16-2 それはもはや愛じゃない
無数の星と、細い三日月の下。
やけに高い崖の縁に立ち、眼前に広がる荒野を見渡す。
目的地は正面。
歪でいかにもダンジョン風な塔と、その周りにいくつも浮かぶ禍々しい色の巨大な岩。まるでシャボン玉のような、透明な半球体の膜がそれらすべてを覆っている。巨大なシェルターのようにも見える。
俺はまず右を向いた。二人の女性が横に並んでいる。
手前にいるのはアサギ。四十代くらいの女性で、勇ましい顔つき。目は茶色で、長い黒髪をポニーテールにしている。女勇者というフレーズが似合うライトアーマーを装備。
その奥にいるのはケイ。歳は俺と近い。肩まで伸ばした明るいピンク色の髪をサイドテールにした、ふっつーの顔立ちの少女で、目は灰色を混ぜた緑色。人間バージョンのタガナと似たような狩人ふうの服。
俺は今度は左を見た。
わずかに癖のある、あせた色の金髪を肩まで伸ばした少女が一人。歳は十六。顔はそこそこ整っているのだが、目つきの悪い三白眼と前髪の真ん中がくるっとカールしている方が印象強い。服装は中世の村人ふうで、上は動きやすそうなベスト、下はショートスカート。但しその下に短パンを履いていることを俺は知っている。
それから俺は真下を見た。いつもと違って、自分の足元がまったく見えない。
「ふふっ……あははっ……」
後ろではフィルが声を抑えて笑ってる。というかさっきからずっと笑ってる。
見なくてもわかるが、フィルの隣にいるヘルは、地球には無い最先端のカメラを構えていることだろう。
驚くなかれ。
実は、この場に〝男〟は一人もいない。
――そう。今の俺は女だ。女になっている。
つまりエルナと同じ。見た目も服装も同じ。真下を見ると、白いワイシャツの間から邪魔でしかないでっけー胸が見えるのだ。
ついでに。目つきでわかるだろうが、俺の左にいるのが女体化した矢鏡である。
「あの膜が結界です。どこからでも中に入れますが、触れた瞬間に敵に察知されます」
黒髪女性が真面目な口調で言った。
俺はいつもより高い声で、わかった、と返した。
それから、心の中でしみじみ思う。
エルナ、逃げたくても逃げられない時は……諦めるしかないよな……
事の始まりは一日前。
アサギとケイの二人と初めて会った時のことだ。
**
「はぁい、この間ぶりですね」
朝飯後、玄関のドアがノックされ、開けてみればそこにはヘルが立っていた。
「……ヘル? なんでここに……あ、そうか。合流する相手ってヘルだったのか」
後ろに下がりつつ納得すれば、薄く笑うヘルはドアを閉めながら中に入り、
「ざーんねん。違いますよ華月」
「え? じゃあ、遊びにきた……とか?」
眉をひそめて首を傾げると、リビングに立っていたフィルがにこっと笑い、片手を上げてひらひら振る。
「やぁヘル。グレイヴァの仕事は終わったのかい?」
「はい、まぁ、強制終了なんですが。
内容までは知られていないはずですけど、魔界で噂をばらまいていたことがシンにバレてしまいましてね。グレイヴァはやさーしく叱られて、生まれた世界に戻されたんです。今頃は大人しく旅をしているはずですよ。
因みにわたしはソッコーでとんずらしたので、叱られずにすんだというわけです」
「なるほど。それで暇になったから来たんだね。この前はあんまり話も出来なかったし」
「そう! そうなんですよ! さすがフィル、わかってしまいましたか。
だってわたしと同じ地球生まれなんですよ、華月は。しかも過去の、それも日本!
そりゃあもういろいろと話をしたいじゃないですか。
――あ、でも。誤解しないでくださいね。ちゃんとシンに言って、任務として来ましたので」
「……任務?」
ソファーに腰かける矢鏡が興味ありげにこちらを見やる。
ヘルはドヤ顔を浮かべると、ふっふっふ、と笑い、
「華月はまだ〝転移〟が使えないでしょう? なので、しばらくわたしが移動手段、及び補佐としてご一緒する、という形にしました。シンの手間も省けて一石二鳥です。
これでたっくさーん話が出来ますね、華月♪」
嬉しそうに言いながら、俺の手を取ってぶんぶん振る。それからパッと離し、
「さて、挨拶はこのくらいにして。
今回の任務の話は聞いています。ノックをする前に、この家の正確な位置を彼らに教えておいたので、間も無く到着するはずですよ」
「そう。それなら、外で待ってようか」
フィルの提案に同意して、ささっと仕度を済ませて全員で外に出る。
雲は多いが良い天気。風はちょっと冷たいくらい。なので、俺は母特製ラッキー半袖ティーシャツ(これしかない)だが、矢鏡は長袖ワイシャツに変わっている。フィルはもともと長袖の、いつもと同じ僧侶服。
周りに広がる紅葉真っただ中の森には、赤や黄やオレンジやピンクや白の葉っぱ(色多い)が散らばっている。ところどころにでかい隙間が空いているのと、二、三本木が折れているのは俺のせい。わざとじゃないぜ。素振りしただけなんだぜ。
少しだけ家から離れたところに、思い思いの場所に立つ俺たち。因みに俺は正面方向(方角でいうなら東)で、ヘルは北、矢鏡とフィルはちょい南寄り。
「で、誰が来るんだ?」
「すぐにわかりますよ」
淡々とした矢鏡の問いを受け流し、ヘルは北をじーっと見つめた。
俺も同じ方を見る。
そして、それはやってきた。
「ふぃぃぃぃるぅぅぅぅぅぅぅぅっ♡」
ピンクの塊が視界の端に映る。
ロケットのごとく飛来してきたそれは、ヘルの横を抜け、フィルにまっすぐ向かい――即座に避けたフィルの残像を通り過ぎ、その先にあるでかい木の幹に顔から突っ込んだ。ドガゴォン、と派手な音を立てつつ、でかい木を始め直線状に並んだ木々をなぎ倒して土煙を上げる。
見間違いでなければ、それは人間で、しかも少女だったと思う。だいぶ離れたところから飛び込んできたようだ。
『…………』
茫然と土煙を見つめる俺と、困惑したような矢鏡。ヘルは普段通りの口だけ笑み。
矢鏡の後ろに隠れたフィルは、嫌そうな顔で盛大に溜め息を吐いた。
「よ……避けるなんてひどーい!」
一分後くらいに土煙が収まって、倒れた木々をどけながら立ち上がった傷だらけの少女は、不服そうに叫んだ。
歳は俺と同じか、ちょい下くらい。明るいピンクの髪をサイドテールにし、狩人ふうの恰好をした、元気はつらつ、ということばが似合うタイプの少女だ。
少女は涙目でうーうー唸り、体をはたいてホコリを落とす。
「久しぶりなのにぃ……」
「あんな速度で突っ込まれたら、普通避けると思うぞ」
少女が飛んできた方から、渋いおじさんの呆れた声。
再び北を見れば、四十代くらいの男性が小走りで向かって来ている。羨ましいほどの上腕二頭筋に、たくましい体付き。イケメンではないがかっこいいタイプの人で、茶色の眼はキリッとしてるし、黒髪はツンツン尖っている感じ。バスタードソードを背負い、勇者の見本のような恰好をしている。
おじさんは俺と目が合うと感極まった顔になり、スピードアップして俺の前で足を止めて――なんと、跪いた。
「え」
「シンから聞いてはおりましたが……よくぞご無事で……」
驚く俺に、おじさんは涙を流して言った。それから乱暴に涙をぬぐうと立ち上がり、渋い笑みを浮かべてみせる。
「初対面でありながら失礼しました。エルナ殿が行方不明になってから、再びお会い出来る日を心待ちにしていたもので……つい……
あなた様の話は聞いております。まずはご挨拶からしたいところですが――その前にあちらを止めましょう」
言って左の方に目を向ける。
確かに、さっきから横がギャーギャー騒がしい。
俺もそちらに視線を移し――
「ちょっと! あたしのフィルから離れてよ! いつもいつも邪魔して!
愛しのフィールー♡ 会いたかったー♡ そんな奴の後ろに隠れてないで、熱い抱擁を交わそうよー♡」
矢鏡には吠えて突っかかり、フィルにはデレッデレな態度で両手を広げる少女。なぜかわからんが、自分からフィルに近付いていこうとはしない。
それに対しフィルは、無表情だがうんざりオーラ全開の矢鏡を盾として使い、
「抱擁なんてしない。近寄らないで、ケイ」
眉間にしわをよせ、すげー冷淡に返した。
しかし少女(ケイという名前らしい)はへこたれることなく、むしろ振り撒くハートを増幅させて、
「あぁかわいい♡ そっけないフィルもすっごくかわいい♡
――じゃあさ、抱擁は諦めるから、怪我治して♡ ほら、傷だらけでしょ?」
「知らない。アサギに頼んで」
「やだぁーっ! フィルがいいーっ!」
子どものように地団太を踏むケイ。俺とヘルのことは視界に入ってないらしい。
つーか……かっこいいじゃなくてかわいいって言ってる……
俺の後ろにいたおじさん(多分アサギという名前)が前に歩み出て、ケイの首根っこを掴んで叱りつける。
「こらケイ! フィルに迷惑をかけるなといつも言っているだろ!」
「迷惑じゃないもん。だってあたしたちは愛し合ってるんだよ。
ね、フィル♡ そうでしょ?」
幸せそうににっこり笑うケイを、フィルは人を殺しそうな目で見返した。こわっ。
アサギは呆れた口調でフィルを手で差し、
「そう思っているのはお前だけだ。あの顔をよく見ろ」
「かわいい♡」
「…………いいか、ケイ。これも何度も言っているが、いい加減現実を見てくれ。
その……お前はフィルに……」
「いいよアサギ、言わなくて。どうせ色ボケたケイの頭には届かない」
溜め息混じりで言って、アサギ(仲間には『さん』とか『くん』とかいらないって矢鏡に言われた)だけに微笑むフィル。
「それより任務内容を教えてくれる? 早く向かわないといけないし、君たちも別の任務があるだろう?」
要約すると、さっさと用事を済ませて帰れ、ということか。
どうやらフィルは彼女のことが嫌いらしい。センリとどっちが上なんかな。
「そ、それがその……」
アサギは苦笑いを浮かべ、とても言いにくそうに。
「近隣の国から多くの人間が攫われているんだ。確実に三十人は超えてる。だからフィルたちに協力するようシンから……」
「ディルス、通信機。シン呼んで」
アサギのセリフを遮り、フィルは低い声音で端的に命令。
意外にも矢鏡は大人しく従い、現した通信機を差し出した。それを受け取ると反転し、口元に持っていき、手を当てて小声で話す。
「やぁシン。率直に聞くけど僕のこと嫌い? 何か気に障ることしたかな?
――そんなことない? …………あぁうん……そうだね……今は人手が無いからね…………いいよわかった……」
やり取りを終え、通信を切ったフィルは小さく溜め息を吐いた。
「一緒にがんばろーね、フィル♡」
心底嬉しそうなケイを無視し、通信機を矢鏡に返す。
うーむ……なんだろ……なんか違和感っつーか……デジャブが……
考えて、やっと気付いた。
そうだ、似てるんだ。矢鏡のねーちゃんと。
だからフィルに眞嚮さんをなんとかしてくれって頼んだ時、『ああいう人とは関わりたくない』って言ったのか。似ているケイを知ってるから。
あの時はごめん、お互い大変だな、という想いを込めて見ていると、アサギの手を振り払ったケイが、距離を開けたまま矢鏡を回り込み、フィルの正面――ヘルの前に移動した。
チャンス、とばかりにそーっと離れる矢鏡。
慌ててケイの元まで駆け出すアサギ。
「ねぇフィル♡」
照れたように笑うケイに、フィルがジト目を向け。
「ちゅーしよう♡ ちゅー♡」
そのことばが登場した途端。
アサギは足を止めて顔を青ざめた。
フィルはゆっくり額に片手を当てて項垂れた。
矢鏡とヘルは変わらず。
「転生した先でね、教えてもらったの。愛する者同士がすることなんだって♡
だからちゅーしよう♡」
「…………しない」
絞り出したような声を受け流し、いいじゃんしようよ、ちゅーしよう、と何度も何度もねだる彼女。
殺気とか怒気とかは出してないが、フィルのストレスゲージが段々と溜まっていることに気付いているのは、きっと俺だけじゃないだろう。
うんまぁ、わかるよフィル。今の俺にはわかる。
フィルとケイのことには俺は関係ないから少し悩んだけど……
困ってるのもわかるから、さすがにちょっとは手を貸そう。
そう決めて、二人の間に入ろうとした瞬間。
「華月、ちょっといい?」
片手は顔に当てたまま、逆の手で手招きをするフィル。
やっぱ助けてほしいんだな、と小走りで近付いて――
唐突に、シャツの左襟を引っ張られた。
服伸びそう、と思った時には、フィルの茶髪が目の前にあった。
そして――
ガブッ
……?
…………噛んだ……? 噛まれた?
え……?
左肩痛い…………超痛い……
ぶちっていった……血出てない……?
…………??
なんで……?
??
???
* * *
「華月。華月。かづ…………ダメだ。聞こえてない」
微動だにしない華月の肩を揺さぶる手を止めて、矢鏡はじわりと血のにじむ歯形にガーゼを押し当て、隣に佇む犯人にジト目を向けた。
「いきなり何てことするんだお前……」
フィルはちらりと見返して、血の付いた口元を指で拭う。それからにっこり笑い、周りを見回した。
「やっと静かになった」
先程まで騒がしかったケイはショックで固まり、アサギは顔を赤くして狼狽えている。
ヘルは表情こそ変わらないものの、
「お、おぉー……積極的ですねー、フィル。びっくりしました」
意外だったらしく声には困惑が含まれている。
「けど、なぜ噛んだんです?」
「え? だって、接吻ってこうすることだろ?」
『…………』
不思議そうに答えたフィルに、矢鏡とヘルとアサギは顔を見合わせた。
三人の反応から、自分の知識が間違っていたことには気付いたが、
「まぁ、静かになったからいいや」
結果良ければ、と気にしないことにした。それからアサギに目を向けて、
「さて、詳しく話を聞こうか。華月には後で説明するから」
「あ、あぁ……わかった」
アサギは戸惑いながらも首を縦に振り、
「その前に華月を治療してやれよ……」
矢鏡は呆れた様子で呟いた。
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