ANALOG DAEMON

湊 竹和

プロローグ

通った!


牛尾は心の中で軽くガッツポーズをする。

製造中堅、安岩産業の研究所にあるサーバ室。控える牛尾の隣にある電話がなる。

「牛尾さん、メール取れました」

梅本からだ。これで、研究所各部門ごとで、イントラメールが連携できることになる。


世の中はもう、インターネットは常時接続、普通につながっているのが当たり前、という感覚で使われているのに、安岩産業はまだ、つながっていない。メールもWebも、インターネットを使うには、まずはモデムを使ってダイアルアップ、という状態。

牛尾自身は別に、社外の人とのメールのやり取りがそんなに多いわけではない。でも、中途半端に使えるもんだから、隣の人への社内連絡を、わざわざダイアルアップして電子メールを送るんだ、とかやってる人を見て、そしてそれが思いのほか多いのを見て、こりゃなんとかしなければ、と思い立った。各部門の友人にも声をかけて、館内LANの整備を行い、メールサーバと掲示板サーバを立ち上げることにしたのだった。

200人程度の所帯なので、メールサーバは一つで事足りそうなものではある。実際、そういう議論もあったが、ユーザの管理やサーバが落ちた時の責任を考えると、専門部署がないボランティアベースの運用である以上、責任をある程度分散しなければ立ち行かない、ということで、メールは各部門にサーバを立てることになったのだった。

社内なのでDNSは使わず、という予定で進めたことが、おもわぬ不具合につきあたっていた。DNSを使わないので、サーバ直接指定でのメール交換になるが、ネットで拾ってきたフリーのメール送信プログラム(MTA)同士では、メール送信で参照されるMXレコードと呼ばれる宛先でなく、サーバのIPアドレスを宛先に使う送信に対応していないことがわかったのだ。インターネットの規格とも言える「RFC」では推奨されていないからだろうか。大急ぎで、RFCからは外れる設定も含めてネットでの情報集めの上、今日は、仕切り直しのメールサーバの検証。

結果、無事、メールが送受信できることが確認できたのだった。


ふぅ。これで、不毛なダイアルアップをしなくて済む。


あとは、ひたすら、ユーザのメールソフトにサーバとアドレス帳を流し込む作業が残っている。これは週末に半日もあれば済むだろう。牛尾の担当は40台だけなので。


研究所のメンバーは、新しいインフラ導入の話にも無頓着で、大きな反対の声はほとんどなかったのも幸いした。普段から、分析機器が新しくなる都度、新しいツールを使いこなさなければ仕事にならない環境にいるため、「新しいソフトです」といっても、「ふーん」くらいで済んでくれた。

もちろん、反対意見はあった。

「外向けのメールと、中だけしか使えないメールなんて、二つ持つのは馬鹿馬鹿しい。ダイアルアップだって別に困ってないんだし、館内しか届かないようなメールなんて、意味ないだろうが」

反対派の先鋒は墨田。彼は、そこそこレベルが高いユーザではあり、二つのメールシステムを使いわけ、使いこなすことには全く支障がない。ただ、彼は、今のダイアルアップベースのメールでも困っていない。というのは、かなり頻繁なダイアルアップを行なっているためだ。コストは度外視で。

「墨田さん、ダイアルアップの一番の問題は、『メールは取りに行くもの』になっていることなんです。今や時代は、『メールは届くもの』。とくに館内連絡などは、届くものでなければ意味がなくなってしまいます。全体への通知に使えるかどうかは、『全員見てくれている』という安心感によるものですから、皆さんが使っていただくことが、よりスムーズなコミュニケーションに役立ちます」

「だから、今すでに、ダイアルアップのメールシステムで動いているんだから問題ないだろう、って言ってんだよ。ダイアルアップだって、定期的に取りに行く設定にしておけば、同じことだろ」

「ダイアルアップで定期的に取りに行くことは、設定上は楽です。でも、問題はありますよ。まず、墨田さんはメールアカウントとモデム持ってますけど、実は今、全員が全員、持ってるわけじゃないんですよ。ですので、全員に使えるようにするには、モデムの配付だけでも、結構かかります。そして、メールを取りに行く頻度ですが、内線からゼロ発信でやってますでしょ?その回線数ってご存知ですか?実は5回線なんです。これ、誰か5人がダイアルアップ中だと、普通の電話すらかけられなくなるんですから、結構重篤な問題なんです。そして、大きな添付ファイルを送った時のことを想像して見てください。隣の人にメールで送る。一旦わざわざ、電話回線を通して外に出して、また電話回線を通して中にもってくる。インフラの無駄遣いになってしまいます」

「だったら、はやく専用線を引く、という話をするのが筋だろう」

「それはそうなんですが、私らの職務権限外のことですから、そう簡単に話はすすめられないんです。だから、今、自分たちでできることでやり始めているんです。今始めておけば、常時接続になってからも、とてもスムーズに移行できますしね」

墨田は

「もういい、とにかく俺は使わないからな」

と話を打ち切られてしまった。


使わない人が増えるほどに、利用価値が下がってきてしまうので、ちょっと困ったなぁ、と思っていたが、時間をかけてでも説得していこう。

という牛尾の懸案は、思わぬ助け舟で解決するのであった。


所長が、「ほう、全員に通知できるんか」と、早速使い始めたのだ。

所長が全員に、利用の通達をしてくれたおかげで、墨田も使わざるを得なくなった。

墨田は

「くだらん」

と、まだブツブツ言いながらも、使い始めてくれた。


2ヶ月もすると、もう当然のインフラのようになっていた。

その頃牛尾は、「このまま、外とのメール送受信も館内メールからシームレスに使えるように」という設定を構想していた。

自分でできることは、今、会社の公式メールアドレスは、契約プロバイダのもので、そのアドレスと、館内メールをゲートウェイで書き換えるだけで良いので、仕組みは簡単だが、こればかりは、失敗すると外部にも迷惑がかかるので慎重にやらなければならない。そもそも、そんな回りくどいことをするのではなくて、普通に外向けドメインを取得してメールサーバを立てるだけで済む話で、本末転倒も甚だしいことは100も承知だが、会社がその「あるべき方向」に動かないのではしょうがない。自分ができる範囲でなんとかするしかない、、となると、書き換えゲートウェイの運用が一番手っ取り早い、、、

と、検証をスタートしていた頃、本社では、その、あるべき姿、への動きが始動しはじめていた。

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