第10話動物の悩みを聞いたっていいじゃないか

 オライオンは泣きながら走りました。

 動物園のトラックを通り過ぎたのにもまったく気づきませんでした。

 オライオンのたてがみに木の葉が当たります。

 ポニーちゃんが、木の下を歩きながらオライオンに声をかけました。

「そんなに泣かないで」

 オライオンの顔は、まるで象にシャワーをかけられたように濡れていました。

「お、おれ様は……」

 オライオンが涙をぽろぽろ流すのを、ポニーちゃんは初めて見ました。

 ポニーちゃんは、鼻息荒く言いました。

「わかってるわよ。トラックの中でオライオンの気持ちを聞いたもの。おじさんは何も知らないから、オライオンが無理していると思ったのよ」

「そ、それは……」

 オライオンは涙を止めることができませんでした。

「お、おれ様は……」

 オライオンが、ポニーちゃんを見つめます。

「おじさんの言うことも当たっていることに気づいてしまったんだよ」

 がおおーん。

 オライオンの声が森の中に響き渡ります。

「おれ様は、確かに辛くなっていたんだ。みんなが次々とおれ様に悩みを話すから、きつくなってたんだよ。動物が動物の悩みを聞くなんて最初から無理だったんだ……」

 小鳥がちちちっと飛び立ちました。

「だから、気づいたらたてがみが抜けてたんだよ」

 オライオンが、悲しげに前足を上にあげました。

「おれ達は結局『動物園の動物』なんだ。おれ達の子孫を増やすため守るため、お客さんたちにおれ達の事を知ってもらうために飼われているんだよ」 

 オライオンが鼻をすすり上げます。

「どこかに書いてあったの?」

「そうだ。動物園の仕事を紹介する本に書いてあったんだよ」

 オライオンが小さな声で答えました。

「『動物園の動物』って……そうなんでしょうけど、なんとなく悲しい響きね」

 ポニーちゃんが、しょぼんとしました。

「お客さんの前で園長さんたちが本に書いてあることと同じようなことを説明していた。自分たちの役割は動物たちの子孫を増やすことだって。そうしたら動物園の動物も増えてにぎやかになるって」

「赤ちゃんってこと?」

 ポニーちゃんが、まつげをぱちぱちさせました。

 オライオンが、ポニーちゃんをじっと見つめました。

「動物の赤ちゃんが生まれると、お客さんも赤ちゃん目当てに大勢訪れるだろ」

「動物の赤ちゃんは、かわいいもの。それに赤ちゃんが産まれないとどんどん動物園の動物も減っていくわ」

 ポニーちゃんは、ふと思い出しました。

「だけどナマケモノもポニーも一匹ずつしかいないわ。子孫を残さないといけないなら、私とナマケモノのマナさんはよその動物園からお婿さんをもらわないといけないわね」

 ポニーちゃんは、ひひーんと鳴きました。

「お婿さんか……マナさんはいったい今いくつなんだ? 子供産めるのか?」

 オライオンが呆けた顔でポニーちゃんに聞きました。

「そんなことを言ったらマナさんに怒られるわよ。失礼ね~~~ 私だって産めるわよ~~~ 馬鹿にしないでよ~~~って」

 ポニーちゃんがナマケモノのマナさんの真似をしたので、オライオンは思わず吹き出してしまいました。

「それにしてもハムスターたちはたくさんいるが、あんまり子供ができたって話を聞かないな」

「あんなに大勢いる中では、恋する気持ちも起きないでしょうよ。ぐりちゃんもきゃあきゃあにぎやかだしねえ」

 オライオンとポニーちゃんは、狭い小屋の中のハムスターたちを思い出しました。

 オライオンは、肩に駆け上ってきたぐりちゃんを思い出して身震いをしました。

「ゴルちゃん、海辺でのびのびしていたわね」

 二頭は、海辺で海水浴を楽しんでいたゴルちゃんを思い出してほっこりしました。

「小屋の中はメスが多いからな。ゴルちゃんもゴルちゃんなりに気を使うんだろう」

 オライオンが、ポニーちゃんを見つめました。

「ポニーちゃんは、お婿さんをむかえないでおれ様と結婚するか」

 オライオンが、がおおーんと力強く吠えました。

「唐突ね。オライオンと私は結婚できないわよ」

 ポニーちゃんは、小さくつぶやきました。

「肉食動物と草食動物の結婚なんて聞いたことがないわ」

 ポニーちゃんは、下を向きました。

「それもそうだな」

 オライオンもぼそりとつぶやきました。

「オライオンと結婚出来たら素敵だけど」

 ポニーちゃんは首をあげました。

 オライオンの目をじっと見つめます。

 木々の間をそーっと潮風が通り抜けていきます。

 ポニーちゃんが、気持ちよさそうに頭をゆすりました。

「それにしてもオライオンたちがいなくなった時、本当に驚いたのよ。それと同時にいいなあ。私も外に行ってみたいって思ったの」

 ポニーちゃんが、明るい声でオライオンに語りかけます。

「思ったけど、自分だけでは何もできないでしょ」

 ポニーちゃんは、オライオンの目を見ながら話し続けます。 

「もやもやしているところへ、ぶた太さんがみんなの気持ちを聞きに来てくれたわ」

 オライオンもその時の事はよく覚えていました。 

「みんなの気持ちをオラアルブ探検隊や動物園のスタッフたちが聞いてくれたから、海のお散歩も実現したわ。これは、すごいことよ。他の動物園でこんなことってあるかしら」

 ポニーちゃんは首をあげると、オライオンの周りをぐるぐると走り回りました。

「みんながみんな満足したわけでなかったのが残念だけど……」 

 ポニーちゃんは走るのを止めると、少し寂しげに言いました。

「おれ様も反省しているんだ。計画の立て方が甘かったなって。おれ様も海に行けばそれでみんな満足すると思ってしまったんだ。しょせん動物は動物なんだ。頭がそこまで回らないってわけよ」

 オライオンがまた悲しげにがおおーんと吠えました。


 その時、寝ぼけ眼の野ネズミが二頭の近くをよろよろと横切りました。

『あら、おいしそうな野ネズミ』

 小さな帽子を頭に乗せた猫が、のそのそとネズミを追いかけていきます。

「ちゅちゅ!」

 ネズミは急いで近くの巣穴に逃げ込みました。

『あー残念……』

 猫がつぶやきました。

『ふっくらとした野ネズミだったのに。惜しかったわ』

 

 ポニーちゃんは、猫を見ると言いました。

「もしかしたら、あなたはミーシャさんじゃない?」

『あら、どうして私の名前を知っているの?』

 猫が立ち止まり、ポニーを見上げました。

「やっぱり。さっきよし子さんが話していたのよ。親切な猫がゴルちゃんのサングラスを見つけてくれたってね」

『よし子? ああ、サングラスをかけたハムスターを連れていた女の人ね』

 猫のミーシャはハムスターを思い出して舌なめずりしました。

『木登りをしていた時に、偶然サングラスを見つけたのよ』

「その帽子はどうしたの?」

 ポニーちゃんが、小さな帽子を前足でちょんとさわりました。

『サングラスのハムスターがくれたのよ』 

 ミーシャは答えると、ちらっとオライオンを見ました。

『ところで、そちらのライオンはなぜがおがおと吠えていたの?』

「さっき、海の家のおじさんに変なことをいわれたのよ」

 ポニーちゃんは、ひげのおじさんがオライオンと言い争いのようになったことを説明してあげました。

『そうなのね。でも、あの人は時々ぴしゃっと動物の気持ちを言い当てるのよ』

 ミーシャは、ひげを前の方に向けました。

 オライオンのつぶらな瞳が大きく開きました。

「そうなんだな。おじさんに言われて少しムカッときてしまったが…… 当たっているところもあるんだ」

『どんなところが当たったの?』

 猫のミーシャが聞きました。

「ドッグランで思いっきり走りたかったことや、動物たちの悩みを聞くことが辛くなっていたことも見抜かれてしまったんだ」

 オライオンのしっぽがぷらぷらと垂れ下がりました。

『動物の悩みを聞く? なぜライオンのあなたがほかの動物の悩みを聞いているの?』

 ミーシャが、にゃあと鳴きました。

「おれ様はカウンセラーの勉強をしたから、動物たちの悩みを聞いてあげたいと思ったんだよ」

『それは、動物園のお世話係がすることなんじゃないの?』

 ミーシャは、オライオンのしっぽを前足で触りました。

「動物園のスタッフたちはなんやかんやおれたちの世話で忙しいだろ。園長さんも外に出たり、スタッフたちの相談に乗ったり、意外と忙しそうなんだよ。動物たちのことをよく考えて相談にも乗ってくれるが…… みんなそれだけではすっきりしないようなんだ」

 オライオンは、ポニーちゃんを見ました。

「そうなのよ。ハムスターたちもあまりに子供たちに触られすぎて疲れてしまったことがあったの。『ちっちゃいお子様嫌です運動』を始めたりしたのよ。よし子さんたらすっかりまいっちゃって、その時オライオンが間に入ってくれて解決したこともあるんだから」

 ポニーちゃんが、誇らしそうにオライオンを見つめました。

『でも、やっぱり不思議よ。どうして「動物園の動物」が、お世話係の役に立たなくてはいけないの? どう考えても、「動物園の動物」のストレスをなくすようにするのはお世話係の仕事だと思うんだけど』

 猫のミーシャは、首をかしげました。

「おれ様は、前に飼育員のりょうさんに字を教えてもらったことがあるんだ。それで本が読めるようになった。本当にうれしかったんだ。本を読めるようになって世界が広がったっていうか」

 オライオンが、ほうっとため息をつきました。

『そこよ、そこ。動物が本を読めたって何の役に立つっていうのよ』

 ミーシャが容赦なくつっこみます。

 ポニーちゃんが怒ってミーシャをにらんでいます。

「オライオンは、『お悩み相談室』の立派なカウンセラーだったのよ」

 ミーシャも耳を後ろ向きに倒しました。

「オライオンがみんなの悩みを聞いてくれたり、まとめてくれたから海のお散歩もできたのよ」

 ポニーちゃんは、さらに猫の目をじっと見ました。

『だけど、さっきライオンが言っていたわよ。動物たちの悩みを聞くのが辛くなってきたって』

 ミーシャも尻尾をピンとたててポニーちゃんを見返しています。

「そうなんだよな…… 円形脱毛症にもなっちまったし。ポニーちゃんにも過去形で話されちゃったし。やっぱり動物が動物の悩みを聞くのって無理だったのかな」

 すっかり自信を無くしたオライオンのたてがみは、潮風を浴びたせいかバサバサしていました。

『ちょっと、人間に肩入れしすぎじゃないの? ライオンさん』

 ミーシャが胡散臭そうにひげを揺らしました。

「何もわからないくせに余計なこと言わないでちょうだい」

 ポニーちゃんが、ミーシャをじっと見ました。

「スタッフ達が気づかないところで、裏方として手伝えないかなって思ったのが『お悩み相談室』なんだよ」

『何が「お悩み相談室」よ。いい子ぶっちゃって』

 ミーシャは、ふんというとどこかへ行ってしまいました。



 ポニーちゃんはポシェットから携帯を出しました。

 よし子さんに、オライオンに会ったら電話をしてと言われていたことをすっかり忘れていました。

「オライオン、よし子さんに電話をしてあげてちょうだい」

 ポニーちゃんは、ひげのおじさんから借りた携帯を渡しました。

「お、おう。よし子さんが心配しているよな」

 オライオンは、ひげのおじさんの携帯をしげしげと眺めていましたが……

「ポニーちゃん、りょうさんの電話番号がわからないよ」

 オライオンとポニーちゃんは、その場で立ちすくんでしまいました。


 

 よし子さんたちもポニーちゃんたちに連絡をとれず、トラックから海の家まで戻っていました。

 ひげのおじさんは、あきれた顔で言いました。

「まったく。普通いくらあわてていたって人の電話番号くらい控えていくもんだろ」

 おじさんは、自分の番号を書いた紙を渡してくれました。

「そういうところだな。動物たちにストレスを与えているのは。あんた、飼育係に向いていないんじゃないかい?」

 よし子さんは、うなだれました。

 ひげのおじさんの携帯に電話をかけます。

「お、お、こちらオライオンです」

 オライオンが少しおびえた声で電話に出ました。

「あーオライオン! 無事だったのね」

 よし子さんは、声をあげました。

「今、どこにいるの? 携帯に出たってことはポニーちゃんと一緒なのね」

「そうだよ。さっきまで猫のミーシャも一緒だった」

 オライオンは、簡単に説明しました。

「なあ、よし子さん。やっぱりおれ様はたかが『動物園の動物』だったのかな」

 オライオンの目からまた涙がこぼれました。

「なに? 『動物園の動物』? オライオンは『お悩み相談室』のカウンセラーでしょ。オライオンがいたからみんな元気になれたんでしょ」

 よし子さんとゴルちゃんは、森の中へと走っていきました。

「今のおれ様はただの『動物園の動物』なんだよ、よし子さん」

 オライオンがまたオウオウ泣きだしました。




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