1 不可思議な日常

1-1 ここはどこで、あなたは誰?

「はっ……!」


 急に目が覚めて、勢いよく上半身を起こした俺は、見知らぬ部屋にいることに気付いた。


 白っぽい壁紙。フローリングの床。

 液体の入った、大小様々な大きさのビンを収納している棚が壁際にいくつか。


 清潔そうな真っ白いシーツの、簡素なベッドが部屋の中央に。そこに寝ていた俺。

 背中側にある窓は開けられていて、時折吹く風が薄手のカーテンを揺らしていた。


 微かに香る消毒液の匂いから、一週間前に転校して来たばかりの高校の保健室かとも考えたが、多分……いや、間違いなく違うだろう。病院の個室みたいな感じの部屋だし。


 だからといって、病院でもない。薬棚を患者の部屋には置かないからな。


 保健室ではないという根拠はそれと、もう一つ。


 俺から見て左真横、壁際に設置された少し大きめの机には、薬でも調合しそうな機材と、積まれた本が乗っていて、その前には背もたれの無いイスがあった。


 そして、



「やあ」



 爽やかな笑みを、俺に向ける少年が一人。多分、俺と同い年だと思う。


 オレンジ色に近い明るい茶髪に、エメラルドグリーンの瞳を持つ、結構な美形がそこに腰掛けていた。少し長めの髪は癖の無いさらさらなもので、凛とした大きな目は柔和な印象を感じさせた。座っているから正確には分からないが、身長は俺より高そう。


 ――うん、確実に日本人じゃないな。


 茶髪はともかく、こんな綺麗な緑色は、カラーコンタクトでは出ないだろう。

 それに、着ているのはアニメとかで出て来そうな、僧侶みたいな服だ。とてもじゃないが、田舎の高校の保健医がする格好ではない。


 足首近くまである薄青色の外衣は前開きで、鎖骨から腰辺りまで閉じられている。その下は多分、上下繋がっているワンピースみたいなやつ。普通にロングスカートはいているように見えるけど。


 因みに俺が着ているのは学校指定の制服。ブレザータイプ。青っぽい緑色がいい感じで、ちょっと暗い赤色のネクタイも気に入っている。


 まぁ……制服のまま寝ていたせいで、今はしわが出来ているけど……


 ――って今はそれはどうでもいい。ここはどこで、この人は誰なんだ?

 外国人……だよな? 日本語通じるかな? 日本に住んでいるんだから、通じるよな?


 とりあえず聞いてみよう。


「えっと……誰?」


 あ。まさか誘拐犯じゃないだろうな? いくら俺の目が濃い青色で髪が空色に近い(地毛。マジで。多分突然変異的な何か)からって高く売れると思うなよ。それ以外はフツーの男子高校生だからな。……頭はちょっと悪いけど。


 警戒する俺に、少年はふわりと微笑んで、


「僕はフィル。フィル・フィーリア。

 君の古くからの友人であり、仲間だよ」


 普通に日本語で答えてくれた。しかも変な訛りも無い。


 うーん、そうかー。友人だったかー。つーか、よく考えたら窓全開で誘拐なんてないかー。すぐに逃げられるもんなー……ってちょっと待て。


「初対面じゃないの!?」


 外国人と友達になった覚えないんだけど!? しかも仲間!? 何の仲間!?


「まぁ、君は覚えてないらしいね」

「え……もしかして俺、頭打った? 記憶喪失とか?」


 でもなー、子どもの頃があやふやなだけで、後は普通に覚えてると思うんだけど……

 あぁ、ここに寝てた経緯だけはわかんねぇな。


 フィル(呼び捨てでいいよな)は爽やかにクスッと笑った。


「違うよ。頭を打った痕跡は無かったし、記憶障害でもない。

 ただ単に、僕達のことを覚えていないだけ」

「じゃあ子供の頃に会った……とか?」


 それなら俺が覚えて無くても納得だ。でも彼はそれも否定した。ほんといつ会ったんだ?


 もう俺には分からない……から、諦めることにする。細かい事まで考えんのは苦手だし。


 とりあえず、友人を忘れるなんて失礼だから謝ろう。


「覚えてなくてごめんな」

「ふふっ♪ 謝ることはないよ。君のせいではないし」


 フィルはそう言ってにっこり笑った。


「それに、僕も君の名前知らないから」


 ……え。


「友達だったんじゃないの?」

「ごめんね。君の名前は知らないんだ」


 俺は少し驚いて、フィルは困ったような顔をした。


 おおぅ……なんてことだ……

 俺、せっかくできた友達に名乗りもせず別れたあげく、それを忘れたのか……超サイテーじゃん……


 いやでも……そういうこともあるよな!

 子供の頃とかだと仕方ないし! 今名乗ればいいだろ!


 そう楽観的に考えた俺は、なるべく明るい口調で、


「じゃあ自己紹介からやるか! 俺は華月かづき。華月きょう。よろしくな!」


 ちょっと真似して言ってみた。


「うん。よろしく、華月」


 優しく微笑み、応えるフィル。


 ――あ。そうだ忘れるところだった。


 俺はベッドから足を降ろして、フィルの方に向き直る。すぐそこに揃えて置かれていた俺の革靴を履き、制服についたしわを手で伸ばしながら問いかける。


「そういえば、ここはどこなんだ?」

「僕の家。君、庭で倒れていたんだよ」

「え、マジ? なんでだろ?」


 意外な答えに、首を傾け腕を組み、思案顔をつくる。


 うーん……全くわからない…………そうだ。


 しばし考えた後、一つ思い出す。


 こういう時は、順を追って思い出すのが得策だったはず。つまり、今日一日を振り返ってみろってことだな。よし、やってみるか。


 えーっと、確か――


 学校行って、授業終わって、家に帰って……


 そこからの記憶が無い。てーことは、だ。その後に気を失って、どうやってかは分からんが、ここまで来たってことか……


「あれ? それ夢遊病じゃね?」


 俺、フィルの家知らないし。偶然来ただけかも。これなら納得だな!


「勝手ながら診察させてもらったけど、体に異常は無かったよ。脳波も正常。だから夢遊病ではないねぇ」


 しかし、俺の推測はあっさり否定される。つーか今、診察って言った?


「もしかして…………フィルって医者?」


 冗談半分で聞いたら、


「うん、そうだよ」


 さらりと肯定された。わーお、マジかよ。


「じ……十代で医者になれるんだ……」


 資格とかよく分かんないけど……漫画とかで飛び級とかあるし、もしかしてそういう感じ?


 呆然と呟く俺に、フィルは表情変えずにこう言った。


「僕二十五歳だよ」

「は!?」


 マジで!? 同い年にしか見えないんですけど!?

 これが童顔ってやつか……よく知らないけど。


「若く見えてイケメンで医者とか……すっげぇモテそうだな」


 しかもさ、自宅で病院開いてるってことは、金持ちってことじゃん。

 どんだけモテ要素が揃ってんの?

 完全に勝ち組ってやつだよな。


 俺がそう呟くと、フィルは何故か首を傾げて不思議そうな顔をした。


「もてる……? 何を?」


 …………

 ………………はっ!

 そうか。きっと勉強に必死で流行とか分かんないんだ! 俺冴えてるー♪


 俺はにっこり笑い、


「女性に好かれるってことだよ」

「へぇ……。でも同性に好かれてもねぇ……」


 その言葉に唖然とする。マジか。


「フィルって……女性だったんだ……」

「そうだよ」


 男にしては少し高めの声だとは思ったけど……まさか女性だったとは。口調もなんか……男っぽいし。

 イケメンじゃなくてイケ……ウーマン? いや、イケレディか?


 改めてフィルを見る。

 言われてみれば、女性に見えなくもない……かな。細身だし。


「あー……ごめん。男だと思ってた」

「大丈夫だよ。初見で見破った人は少ないから」


 にっこり笑ってひらひらと手を振るフィル。

 それ、にこやかに言うことじゃないだろ。


 しかし――

 フィルって笑顔を崩さないな……

 いや、爽やかで素敵ですけど。紳士的だし……。緑色の瞳も珍しい……よな? 一体どこの国の出身なんだろう?


「生まれはここだよ」


 聞いたらそう返ってきた。まさかの日本生まれ。あ、両親が移住してきたとかかな。


「だから日本語上手いのか……」

「あのね、華月」


 一人で納得していると、フィルがひかえめに話しかけてきた。


「落ち着いて聞いてほしいんだけど……」


 言いにくそうに、けれどはっきりと告げる。


「この地に"にほん"という国は無いよ」



 **



「……は?」


 長い沈黙の後――

 ようやく動き出した俺の脳みそは結局、言葉の意味を理解できなかった。


 これ、普通の反応だよな?


 固まった俺に構わず、フィルは話を続ける。それも驚愕の内容を。


「君の世界は"地球"と呼ぶんだったかな? でもね、この世界ではこの星を"フーリ"と呼んでいるんだよ」


「え……ふーり?」

「うん。君はね、この世界の人間じゃないんだ。こことは違う世界で生まれたんだよ」


 …………えーっと…………


 止まった思考を必死に動かして、言葉の意味を検索する。

 俺は数秒考えた後、


「……異世界ってこと?」

「そう。だから君を見つけた時は驚いたよ。君は、ここにいるはずのない人間だから」


 フィルはそう言って、目を細めるように微笑んだ。


「ねぇ――

 どうやってこの世界に来たんだい?」



 **



 人からこんな話をされた時――

 普通の人はどういう反応をするだろう。


 大抵の人は恐らく『え? 何この人厨二病? 頭おかしいの?』って反応をすると思う。


 だけど俺はそうじゃなかった。

 何故なら俺は、超が付くほど漫画とかのフィクション物(特にファンタジー系)が大好きだったからだ!


 ――というわけで。俺がしたのはこんな反応。



**



「うーん、そんなこと聞かれてもなー……。俺、どうやって来たんかな?」


 因みにこれは本心で言った。本気で悩んでた。フィルもこの反応は予想してなかったんだろうな。しばらく呆気にとられていたよ。


「覚えてないの? ……というか、異世界ってところは気にしないの? 納得出来たの?」

「あー……その辺はどうでもいいよ。考えんの面倒だし。それに――」


 俺は一旦区切って、


「嘘でも事実でも、夢だったとしても、その時に対応すればいいだけさ」


 ちょっと格好つけて言った。

 フィルは驚きを少し顔に出して、そして嬉しそうに目を伏せた。


「……そうだね」


 呟かれたその声は、消えそうなほどか細くて、どこか懐かしむような響きがあった。

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