翻訳サービス


 海外からの問い合わせがあった。牛尾は、新人の榊原に対応を指示したが、様子を見に行った。

「榊原、どうだ?その後?」

「牛尾さん、ここの意味がわからないんですけど。。」

 牛尾はモニタに顔を近づける。その瞬間に、青ざめた。

 榊原は、メールをそのまま、Web上の翻訳サイトにコピーペーストして、翻訳している。

「おい、これ、だめだよ」

 榊原は、機械に頼ったことを指摘されたのだと思ったらしく、

「翻訳ツールを使わなくてもわかりますけど、念のための確認ですよ。その方が、誤解のリスクが減るじゃないですか」

 と言い訳をする。

「そういうことを言ってるんじゃない。翻訳ツールを使うことをとやかく言ってるじゃない。この翻訳サイトに、メールをコピペしていることがまずい、って言ってるんだよ」

「えぇ〜、何でですか?このサイト、一番性能がいいですよ。ほとんどそのまま使えるくらい、高品質な翻訳してくれますからね。これって、翻訳ミスとかを、ユーザが投稿することで、それらが品質向上に使われているんです」

「ははは、、だからなんだよ。今、君はいみじくも言ったよな。『ユーザが投稿したデータを使う』って。いいか。基本的にはビッグデータを扱うのはAIというか、機械ではある。意図を持った人間が使うことは、現実問題としてはないだろう。それでもな、翻訳サイトに入力したデータって、翻訳サイトに渡している、ってことだぜ。このお客様とのCDA、ちゃんと把握してるか?営業秘密は関係外秘だ。社内の人間といえども、関係者でなければ開示しちゃダメなんだよ。ましてや、翻訳サイトなんて第三者。君はちゃんと、翻訳サイトの使用規約、目を通しているか?」

 最近の若者は、反応が鈍い。

「はぁ。。。あるのは知ってますけど、あんなの見る人、いませんよぉ」

「プライベートで自己責任での活動なら、かまわんよ。でもな、業務はお金をもらって責任を追うんだ。そういうものは、きちんとしておかないとダメだぞ」

 そういって、榊原のPCのマウスを手にとって、使用規約のページを開く。

「いいか、、、、ほら、ここを読んでみろ。

『お客様が入力した情報を、翻訳品質の向上のため利用します』

 ってあるだろ。今度はここ、、、ここを読んでみろ。

『お客様の検索履歴から、興味のあると思われる広告を表示します』

 そしてきわめつけはここだ。

『収集した情報は、適切に契約を交わした第三者に提供することがあります』

 つまり、入力した情報は、どこに飛んでくかわかんないんだぞ。個人情報を保全したい、という人は結構多いけど、個人情報がなければあとはどうでもいい、というのはプライベートな世界の話だよ。企業が持っている情報は、情報自体が保全が必要なものだ、ということを理解してくれ」

 榊原はまだ、納得していない。

「牛尾さんは全く使わないんですか?」

「おれだって使うよ。で、社内で契約している翻訳サイトがあるの、知ってるだろ。あそこは、営業秘密を保全する契約がされているんだ。今話したような事情で、普通の翻訳サイトを使うわけにいかないから、わざわざお金を出してまで、そういうサービスとの契約をしているんだよ」

「あのサイト、使えないですよ、全く変な訳をだされて、、、結局自分で読んだ方が圧倒的にはやいんですから」

 牛尾は頷く。

「そうなんだよなぁ、それは俺も思う。斜め読みしたい時だけ通してるけど、普通は使わないな。確かに、君が今使っていたサイト、品質は素晴らしいな。時々私も使うよ。でも、その時は、明確に営業秘密が入らないように、編集したものだけを入力するようにしてるんだよ」

 榊原はなおもいう。

「牛尾さん、でもそうは言いますけど、みんなやってますよ?」

 牛尾も、実はそれは気づいている。ただ、自分の指揮系統外にまで話を広げることは流石にできない。そのため、せめて自分の部門内だけは、周知徹底していく努力をしているのだ。

「繰り返しになるけど、使うな、って言ってるんじゃないぞ。さっきも言ったけど、俺だってつかってるんだからな。何がリスクで、何はやってよいか、何はやっちゃまずいか、それをしっかりと切り分けることは、社会人としての責任だ、ってことを理解してつかってくれ」

 そこで一旦、声色を努めて明るく

「で、本題だけどさ、どうだ?返事考えて見たか?」

「はい、こんなんでどうでしょうか?」

 榊原は、プリントアウトを手渡した。ざっと見て、

「ちょっともらってくぞ、コメントは後でな」


 自席に戻りながら、牛尾は考えた。今度の月例会の時に、今一度部内に周知しておかないとまずいかな。。。


 数日後の月例会。牛尾は冒頭で、全員に向かい、問いかける。

「この翻訳サイト、最近ほぼ完璧な翻訳が出てくるんだよね。使ってる人いる?

 使ってる人は、手を挙げて見て?」

 予想通り、全員の手が上がる。

「だよね、いいもんね。じゃ、利用規約の内容を確認してるかな?見ている人は手を挙げて?」

 また、予想通り、誰も手が上がらない。

 東山が

「牛尾さん、あの超細かい字でぎっしり書いてある利用規約とか、普通みんな見ないですよ。当たり前のことしか書いてないんですから」

 と突っ込む。

「そう、そうなんだけどさ。榊原、どうだ?」

 と牛尾は榊原に話を振ってみる。榊原はちょっと逡巡したのち、

「ただ、入力したデータは、全部そのサイトに渡っちゃうんですよね。それは気をつけないとならないと思います」

 ちょっと会場がざわつく。牛尾は

「すまん、あまり時間を取ってもしょうがないので、これで終わりにするけど、みんな、業務内容をWeb上に入力するのがどういう意味があるのか、きちんと一度考えて見てくれ」


 やはり、今、ネットに投稿すること自体、普通のことだと考えられてしまっているのだろうか。その日の月例会中、本題そっちのけで、そのことばかりを考えてしまっていた。

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