お役御免


 牛尾は、引き続き、電子データの保存のサーバでの対応に向けた提案を進めていた。

 そんなおり、尾崎本部長から声がかかった。

「牛尾くん、ちょっときてくれるか?この前の提案書の件なんだけどさ」

 牛尾はちょっと逡巡した。

「すみません、あれ、まだ完成版ではないんです。まず、進捗報告という意味でお送りしたのですが、今、細部を詰めています」

「そうか、まぁ、どれだけお金がかかるかわからんが、今、神藤常務がきてらっしゃるんだ。結構、予算が厳しいようでな」

 げぇ、神藤さんか。ちょっと嫌な予感がしたが、やむを得ない。

「わかりました。すぐ伺います」


 尾崎本部長の部屋にはいると、神藤が苦虫を噛み潰したような顔をして座っている。

 尾崎から

「おう、わるいな。まぁ、ここにかけてくれ」

 と、前の席を勧められる。神藤とは、はす向かいだ。苦手というのを配慮してくれているのだろうか。

 ちょっとした沈黙の後、神藤が口を開く。

「どういうつもりだ?」

 一瞬、何のことかわからず、黙ったまま、神藤の顔を見た後、尾崎の顔を見る。

「何のことでしょうか?」

「何のことだと?これに決まってるだろうがっ!」

 と、テーブルに印刷された資料を音を立てておく。それは、以前、パスフレーズ付きで送ったために誰も開かなかったとわかり、やむなく印刷して配付したもの。もちろん、関係外秘、禁コピーのスタンプ付きだが、通常用紙への印刷のため、コピーされたものだった。

 まぁ、このことだとはわかってはいたが、もっと具体的に、何がまずかったのかな、、というのが本当にわからない。ただ、何もわかっていない神藤が、ぐちゃぐちゃ引っ掻き回しているのを好ましく思っていない牛尾は、ちょっとした意趣返しのつもりで

「うわ、すみません。しっかりコピーされちゃったんですね。こんだけ大きく『禁コピー』ってやったのに、、、まいったなぁ」

 と、しれっと言ってみる。神藤は顔を真っ赤にして

「そんなこと、言ってんじゃないよっ」

 と叫ぶ。牛尾は努めて冷静に

「でも、情報セキュリティー担当役員として、これはまずいですよね」

 と、そのとき、横から小さい声で尾崎が

『ウシオッ』

 と言いながら、机の下で足を蹴ってきた。やめろということらしい。

 いや、正直、担当役員でありながら、自身が決めたルールを守らないのは、看過できないとは思ったが、ここは尾崎に免じて(?)黙ることにした。

 神藤は、相変わらず顔を真っ赤にしたまま、大声で

「お前は何様のつもりなんだ。誰に口を聞いてるんだっ」

 と激る。牛尾は謝ればいいものを、ここは男の操とばかり、黙ってやり過ごす。

「まぁいい。でもな、これはお前のすべき仕事か?」

 と、テーブルの資料を叩く。

「はい、自分たちの業務で使うデータの保全についての対策ですから」

「ネットワークを新たに構築したり、サーバまで入れようとしてるっていうじゃないか。それは情報システム部の専決事項だ」

「もちろん、情報システム部で全面的に手当いただけるのであれば、喜んでおまかせしたいです。やりたくてやってるわけではありません。でも、待った無しなんです。なもので、仕方なく私が手を出しているわけで」

「それじゃ、任せればいいだろう。お前があれこれ手を出すのは迷惑なんだ。金だってかかるんだからな、一元管理した方が効率的に予算が使えるだろう。サーバだって、ボリュームメリットが出せるんだし」

 牛尾は思わずため息をついてしまった。と、落ち着きはじめていた神藤が、また厳しい顔になって、語気をあらげた。

「なんだ?何かおかしいか?」

 やれやれ、と牛尾は話をつなぐ。

「貴部には真っ先に相談しましたよ。当たり前じゃないですか。で、品質部門優先だから、私の部門は後回し、っていう答えだったわけでしょう。でも、今すでに、問題も発生しているわけですし、待った無しなんですよ。だから、仕方なくスタートしてるんです」

「くどいようだが、金がかかることなんだ。だから待て、って言ってるんだ、やらないとは言ってない」

「えぇ、数年後には、是非開発部隊も、品質部門と同様の環境を期待しています。でもそれまでのつなぎです。お金がかかるって言いますけど、どのくらいかかると思われますか?」

 実は、ドラフトには、仕様は書いたが、見積もりは載せていない。

 神藤は

「サーバ入れる、なんて言ったら、数百万だ。わかってるのか?」

 牛尾はまた、ため息をついて、

「どんなサーバ入れるってんですか?私が書いた仕様なら、50万ってとこですよ」

「馬鹿言ってんじゃない。そんな安いサーバにして、もしも何かあったらどうする」

「性能、というか、仕様は、見積もり金額で判断するんですか?」

「そうじゃない。でもな、常識的な金額ってものがあるだろうがっ」

 牛尾は諦めた。

 ここはこれ以上言い争っても不毛だ。

「・・・わかりました。もうやめます。情報システム部が手当てくださるまで待ちますよ、辛抱強く」

「ふん、最初からそう言えばいいんだよ。お前は研究開発の実験だけやってりゃいいんだよ。分掌外のことにまで首をつっこむんじゃない。わかったな」

 牛尾は、それには答えず

「それで、いつ頃になりそうでしょうか?」

「品質部門が終わり次第だな」

「2−3年ですか?」

「わからんよ、そんなの。もういいだろう」

 と神藤は、うるさそうに手を振る。出て行け、ということだ。

 牛尾はやむなく、尾崎の部屋を辞した。


 自席に戻る。東山が心配そうに

「なんかありましたか?顔色が悪いですよ」

 と声をかけてくる。

「ん?いや、別に」

 という声が、ちょっと震えているか。戻りながら、怒りがふつふつと湧いてきた。赤くなるのを通り越して、青ざめていたか。交感神経優位か、、、攻撃モードだな、と思いながら、受話器をあげてダイヤルをした。2コールで

「はい、情シス菅井」

 と応答がある。

「牛尾です、お久しぶりです」

 YICの頃からの、戦友というか、菅井には、今でも時々情報をきかせてもらっている。もちろん、就業規則違反にならない範囲でだが。

「あぁ、久しぶりですね。どうしました?」

「いまさぁ、神藤さんと、ちょっと一戦交えちゃってね」

「はぁ〜、相変わらずですねぇ、、」

「まぁね。それでさ、ちょっと教えて欲しいんだけどさ」

「わかる範囲でなら」

 菅井は義理堅い。わからないことでも、差し障りない範囲ではあるが、調べて後から教えてくれたりする。

「いまさ、品質部門のデータインテグリティー対策をやってるじゃん。あれって、次のステージで、研究開発もやる、って聞いたんだけど、いつ頃になりそうなの?」

 と、、菅井がちょっと沈黙したのち、

「え、研究開発も、ですか?聞いてませんけど、やるんです?」

 牛尾は、まぁ、そうだろう、想定範囲内だと思いながらも、ちょっとため息をついた。

「やっぱそう?神藤さんはさ、品質部門の後、研究開発もやる、っていってたもんでさ」

「まぁ、上の方は、そういう意向かもしれませんね。それは十分ありうる話ですし」

「じゃぁさ、品質部門の方、どんくらいかかるの?」

「どんくらい、って、期間?お金?」

「あぁ、両方」

 菅井は唸りながら

「ん〜、正確には私も覚えてないんですけどね、すでに半年遅れてますし、確か、順調にいって、あと2年だと思います」

 牛尾はちょっと驚いた。

「にねん?そんなに??」

 菅井は諭すように

「わかってらっしゃると思いますけど、データインテグリティーですよ。トラブルでデータが失われることは『あってはならない』んですから。さらには証跡監査確保とか、そりゃ、大変ですよ」

「まぁそうだよなぁ、、で、予算は」

「全部で、ゥン億」

「おくぅ?!」

 絶句。いや、まぁ、そのくらいは平気でかかるのかな。ちょっとゴールが遠のくのを感じた。仕方がない、やはりしばらくは、アングラでも自前でやるしかないんだな、との思いを強くした。


 それから2週間ほどが経過した頃、デスクワーク中に、神藤から電話がかかってきた。

「牛尾、おまえ、まだごちゃごちゃ口だしてるんだってな?」

 え?何を言われているのか、本当にわからずに問い返す。

「は、何のことでしょうか?」

 言い方が悪かったかもしれない。決して他意はなかったのだが、神藤は怒りを爆発させた。

「ごまかすんじゃないっ!おまえ、菅井に相談しただろうが」

 あぁ、あの事か。でも、そんな怒鳴られるような話をした覚えはなかった。

「あ、いえ、相談はしていません。ただ、先般、品証の対応が終わったら研究の対応を、とおっしゃっていたので、いつ頃品証がおわるのかを・・・」

 神藤は遮ってぴしゃりと言った。

「うるさい、言い訳はいい。

 第一、自前で勝手にバックアップシステムを立ち上げて動かしている、ってのも確認してるんだ。

 とにかくお前は、自分の仕事だけに集中していればいいんだ。情報システムがすべき事項に、二度と首を突っ込んでくるんじゃないぞ。いいな、わかったなっ!」

 と言うなり、ガチャンと電話を切られてしまった。

 そんな事まで調べるか、この人は。よっぽど暇なのか・・・まぁいいや、放っておこう、と思って、中断していた作業にとりかかる。と、程なく、尾崎がわざわざやってきた。牛尾は立ち上がり、一礼し

「あ、本部長、お疲れ様です。何でしょうか?」

 と聞いた。

「牛尾君、尾崎さんから電話があってな、抗議されたよ」

 はぁ、、、そこまでするか、と牛尾は思い切りげんなりした。尾崎は続ける。

「勝手なことをさせるな、ってことなんだが、バックアップシステム、今、自前で立てたの、動かしてるんだって?」

「はい、先日の中間報告にも記載してあります通りで、あれは、ほとんどお金も使わずに、すでに動かしていたものですが、、、」

「撤去しろ、っていうんだよ」

「えぇ?撤去ですか?」

「あぁ、勝手なことをするな、ってさ。私は、IT関係はあまり明るくないから、よくわからないけど、リスクがあるとおっしゃっててね」

 牛尾は、怒りで体が震えるのを自覚した。

「リスクなんてありませんよ。それより、撤去ってことは、データはもう、一切保存しなくてよい、ってことなんですか?かなり古いPCまであるんですよ、いつとんでもおかしくないような」「今言ったように、私にはよくわからないんだ。だがな、神藤さんにそう言われて、無視するわけにはいかないんだ。わかってくれよ」

「・・・」

 もう言葉にならなかった。尾崎は

「君が頑張ろうとしてくれているのはわかる。でも、会社の方針はある意味、絶対的なんだ」

 牛尾はかろうじて震える声で問いただす。

「・・・たとえそれが間違えていても、ですか・・・?」

「・・・」

 今度は尾崎が言葉が出せなかった。が、数秒の沈黙の後

「私には、今は『そうだ』としか答えられない。すまない」

 と言って、牛尾の前から立ち去った。


 しばらく牛尾は、そのままそこに立ち尽くした。


 ふと、我に帰ると、そのまま分析室に向かう。歩きながら、冷静さを取り戻した頭で、どうしようか考えていた。放置しても業務に影響はない実装だ。なら、通り一遍でいいか。自動バックアップのスタートアップやシャットダウンのスクリプトを停止させ、ネットワークドライブを取りはずし、HDDの中身をすべて削除すれば気がすむのかな、という結論に達した。

 機器の台数は多いが、ほとんど起動したままアイドリング状態だったので、スクリプト停止にはそんなに時間はかからなかった。最後に、ネットワークドライブをはずし、自席に戻り、ゼロフィルツールで、全データをゼロで上書きする設定で走らせた。時間がかかる。その日はそのまま、ゼロフィル作業をさせたまま帰宅した。


 翌日、出勤してすぐに、ゼロフィルが終了していることを確認。その状態の写真を撮り、分析室の撤去状態の写真も撮り、それを尾崎本部長に送った。

「ご指示通り、撤去しデータの削除もいたしました。作業後の記録の写真を同封します」

 報告するようには言われていないが、売り言葉に買い言葉。会社組織として、指示に対しての報告は義務であるから、わざとらしい報告をいれてやる、ということで、言葉だけでなく、あえて写真を添付することにしたのだ。

 デジカメ写真なんて、全然証拠にならない。本当は改竄防止の規格のデジカメが欲しかったが、一般で入手は困難であり、対応のSDカード自体も一般向け販売がない。が、今回はあくまで、ごまめの歯ぎしり、ささやかな嫌がらせの趣旨で、本質的な記録性を求めていないので、よしとした。そして、一部写真の編集をわざといれておいた。もし尾崎が神藤に転送し、神藤が「OK」をしたら、思い切り笑ってやろう、もちろん影でだが、そういう気持ちであった。


 ノブリス、オブリージュ


 牛尾のメンターが好きだった言葉。それを引き継ぎ、牛尾も座右の銘にしていた。が、今の組織には、そのかけらすらない。もうすべてが嫌になった。

 牛尾はもう、二度と関わるまい、と心に決めた。刹那、感情がどっとあふれ、ネットワークドライブを掴み取ると力任せに床に叩きつける。


 カシャーン


 クッションフロアで、思いの外、音は小さかった。筐体と基盤がぶつかる音だけであった、が、それでも、周りの人間はハッとして、牛尾の方を見た。が誰も何も言わなかった、いや、声がかけられなかった。


 次の瞬間、牛尾は吹っ切れたように、そして何事もなかったように、おだやかに東山に話しかける。


「今日の実験予定なんだけどさ・・・」

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