情報システム兼務解除


 専用線接続をはじめとしたイントラネットの敷設、メール環境の整備。YICのミッションが実装され、予算もリーズナブルにつくようになり、まだデータベースや基幹システムの更新などの課題は多いものの、大きな山を越えたことは、確実に感じられる成果となった。サポートもルーチン化し、オープン系の環境の整備が終了と言える状態までこぎつけた。牛尾はもともと、情報システムは兼務で、安定してきた今は、本業の研究開発部門のミッションにもどっていた。

 そんなある日、牛尾は、伊賀から呼び出された。

「牛尾、ご苦労だったな。もう完全に本業に戻っていいぞ。兼務解除だ」

 伊賀はニコニコしながらも、目をあわせない。

 若干違和感を覚えながらも、牛尾は

「ありがとうございました。微力ではありましたが、なんとか動き出すことができて、本当に良かったと思っています。予算がつくようになった、というより、皆が、空気のように当然あるインフラである、と認識をしてくれたのが最大の成果だと思っています。実は楽しかったです。ありがとうございました」

 伊賀は、ちょっと歯切れ悪く

「おう、そう言ってもらえるとよかった。

 ・・・実はな、いよいよ基幹システムやデータベースに進むことになるわけだがな、担当変更になる。俺も、ご苦労さん、となったよ。もともと、情報システムは俺の経営企画部マターじゃないしな。今後、基幹システムにもかかわるんで、情報システム担当が神藤になる」

 牛尾は一瞬凍りついた。

「神藤さん、、、、ですか・・・・」

 伊賀は目を初めて合わせてきたが、何も答えない。伊賀も、それが良いとは考えていないのだろう。が、こればかりはもう、少なくとも牛尾の力の及ぶところではない。

 牛尾は

「了解しました。本当にありがとうございました」

 と深々と頭を下げて、伊賀前を辞した。その後ろ姿に向かい、伊賀が

「あぁ、牛尾、兼務解除にあわせて部長だ。しっかり研究を頼むぞ」

 牛尾は驚いて、足を止めて振り返る。

「え?」

 伊賀は今度は目を見ながら

「おめでとう、頑張ってくれよ」

「いや、私には、、、」

「まぁいいから」

 伊賀は立ち上がり、歩み寄り、肩を叩いて部屋を出て言った。しばらくの間、牛尾は呆然と立ち尽くした。あまり自由度が利かなくなるのかな、これから。


 オフィスに戻る前に、外川にも挨拶をしようと、足を運ぶ。

「おう、牛尾、久しぶりだな。今日はどうした?」

 牛尾は率直に

「伊賀本部長に呼ばれました。いよいよ兼務解除で研究専念しろ、とのことです」

 外川は、すでに聞いていたのだろう。

「おう、そうだってな。本当に色々ありがとうな」

 ここで一旦、短い沈黙をもって、続けた。

「実はな、俺も本道からははずれるんだ。こんど研究に異動だ。引き続きよろしくな」

 牛尾はちょっと混乱しながら

「はい、こちらこそよろしくお願いします。研究、ですか・・・?」

 外川は説明する。

「もともと俺は研究畑なんだぞ、わかってるだろ。そもそも、ITに首突っ込んだのは、研究環境として、常時接続がない、なので、新着雑誌もすぐに見れない。メールアドレスが会社とわかるものではない、学会で知り合った奴らが、いつもきょとんとした顔をする。データベースが整備されていない。メールは片付いたけど、データベースは全くだろ。そんなわけで、そっちをやれってことだろ」

「はぁ、なるほどです。いつ頃移られるんですか?」

 まぁ、数ヶ月後の発令だろうな。


 数ヶ月後、牛尾は人事発令のアナウンスを見て腰を抜かすほど驚いた。

 なんと、外川は、自己都合退職になっている。

 電話機をとって外川の番号を押そうとした時、後ろから

「おう、牛尾」

 と、外川の声がする。


「外川さん、今、発令見ました。お辞めになるんですか?」

「あぁ。実はな、ずっと考えていたことではあるんだ。古いダチからさそわれててな、でも、YICが動き出した以上は、それが安定稼働するまでは流石に放り出すわけにいかんだろ。でも、ようやく動き出したところで、そのダチからまた、声がかかったんでな」

「そうですか、、、超ビックリしました。残念ですが、人生、皆それぞれ、今後のご活躍をお祈りします」

「お前には世話になったな。まだ研究データベースは手付かずだが、お前が好きなようにすすめろや。決して投げ出してるわけじゃなくてな、俺が辞めなくても、その方が良いと思ってるんだ。お前が一番よく、わかっているからな」

「はぁ、そんなことないですよ。それに、YICだって、外川さんの強烈なリーダーシップがあったから、反対分子も引っ張って、動き出せたんですし。そういうリーダーシップが出せる人なんて、外川さん以外にいませんよ。私には全く無理です」

「そんなことはないさ。自信持ってやれよ。じゃぁな。今日は研究のみんなに、挨拶回りなんで、これで失礼するぞ。元気でな」

「外川さんも。。」


 牛尾は、これで自分が情報システムへの関わりが全て終わることを実感した。

 やってる時は楽しかったけど、それは一緒にやるメンバーが大きかった。正直、プライドばかり高い、自称パワーユーザの神藤なんかと議論を戦わせるなんて、考えるだけで寒気がする。すでに、なんかおかしな方向に動き始めているような状況が聞こえてきているが、もうここから先は、私の与り知らぬところ。どうにでもなってください、というのが偽らざる心境であった。


 ただ、自分の周りで、どうしても必要となるICTインフラは、今でもちょこまかと手を出してはいる。情報システム部は、そういう小さな話はしらない、とばかりに放置しているので、自分がやるしかない、でも、その結果として、自分の業務の負荷が減るなら、長い目で見れば苦労しがいもあるというものである。


 なによりも、データの電子化が一つの課題であった。GMP[注11]で要求される電子データの扱いである。

 FDAの21CFR Part11が発効してから、もう15年以上が経っている。要求事項を満たすには、運用では無理で、ハードウェアでの対応が必須となるが、どうしてもそれは凄まじいコストがかかる。YICでの初期予算の比ではない。

 移行措置として、紙媒体での運用継続が認めてはいたけど、流石にそろそろ、移行しなさいね、というのが当局のスタンスらしい。

 品質保証に関わる部分は、品質保証部マターであるが、開発段階のデータも、放置しておくことはできない。とはいえ、直ぐに対応するには、すさまじいコストがかかる。

 それは、会社、品証が決めることとは言え、それまでに、できることで理論武装を進めなければならない。

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