追想

 ふと、この町について考えてみる。


 この町はそこそこ名のある町で、外国人とかが結構来る。実は同じ都道府県であるのに、私の故郷は電車がJRで一時間一本だったり、車両がぶっつぶれそうなものを使ってる謎の超赤字私鉄があったり…と――

 つまりはドイナカなのである。

 大学進学のために訪れた私は都会というものにひどく驚かされた。

 まず、一番の驚きは自動改札なるものの存在である。そういうものがあることはテレビなどで知っていたものの、入場時は切符を入れたあと、出てきた切符を受け取らなければならないことを知らなかった。出てきた切符を見て、神妙な顔をしながら、なぜだか妙に心が安らいだ覚えがある。

 無人駅ではワンマン電車の整理券だったり、改札がほぼないので駅員さんが未だ切符切りをしているのだ。まだ、私がいたところは田舎のなかでも栄えている方なので、さらに奥では一体どうなっていることやら…

 また、交通機関が驚くほど早い。一時間一本が基本だった私はバスなんて2時間に一本だよ…と思ってみれば、バスで町中移動できる。東京のあのダンジョンマップのような路線図ではないが、多分、バスも血管のように張り巡らされているのではないだろうか。

 次は季節感だろうか。最近、人の格好を見て、季節を判断し始めるようになった。みんなおしゃれなのである。おじいちゃんおばあちゃんまでおしゃれで、田舎ではおじいちゃんおばあちゃんになるとモンペで畑仕事をするのが当たり前だったので、都会ズラーという感じ。でもまあ、結構都会の人って一斉に服装を変えるよね。あれってなにか基準があるのだろうか。石原良純が『今日から冬のファッションでいきましょい!』とタウンページ片手に力説しているのだろうか。

 そして、最後に、もう私の中ではありきたりになったものの、驚いたのは、コンビニでレシートを貰えないことがあるということである。レシート管理をしていないのでなんとも思わないが、多分、若いか若くないかでレシートの有無を確認しているんだと思う。

 …あ、私、若かったんだ。エヘヘ。


 都会の人と田舎は人間も大分違う。私が都会の人間と接して思ったのが、大分軽い人が多いということだった。娯楽が溢れているためか、自分本意の人間が多いし、友達もなんだかただの話し相手や都合のいい奴のようなそんな感じ。お金や偉さなどの権力こそ全てで、その権力にうまく滑り込むことが力だと思い込んでいる。少し都合が悪くなれば簡単にそのコミュニティを捨てて、何もなかったかのように振る舞う――


 人間に関してはやっぱりなにもかも違った。逆に都会の人からすれば田舎の人間は閉鎖的で――てな感じだそうである。確かに田舎の人間は都会の人間をバカにしている節がある。農作業ができるわけでもなく――のような感じ。でもそれは都会に対する負い目だったり、都会人の軽薄さに傷付いた結果なのだろう。田舎人にとって都会人の軽薄さは決して許せるものではない。村組織において一人でも身勝手なことをすると何十人の人が被害を被るためである。確かに田舎人はよそ者を嫌うが、でも、いじめとかはそうそう起こるものじゃない。田舎人はすっごく周りへの体面を気にするので。あと、意外とよそ者ウェルカム。だって若者少ないもん。毎日出会ったらちょっとあいさつしてお話しして、くらいをしておけばそのうち仲良くなる。まあ、急に仲良くなるということはまずないけど。田舎人は急に堀を埋められると困惑する。


 まあ、個人差はあれど大方こんな感じかなーと。田舎人はあんまり適当な人間はいない。それは本当にそう思って、それが故に都会人の心意気には戸惑うばかりである。

 なお、竹内緋色にはコミュ力と呼べるものが皆無であるので、都会だろうと田舎だろうと暮らしていけないわけなのだ!


 以上、大晦日の初詣にも行きたくなくなっている、竹内緋色でした!

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