エリカ

ふなぶし あやめ

序章

 女は笑った。

 綺麗に結いあげられた女の髪は、全てを吸い込むような黒だった。

 男はその髪に触れた。優しく、優しく、優しくーーー。


***


 エリカは目を開けた。

 目に入った空はまだ暗く、昨夜出ていた半月はどこかへ行ってしまったようだ。身を寝かせていた草むらに肘をつき、上半身を起こした。暗闇に慣れた目は、寝る前と変わらぬ焚き火の跡と、傍らに寝そべる愛馬の姿を捉える。

 彼女が目を覚ましたことに気がついたのか、リンドは頭を持ち上げ、喉を鳴らした。


「あぁ……ごめん、起こしてしまったね」


 高くも低くもなく、形容し難いが心地良い彼女の声が、静まり返った夜に溶けていく。リンドをそっと撫でるガサついた手には、愛おしさと優しさがあった。

 形の良い唇がまた開く。


「まだ夜明けは遠いさ。もう一眠りしよう」


 聞くものを落ち着かせる、不思議な響き。リンドの瞳が閉じた。

 エリカはその様子を満足そうに眺めてから、自身も再び寝転がる。周りに何もない、草の匂いだけがする原っぱ。

 ぽつり、小さく聞こえた。


「……私は寝れそうにないよ」


 答えるものはいない。風が、彼女の短く切った黒髪を撫でただけーーー。


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