3 次なる予感
3-1 過去への想い -No side-
倒れ掛かった華月の体を受け止め、矢鏡は視線をフィルに向けた。
「……効果時間は?」
「最短で六時間。それまでは熟睡だよ。首のところに針があるから、抜いておいてね」
フィルが言った通り、華月の首元には小さな針が刺さっていた。華月の一瞬の隙をついて、麻酔薬を塗った針を高速で投げたのだ。
矢鏡は針を抜いてから華月を担ぎ、針をフィルに向かって放り投げる。
「とりあえず寝かせてくる」
「あぁ、よろしく」
フィルはにっこり笑って針を受け止め、逆の手でひらひらと手を振った。
矢鏡は隣の部屋に移動し、左側のベッドに華月を横たえ布団をかぶせた。部屋の電気を消し、すぐにシン達の部屋に戻った。フィルとは違うベッドに腰掛ける。
「で? なんでエルナの記憶が無くなってるの?」
フィルが真面目な口調で矢鏡に尋ねた。
矢鏡は静かに彼女を見返し、抑揚の無い声で答える。
「そんなこと俺が聞きたいよ」
「相方は君だろ。最後まで一緒にいたはずだ。なのになんで知らないのさ」
「仕方ないだろ……俺だって驚いてるんだ……」
矢鏡は長く息を吐き、
「……気付いたら転生してた。俺だけじゃ動けないから、とりあえずエルナからの連絡を待ってたんだ。そしたら当人は記憶を失くしていて……"華月京"として現れた――
フィルまで転生してるし……一体どうなってる?」
フィルは一度シンを見やり、すぐに視線を矢鏡に戻した。
「なら、こっちの事情から話そうか。
――たった一人の上級悪魔によって、天界が落とされたんだ」
「……は?」
矢鏡にしては珍しく、間の抜けた声を出した。
フィルは足を組み、淡々と説明する。
「シンのおかげで被害は最小限だったけど、天界の損傷が酷くてね。今は封鎖しているんだ。
その時に主護者は全員転生させたらしいよ。人間でいた方が自由に戦えるからね」
「……それでか。霊体だと、天界に戻らなければ、通力が回復しないもんな」
「いや、地上でも微量なら回復するよ。……ただ、その速度がやたら遅くてね。実体化を維持するだけで消えるから、ほとんど意味が無いのさ。
――それに比べ、人間であれば天界にいる時と同じように回復するからね。一晩経てば、全快出来る。
一番良い点は、例え魔界に行ったとしても、普通に通力が使えるところだね。霊体の時と同じで、通力の回復はしないが……術がまともに発動出来ないよりは良い」
「ふーん……」
納得したように呟く矢鏡に、フィルが軽く首を傾げる。
「……知らなかったのかい?」
「まぁ……俺達には関係なかったからな」
フィルは一瞬何かを考えて、
「……それもそうだね」
それを告げることなく、爽やかに微笑んだ。
矢鏡は視線をシンに移し、
「もしかして、その分身に込められた通力が少ないのはそれが原因か?」
「うん。大変だったからねー。力はほとんど残ってないの」
シンがにこやかに笑って答えた。
「大丈夫なのか?」
「んー……まぁ、大丈夫ではないけどね。でも貴方達は心配しないで♪ こっちはこっちでなんとかするから。
――それより。
ディルスとエルナが転生していることだけど……それは多分、天界に来ることが出来なかったからじゃないかな。浄化を受けなくても、主護者なら転生出来るし……
でも、ディルスが覚えていないっていうのは――ちょっと気になるね」
微笑を浮かべたまま、静かな眼差しを矢鏡に向けるシン。
「本当に覚えていないの?」
フィルの問いに、矢鏡はもう一度過去を思い起こし――
「……エルナと一緒だったのは確かだが……
シンから任務を受けて、地上に降りたのは覚えてるんだ。任務内容は上位魔族を倒すことで、それはすぐに終わった。……その後からがわからない」
「――じゃあ、実は敵がもう一人いて、気付かなかったディルスが一瞬でやられたとか……」
フィルはそこまで言って、
「君達じゃ、それは無いか」
すぐに考えを否定した。
矢鏡は小さく頷き、
「まぁ……俺は気配に敏感な方だし……
もし仮に、俺が気付いてなかったとしても……エルナなら絶対に気付くからな」
「やたらと勘が良かったよね、彼女」
くすくす笑って、フィルが言った。けれどすぐに、真剣な顔付きに戻る。
「――正直、君達が敵にやられた、というのは考えられない。
僕の知る限り、エルナは負け無しだし……君は君で、トップクラスの実力がある。魔界にまで名が知られている最強コンビだ。その分、敵が多いことも確かだけど……それは大したことじゃないだろ?
魔王が本気になったら別だけど……今のところその気配は無いし」
「そうなると……やっぱり術の誤作動か何かで、偶然記憶が無くなった――って考えた方が自然かもね」
思案顔でシンが言った。
フィルはシンに少し驚いた顔を向けて、
「そんなことあるの?」
「んー……普通は無いんだけど……」
シンは困ったように微笑み、視線を明後日の方に向けた。
「……エルナだからなぁ……」
『あー……』
矢鏡とフィルは、揃って納得したような呟きを漏らす。
「でも、あくまで私の予想だから。
それよりは……ディルスの記憶が戻る方に賭けてみよう。
エルナの記憶は、華月としての記憶がすでに生まれているから、戻ることは無いけど……ディルスの方は一時的な喪失だろうから、まだ可能性があるもの」
「……そうなのか?」
矢鏡が尋ねた。シンはこっくり頷き、
「例え浄化をしたとしても、記憶を消すことは出来ないからね。
……出来るのは、魂の奥底に封じ込めることだけ。だから、貴方の記憶も無くなったわけじゃない。魂の内のどこかに、必ずあるよ」
「ふーん……なら、その隠れた記憶を見つければいいわけだ」
フィルはそう言って、にっこり笑い、
「ディルス、今ここに『記憶を操作する』予定の素敵な試薬品があるんだけど――」
「さぁ、そろそろ寝るかー。夜も遅いし」
フィルの発言を遮り、完全な棒読みで矢鏡が言った。すっくと素早く立ち上がる。
フィルは小さく舌打ちし、わざとらしいほど爽やかな笑みを浮かべた。
「やだなぁ。冗談だよ」
(いや、絶対本気だった)
矢鏡は思ったが、口に出すことはしない。フィルを怒らせると厄介なのを知っているからだ。
「あぁそうだ。ディルスに聞きたかったんだけどさ……」
「何?」
「思ったより平然としてるよね、君。かなり長い間、ずっとエルナと一緒だったのに……
いくら淡泊な君でも、感情くらいはあるだろう? 悲しくないのかい?」
フィルは足の上で頬杖をつき、視線を床に落とした。
「……僕は少し悲しかったよ。
初めて華月を見た時は、本当に驚いた。一目見て、もうエルナじゃないって、すぐにわかったから……
でもまだ、エルナが少し変わっただけって可能性もあったから、少しは落ち着いていられた。
――だけど、彼が僕に『誰?』って聞いてきた時、冷静ではいられなくなった……
どうしていいか……わからなかった……
なるべく普通に振る舞ったけど、内心ではずっと動揺してた。……僕らしくもない」
「…………」
自嘲気味に発せられる言葉を、矢鏡は静かに聞いていた。
フィルは静かに息を吐き、そしてふわりと微笑んだ。
「――でも、彼の中にはエルナがいた。外見と性格は少し違うけど……でも基礎的なところは何も変わってない。……それが……とても嬉しかった。
――まぁ、華月をエルナの代わりにする気は無いけどね。そんな目で見たら失礼だし」
「……あぁ、そうだな」
矢鏡が言って、フィルはふふっと笑った。視線だけ上げて矢鏡を見やる。
「だから、君はどうなのかなって……少し気になった」
「……俺も、少しは寂しいと思ってるよ。――けど、悲しくはない」
矢鏡は顔をドアの方に向け、口元に笑みを浮かべた。
「例え記憶を失くしても、あいつがあいつでいる限り……俺にとっては親友だよ。
……何度生まれ変わってもな……」
そう言い残し、部屋を出て行く。
フィルはぱちくりと瞬きを繰り返して、ドアが完全に閉まるまで矢鏡の姿を見送った。
ゆっくりと、シンの方に向き直る。
「もしかして、エルナはセロじゃなかったの……?」
驚いた様子のフィルに、シンは小さく頷き、
「うん。エルナは二人目だよ」
「じゃあ、あの時すでに――」
ピッと、人差し指を立て、フィルの発言を制する。
「人の過去を詮索するのは、無粋ですよ♪」
にっこり笑って、シンが言った。
フィルは一瞬きょとんとして、すぐにフッと笑った。
「……そうだね。僕達の中には……重い過去を持つ人の方が、多いからね……
――ところでシン」
「何ですか?」
「ときどき敬語になる癖、まだ直らないね」
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