USBメモリ


 牛尾は電子データの扱いをどうしようか、考え始めたものの、先立つもの、お金がなくて、何も進められずにいた。

 分析機器は、決められたOSのバージョンでのみ、動作確認がされているため、また、周辺機器ドライバなどの相性とかもあり、基本的には導入した「ママ」の状態で使うことが好ましい、というケースが多い。

 常識的に考えると、セキュリティーホールの修正がされていない、ということは危険。でも、完全に独立した環境にあるPCで、ネットワークにも接続されていないから、リスクとしては極めて低い、という判断もできる。そういう場合は、セキュリティーパッチを適用することで発生する可能性がある「不具合のリスク」の方が問題である、という結論となることがある。

 実際に、業者にパッチを適用して良いか確認したところ、「動作保証しかねるので、自己責任でどうぞ」と言われてしまった。

 牛尾の部署では、そのため、基本的には、メーカーからの動作保証がされた環境でのみ、使用することにしている。そういえば昔、ウイルス感染したPCをネットから切り離したら、その結果ダウンした業務でのビジネスインパクト・機会損失のリスクを評価しなければならない、と叱られたことを思い出していた。そう、このケースはまさに、ビジネスインパクトを考慮すると、パッチあてをすべきではないケース。その代わりに、万一に備えて、完全にネットワークから隔離したスタンドアロン運用にしている。


 が、ある日、事件は起きた。どうもPCの調子がおかしくなっている。動作が遅い。このままだと分析にも影響が心配される。

 現場がざわついているのに気づいた牛尾は、

「どうした?」

 と声をかけた。

「あ、牛尾さん。実はちょっと、このPCの動作が変なんです」

「変?変って?」

「分析プログラム立ち上げますよね。普通だとすぐに、ロゴが出て、10秒もしないうちに立ち上がってくるんですけど、ちょっと見てください」

 アイコンをダブルクリックする。牛尾は覗き込む。何も変化がない。

「普通ならもう、ロゴが出てるはずなんですけどね、、あ、出ましたね、やっと」

 どうやら裏で何かが動いているらしい。

「いつからだ?」

「2ー3日前くらいからですけど」

「その頃なんかしなかったか?だれか、何か、なんでもいいから、気が付いたことがないか?」

 皆が顔を見合わせながら、話しているが、何もない。

 牛尾は、ふと気になって

「別に普段と違わないことでもいいんだ。2−3日前に使ったのは誰だ?」

 榊原が答える。

「私は使いましたけど」

「何かメディアささなかったか?まさかネットには繋いでないよな?USBとかさしてないか?」

「あぁ、データをバックアップするために、USBにデータを移しましたけど。でも毎回やってますよ」

「そのUSB、今あるか?」

「ありますよ」

 USBを受け取る。

 牛尾は、情報システム兼務の時から、検証環境を持っていた。そこでUSBを慎重に開き、確認をする。思った通りだ。


 自動起動のウイルスが仕込まれていた。

 USBポートにさすだけで、ウイルスが自動実行される。

 榊原のところに行き、

「このUSB、どっから持ってきたんだ?」

「業者が修正プログラムを入れて持ってきたやつなんですが、どうかしました?」

「ウイルスに感染していた」

 榊原はちょっと顔が青ざめ

「ほんとですか、、、大丈夫なんでしょうか?」

「うーん、君はデータを移した、って言ってたけど、そのデータはどうした?」

「私のPCに落としました。あっ、私のPCは感染したんでしょうか?」

「ちょっと見せてみろ」

 と、牛尾は、PCを確認してみた。

 幸い、感染はしていなかった。

 もともと、ネットワークに接続するPCは、最新のパッチ、最新のウイルス定義ファイルでのウイルスチェック、そして、機能制限が施されている。特に機能制限。USBなどの自動起動を禁止する設定になっているため、ウイルス感染を免れることができた。

 ただ、ウイルスチェックで、検知されるはずなのだが、それはすり抜けたらしい。


 分析はできないと困る。今日はもう動かしているので、今日はだましだまし動かし、そのまま、業務終了後、一旦クリーンインストールをすることにした。

 USBメモリを送ってきた業者に確認したところ、業者側の不手際と認め、謝罪に来た。

 謝罪して済むものではない。が、小規模な業者では、セキュリティ対策にも限界があるのはやむを得ないのかもしれない。

 流石に、まさか業者が渡してきたものまで疑うのはしんどい。それでも、可能性としては、リスクになりうるということを改めて肝に命じた。


 この事件は、電子データの扱いについての今後の方針を決めなければ、と牛尾の中で放置状態になっていた課題を思い出させることになった。


 そもそも、電子データがきちんと吸い上げられる仕組みがあれば、今回のような事故はおこらなかった訳で、後手を踏んだことを若干後悔をしないではなかった。


 今できることは何か。

 データインテグリティー[注13]はこの際、目を瞑る。まずは、その場でデータを二重化することにする。台数分確保するのは勿体無いが、背に腹は変えられない。

 古いPCは、残念ながら諦める。定期的にCDに焼く。

 最近のものは、USBがついている。古いOSだと、ドライバがついていない、ドライバがインストールできない、という問題はあるものの、まずはその作戦をベースに進めることにした。


「榊原、USBメモリ、SDカードでもいい、ちょっと見積もりを取ってくれ」

「容量はどんなもんですか?」

「まぁ、2Gってとこだろう。SDも基本仕様で、ハイキャパシティである必要はない」


 数日後、榊原が見積もりをまとめた資料を持ってきた。

「圧倒的に通販のが安いです」

 牛尾は、ちょっと顔を曇らせる。

「大丈夫なのか?」

 と、印刷物を見る。一見、普通のように見えるが、通常の半額以下の金額である。

「まぁいい。試しにちょっと買ってみろ」


 数日後、SDカードが届く。32GB。

「おい、32だと、つかえない環境もあるんだから、2Gで、と言ったろう。まぁいい」

 プロパティを見る。問題なさそうだ。

 だが、全セクタの読み書きを行うツールで確認をしてみると、、エラーが出る。オフセットが重複している、とのメッセージ。

 SDは、その仕様上、物理フォーマットという概念がない。HDDとかは、昔は必ず不良セクタがあり、物理フォーマット時にそのセクタを使わないように設定されていた。同じことができれば良いのだが、、、SDはそうはいかない。

 榊原を呼んで、検証結果を見せる。

「さっきのSDだけどな、使えん。同じセクタを二つのアドレスが共有するようなことになっていた。ちょっとデータを移すのに使う、ってんじゃない。データ保存につかおう、っていう趣旨なんだ。ちょっとデータを持ち出すのに便利で、そういう使い方が想定されたメディアではあるから、しょうがない部分はあるけど、そもそも、データの保管限度って、お前、知ってるか?」

「え、そんなもの、あるんですか?」

「あぁ、一概には言えないが、こういう不揮発メモリって、5年くらいでデータが消えても文句は言えないんだ。そのため、より長くデータが保ちますよ、っていう製品も出ていたりする。ちょっと機動性が必要で、っていう場合は、安かろう悪かろう、でも問題はない。もしデータが失われても、やり直せばいいだけの話だ。でもな、バックアップデータとして持ちたいときは、いざ、データを読もうとしたらデータが消えていました、じゃ、意味がないだろ?

 CDやDVDだって、そうなんだぞ。最近はちょっと寿命はのびているけどな」

 榊原は、言葉を失った。牛尾は続ける。

「リスクをできるだけ減らしたい、ということであれば、それなりに保証がついてくるものを採用しないと、何かあった時に後悔してもはじまらない。通販が悪いってんじゃない。ただ、通販業者が信頼できるところなのか、その辺がわからないなら、信頼のできるメーカー品で、信頼できる仕様が確保された保証書付きのものを買う努力をしないとな。おまえも、食材買うときに、産地とかみてるっていうじゃないか。同じことだ」

「わかりました。ちょっとお値段が張るかもしれませんが、もう一度検討します」

「たのむ」

 牛尾は榊原の肩を叩いて出て行った。


 榊原は、牛尾の出て言ったドアを見ながらポツリと呟く。

「なんか、牛尾部長から信頼されてないんだなぁ」

 すぐ側で、先ほどからやり取りを聞いていた東山が言う。

「そんなことないだろ、どうしてそう思うんだ?」

「だって、やることなすこと、全否定じゃないですか?」

「はは、、そう感じるのか。お前もまだ若いな。。。こんな大事なことを任されてんだぞ」

「そうですかね、この前からケチつけられっぱなしなんで、ちょっと凹んじまいますよ」

 東山は、ニヤリとして、

「おまえ、気づいたか?さっき牛尾さん、おまえのこと、『おまえ』って呼んでたろ」

「はぁ、そうでしたっけ?」

「あの人な、普通は『君』って言うんだよ。でもな、こいつは素直に動いてくれる、って見込むと、結構言葉遣いが乱雑になるんだよ。おれは、いよいよ榊原、おまえも認められたんだな、って思いながら聞いてたぜ」

 榊原は、ちょっと恥ずかしい気持ちで顔を伏せた。

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