バックデートはダメ


 基本的には、牛尾の部署では、データは全て、紙ベースで承認保管がされている。

 分析結果など、昔はロールペーパーに印刷されていたが、今では普通は、レーザープリンターに印刷されるようになっている。便利だし綺麗。さらに、ロールペーパーは、感熱紙のものが多かったが、感熱紙では長持ちが保証できない。ただ、レーザープリンターの問題点は、連続性の証明ができないこと。都合が悪い結果を闇にほうむることができてしまうのは、流石にまずいので、そこに工夫が必要になる。


 そんなある日、内部監査が入ることになり、データの整理確認を行っていた。

 牛尾は、データが揃っていることを確認しながら、要求時に提出しやすいようにファイリングをしなおしていた。

 ある印刷チャートが、チャート上に手書きでされている計算の記載方法に問題を見つけた。担当者に直させなければ。みると東山だ。

「東山、これ、、、なんだけどさ、計算式書かないで、いきなり矢印で計算結果がかかれているけど、これだと、照査しようがないだろ?ちゃんと計算式書くように習ったろ?」

 まだ若い東山は、慣れていなかったのだろう。恐縮しながら、

「申し訳ありません、修正してきます」

 と、その一連のシートをもって自席に戻っていった。牛尾は、続きの資料から、取りまとめファイリングを再開した。

 2時間くらい経っただろうか。牛尾は伸びをしながら、

「ハァ〜、疲れたなぁ」

 と首を回しながら、ふと思い出した。向かいの席の東山に

「おう、さっきのアレ、どうなってる?」

 東山は机に向かったまま

「あと、、、あとちょっとです」

 牛尾は、コーヒーを淹れに行き、東山の分も入れて戻って来て、東山の机にコーヒーをおいた。

「おつかれさん」

 東山は、びっくりした顔で

「これ、汚しちゃったらまずいですよね、コーヒーの飛沫とか」

「まぁ、そうだな。でもな、逆に、デスクワークでコーヒー飲みながら照査することは、そんなに悪いことじゃない。まぁ、ふつうはやらんだろうけど。なので、そういう汚れとかって、本当に生データ、ってことがわかって、かえって受けが良かったりするんだぜ。逆に、ピカピカの切れるような紙の状態での記録なんて、『お前ら、あとから清書しただろ』と思われたりするんだ」「へー、そういうもんなんですかね」

 牛尾は、東山の作業をしているところを覗き込んで、一瞬固まった。

「・・・おい、東山、それって、、、印刷して、計算式、書き直してるのか?」

 東山はキョトンとした顔をして

「はい、、、そうですが、、、式が書いてなかったので、さっきの元シートには式を書き込む余地がなかったので、書き直した方が早いしわかりやすいし」

 牛尾はどっと脱力しそうになるのを堪え、

「さっき、『お前ら清書したろ』って言われる、って話ししたよな。生データってさ、あとから都合よくデータを作ってませんよ、ってことを証明する大事なものなんだよな。なもんで、データが出たときに出力した紙、これを最後まで使わないといけないんだよ」

 本当は、電子データが生データで、それが今問題なんだよなぁ、、ということは、この場では言わずにおく。

「だからさ、さっきの大元のシート、あれに、「追記」して、「追記を『いつ』『だれが』『なぜ』したのかが、わかるように記載してくれよ。折角、古いデータ見つけ出して再出力してくれたのに、申し訳ないんだけどさ」

 東山は納得いかないように

「はぁ、、、でも、そんなのわかりっこないじゃないですか。なんでこだわるんです?」

「あのな、まず、守るべきことをやる。なぜ、そういうことを求めているのか、その精神をまず、しっかりと理解することが大事なんだ。バレなければ良い、という考えでやっていると、必ずどこかでほころびが出る。契約書なんかでもさ、後付けで契約を結ぶときに、バックデートして、サインするケースもないではないけど、普通は、本当にサインした日を正しく書いて、本文中に、イツどの段階まで遡って有効とする、という記載をするだろ?信じられないかもしれないけどさ、どんな些細な嘘でも、嘘をついてしまうと、それを隠すために新たな嘘が必要になって、、というのが重なって、最後は大きな嘘にまで発展したりするんだよな。だから、まずは、嘘はつかない、っていう意識をしっかり持ちたいんだ」

 東山は、まだ納得していない。

「それはわかりますけどぉ、、、これについては、嘘じゃないじゃないですか?改竄したわけでもないし」

 牛尾は、若い同僚に、頭ごなしはしたくない。

 あまり出したくないカードを切ることにした。

「じゃ、この承認の日付、どうすんだ?今日の日付にするのか?」

「いや、それはその当日の、、、まぁバックデートではありますけど、数値変えるわけじゃないし、実際にその日付で確認された数値を書くんですから」

「でも、みる人はそうは思わんぞ」

「だって、いつ書いたかなんて、日付を信じるしかないじゃないですか?」

「本当にそう思うか?」

 牛尾は、問いかけながら、ブルーライトが出るスマホを手にして、

「ちょっとこっち来てみな」

 と東山を呼び寄せた。机の下の暗がりに、紙を置いて、ブルーライトを当てる。そこに、よくみると小さなスポットがいくつかうっすらと見えている。牛尾は

「見にくいけど、小さいポツポツがあるのが見えるか?」

 東山は、目をこらしながら、

「はぁ、あぁ、確かになんか、スポットがたくさん見えますね。それがどうしたんですか?」

「あれはな、トラッキングドットっていうんだ。仕様は公開されていない。でもな、あのドットから、いつ、どの機械から印刷されたのかわかるんだぞ。つまりな、お前が今日、あのプリンタから印刷しました、でも、サインの日付はなんと2年も前。これ、どう説明する?」

 東山は言葉を失った。

「そんな、、、印刷物に、そんな情報が残るんですか、、、知りませんでした」

「まぁ、普通は知らないし、そんなに気にするものではないんだ。実際に査察に入られたときに、そのデータをもとに突っ込まれる可能性は極めて低い、というよりほぼゼロだろうな。裁判とか、そういうケースにならなければ、問題になることはないよ。でもな。嘘をつくと、どこでどんなほころびが出るかわからないんだ。だから、正直に正直に。もし、記載すべき事項を書き忘れていても、それをあとから書き込んだら、知らんぷりしてるんじゃなくて、必ず修正の記録を残す。やったことはやったときに記録する、これを基本にしていればいい。

 チョンボがあっても、それに気づいて対処している、という説明の方が、嘘をついているよりもよっぽど堂々と説明ができるからな」

 最後に牛尾は、一言。

「おまえさ、カラープリント使ったろ。あのチャートの印刷、ロゴ以外は黒じゃん。カラー使う意味あるか?実はさ、トラッキングドットってさ、見えにくい色を選ばないとなんないわけでさ。実を言うと、白黒プリントをすると、印刷されないんだぜ、少なくとも、あのプリンタメーカーのやつはな」

 といってニヤリと笑って続ける。

「そもそも、1枚あたりの料金って知ってるか?白黒だと3円。でもな、カラーだと30円[注12]。全部真っ黒の印刷であっても、カラーモードだと30円。そりゃそうだ。だってさ、レーザープリンタって、一番高いのはドラムだからな。色の有無にかかわらず、ドラムは一回転でヘタるんだからさ。今までそう言うこと考えたことあるか?これからはな、コスト意識をしっかり持っていってくれよ」

 でも、こういうことは、ちゃんとみんな理解してた方がいいよな、と思いながらも、まずは自分のところから、正直ベースでしっかり進めることで、周りにどんどん広げていくしかないか。


 ふと思い立って、牛尾は東山に問いかける。

「そう言えばさ、コピーやプリンタの動作の仕組みって、知ってるか?」

「はぁ、なんとなくは」

「昔は、コピーはその場で本当にコピーされていた。プリンタも、1行ずつ送られたデータがそのまま印字されていたんだけど、レーザープリンタが進化して、今は、コピー機って、簡単に言えばスキャナとプリンタなんだよ。なので、コピーもプリントも、一旦印字イメージをハードディスクに保存して、それを印字に回す、ということになってる。ほら、残り容量、って表示が出てるだろ?」

「あぁ、はい。おおよそその辺は理解しています」

「じゃさ、このハードディスクに一旦保存されたデータって、どうなると思う?」

「作業が終わったら消されますよね」

「そう、まぁ普通はそんなに心配はしなくてもいい。でも、トラブルで修理に出す時や、廃棄するときは、ちょっと配慮が必要なんだ。つまり、ハードディスクのセクタには、データが全部残ってるんでな。普通のPCの廃棄時も、ハードディスクのクリーニングってやるだろ?あれと同じことは、コピー機でもそうなんだよ。だから、廃棄するときは、契約でデータの完全消去を約束させるか、心配なら、ハードディスクは抜いてしまう、ってことまで考えるんだ。修理も、普通は大丈夫だけど、『ハードディスク交換がされていないこと』は必ず確認しないとな」


 こんなところからもデータが漏れる可能性があることを、どれだけの人が認識しているのだろう。自分が考えすぎなのは重々理解はしているが、それでもやはり考えておかないと。

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