Aqua Alta

月詠来夏

第1話

 黒曜石の色に染まった夜の街で響くのは、複数人の荒い息の音だった。

 一人の青年が群を抜いて街を駆ける。その後ろを複数の男が追いかけている。

 追われている方の青年は、一丁の拳銃を握りしめたまま走っている。他に持っているものなど何もない。これだけ使って、どうすれば撒けるか?簡単なことだ。追いかけてくる者共に弾を撃てばいい。そう青年は結論付けるが、肝心な銃弾がない。

 追いかけてくる者共が、何かを叫んでいる。しかし青年には聞き取れなかった。聞き取る余裕がなかった。

 もう一時間以上、全速力で駆けている。脚も痛み出す頃だろうが、何故か脚は痛まなかった……否、痛まないのではない。痛みを感じる暇がないだけだ。

 青年は、逃げる以外のことを考えることができなくなっていた。逃げた先の未来を思うことも、逃げる前の過去を思い出すこともできない。

 この後自分が生き延びられるのか、それとも息絶えてしまうのか、青年には微塵も想像できなかった。だが、それでも構わなかった。

 この最悪な「今」をどうにかできさえすれば何だっていい、と考えていたからだ。


 ────青年はただ、この世の悪全てから逃げたいと切に願っていた────

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