16 ヒロイン大集合
16-1 俺にだって悩みはある
岩が砕ける。
地面が割れる。
空気が裂ける。
「くっ……!」
右から飛び来た巨大な斬撃を避け、視線を巡らせる。右手で握った剣に力を込めた。
奴の姿は未だ見えない。どの方角にいるかもはっきりしない。
周囲に広がる石造りの町が、見事に俺の視界を遮っている。
だが斬撃は建物を易々と切り裂き、四方八方から無遠慮にやってくる。俺の眼ですらギリギリでしか捉えられないそれは、防いだところを、避けたところを、逃げたところを追ってくる。次が飛んでくるまでに、三から五秒ほど間が空くのがせめてもの救い。
宙に跳び上がれば奴を探し出せるかもしれないが、この状況でやったところで斬撃の餌食になるだけだ。
「目に頼りすぎね」
ふと、声が聞こえた。
それが終わりの合図となった。
俺は息をのみ、視線を落とした。
自分の胸から長い刃が突き出ている。背中から心臓を一突きだ。
俺は堪らず膝をつき、背後に首を回した。
すぐそこに、片手で剣を握る彼女がいる。彼女は長い髪をなびかせて、楽しそうに微笑んだ。
「これで百回目よ、死ぬの」
「……何度やっても慣れないな、これ。ほんっと心臓に悪い」
剣が抜かれたことを確認して、立ち上がりながら振り返る。胸に穴は開いているが、血が噴き出ることはなく、回復を使わずとも傷はすぐに塞がった。ついでに服の穴も塞がった。
無論、現実ではありえない。
「嫌なら強くなればいいのよ。私より、ね」
剣を消したエルナが腕を組む。
精神世界の中、エルナのいるこの空間はエルナの意思で変えられるらしい。広さも形も自由自在。うろ覚えでも曖昧でも、思い浮かべるだけで草原にも荒野にも町にもなるし、剣や刀といった道具も生み出せる。無生物限定ではあるが。
初めて会ったあの日、エルナは言った。
『教えると言っても、言葉で説明なんて私には出来ないわ。だから実践で覚えなさい。
〝あなた〟は〝私〟なんだから、それで十分でしょう』
それからここに来る度に、エルナの用意した舞台で、エルナの考えたやり方で戦っている。
武器も建物もあくまで想像された〝形〟だけのものなので、本物と同じにしか見えないけど実体の無い偽物だ。体も同じ。だから傷を負った感覚はあっても、痛みはないし血も出ないし死にもしない。
因みに一戦目、二秒で俺は生首にされた。超絶びっくりした。すぐに元に戻ったけど、マジで死んだと思った。
俺は盛大に溜め息を吐き、
「百戦全敗か……まだ少しも近づけてる気がしないな。つーか速すぎて見えないんだけど、マジで。やっぱエルナ超つえーな」
「当たり前じゃない。強くなければ護れないもの」
エルナはいつもの不敵な笑みを浮かべた。
「でも華月、落ち込むことはないわよ。むしろ喜びなさい。
華月が頼んできたから参式まで使ってみたけど、まさかすべて躱されるなんてね。途中から手を抜くのやめようかと思ったわ。この私の斬撃にかすりもしないなんて、リンにしか出来なかったことよ。
――さすが私の未来ね」
楽しげに笑いながら、ばっしばっしと俺の背中を叩く。
「いてぇいてぇ! ……ったく、斬られても痛くないのに、なんで叩かれると痛いんだよ」
「さぁ、なんでかしらね?」
最後に頭をわしゃわしゃ撫でて、エルナは踊るようにくるっと回った。
俺はぼさぼさにされた髪を直しつつ、
「で? 今の技はなんて名前?」
「参式、一の迅『
言われた瞬間、文字ごと頭に入ってくる。エルナとなら、こうやって情報共有が出来るのである。便利システムばんざーい。
「おぉ、それは覚えやすいな。今までのはむずかしい名前ばっかりだったし。
そういえば、技名ってエルナが付けたのか?」
問えばエルナは胸を反らし、
「この私がそんなややこしいことばを知っているわけないじゃない。名付けたのはヘルよ。
言われるまで気付かなかったんだけど、私の剣技にもいくつか型があったの。それで、技名が付いていた方がかっこいいからって、強引に覚えさせられたのよ。大変だったわ」
「あー、だから漢字なのか。それも中二病が付けそうなややこしいやつ」
「ちゅう……にびょう?
……華月も知らないことばをよく使うわよね。私と同じで勉強嫌いなはずなのに、いろいろ知ってて偉いと思うわ」
「エルナが知らなすぎなだけじゃね? 試練とか光線とかも知らなかったもんな」
「勉強なんて私には必要なかったんだから仕方ないでしょ。それに華月が覚えたことは、少しだけなら知識として入ってくるからいいじゃない。全部覚えるのは無理だけど」
「胸張って言うなよ……」
「そんなことより!」
ビッと俺の鼻に指を突き付ける。話逸らしたな……まぁいいけど。
「華月。あなたはもっと気を張りなさい」
「気を……張る? 緊張しろってこと?」
「気配を捉えろってことよ。
目がいいから頼るのも仕方ないけど、それじゃダメ。それだと遅い。
だから、参式を覚える前にその特訓をしましょう」
言い終わると同時に、周囲の街並みが瞬く間に消えて、地面があるだけの白一色の空間へと変わる。
それからエルナは細長く黒い布を現し、
「目を閉じて。動かないでね」
指示通りにする俺の目に、包帯のごとく巻き付ける。最後にきゅっと縛って、俺の手から剣を取り上げた。
「まずは……そうね、てきとーに壁を作って、ぶつからないように私のところまで歩いて来てもらう――ってのはどう?」
「また思いつき?」
「だって教え方なんてわからないもの。いろいろ試してみるしかないでしょ」
エルナの声が遠ざかっていく。
「でも、これは簡単すぎるかしら?」
「あー……」
俺は少し考え、それから歩き出した。
エルナの声がしたのは前方左寄り。
そしてほんのちょっと意識すれば、周りに何かがあるのがなんとなくわかる。それらをひょいひょい避け続ければ、
「うん、簡単だったな」
エルナの前(多分)で足を止めて言うと、
「やっぱり? うーん……それじゃあ……」
目の前で悩む声が聞こえた。俺は心の中でガッツポーズ。
簡単、と言いながら間違ってたら相当恥ずかしいからな。いや自信はあったんだけどさ。
エルナはしばし、うーんうーん、と唸り、
「実戦するのはさすがに早いし……」
「あーうん、それはソッコーで負ける気しかしない。見える状態でもやっとまともに戦えるようになったとこだし。それも手加減ありで」
「本気を出すのはまだまだ先でしょうね。
とりあえず、この特訓を終わらせないと……」
言って、一秒後にぽんっと手を打つ。
「よし、こうしましょう。
私は離れたところからナイフを投げるから、華月は避けるか受け止めなさい。但し、この場からは動かないように。体の向きも出来るだけ変えないこと。
それで、少しずつナイフを投げる速さを上げていって、それが出来たらナイフの量を増やして、それも慣れたら実戦に移るってことで」
「わかった。よろしく、エルナ」
エルナがいるだろう方向に笑いかける。
しかしエルナの足音は真後ろから聞こえた。
いつの間に……さすがエルナ。
難易度調整のためだろう。いつもは足音なんてまったくしないのに、今は確かに聞こえる。
足音は俺から三十メートル以上離れた位置を、俺を中心に円を描くように時計回りに回る。
俺はいつでも反応出来るように、両腕をだらりと下げ、軽く力を抜いた。
それから間もなく。
一本目は空を切る音とともに、真正面から向かってきた。だから避けるのは簡単だった。
二本目は無音で、右から飛んできた。うっすらと飛んでくるなにか(ナイフなのはわかってるけど)を感じて避けたが、首を掠った。
うわー……マジか……思ったよりむずいなこれ……
「まだゆっくり投げてるのに……すでにぎりぎり? まだ華月には早かったかしら」
「い……いや、大丈夫。続けよう」
頭を振って応えると、一度止まった足音が再び動き出した。
三本目はまた正面から、狙いは腰。足を半歩引いて最小限の動きで躱す。
さて、次は何秒後に来るか……
「華月」
「ん?」
「無言だと私がつまらないから、話しながらにしましょう」
「あぁ、いいけどぅっ!」
左からのどにぶすっと刺さった。痛くはないけどマジビビる!
「気を抜かないの」
慌ててナイフを抜き捨てる俺に、呆れたような注意が飛んでくる。傷はすぐに塞がった。
エルナは歩みを止めることなく、いつも通りの明るい声で話す。
「で、今のうちに言っておくけど。
次の任務はすこーし覚悟して行った方がいいわよ」
「なんで? 強いってこと?」
「そんなんじゃないわ。というか、私たちより強いのなんてリンくらいよ。あと、それだけなら覚悟してーなんて言わない」
今度のナイフは右後ろから肩目掛けて。おじぎで避ける。
「えーっと……まずは基本的な話ね。
どういう任務にどの人を向かわせるか、シンはしっかり考えて決めているの。危なくないように、ぎりぎりにならないように、死なないように」
次は正面から頭に。首を傾げて避ける。
「だから救援要請って〝よっぽど〟なの。シンが予想出来なかった何かがあったってこと」
「それ、やっぱ敵が強いってことじゃないの? いや、俺たちよりは弱いかもだけど」
「そういう時もあるけど、次の任務は違うわよ。
シンが『詳しく教えてもらえなかった』って言ってたでしょ?」
次は左から左膝に。一歩前に出て避け、その後一歩下がる。
俺は五秒ほど考えて、なんとかそのセリフを思い出す。
「あぁ、言ってたな」
「実はね、主護者だけのルールってのがあるのよ。頭の良い人たちが決めたやつ。
その中の一つに、任務先で『こどもによくないもの』があったら、詳しく報告してはいけないっていうのがあるの。
それがどういうものか私にはわからないから、そのあたりの話は全部ディルスに任せていたんだけど……とりあえず、嫌な気持ちになるようなものとか、気持ち悪いものを見た時は報告していなかったと思うわ。だから多分、そういうのがよくないものなんでしょうね」
次はまた左から首に。再びおじぎで避ける。
続いて左斜め前から頭に。おじぎ姿勢からバク転で避け、同じ場所に戻る。
「とにかく、シンが知らないってことは、そういうよくないものがあったってことよ。強いかどうかは別として。
だから多分、嫌な気持ちになることがあるかもしれないわよ」
「嫌な気持ち……か。ノエルも似たようなこと言ってたな」
「……そうね」
ぴたり、とエルナの足が止まる。
しばらく経っても、なんも言わないしナイフを投げてもこないので、俺は目隠しを外してエルナを見た。
エルナは右の方にいて、複雑な顔を俺に向けていた。
それは、精神世界から帰る間際に、いつも浮かべている表情。
困ったような、悩んでいるような、悲しんでいるような――そんな顔。
「私は知ってる。
時々しか見てはいないけど、生まれた時からのあなたを知ってる。
自分の力が強いから、物も、人も、壊してしまわないか恐れていたことも。
フィルに会うまで、ほとんど笑っていなかったことも。
ずっとつまらなそうにしていたことも。
――だから、あなたが笑うようになって良かったと思ってる。
心の底から楽しんでいて良かったと思ってる。
最初は戦いなんて知らない方がいいと思っていたけど、つまらないよりは今の方がいいかもしれないと思ってる」
エルナはそこで言葉を切って、すぐそばまで歩み来ると、俺の頭を優しく撫でる。
「私は、あなたには幸せになってほしい」
「……い、いきなりそんな……親みたいなこと言うなよ」
戸惑ったように返すと、エルナが撫でる手をどけて。
「あなたは私の来世だもの。いろいろ考えてしまうのよ。
戦うことを選んだ時に、つらい目に合うことは決まってしまったし。
せっかく笑うようになったのに、また笑わなくなってしまうかもしれない。
もしかしたら、私のように〝死を選ぶ〟かもしれない。
――私はそれが心配なのよ。
えーと……つまり言いたかったのは、独りで我慢しないでってこと。つらかったら逃げることも考えるの。
私が強かったのは確かだけど、別に私、一人だけで戦ってきたわけじゃないからね」
俺は眉をひそめ、ふーむ、と考える。
「みんなして気を付けろだとか、覚悟しろだとか言うけど……
そんな曖昧なこと言われても無理だよ無理。俺の頭じゃなーんも想像出来ないし。
考えてもわかんないんだから、そん時にどーにかするしかないじゃん。
エルナならわかるだろ?」
「すごくわかるわ。それでも言いたくなるってやつよ。私にしては長く話したと思う」
「……じゃあ、エルナが死んだ理由の方教えてくれよ」
「それは嫌」
ジト目でばっさり即答し、エルナは笑みを浮かべると、踵を返して元いた位置に戻っていく。
「あなたの好きな物語で例えると、今はまだ始めの方なの。
なのに最後の話をするのは〝ねたばれ〟というやつでしょう?」
「あー……うん、確かにそうなるけど……」
「だから今はダメ。華月がもっと強くなったらね。
……まぁ、そんなに時間はかからないと思うけど。自覚はあるようだし」
言いながら手元にナイフを二本現して、三十メートルほど離れて止まる。
「私が言うことじゃないけど、早くなんとかしなさいよ。
でないと、技を覚える意味がなくなってしまうわ」
「…………」
俺はそれには応えずに、ごまかすように目隠しを付けた。
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