勇者が魔王を倒す

池田蕉陽

冒険の始まり


「......あああ」


「......ああああ!」


「あああああ!!」


 重い瞼が瞬き混じりに開く。


 木の天井が視界に入ってくる。目線を少し左にずらすと、オタマを片手にエプロン姿の肥えたお母さんが険しい顔で立っていた。


「やっと起きたかい。 今日はチノさんの畑手伝う日だろ? ほら、早くご飯食べて行ってきなさい」


 チノさんはあああああが住むこの村の村長である。


 お母さんが調理場に重い足取りで戻っていくと、スープのこうばしい香りが漂ってきた。









 お日様の下であああああは、鍬を使い切磋琢磨に土を掘っていた。


 頬に汗が伝うのを、手にはめた手袋で拭う。手袋は土で少し黒くなっていて、頬にその汚れがついてしまう。


「あああああ!」


 名前を呼ばれ顔を上げると、シシがタオルで頬の汗を拭きながらこちらに歩いてきた。


 シシはチノ村長の孫娘であり、あああああとは幼馴染である。この村に産まれて15年間、ずっとシシとは一緒だ。


 シシは麦わら帽子を被っているので、目元は少し翳っており赤い髪が帽子の下から覗かせている。


「疲れたね、お弁当にしよっか!」


 シシが満面の笑みで、 片手で風呂敷に包まれたお弁当を掲げてみせた。









「ほっぺたついてるよ?」


 そう言いながら、シシがタオルであああああの頬を擦った。


 木陰の下でシシと二人で優雅な一時を過ごす。


 あああああがお弁当の中の卵焼きを箸でつまみ、口に運ぶ。


「その卵焼き私が作ったんだけど、どうかな?」


 シシが「どう?」と顔を覗かせてくる。


「え、美味しい!? ふふふ、よかった〜」


 シシが笑顔になって前を向き、自分のお弁当のおかずを口に含んだ。


 あああああが革袋に入った水で喉を潤すと、シシが上の空で呟いた。


「はやく世界が平和にならないかな〜」


 あの頃の悲惨な時期を脳裏に浮かべているのだろう。空を眺めるシシの横顔は一見涼しそうではあるが、あああああには僅かにそれが悲しそうに見えた。



 この世界に魔王ハデスが誕生して100年が経った。今この世界は魔王の支配下にある。


 10年前、シシの父親は僧侶(ヒーラー、回復役)として伝説の勇者と他の仲間二人で魔王討伐に向かった。長い旅の末、四人は魔王の城まで辿り着くことはできた。


 しかし、魔王は強かった。魔王を致命傷まで追いこみ倒す寸前まで行ったのだが、最初にシシの父親が死んでしまった。回復役の僧侶であるシシの父親の死は、戦いにおいて大きな痛手となった。そのまま次々と仲間が死んでいき、ついに最後は勇者までも魔王にやられてしまった。


 ここ数年は、魔王の致命傷により世界は少し落ち着いているが、それも時間の問題である。


「私ね、今サン師匠に僧侶になるため鍛えてもらってるの。いつかまた勇者の後継者が現れたら、私も魔王討伐について行って絶対お父さんの仇を打つ」


 シシの箸を強く握る手が震えてるのがわかる。


「え、サン師匠って誰かって? なんで知らないのよ。一か月前からこの村に来て、よく外から食材とか持ってきてくれる人だよ」


 シシが呆れた顔であああああを見る。


「あとお父さんの友達だった人。サン師匠も僧侶で、昔お父さんとは一緒に修行してたみたい」


「あ、それでね!? サン師匠ついにすっごい呪文会得したんだよ!」


 シシは箸を置き興奮しているようで、両手をその場でぶんぶん揺らし、そのすごさとやらを伝えてくる。


「どんな呪文かって? それはね......」


 その時だった。



「魔物だぁぁぁ!!! 魔物が村に入ってきたぞぉぉぉぉ!!」


 村のどこからか、男の声が村中に響き渡る。何羽かの鳥が鳴き声と共に、空を羽ばたいて行った。


 シシは声のした方を反射的に向き、目を見開かせていた。


「魔物.....入口の方? 今までこの村に魔物が入ってきたことなんかなかったのに」


 シシの顔が只事ではないことを物語っている。


 たしかにシシの言う通り今まで生きてきて15年間、魔物が村に入ってきたことは1度もなかった。それはここ一辺の地域の魔物が比較的レベルの低い魔物で知性もなく、わざわざ門を開けて村に入ってくる奴などいなかったからだ。


「行こっ!」


 シシが荷物を置いて立ち上がり声のした方に走っていくと、あああああもその後を追いかけた。










「ヒエッヘッヘッヘ〜、人間がこんなにも沢山いやがるぜ」


 やがて声のした方にたどり着くと、村の入口の前で見覚えのない魔物が一匹侵入していた。


 その周りには、村の大人達が何人も焦りと怒りが入り交じった顔で立ちはだかっている。中にはシシの祖父、チノ村長もいた。




「くっそ、こんな喋る魔物見たことないぞ! なんで他所の魔物がこの村に」


 村人の1人が形相を浮かべながらそう口にした。


 あああああは昔読んだここら辺に住み着く魔物が載ったモンスター図鑑を拝見したことはあるが、あああああもこんな魔物見たことは無かった。それにそこらの魔物と1番違うのは人間の言葉を発することだ。あああああが知っている魔物は皆知性がなく、言葉を発さないのだ。


「今はそれよりこいつをどうにかするのが先じゃ! サンはどこじゃ!?」


 魔物の視界の真ん中にいるチノ村長がサンを呼ぶ。


「今サンさんは外に食材を取りに行っています!」


「なぬ......こんな時に......」


 どうやら事態は深刻のようだ。


「チノさんは家に避難していてください!」


「ダメじゃ、わしの村が危険に晒されているというのに一人で家に隠れるわけにいかんじゃろ」


「おじいちゃん!」


 シシがタイミングを見計らって、チノ村長の元に駆け寄る。あああああも後を追いかける。


「シシ!? こんな所にいてはいかん! あああああも一緒か! 2人とも早く隠れなさい!」


「嫌だ! 私もここにいる!」


「シシ!」


「んったくうるせぇなぁ〜、どうせ皆殺しなんだから隠れても無駄だって」


 魔物が耳障りそうにしていて、耳のような穴をとんがった爪でほじくっている。


「頼むから見逃してはくれぬか?この通りじゃ」


 チノ村長が1歩前に出て、土下座をする。


「さすがジジイ、肝が座ってるな。でもダメだ。魔王ハデス様の命令なんでな」


「ハデスじゃと!?」


 チノ村長が土下座したまま顔をあげ、驚愕した。


「ああそうだ。ハデス様はついに復活なされた。この世界が滅びるのも時間の問題だぜ。シッシッシ」


「ついに魔王が......」


 シシがこの世に絶望を覚えたかのような顔になる。


「まあ、そういうわけだ。記念すべき一人目の死亡者はーーー」


 語尾を焦らしながら魔物が、村人一人一人の顔を一瞥していく。


 そして、一人の人物に目を捉ると不気味に笑ってみせた。


「お前だ!! 赤髪の小娘!!」


 魔物が俊敏な動きでシシに飛び掛ってきた。


「キャッ!」


 シシは悲鳴を上げ、目を瞑って体を捻る。


「シシ!! やめろぉぉぉ!!」


 チノ村長が縋るようにシシに手を伸ばすも、届くはずもなく。


 あああああは咄嗟にシシの前に出て両手を広げ、庇う素振りを見せる。


「まとめて死ねぇぇぇぇぇぇ!!!」


 誰もが残酷な場面を見まいと目を瞑る。


 しかし、魔物の爪先があああああに触れる瞬間、奇跡は起きた。


「な、なんだよこれ? 」


 魔物の腕があああああのすぐ傍で硬直していた。


 あああああの体の周りには原因不明の薄い黄色のオーラなような物が纏っている。


 目を閉じていた村人達も、何が起きたのかと目を開けてみると全員が目を丸くして、事の成り行きを眺めていた。


「まさか......これは......」


 チノ村長が魔物を見るより驚いていた。


「なんだよこれ!」


 魔物は何度も何度もあああああを取り巻くオーラを攻撃するが、跳ね返されるばかりだった。


 あああああは無意識に手の平を魔物に向ける。


「な、何をする気だ......!?」


 立場が逆転したようで、魔物は怯えるように後ずさりをした。


 後ろから「あああああ?」とシシが不思議そうに口にするのが聞こえた。


 あああああの手の平から青色の電気が集まってきて、ビリビリと音をたてながら大きくなっていく。


「や、やめろぉぉぉ!!」


 魔物が羽をばたつかせ、こちらに背を向け空に逃げようとした所で、あああああの電気玉が魔物に向かって放たれた。


 若干宙に浮いた状態で魔物の背中にそれは直撃して、電気がまとわりつき青く光り、魔物の悲鳴が激しい電流音にかき消されていく。


 黒くパンのように焦げた魔物が、萎れるように地面に落ちた。蝿のようにビクビクと動いていたが、やがて動かなくなった。



「うおおおおおお!!!!すげぇぇぇぇ!!!」



「マジかよ!あああああの野郎いつの間にあんな呪文を!」


 村中で歓声と拍手が沸き起こった。


 あああああは自分の手の平と倒れた魔物を何度も見較べ、呆然と立ち尽くしていた。


「あああああ、あなたもしかして......」


 後ろを振り向きシシをみると、あああああを信じられないような顔で見据えていた。


「あああああよ」


 今度は後ろからチノ村長に呼ばれ、振り向く。


「この後、わしの家に来てはくれぬか?話がある」










「あああああよ、シシを守ってくれて本当に感謝している。ありがとう」


 向かいの席に座るチノ村長が、机に頭をつけた。


「あああああ、本当にありがとう。あなたは私の命の恩人ね」


 あああああから見て左端の席に座るシシも、笑顔でお礼の言葉をかけてくる。


「すまないあああああ、私がもっと早く帰っていれば」


 チノ村長の後ろに立ち自分の誤ちを反省しているのは、シシの師匠のサンだ。髪がなく、白い袴のようなものを着ている姿は、まさに僧侶そのものだった。


「あああああよ、話というのは他でもない。お主も自分でも気づいただろう」


 チノ村長が間を開けてから重い口を開けた。


「お主は勇者の後継者に選ばれたのじゃ」


 その言葉には圧力がかかっていて、頭にオモリを置かれた感覚に陥る。


 シシもサンも分かっていたようで、表情ひとつ変えずに驚いた素振りは見せなかった。


 チノ村長が懐から小さな緑の宝石がはめ込まれた首飾りを出して、それを机に置いた。


「これは、勇者の首飾りだ。勇者の後継者がつけると、正式に勇者とみなされる」


 あああああはその勇者の首飾りを恐る恐る手にする。


 シシに目を向けると、付けてみて? と促すように首を縦に振った。



 そして、あああああは勇者の首飾りをつけた。





 っ!?





 世界が360度回転したかと思うくらい一変した。


 そして、空気が死んで時が止まったかのように思えた。



 あああああ、いや俺はこの世界の全ての裏の事情を知ってしまった。


 この世界は作者によって作られたファンタジー、冒険、バトルを主にジャンルとした物語の舞台だということ。


 そして俺はこの物語の主人公であること。魔王を倒すと、クリアだということ。あああああ、なんていうふざけた名前がつけられたということ。


 俺は勇者になることによって、物語の裏事情を知ってしまったのだ。



「あああああ、大丈夫?」


「なにか感じたのか?」


 シシとチノ村長が大きく見開いた俺の目を異常に感じたのか、どうしたのか、と身を乗り出してきいてくる。


「この世界は作者によって作られた偽物だったんだ......俺もシシもアレックスも母さんもチノ村長もサンさんも、皆人間じゃなかった。架空の人物だったんだ」


 言っている意味が流石に理解できないようで、シシとチノ村長とサンがそれぞれ『?』を浮かべて顔を見合わせる。


「あ、あああああ? どうしたの? 急に」


「あああああよ、何を言っているんじゃ?」


 これまたシシとチノ村長が訝しい顔で訊いてくる。


「やっぱり言っても伝わんねーよな。俺が逆の立場でもそうなると思う」


「てかあああああ、なんで喋り方変わったの? さっきまであなた片言だったじゃない」


「だからそれも、俺が勇者になることによって世界の裏の事情を知ってしまったからで......あーもういい」


 俺は深く重いため息を吐き出した。


「ま、まあよい」


 チノ村長が咳払いをして話を続ける。


「勇者あああああよ、旅で仲間達を集めてこの世界を脅かす魔王ハデスを倒してくれるな?」


「無理」


「え」


「え」


「え」


 リズムよく3人が順番に『え』を口にした。


 数秒後、何事もなかったかのようにチノ村長がもう一度咳払いをした。


「聞き間違えかもしれん。もう一度言うぞ?勇者あああああよ、旅で仲間達を集めてこの世界を脅かす魔王ハデスを倒してくれるな?」


「だから無理」


「え」


「え」


「え」


 さっきと1ミリも変わらない状況に、俺はあることを悟った。


 そうか、これは物語だもんな。ゲームも一緒だよな。選択肢の『はい』を選ばないと先には進めない。


 しかし、俺には自我が芽生えた。よってゲームや普通の物語では有り得ない方法でこの状況を打破することができる。


 チノ村長がまたまた咳払いをする。


「聞き間違えかもしれん。もう一度言うぞ?旅で仲間達を集め......」


「あーもういいって! そんな面倒な役誰がやるって言うんだよ!」


 俺は勢いよく椅子から立ち上がり、踵を返した。


 それは『逃げる』だ。


「あああああ! 待って!」


「勇者あああああよ! どこに行くのじゃ!」


「あああああ!」


 3人が俺を呼び止めるが、俺は足を止めずにチノ村長の家から飛び出した。



 これで『勇者が魔王を倒さない』物語は進んだ。



 しかし、この時俺はまだ知らない。



 結局この時、素直に『行きます』と言っておけば良かったと思う羽目になるということを。








「ただいまー」


 家に帰ると、すかさず母さんが皿洗いをやめ、早くて重い足取りで俺のとこに寄ってきた。


「あああああ! 聞いたよ! あんた勇者に選ばれたんだって!? 母さんビックリしたよ! 今日は腕によりをかけて最高のご飯作ってやるからね!」


「いや、俺勇者やめるよ?」


「え」


 母さんが3人と全く同じ反応を見せる。俺は嫌な予感がした。


「いやだから、勇者やめる」


「ど、どうしてだい?」


 しかし、俺の嫌な予感は外れた。


 ループに入らない? つまり物語は俺の計画通り別の方向に進みつつあるということか。


「面倒だからだよ」


「面倒ってあんたね!勇者になれることがどんなに偉大か分かっていってんのかい!?」


 母さんが鬼のような顔で怒鳴り声をあげる。


「別に好きで勇者になったわけじゃないし。旅して仲間集めて魔王倒すストーリーとか、絶対この作者連載作品にしようとしてるじゃん? この作者連載中の作品まだ結構あるくせにまだ増やそうとしてるんだぜ? しかもそれに全然手加えずに短編ばっか書いてるしよ。そんなことされたら俺は連載止まりの世界で彷徨うことになってしまう。そんなのゴメンだ。絶対この物語を1話完結にするよう無理矢理持っていってやる」


「あ、あんた何言ってんの? さっきから喋り方も片言じゃないし。熱でもあるのかい? 医者に見てもらう?」


 母さんが俺の額に手を添える。俺はそれを「いらねーって!」と台詞に腕を払い除けた。


 その時、家の扉がノックされた。


「すみません。あああああいますか?」


 アレックスだ。俺とシシが5歳の時、この村に父親と移住してきたもう一人の友達だ。この村で同い年の人間はアレックスとシシしかいないので、3人は家族のように仲がいい。


「アレックスかい? 今丁度帰ってきたところだよ。今ドア開けるね」


 母さんが俺の横を通り過ぎ、扉を開けた。


「こんにちは、あああああのお母さん」


 アレックスが栗色の天然パーマの頭を下げて挨拶をする。


「やあ、あああああ。勇者に選ばれたんだって? 少し話したいことがあるかさ、ちょっと表に出てくれないか?」


 アレックスが親指で外を指す。


「いや、俺は......」


 そこまで言いかけると、母さんが「ほら、行っておいで!」と背中を押し、無理やり外に出させた。







「聞いたよ、シシを魔物から守ったんだって?」


 村の中央には、10年前魔王に破れた勇者の石像が剣を掲げ、偉大さを醸し出しながら立っていた。


 その石像を4辺に囲むようにベンチが置かれてあり、そこのひとつに俺とアレックスは腰を掛けていた。


「ああ、まあ無意識なんだけど」


 アレックスが「そうなんだ」と息を吐くようにして呟き、間を置いて別の話を始めた。


「ついさっき、出来上がったんだ」


「出来上がったって、まさかあれか?」


 俺には心当たりがあった。半年前にシシと俺とアレックスでここに集まって話をしていた時のことを思い出す。


 アレックスの父は武器鍛冶屋を営んでおり、つくった武器を村で売っている。10年前ここに移住したのは住んでいた街である事件が起き、そこでは売れなくなってしまったからだ。


 そんな鍛冶をしている父を尊敬しているアレックスは、半年前から父に教わり自分で剣を作っていたのだ。


「うん、お父さんに褒められたよ。初めてにしては上出来だって。その剣なら武器屋に売り出せるって言われた」


「まじか、すげーな」


 この村には武器屋も防具屋もあるが、それを購入する人は外で素材を採取する仕事柄の村人か、この村に寄ってきた旅人くらいだ。


 10年前には勇者もこの村に寄って武器を購入したらしい。


「それでさ、夢が出来たんだ」


「夢?」


 アレックスから夢の話を聞くのは今日が初めてかもしれない。


「うん、自分の作った武器を世界に広めたいんだ! お父さんにも負けない鍛冶屋になる! そのために世界を羽ばたくんだ!」


 アレックスが目を輝かせながら夢を語った。その台詞から一途で純粋で本気で言っているのだと分かる。


 そして、同時にまたもや嫌な予感が俺の心に染み付くのであった。


「それで、頼みがあるんだ」


 アレックスが俺の方を向く。


 ほら来た。


「た、頼みって......?」


「あああああは魔王を倒しに旅に出るんだろ? 俺も連れてって欲しい!」


「無理」


「え」


 もういい加減、その反応には飽きた。毎度毎度全く同じトーンで皆そう口にする。


「だから、無理だって。俺は勇者になりたくてなったわけじゃない。魔王倒しに行くのも面倒だ。お前が武器を世界に広めたいなら1人でいけばいい」


「そ、そんな! どうしちまったんだよ! 昨日まではあんなに言われたことにはなんでも『はい』と答える器械的な人間だったじゃないか! なんで今日は片言じゃなくて、性格も面倒くさがりになってるんだよ!」


 アレックスが納得しないようで俺の肩を揺らしながら喚く。


「お前に言ってもわかんねーって。俺にも色々事情があるんだよ」


 俺は両肩に置かれたアレックスの手を払い除ける。


「シシも......シシもいきたがってだぞ! あああああと一緒に魔王ハデスを倒しに行きたいって!」


 いつの間にシシと話したんだ? 俺はチノ村長の家から出て、そのまま真っ直ぐ自分の家に帰ってきた。つまり、その間にもうシシとアレックスがその事について話していたということになる。


 これだから物語というのは無理矢理ことを運ぼうとする。


 思わず溜息が零れた。


「そんなの知ったこっちゃねーよ」


「本気で言っているのか? あああああも知ってるだろ? シシの父親は魔王ハデスに殺された。その仇を一緒に取ろうとは思わないのか?」


 シシの父親の話を出されると、裏事情を知ってしまった俺でさえ強気になれなくなる。それは今まで15年間器械的にはと言え、みんなと過ごした時間は偽りのないものだからだ。


 俺がなんと言葉を返そうかと頭の中でぐるぐる思考を巡らせていると、シシが「おーーーい!」と村中に響き渡るくらい大きな声を出しながらこちらに走ってきた。


「し、シシ!」


 アレックスが慌てるようにお尻を上げ、走り寄ってくるシシに目を向ける。


 こんなにアレックスがあわあわとしているのには理由がある。アレックスはここに越してきてからすぐに、シシの事を好きになったのだ。10年もシシに想いを寄せているが、未だに告白はできていない。俺と二人きりの時は恋愛経験のない俺によく相談なんかしてくる。


「ふたりともここにいたんだ」


「う、うん。丁度あああああに3人で旅しようって話してたところなんだ」


 3人だったか?


 まだ正式に3人で旅しようとは言われてないが、後々そういう展開に持ち出すつもりだったのだろう。


「それで説得はできた?」


 シシの問いかけにアレックスが申し訳なさそうに首を横にふる。


「そっか」


 シシが口を紡ぎ、目線が座る俺の方に向いて見下ろされる形になる。


「ねぇどうして魔王を倒しに行かないの? あああああは勇者になったのよ? その力を使わずいつ使うのよ」


「農業に使う」


 俺は本気でそう言ったつもりだったのだが、シシにはふざけたと思われたらしく、頬を膨らませ「バカ!」と吐き出した。そっぽを向くように顔を逸らし、そのまま逸らした方向にドサドサと歩き去っていった。


「シシ!待ってよ!」


 アレックスが呼び止めるもシシの背中はピクリともせずに、いつもの場所に歩き出した。


「あーあ、シシを怒らせちゃった」


 アレックスはやれやれと肩を竦める。好意を抱く相手のシシが怒ってもアレックスが焦って追いかけないのは、これが珍しいことではないからだ。昔からシシはアレックスや俺に対しても少し怒り気味のところがあって、すぐに風船のように頬を膨らませるのだ。


 そして、いつもある場所に行って1人黙々と反省しているのだ。


「またあそこか」


 俺もため息混じりにそう言う。勇者に目覚めてから溜息が多くなった気がする。


「またどうして馬小屋なんかで拗ねてんのかな」


「馬が好きだからだろ?」


「そう言えばそう言ってたっけ? ウンチ臭いのに」


「確かにな」


 この世界の裏事情を知ってから初めて、俺とアレックスは笑いあった。毎日のことなのに、なんだか懐かしさが込み上げてきた。






「シシーいるかー?」


 だいたい馬小屋にいるシシを迎えに行くのは俺一人だけだ。それはシシとアレックスが揉め合うことがよくあり、俺が仲介役をする時が多くて慣れているからだ。


 俺とシシが喧嘩(喧嘩と言ってもシシが一方的に怒っている)するのは珍しく、今回もかなり久しぶりだ。それなのに何故俺が馬小屋に来ているのかは、アレックスがしつこくそうしろと言ってきたからだ。


 馬小屋の扉をノックする。いつも鍵をかけられていて扉1枚挟んで言葉を交わす。


 しかし、今回は本気で怒っているのか中々返事が帰ってこない。


「シシのお父さんのことは俺もよく知っている。俺が行かないことに、お父さんを軽く見られていたと思ったのならすまない。それはでも誤解だ。鍵を開けてくれ、少し話そう」


 それでも返事は帰ってこない。


 これは相当怒ってるな......過去最高かもしれない。今まではかなり怒っていても「うん」くらいは返してくれるのだが、今回はそれすらもない。さっき怒っていた感んじはいつもとあまり大差なかったんだがな。


 鍵がかかっていると分かりつつも、ドアノブを捻ってみる。


 ガチャ


 え?


 開いた。


 今までシシが鍵をかけなかったことはないので、思わず扉に間抜けさを感じてしまった。それほどシシは慎重なのだ。だから俺は心に驚きという種が撒かれてしまった。


「シシ、入るぞ?」


 案の定返事は来ないが、ミシミシと音を立てながら扉を開ける。


 小屋は日の当たりが僅かにしか入っていなく薄暗いが、なんとか物の区別はついた。


 馬が「ヒヒーン」とないて、それを合図かのように俺の鼻を稲や馬糞の匂いが攻撃してくる。


「シシ、話を......」


 小屋の全体の視界を正確に捉えると、目が無意識に見開いた。


 昼食べた卵焼きが胃から遡ってくる。


 ああ、そうか。物語はこういう展開になるのか......


 今となっては馬の鳴き声は悲鳴、または、腹にナイフが刺さって生気のない顔で倒れているシシに「大丈夫か!?」と声を掛けているようだった。



 シシが死んだ。







 シシの埋葬は村の教会の庭で行われた。


 少し盛り上がった土に目ばえの良い十字架が刺さってある。


 聞こえてくるのは、村人達の嗚咽と神父のお悔やみだけだ。



 俺は酷く後悔していた。俺が素直に魔王を倒しに行くと言っていれば、こんなことにはならなかった。


 物語の攻略ルートが『魔王討伐』から1話完結の短編『シシを殺した犯人を捕まえる』に変わってしまったのだ。



「なんでじゃ......なんでシシが......」


 チノ村長が墓の目の前で膝から崩れ落ちた。元々黒っぽい土だが、チノ村長の涙で湿ってより漆黒になる。


 俺の母さんがチノ村長を支えるように、その場でしゃがみこみ両肩に手を添えた。


「シシ......」


 隣のアレックスが真っ青な顔で膝を地面につけた。


 サンの頬には涙は流れていないものの、眉間の皺が彼の心情を物語っていた。


 他の村人達も頬に涙を流しながら合掌をして黙想をしている。


「誰じゃ......誰がシシを殺したんじゃ!」


 チノ村長が膝で立ちながら上半身だけを捻り、鬼のような形相で怒号した。


「チノさん......」


 母さんがチノ村長をどうにかして抑制させようとするも、チノ村長の額の青筋は薄れなかった。


「殺されたって......シシが自殺したっていう可能性はないんですか?」


 村人達に疑念の目をかけられたのが不満なのか、一人の男がやや怒りこもった口調で言う。


「自殺じゃと? シシが自分で自分の命を絶ったというのか!? お前はシシがそういうことをする人間と思っていたのか!?」


「チノさん! 落ち着いてください!」


 怒り狂ったチノ村長が男に襲いかかろうとするも、母さんが両腕を掴み動きを止める。


 母さんの方が体は大きいので、止めるには容易かった。


「だからって僕達を疑うなんて......村長には少しガッカリしましたよ」


 その男が寂しそうな表情で教会を後にした。


 続いて何人もの村人が教会から離れていって、残ったのは俺とアレックス、サン、チノ村長、母さんだけになった。


 先に足を動かしたのはサンだ。


 サンは何も言わず、ただ俺の後ろを通り過ぎる際に肩に手を置いただけだった。


 次には母さんがチノ村長を支えながら歩き始めたが、俺の目の前で足を止めた。


「あんたも悲しいだろうけど、思い詰めすぎないようにね」


 横目でそう告げられ、そのまま過ぎ去って行った。


 最後に残ったのは俺とアレックスだ。


「シシは......本当に殺されたの? それとも自殺.......」


 アレックスの声はまるで魂が抜けた霊のようだった。


「シシが自殺するようなやつじゃないの村人全員が知ってることだろ。チノ村長が俺たちに疑心暗鬼になるのは分かるし、でもみんながそれを不満に思うのも分かる。でもな、これは間違いなく他殺だ」


 そう俺が断言して、アレックスが立ち上がった。


「なんでそう言いきれるの?」


「馬小屋の扉の鍵がかかっていなかったんだ」


「え?」


 その反応からして、アレックスもこれが他殺と思わざる負えなくなったはずだ。


 シシがいつも馬小屋で拗ねている時は、必ず鍵をかける。慎重なシシがかけ忘れることなんか絶対にない。誰かが扉越しにシシに鍵を開けるよう促し、そして腹にナイフを突き刺したのだ。


「結局最後までシシに告白できなかったや」


 アレックスの頬に涙が伝い、やがてポトポトと土に落ちていく。握られた拳が様々な感情で震えていた。


「僕......シシを殺した人を恨むよ。例え犯人が同じ村の住人だとしても」


「ああ、俺もだ」


 15年間共に過ごしてきた仲間、いや家族同然だった。俺に自我が芽生えたとしても、シシに対する俺の想いはなにも変わらない。例えこの世界が紛い物で俺達が架空の人物だとしても、シシが家族というのには何も変わりないのだ。


「絶対に犯人を捕まえてやる」


 俺の頬に1滴の涙が零れ、やがて土に落ちた。





 チノ村長が家に呼び出してきたのは、葬式が終わり1時間後のことだった。


 何故俺とアレックスが呼び出されたのか、その理由は俺は何となく分かっていた。


「チノさん、話ってなんですか?」


 アレックスも薄々気づいているようで、顔に汗を滲ませている。鍛冶の仕事の時はもっとひどいんだろうなと余計な事を考えてしまう。


「さっきまで村中の人に聞き込みをしていた。それであああああとアレックスが最後なんじゃが、あああああよ。お主、馬小屋に向かう途中誰か怪しげな奴を見てはおらぬか?」


 チノ村長は頭が少し冷えたようで、落ち着きを取り戻している。それでも怒りのオーラが消えていないのは確かだ。


 俺は「いえ」とかぶりを振る。


 チノ村長が「アレックスはどうじゃ?」と視線を横のアレックスに向ける。


 アレックスは広場にずっといたので、当然知るはずもない。首をブンブンと横に振る。


「そうか。シシが馬小屋にいたということはまたアレックスとシシが喧嘩でもしたのか?」


「あ、いえ。今日は俺に原因がありまして」


「ふむ」とチノ村長が頷く。



「村中の人に、馬小屋に近づく者があああああ以外にいたかときいたが.......」


 そこまで言うとチノ村長が言葉を濁し視線を斜め下に落とす。


「いなかったんですね」


 俺の代弁にチノ村長が渋々頷く。


「そ、そんな! チノさんはあああああが犯人と思っているんですか!?」


 アレックスが勢いよく椅子から立ち上がると、地面と椅子の擦れる音が聞こえた。


 アレックスの問いかけにチノ村長はずっと視線を落としてうんともすんとも言わなかった。つまり、そういうことなのだろう。


「あああああは違います! あああああがそんなことするはずがない!」


「確かについさっきシシを魔物から守ってくれたあああああがそんなことをするとは思えん。でも現に馬小屋に近づいたものはあああああしかいないんじゃ」


「で、でも違います! そんなわけ......絶対に有り得ません」


 俺が犯人じゃないという絶対的な根拠がなく悔しいのかアレックスは歯切れを悪くした。


「わしもそうは思いたくない。あああああよ、正直に答えてくれ。お主はシシをナイフで刺したのか?」


 俺は小さく深呼吸をしてから口を開けた。


「チノ村長が俺を疑うのは当然だと思います。俺は今まで15年間生きてきてシシとはずっと一緒にいました。兄妹と言っても過言ではありません。だから俺がシシを殺すはずがない、そう言いたいのは山々ですが、それではなんの解決にもなりません。なのでチノ村長、1日俺に時間をください。それまでに必ず犯人を捕まえます。もし見つけれなかったら俺を地下の牢獄にでもぶち込んでくれて構いません」


 この話はチノ村長が重苦しく「わかった」と口にして終わった。







「ねぇ、1日って少なすぎない? もっと貰っても良かったんじゃ......」


「1話完結だからな、早く終わらしたいんだよ」


「ど、どういうこと?」


「こっちの話だ」


 俺とアレックスは再び、勇者の石像がある中央広場のベンチに腰掛けていた。もう一生この場でシシを加えて会話ができないと思うと、胸が締め付けられる。


「一体誰がシシを......はっ!!」


 アレックスが閃いたように声を荒らげた。


「どうした? なにかわかったのか?」


「犯人分かったよ!」


「え?」


「魔物だよ! 魔王が侵入してシシを殺したんだ!」


 俺は呆れた。


「アレックス真剣に考えてるか? チノ村長が俺以外馬小屋に近づくものは見ていないと言っていた。それに魔物が村に入ってたら騒ぎになるだろう。さらにシシが魔物と分かっていて扉の鍵を開けるとも思えない」


「あ、そっか......」


 アレックスが火に水をかけられたようにしゅんとなる。


 でも本当に誰だ? 俺以外馬小屋に近づくものを見ていないってそんなことあるのか? 勿論俺はシシを殺していないし、シシが自殺したとも思えない。そもそも動機がない。動機?そう言えば犯人はなんでシシを殺したんだ?


 恨まれることなんかシシはしていないだろうし。


 くっそ! 考えれば考えるほど謎が深まってしまう。


 その刹那。


「魔物だぁぁぁぁ!! また魔物が入ってきたぞぉぉぉ!!」


「嘘また!? 今日で二回目だよ!?」


 アレックスが声の方を向く。


「魔王が徹底的に動き始めたってことだろう。とりあえず行こう」


 俺達は声のした方に走った。









「ぎゃぁぁぁぁぁ!いってぇぇ!!」


 村人の男が右手で左腕を抑えながら発狂していた。抑えられた左腕からは血が滲んでいる。


「今助けます!」


 負傷した男の所にサンが駆け寄った。すかさずサンは合掌し、ブツブツと何か言い始めた。何を言っているのか聞き取れないが、どうやら呪文を詠唱しているらしい。体の周りにずらりと詠唱文が目に見える形で浮かび上がっていた。


「ホイム!」


 そう唱える終えると、みるみると男の左腕の傷が塞がっていった。


「す、すげー! 全く痛くなくなった! サンさんありがとう!」


 男は地面に置かれた剣を拾い上げると、「やぁぁぁぁ!」と気合いと共に魔物に飛びかかって行った。


 魔物は昼間のような喋る知性のあるやつではなかった。しかし、見たところこの地域に住む魔物ではなかった。つまり、ここら辺の魔物より十分に強いということだ。現に村人の人もさっき怪我をしていて、中々手こずっている。


 それで、また他所の魔物が侵入してくると言うことは、やはり魔王ハデスが何かしら世界を変え始めているに違いない。


「あああああ! いい所に来てくれた! 勇者である君も手伝ってくれ! 」


 俺とアレックスの存在に気づいたサンが、肩越しに助けを求めてきた。


 しかし、俺は今何も武器になりそうな物は持っていなかった。


「す、素手で?」


「さっきは電気玉を放ったと聞いたが、それはできないのか?」


「あれは無意識にでたから、また出るかは......」


「それでも頼む! やってみてくれ!」


 切羽詰まった状況に押しつぶされ俺は不安を抱えながら、今度は意識的に手の平を魔物に向けてみる。


 やっぱりなにもでねーよ......


 そう諦めかけた瞬間、微かに体に電流が走るのを感じた。


 体の全ての部位に、電流が流れている実感があり、徐々にそれが左手に導かれるように集まってくる。


 やがて伸ばした手の平に電気が形となっていき、電気玉は青い輝きを放ちながら完成した。


 凄さのあまりか、アレックスの口から「すげぇ」と漏れていた。


「打ちますから離れてください!」


 電気玉の存在に気づいた戦闘中の村人とサンが魔物から距離を取ると、俺は狙いを定めた。


 あれ、これどうやって放つんだ?


 ふとそう思ったが、なんとなくポンと押すようにすると、電気玉は魔物に向かって飛んでいった。


 魔物にそれが直撃すると、昼間同様魔物の体に電気がまとわりつき、明かりを放ちながらビリビリという電流音が鳴り響いた。


 魔物は悲鳴をあげなかったが、苦しそうにバタンと倒れた。そして、欠片となって消えていった。



「すげぇぇぇぇ! さすが勇者だ!」


「あああああ!」


 などとまた村中が歓声に見舞われる。


 ははは......と俺が引きつった笑を浮かべていると、脳内で変な効果音が流れた気がした。


 ん?


 そう思った束の間、みるみると力が湧いてきて、俺の脳に無理矢理詰め込むようにある説明と概念が入ってきた。



 ホイムを覚えた。ホイムとは負傷した仲間や自分をある程度回復することが出来る。



 そう、突然こんな文書が脳内に自動的に暗唱されたのだ。


 さらに、これがレベルアップという現象であることを概念として身につけられた。


 そうか、敵を倒していくとレベルアップしてステータスが上がり、様々な呪文を覚えていくシステムなんだな。そうやって作者は魔王を倒すための道のりを作るつもりなのか。


 よくできてるなと思わず感心してしまう。



 そして俺はあることに閃いた。それはレベルアップにより賢さがアップしたからかどうかは分からないが。


 俺は歓声が沸き起こる中、村人達に紛れたアレックスを見つけると、走って駆け寄った。


「あああああ! すごいよ! あんな電気を放出できるなんて!」


「その話は後だアレックス。それよりお前10年前、この村に勇者が訪れた時変な本をくれたとか言って俺に見してくれたよな?」


 10年前、勇者とその仲間たちは魔王退治の旅の途中、この村に寄ってきた。当時はアレックスが引っ越してきたばかりで、あまり仲がいい程話はしなかったが、俺達はある本をきっかけに友達になったのだ。


 その本とは、勇者がアレックスの父親に武器のオーダーメイドを頼む際、お金ではなく本を渡したのだ。その本は父親からアレックスに渡り、俺は確かその本をアレックスに見させてもらった。それからアレックスとは遊ぶようになった記憶がある。


「え、あーうん」


 アレックスが何故今それを?という風に首を傾げている。無理もない。俺も今までその本がこの事件の謎を解く鍵かもしれないとは思ってもいなかったのだから。


「あれ、今でもあるか?」


「うん、部屋の本棚にあるけど」


「見せてくれ!」







 アレックスの家は鍛冶の熱が充満しており、全身をストーブで囲まれているくらいに暑かった。おまけに鉄の匂いが鼻を刺激する。


 アレックスの家に入るのは久しぶりでまだ慣れていないが、アレックス自身は当然この環境には慣れているようで表情ひとつ変えないでいる。


「えーと確かこの辺に......」


 アレックスが本棚を指でなぞりながら例の本を探していると、「あっ、あったあった」と1冊の本を取り出した。


「これだよね?」


 アレックスが本の表紙を見せるように差し出してくる。


「間違いない、それだ」


 無地の臙脂色の表紙は間違いなく、10年前俺が見せてもらったものだ。今となっては埃が被って年季を感じるが、それがまたいい雰囲気を醸し出している。


 俺は本を受け取り、1ページを開く。そこには『呪文集』と書かれており、目次として各職業が載っている。例えば勇者、武道家、魔法使い、僧侶、旅芸人、占い師......等など他にも沢山あった。職業によって覚える呪文が違うのだろう。


 俺はその目次で俺が知りたい職業呪文についてのページ数を確かめると、そこを開けた。


 上から順番にズラリと呪文名とその効果が書かれてある。俺は指でなぞりながら、あることに該当する呪文効果を探した。


 そして見つけた。


「これだ!」


 突然声を上げたのでアレックス「どうしたの?」と本を覗いてくる。


「この呪文がどうかしたの?」


 俺の指先を見ろと、アレックスは促されるようには呪文の効果を読んだ。


「え......え!?嘘!?これ!」


 アレックスはボールのように目を丸くした。


「じゃあシシは!」


「ああ」


 俺は大きく息を吸って、吐くように言った。




「生き返る」








 俺とアレックスは再びチノ村長の家にお邪魔していた。


 しかし、今回は俺達から出向いたのだ。


「話とは、もしや犯人がわかったのか!?」


 チノ村長が時間より早く俺達が現れたことにより、そう悟ったみたいで興奮していた。


「断定とまではいきませんが、それが本当か確かめるためにちょっと見せてもらいたいものがあるんです」


「な、なにをじゃ?」


「キッチンです」


「キッチン?」


 チノ村長がオウム返しできいてくる。



 俺たち三人がキッチンに入ると、俺は「失礼します」と一言付け、台所の下の引き出しをあけた。


 そこには、ナイフ、まな板、お鍋、といったありとあらゆる料理道具がそろっていた。全てシシが使っていたものだろうと思う。


「この中をみて、なにかわかりませんか?」


 チノ村長が引き出しの中を覗き込む。


 しかし、分からないようで首を傾げた。


「じゃあ、なにか無くなっていませんか?例えばナイフが1本消えていたりとか......」


 そこまで言うと、チノ村長が「あっ!!」と目と口を大きく開いた。


「やっぱり、ナイフが一本消えているんですね」


 これで俺の中でほとんど謎が解けた。ナイフが一本消えていることで、犯人が誰か、共犯者が誰かわかってしまった。


「じゃあ、その消えたナイフでシシを殺したというのか?」


「ええ、そういうことになります」


「でも誰がナイフを持ち出したんだじゃ......キッチンには誰一人入れておらん。入るのはわしとシシくらいじゃ」


 チノ村長は混乱しているようで、頭を抱えていた。


「なら詳しく聞きましょう」


「だ、誰にじゃ?」


 チノ村長が顔色を悪くして顔を上げた。


「サンさんを呼んできてください」







「話とは?」


 サンが先程俺が座っていた席に腰をかけている。もしかしたらその席は尋問用なのかもしれないという変な考えが頭をよぎった。


「単刀直入に言います。あなたは事件について全て知っていますね?」


 サンが表情ひとつ変えずに、無言で俺の瞳の奥を見据えた。動揺しているのかさえ俺には分からなかった。


 しかし、やがて「ふぅ」と息を漏らすと、もう隠し通せないと悟ったのか、諦めるように「ああ、知っている」と口にした。


 それにまず過剰に反応したのはチノ村長だった。


「し、知っているってどういうことじゃサン!さっき聞いた時何も知らないと言っていたじゃろ!」


「チノさん、落ち着いてください。まずはサンさんから詳しく聞きましょう」


 アレックスがチノ村長を宥める。


「知っていてチノ村長に教えなかったのは理由があるんですよね?」


 俺の問いかけにサンが黙って頷く。


「それは、シシに口止めされていたからで間違いないですよね?」


「なっ......なんじゃと!?」


 俺はチノ村長の感情の波のせいで倒れないか心配になってきた。


「ああ、そうだ」


 サンが抑揚のないトーンで言った。


「じゃあやっぱりシシは自殺をしたんですね? 事前にあなたに生き返らせてもらうよう頼んだ後に」


 チノ村長は絶句していて、言葉がでないようだった。


「よくわかったな。シシからはあああああが犯人に晒され地下の牢獄に入れられる時に明かしてくれと言われていたが、まさかあああああがそんな推理力を持ち合わせているなんてな、驚いたよ」


 サンが初めて口元を緩め、感情を表した。


「俺もホイムを覚えるまで気づきませんでした。俺はレベルアップにより呪文を会得すると、ある可能性に閃いたんです。その可能性はお昼にシシと話している時の内容にも関係しています」


「シシと何を話したんだい?」


 アレックスにはチノ村長の家に行くまである程度の仮説を話したが、ここからはまだ話していなかった。


「シシが言ったんだ。サンさんがすごい呪文を会得したって。その呪文を聞く前に魔物が侵入してきてそのあとの話は聞けなかったけど。そこで俺はもしかしたら、という可能性が生まれた。俺はそれを確かめるためにアレックスに頼んで呪文一覧表の本を見させてもらった。俺は僧侶の呪文集をみて、該当するものを探した。そして見つけた。その呪文は『ザオリル』。効果は、死んだ人間を生き返らせることができる。自然の寿命と、酷くバラバラになった死体には効果を発揮できないと書かれていた」


 沈黙が訪れる。それを先に破ったのはチノ村長だった。


「し、死んだ人間が生き返るじゃと?」


「つまり、俺の推理はこうです。シシはサンさんのザオリルの呪文を知っていてわざと自分で命を絶った。馬小屋の鍵も自分の死体を早く見つけてもらうため。推理とまでは行きませんが。


 でも俺には二つ分からないことがあります。

 サンさんはさっき俺が地下の牢獄に入れられる時にこの話をすると言いました。なぜそのタイミングなのか。そして、なぜシシがそんなことをしたのか。教えてください」


 俺にはその2つがどう考えても分からなかった。何故シシは俺を陥れてまで自殺をしたのか。どうしてそのタイミングで全てを打ち明けようとしたのか。


 俺は顛末を聞かずにはいられなかった。


「シシはあああああに魔王を倒しに行かせるために死んだ」


「え?」


 俺は思わずそんな間抜けな声が出がしまった。チノ村長もアレックスも多分俺と同じような顔になっている。


「シシ、あいつは考えた。自分が死んで、その犯人をあああああに陥れて地下の牢獄に入ることになった時、私があああああに無実を証明しようと助け舟を出す条件に、魔王を倒しに行かせようとしたんだ」


「な、な、」


 なんて女なんだ。シシ、あいつそんなにも悪知恵が働く女だったのか。


 しかし、腑に落ちないところがひとつある。


「でも、そんな面倒なことしなくたって、シシを生き返らせる条件に魔物討伐を申し出る方が簡単だったんじゃないですか?」


 明らかにシシのやり方は回りくどかった。俺が犯人に陥れられ、地下の牢獄に閉じ込められる時じゃなくても、シシが生き返る条件に魔王を倒しに行けと言われたら、俺はもしかしたら、いや確実に魔王を倒しに行っていたと思う。


「シシは......慎重な子じゃからのお」


 チノ村長が代弁した。


「「あ」」


 俺とアレックスが同時にそう口にした。


 サンが「ふんっ」と鼻を鳴らした。


 そして俺とアレックスは顔を見合わせて笑った。


「どんだけ慎重なんだよ」










「ザオリル!」


 サンが土から掘り起こされたシシの死体に呪文を唱えた。


 今となっては、シシは馬小屋の時の無残な姿ではなく、安からに眠っているようだった。


 不思議なオーラのようなものがシシの体にまとわりつく。


 本当に生き返るのかと、どこかソワソワしている俺がいた。


 やがてサンが呪文を唱え終えると、お腹の傷もすっかり無くなっていた。


 そして、シシが朝目を覚ますようにゆっくりと瞼を開けた。


「「シシ!!!」」


 アレックスとチノ村長が号泣しながらシシに抱きついた。


「ちょ、え!?どうしたの二人とも」


 シシがかなり困惑したまま、2人に抱き抱えられる。

 無理もない。生き返った瞬間、おじいちゃんと友達に号泣されたまま抱きつかれたら誰だってそーなる。そして、ふたりの気持ちもわかる。


 今日死んで今日生き返ったはずなのに、なんだか久しぶりに会った気がする。


 チノ村長とアレックスがようやくシシから離れると、立ち上がり体の土をはたいた。


「私がこうして生き返ったってことは、あああああ、魔王を倒しに行ってくれるのね?」


「無理......と言いたいところだが、そしたらまたお前が死ぬからな。魔王倒しに行ってやるよ」


 俺が溜息を零すと、シシは満面の笑を浮かべた。









「......あああ」


「......ああああ!」


「あああああ!!」


 重い瞼が瞬き混じりに開く。


 木の天井が視界に入ってくる。目線を少し左にずらすと、オタマを片手にエプロン姿の肥えた母さんが険しい顔で立っていた。


「やっと起きたかい。今日は3人で村を出発する日だろ? ほら、早くご飯食べて支度しなさい」


 母さんが重い足取りで調理場に戻ると、いつもとは少し違うスープの匂いが漂ってきた。




 先日、アレックスから半年掛けて作ったと言われる剣を貰った。俺はそんな勿体ないもの受け取れないと断ったのだが、アレックスにどうしても最初の自分の剣は親友のあああああに使ってほしいと言われたので、俺はお言葉に甘えて使うことにした。


 その剣を腰に差すと、ドアのノックに交えて「「あああああ!!」」と2人の声が聞こえてきた。


「2人が来たよ、ほらさっさと行っておいで」


 母さんが俺の背中を押す。


「行ってきます」


 俺は背中越しにそう言い、ドアノブを捻ったところで「絶対に帰ってくるんだよ」とその母さんの言葉に目頭が熱くなった。


 俺はやや震えた声で「うん」と答えると、ドアを開けた。


 そこには2人の仲間、シシとアレックスが立っていた。


 シシはやけに大きな荷物を背負っていて、アレックスも武器鍛冶に必要な道具が入っているであろう鞄を背負っていた。


「ちゃんとお母さんに挨拶した?」


 シシに余計なお世話と言いたくなる。


「ああ」


「あれ? なんかあああああ、目赤くない?」


「そ、そうか? さっき起きたばっかだからな」


「それより、早く行こ! 」


 シシの急かしに「そうだな」と応答し、村の出入口に向かう。


「サンさんが来てくれたら百人力なんだけどなぁ〜」


 アレックスが弱音を吐く。でも無理もない。ザオリルを覚えているサンが来てくれれば、旅としてはかなり心強い。


 しかし、サンは「私もこれから1人で旅をする別の用事がある。いつかまた旅をしていたら他の場所で会うことになるだろう」となんかかっこいい台詞を残して先にこの村を後にしたのだ。


「でも私たち3人なら何とかなるよ! 勇者もいることだしね!」


 シシがニヤニヤと俺の顔を覗き込んでくるが、俺は顔を逸らし無視をした。


 村の門付近に到着すると、村人全員が出迎えてくれていた。


「おおおおおい! 頑張れよぉぉ!! 魔王を倒してきてくれぇぇ!!!」


「世界をあんたらに託したよ!!」


「疲れた時はいつでも帰ってきてもいいんだよぉぉぉ!!」


 村人達の応援にアレックスとシシは目に涙を浮かべた。15年間今まで1度も外に出たことは無かった。唯一アレックスだけが、ここに移住する時に渡ったくらいだ。


 今までみんなに支えられてきた俺達が、いきなり偽りの世界を旅にするなんて、みんなにとっても不安であろう。


 でもこれは物語だ。フィクションなのだ。俺たちを生かすか殺すかはこの作者次第なのだ。


 俺はあの事件を機に気づいた。運命は変えられないということを。『勇者が魔王を倒さない』道に進んでも結果的に『勇者が魔王を倒す』ルートに戻ってしまったのだ。


 だから俺がどう足掻こうとも、この世界には通用しないのだ。


 なるようになれだ。


 俺は勇者の首飾りを強く握った。


 そして、新たな世界に一本踏み出すのであった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勇者が魔王を倒す 池田蕉陽 @haruya5370

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ