きちんと私の思いを受け止めてくださいね」

 アネットはそれだけ言って、急いで魔法学校の中に一人で戻って行ってしまった。

 メテオラとニコラスはアネットが突然、そんなことを言って、なんだか門のところで呆然としてしまった。

 メテオラは魔法学校の中庭を歩いているときも、年老いた門を通って、森の小道を歩いているときも、ニコラスと大きな岩のある分かれ道で別れたあとも、そのアネットの言葉の意味を考えていた。

 でも、一向に理解することができない。

 だからそれがとても気になっていた。僕とニコラスがアネットに勇気を与え、そのことでアネットが僕たちに感謝をしている?

 ……わからない。もしかしたらそれはメテオラにとって魔法樹の謎よりも大きな、今日一番の謎なのかもしれなかった……。


 魔法の森で暮らしている魔法使いのお話 その三 恋する天才魔法使い マーガレット


 禁断の果実


 この世界から、消えてしまったもの。


 メテオラがマーガレットさんと出会ったのは、本当に偶然の出来事だった。でも、それはある時期から振り返って考えてみると、二人の出会いはただの偶然ではなくて、必然であり、それはつまり、『運命の出会い』だったのかもしれないと、そんなことを夜眠る前にふと魔法の森からいなくなってしまった、……人間になってしまった、マーガレットさんのことを思い出して、メテオラはときどき、考えることがあった。

 人間の国に行ってしまったマーガレットさんは今頃、どうしているんでしょう?

 ……マーガレットさんは、(その望み通りに)人間になって、幸せになれたのかな?

 そんなことを考えると、なんだか思考がぐるぐると同じところを回転してしまって、うまく眠ることができなくなった。

「……メテオラくん。恋ってなんでしょうね? 恋って、どんな気持ちなのか、……メテオラくんにはわかりますか?」 

 ずっとなにかの問題に悩んでいる顔をしていたマーガレットさんは、メテオラの横で、そんなことをメテオラに言った。

 二人は大きな秋の色に染まった赤と黄色の落葉樹の根元に一緒に並んで座っている。

 そこで、涼しくなった秋の風を感じながら、ただ、ぼんやりと、透き通るような気持ちのいい青色の魔法の森の空の風景を眺めていた。

 マーガレットさんはその大きな黒色の瞳の上に銀色のメガネをかけている。その眼鏡の奥の大きな黒い瞳は、潤み、視線はどこかとても遠いところに向けられていた。いつもの、あらゆる真実や真理を見通しているような、マーガレットさんの透き通るような、あるいは少し攻撃的でさえあるような、そんな学問の果てを追求するような、メテオラの大好きな瞳はなかった。天才的な頭脳を持つ、『魔法の森の知恵の泉』と呼ばれている(どんな問題も、相談すれば、相応の対価と一緒に解決してくれる)マーガレットさんの瞳は、ぼんやりとしていて、このときは、どこかとても弱々しくみえた。

「わかりません。……言葉としては、一応、理解できるのですけど」と少しだけ困った顔をして、メテオラは言う。(そのときメテオラは、ある一人の女の子のことを、そのぼさぼさな髪の毛をした、小さな頭の中に思い浮かべていた)

「私ね、実は、恋をしているです」

 ……はぁー、と本当にため息をつきながらマーガレットさんは言った。

 マーガレットさんは大きな木の幹の根元で、体育座りをしていたのだけど、さらにぎゅっと、まるで自分自身を抱きしめるようにして、小さく、丸くなるようにして、少しの間、そのままの姿勢でじっとしていた。

「普通の恋じゃありません。禁断の恋。決してしてはいけない恋を、です」

 そう言って、マーガレットさんは顔をあげると、メテオラを見て、とても悲しそうな顔で、……にっこりと笑った。

「……マーガレットさん」

 メテオラは、(マーガレットさんの名前を呼ぶこと以外は)なにもいうことができなかった。

 メテオラはマーガレットさんに、周囲の人たちを自然に照らし出すような、いつものように本当に明るい太陽のような笑顔で笑って欲しいと思った。でも、どうすれば、そんなことができるのか、今のメテオラには、なにも、……本当になにも、わからなかった。

 その日、メテオラは結局、マーガレットさんになにも言うことができないまま、「じゃあ、私はそろそろ帰りますね。話を聞いてくれてありがとう。メテオラくん」とマーガレットさんが言って、マーガレットさんとその場所でさよならをした。

 マーガレットさんが恋をした人間の男の人と一緒に、魔法の森を抜け出したのは、それから一週間後のことだった。

 その森を抜け出す、最後の夜の時間に、マーガレットさんはメテオラの家を訪れた。

 とんとん、と玄関の扉をノックする音が聞こえる。

「はい。どなたですか?」

 メテオラは言う。

「私です。マーガレットです。メテオラくん。こんなに遅い時間ですけど、少しだけ家の中でお話をさせてもらってもいいですか?」

 その声は間違いなくマーガレットさんの声だった。でもなぜか、その声は、いつものマーガレットさんとは、どこか違っているように、メテオラには聞こえた。

「もちろんです。どうぞ」とメテオラは言って玄関の扉を開けた。 

 すると、そこにはマーガレットさんが立っていた。

 その少し恥ずかしそうな顔をしながら、夜の暗闇の中に一人で立っているマーガレットさんの姿を見て、……メテオラはすごく驚いた。

 なぜならそのとき、マーガレットさんはもう、魔法使いではなくて、『禁断の果実の力を使って、一人の人間の女性になっていた』からだった。

「こんばんは、メテオラくん」

 顔を赤く染めながら、人間になったマーガレットさんは、呆然とした顔をしているメテオラにそう言って、小さく、にっこりと笑った。(メテオラが人間の女性を、絵や写真ではなくて、自分の目で直に見るのは、このときが産まれて初めてのことだった)

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