4-4 神様の姉妹

 翌日の昼下がり――

 ようやっとこの広すぎる草原を抜けた俺達は、矢鏡作の軽い昼食を終え、横にも奥にも連なる山々へと足を踏み入れていた。


 道は緩やかな上り坂で、人通りがほぼ皆無のはずなのに普通車が通れそうなくらい広いし、余計な雑草も生えてないから非常に歩きやすくなっている。どーみても自然にできたものじゃないよな……とか思っていたら、これも仲間のおかげだと説明された。


 曰く、稀にいる旅人や任務で地上に降りた仲間のために、町や国を繋ぐ道をなるべく保持しようと動いている術師がいるらしい。その人は植物を操れて、指定した範囲内では草とかが生えないように出来るんだってさ。だから今では、ほとんどの世界の道がちゃんと整ったままになっているらしい。ただ、自分で実際に歩いた場所でないと保持の術をかけられないらしく、多大な時間と労力を費やしたようだ。


 金さんといいその人といい、バックアップの人達ってすげーよな。努力家で。

 少々歪だけど真っ直ぐ伸びる道の先を眺め、俺は心底そう思う。


 ――あ。そうそう。

 俺がレベルアップしたことで、任務内容が少し変わったんだ。


 まず前提として言っておくが、レベルアップしたと言っても、実はエルナのレベルにはまだまだ到達していない。肉体強化とかの簡単な術が使えるようになっただけなので、剣の腕は全く上がってないし、転移が使えるようになったわけでもない。


 それプラス、術を使っても、エルナの最高スピードには及ばないらしい。術の使い方がまだ下手ってことだな。最強までは遠い遠い。


 だけど、ある程度の任務をこなす上では全く問題ないレベルらしいので、これからは普通に任務をしながら自分で腕を磨いていくってことになった。


 で、変更点は次の通り。

 俺を鍛える必要が無くなったから、シュバルトの討伐と攫われた人の救出で任務完了。

 最速で湖に向かうため、道中の戦闘は矢鏡が担当。


 理由は、矢鏡は術中心で戦うタイプで、高レベルの術でなければ、モーションも言霊も詠唱も無しで術の発動が出来るそうで、低級程度なら間合いに入った時点で瞬殺可能だから。さらに、その間合いがかなり広く、歩みを止めることなく倒せるらしい。


 俺のやること無くなるから、ちょっと不服だけど……

 少なくとも、俺がいちいち斬りかかるよりは早いからな。仕方なく任せることにした。


 因みに、そのバトルシーンはすげー地味。

 俺の視界にたびたび悪鬼と死霊が入ってくるが、その次の瞬間には全身氷づけ。一秒後には粉々に砕け散っている。


 矢鏡が倒している、ということを知らなければ、敵が勝手に凍って勝手に消えているようにしか見えない。完全に背景と化している、と言った方が的確かもな。俺達はふつーに歩いているだけだから。


 ――というわけで。

 山登りは順調そのもの。これなら五日もあれば山岳地帯を越えられるらしい。


 あっはっは。

 ……五日も山の中って…………マジかよ……

 登山は嫌いじゃないからいいけど……ほんとに異世界ってすごいな。いろんな意味で。

 まさかこんなところで山籠もり体験ができるとは思わなかった。

 シンが家を出せる人じゃなかったらどうなっていたか。想像するだけできつそう。


 そんなことを考えながら、俺は一行の先頭を歩く。

 ついで矢鏡。その後ろではシンとフィルが、えーっとなんだっけ……あぁ、あれだ。アグローレブって名前の生物について楽しそうに会話中。

 もちろん俺にはさっぱりわからん内容だ。なにそれ状態。


 まぁ……だから一人で考え事をしているんだけど。


 それでも最初はさー。話に入ってたんだぜー。でもなー。その生物の特徴を聞いてるうちになー。頭がこんがらがってきちゃってなー。途中で聞くのを止めたのさー。


 とりあえず、ちょーでかい鳥みたいな生き物らしい。俺の理解力ではそれが限界。

 フーリ――というか、人間がいる世界にはいないらしいから、多分、直接見ることはないだろうな……ちょっと気になるけど。


 俺はなんとなく空を見上げ、大きな白い雲が頭上をゆっくり流れるさまを眺めた。


 あー……いいね、のどかで。

 こーゆー雰囲気も好きなんだよね。

 転校するまでは都会暮らしだったからなぁ……大自然って感じがたまらん。


 しみじみとそう思ってから、視線を前に戻した。


 ――と同時に。


「シュバルトを張っていて正解だったな……」


 地を這うような低い声がして、少し離れた道の上に、突如現れる黒い大穴。形は歪で、縦に長い楕円形。大きさは悪鬼が余裕で通れそうなほどだ。


 自然と立ち止まる俺達の前に、穴から歩み出てきたのは一人の男。声からして多分男。

 かなりの長身で、悪の魔女とかが着てそうな黒ローブを身にまとい、血色の悪い痩せこけた顔は、深くかぶったフードのせいで口元しか見えない。いかにも『俺は怪しいぞぉぉぉ!』と言わんばかりの格好だ。


 男が完全に穴から出た後、大穴はすぐに消えた。まるで宙に溶けるように。

 そいつはゆったり右手を動かし、俺を指差してにたりと笑う。


「エルナの魂みーつけた。殺してから奪って――」


 ザシュッ


 最後まで言葉を発する前に、男の首が切断された。

 切り口から赤黒い血があふれ出て、動きを止めた頭と体が、右側へと落ちていく。子どもは見ちゃダメなショッキング映像。


 いつの間にか、男の後ろには人が立っていた。

 鍔の無い細身の刀を構えたその人は、たった今自分で殺した男を冷めた表情で見下ろし、ただひとことこう言った。


「邪魔だ」


 と。

 凛とした声で、とても冷淡に。



 **



 最初はシンだと思った。

 顔も背格好もなにもかも、青年の姿とほぼ同じだったから。

 違うのは、髪と目と、羽織の色だけ。


 髪は艶やかな闇の色。羽織は紺青。

 俺達を真っ直ぐ見つめる瞳は、これ以上ないくらい綺麗で鮮やかな赤色だった。


 ――だから、シンじゃないってわかった。

 そして、思い出したんだ。

 シンには姉妹がいることを。



 **



 彼女は刀を握った左手を下げ、次の瞬間には刀と男の死体が消える。

 突然で、衝撃的なことに呆然としている俺の右横に進み出て、矢鏡が彼女の名を呼んだ。


「リンさん」


 その声に、どこか嬉しそうな響きがあったと思うのは、多分俺の気のせいではないだろう。


「どうしてここに?」


 そう問う矢鏡を一瞥し、彼女はわずかに眉根を寄せた。


「……不本意」


 いかにも不機嫌丸出しで言い捨てて、こっちに向かって歩み来る。

 少し間を開けて立ち止まり、俺と矢鏡の間、その一歩後ろにいるシンを見下ろし、


「わざわざ分身を作ったのか」

「一応ね。……頼んだことはやってくれた?」

「あぁ」


 かなり冷めた口調で言うリンさん。

 この間に、少し左にじりじり移動していた俺。フィル以外の三人が視界に入る。


「何を頼まれたんですか?」


 矢鏡が尋ねた。なんか……こいつが敬語使うと違和感あるな……

 視線だけを返し、答えようとしないリンさんに変わり、小さく微笑んだシンが言う。


「魔界でね、『あの魂はエルナではなくなった。捕るなら今だ』って、広まってたらしいの。

 それを聞いた多くの魔族と悪魔が、このチャンスを逃すまいと、必死で華月を探してたんだって」

「なるほど。ここに来た途端、華月が襲われたのはそのせいか」


「そう。

 ――で、さすがにそのままにはしておけないから、その騒ぎをどうにかして治めてほしいってお願いしたんだよ」

「あぁ……」


 納得したように呟いた矢鏡は、再びリンさんに視線を戻した。


「凄いですね、リンさん。どうやったんですか?」


 尋ねるその声はいつも通りだし、無表情なのも変わらないが、なんとなく輝いた目をしているように見える。そこに含まれているのは、多分、尊敬か憧れ。

 リンさんはそんな矢鏡を見もせずに、


「……そいつらに言っただけだ。やつは主護者に戻ることを選んだ――ってな」

「それだけですか?」

「十分だろ。シンは主護者を守ろうとするからな」


 言いながら、冷めきった眼差しを俺に向ける。


「それに、主護者に戻るということは、戦う意志があるってことだろ。

 エルナじゃなくなったとはいえ、同じ魂だ。それでもなめてかかるやつは、雑魚かアホだけだよ」


 …………

 まずい…………まずいぞ……!

 話の内容がところどころわからない――のは、今はどーでもいい。


 それよりもまずい! これはまずい!

 さっきまで何とか耐えていたが……もうだめだ……


 あの綺麗な赤い目と目が合った瞬間、俺は悟った。

 自分の気持ちは誤魔化せない、と。


 俺は真っ直ぐリンさんを見返し、なるべく真面目な顔で、


「ところでその……リンさん……に、聞きたいんですけど……」


 歯切れの悪い問いかけに、リンさんがわずかに目を細める。

 シンと矢鏡も俺に視線を移し――

 意を決して、俺は口を開いた。


「こ……好みのタイプとかあります?」


 そう言った途端、リンさんの目が、完全に蔑むようなものへと変わる。

 シンはきょとんとしていて、矢鏡はやや呆れた顔をしていた。


 ……いや……自分でもわかってるんだ……

 二股はダメだって。

 でも――


「リンさんクールで超カッコよくて、ドストライクなんだもーん!

 惚れるのも仕方なくねぇっ!?」


 ――はっ!

 やばい。思わず頭抱えながら叫んでしまった……


 恐る恐る顔を上げて、みなさまの様子を見ると――


 シンと矢鏡は変わらないが、リンさんの表情がさらに険しくなっている。


 あぁぁぁ…………完全に失敗した……ぜってー嫌われた……


 襲い来る後悔から逃げるように、俺はわずかにうつむき、なんとなく右を向いた。

 そして、少し離れた場所で、やはり冷めた様子のフィルと目が合った。


 うぅ……そんな『二股かける気か? カスめ』みたいな目で見ないでくれ……


 と思ったら、フィルはすぐに視線を逸らした。


 おぉ。さすがフィル。わかってくれたか……!


 地味に感動していると、リンさんが短くため息を吐くのが聞こえた。

 そっちを見ると、リンさんは諦めにも似た表情で、


「お前は記憶を失くしても変わらないな」


 と言って踵を返し、最初に現れた方に向かって歩み行く。


「帰るの?」

「あぁ。報告したからもういいだろ」

「うん。ありがとう、リン」


 シンがその背に声をかけ、リンさんは大穴があった場所で足を止めて振り返った。

 冷めた視線を俺に向け、


「一つ、忠告してやる。

 ――さっさと気付かないと、近いうちにお前も死ぬよ。エルナと同じようにな」

『え……?』


 俺と矢鏡とシンの驚く声が重なった。


「リン、エルナのこと何か知ってるの!?」


 よほど意外だったのか、珍しく声を荒げるシンを見返し、


「……あぁ。見てたからな、最後まで」


 リンさんは静かな口調でそう言った。

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