ネコミミ

すごろく

第1話

 朝、目覚めて朝食を食べる。焼いた食パン一枚だけれど。

 その後歯磨きをして、服を着替え、これからの仕事を想像して溜息をつきながら家を出る。

 自動車に乗って職場を目指す。私の職場の方に向かって自転車に跨って道路を遮る学生の自転車の群れに、私は密かに貧乏揺すりをしながら舌打ちをする。

 道端で何に轢かれたのか、内臓の飛び出した血塗れの女性の死骸が転がっていたが、その女性の死骸には猫の耳と尻尾が生えていたので、「またか」とだけ呟き、それ以外は特に何も思うところも感じるところもなく、通り過ぎる。

 職場である中学校に着いたら駐車場に自動車を停め、降りて裏口の方から校舎に入り、職員室に向かう。廊下の途中で何人かの生徒と擦れ違う。

 私は教師なので挨拶を述べたが、返したくれたのは一人か二人くらいだった。大体は聞こえていないふりをして無視する。まったくもって可愛げがない。ムカつく生徒ばかりだ、この学校は。

 職員室に着くと、すでにほとんどの職員が出勤している。

「おはよう、斉藤先生、今日も遅かったな」

 自分の席に座るなり、隣の席の同僚の沼崎雅裕が声をかけてくる。

「道が混んでたんだよ」と、私が言い訳すると、「またそれかー」と沼崎は笑った。

 沼崎はただの同僚ではなく、この会話を見れば察せられるだろうが、友人だ。

 友人が職場にいるというのは正直居心地が悪い。だがこいつはそうは感じていないようで、よく話しかけてくる。おまけにこんな風に他人のことを茶化すのが大好きな男だ。

 こちらはこれからの仕事が憂鬱で憂鬱で堪らなくてテンションが低いから、そんなテンションの高い茶化しはよして欲しいのだが、私の願いを聞いてくれたことはない。それでも友人なわけだが。

 程なくしてホームルームの時間。毎朝の恒例の教頭の挨拶もそこそこに、担当の教室に向かう。私が担任を務めているのは二年B組。教室のドアの前に立つ。ドアの向こうからは男子と女子のものが混ざった喜々としている騒がしい声。また溜息が出る。

 ばっくれたい。ばっくれて家に帰って眠っていたい。そんな考えが脳裏に過って、すぐに消えて。キーンコーンカーンとチャイムが鳴った。私はガラガラとドアを開ける。「ほら、ホームルームだ!みんな席に着け!」と無理に明るく大きな声を出しながら、教室の中に進む。

 私はこの瞬間が苦手だ。だって教室の中にいる生徒全員が、一斉に私の方を見るから。「何だ、もうおまえが来る時間か」と、そんな目で見るから。邪魔者を見るような目で。

 生徒たちは水を打ったように押し黙り、無言で自分の席に着く。

 私は出席名簿を持って黒板と教卓の間に立つ。これも嫌いだ。圧迫感があるから。

 出席名簿を開き、出席番号順に生徒の名前を読み上げていく。

 出席順番順に呼ばれた生徒は、出席番号順に「はい」と返事をしていく。大体の生徒は如何にもやる気なさげな気の抜けた声で、たまに明るく元気な声で。

 返事を聞くたびに生徒の名前の横に○の印をつける。生徒が出席している印だ。

 返事が聞こえなかったら、名簿から顔を上げ、その生徒がいないかその生徒の席を見やる。

 空席だ。誰も座っていない。

「おい、誰か田島が何で欠席か知らないか?」

 そう呼びかけると、奥の席の一人が手を上げる。田島と仲の良い生徒だ。

「田島くんなら風邪だそうです」

「そうか、風邪か。なら事前に学校に連絡するように言っといてくれ」

 その生徒は「はい」と頷き、席に座る。私は再び出席番号を読み上げる作業をする。

 ようやく終盤に差し掛かったとき、また一人返事がない生徒を見つける。

 その生徒の席に目を向ける。その席は空席だった。また、空席だった。

「湯川は今日も休みか」

 今度は誰かに訊ねたりはしない。欠席の理由は知っているから。正確には知らないけれど、知っておく必要はないから。

 何せその席の湯川春斗は数か月前から一度も学校に来ていない。

 まぁ概ね無事にホームルームが終わり、私は教室を出ていく。

 ドアをぴしゃりと閉めた途端、ドアの向こうから生徒たちの騒ぎ声が聞こえてくる。

 私は本日三度目の溜息をついて、職員室に戻った。

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