カゴノトリ

三条 かおり

第1話

「川原爽平さん。年齢は31歳で、今まで紹介してきた方の中では一番若いけど、篠部さんに合いそうな、落ち着いた方ですよ」

篠部夏子を担当するコンサルタントの遊川は、川原爽平の写真とプロフィールを見せながら夏子をちらりと見た。夏子は肩ほどの黒髪を片耳にかけながら、「優しそうな方ですね」と、いつもの言葉をいつもの綺麗な微笑みでいつものように感じよく発した。

1年半ほどの付き合いになるが、初めて会ったときと現在とで、夏子から受ける印象は変わらなかった。少し大人しいが感じがよく、怒った姿を少しも想像もできない、いつも柔らかく笑みをたたえた彼女は、その清楚な美しさも相まって、聖母マリアか何かだろうかと当時の遊川は思った。恋愛経験もなく、積極的な性格では無いから結婚相談所を訪れたと話す夏子と最初に会ったとき「この方ならすぐに、良いお相手が見つかるに違いない」と遊川は直感した。

しかし、予想に反してその相手はすぐには見つからなかった。しかもそれは、例外なく向こうからのお断りに終わってしまう。夏子は、遊川の紹介した人物に対して、1つも批判めいたことを口にしたことはない。相手も、初回の面会では必ず好印象を受けた様子で2度目の面会を申し込んでくる。夏子も快く了承し、仮交際には発展する。しかし、1か月、2か月するとその交際は向こう側の申し出により終了となってしまうのだ。

もちろん、コンサルタント同士で情報交換をし、交際終了の理由は毎回聞いている。そしてどれも、理由は概ね同じようなものだった。少し大人しいが感じがよく、初めはそれを魅力的に思った。しかし、一向に打ち解けられないような雰囲気にだんだんと息苦しい感じを受けるようになってくる。「感じのよさ」以上の彼女が見えてこない、というものだった。

そして程なくして、数々の相手が訴えた息苦しさを遊川も肌で感じることとなる。初めて会ったときと現在とで、夏子から受ける印象は、全く、変わらなかった。彼女の湛える微笑みは、かつて聖母かと見惚れたそれと寸分も違わぬもので、そのために甚だしい違和感を突きつける。苛立つ自分に気づくのである。「長い間、親身になって関わってきた私」に対して、この人は「心を開くべき」だと。

コンサルタントと会員という、仕事上の付き合い以上のものはない。しかし結婚という人生における重大な分岐点を共に歩むパートナーとして、時には突っ込んだ話をし、時には叱咤激励し、彼女に語りかけ、彼女もまた答えを返してきた。カウンセリングの時間以外でも彼女のことを頭に浮かべ、資料に目を通しながら、最適と思われる人物を探し出し紹介するのである。関係は蓄積しているはずだ。少しは親しげに、他愛のないことを話しかけてくることがあっても良いだろう。少しは、担当コンサルタントその人に興味を持ったかのように、例えばこの仕事に就いた理由など問うてきても良いだろう。それなのに彼女はといえば、挨拶、誠実な受け答え、世話になっていることへの感謝の言葉だけを律儀に声にして渡してくる。十分に「感じの良い」それは、しかし、次第に遊川に物足りなさを感じさせる。相手方たちも、同じように息詰まる思いだったのだろう。

「100%の相性などあり得ません。お相手を知り、自分を知り、お互いに歩み寄るんです。それは妥協とは違います。お相手を尊重し受け入れるためには、またお相手に尊重され受け入れられるためには、自らを変える努力も必要になりますよ」

「そうですよね。すみません、良くしていただいているのに」

「お相手の方と親しくなるためには、篠部さんの場合、感じよくいようとしなくて良いですよ。何でも良いんです。お相手の方について気になったことを質問したり、受け答えは率直にご自分の価値観をお話ししたりすれば良いんです」

夏子は、分かりました、と困ったように微笑んだ。


川原爽平は、7人目の相手だった。夏子の過剰に消極的ともいえる性格を鑑み、今まで紹介してきたのは、リードできる強さと寛容さを持った30代後半以上の落ち着いた男性であり、相手もまた、物静かな女性を求める人ばかりであった。しかし、彼らにとっても夏子はいささか大人しすぎるようだった。

川原のコンサルタントは、同期入社の松本で、ある日「とても感じの良い方だけれど、少し極端なところがあってなかなかご縁に恵まれない」という、遊川が夏子に抱いていた悩みと同じものをこぼしてきた。聞けば、年齢は夏子の2つ上で、やはりどこか夏子と似た印象を受ける男だった。川原は、松本いわく、穏やかで相手のペースを大事にする人間だという。夏子のペースに合わせると何一つ先へ進むとも思えず、遊川は初めは乗り気ではなかった。ただ、その頃丁度、6人目の相手からの仮交際中止の連絡を受けたばかりで、方向性に自信を失いかけていたために、新たな試みをしてみても良いだろうと2人を引き合わせる決断をした。

「篠部さん、結婚後は仕事を続けても辞めても、どちらでも構わないとのことでしたよね」

「はい」

「川原さんというお方は、結婚後は絶対に、家庭に入って欲しいという考えをお持ちの方です。それだけは譲ることができないとのことです」

そう伝えながら、遊川の頭の中には、松本から聞いた話が引っかかっていた。

ー川原さんのそのこだわりはあまりに強くて私もどうかと思うのだけど、彼はご両親と妹さんを中学生の時に事故で亡くされて、祖父母に育てられたのよ。ただその祖父母も4年前に亡くされて……失うことを恐れていらっしゃるというか。邪推だけど。だから私も、専業主婦願望の強い女性の方をご紹介してきたのだけど、どの方にもお断りされてしまって。そのうちの一人の方がおっしゃったのが、川原さんは感じの良い方だけれど、妻を籠の鳥にしたがっているような感じがする、って……ー

さすがにそれを夏子に伝えるわけにはいかないが、夏子なら本当に籠の鳥になれてしまうような気がした。この2人を引き合わせるのを躊躇った理由のもう一つはそれであった。


その後、仮交際に至った2人から成婚退会の申し出があったのは3か月経った頃であった。ゆったりとした雰囲気の川原の隣で微笑み、お礼の言葉を丁寧に述べる夏子に祝いの言葉を渡しながら遊川は、夏子は籠の鳥になりたかったのかもしれない、とぼんやり考えていた。

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