血弾

第1話

 1945年の8月の或る暑い日の事だー―


 太平洋戦争末期になった日本本土上空では、とうの昔に防衛ラインは崩壊し、占領したばかりのサイパンや硫黄島から馬鹿の一つ覚えのようにB29やP51が飛来する。


 日本は何もしないほど馬鹿ではないのだが、肝心の迎撃機と燃料が枯渇寸前であり、情け容赦無く本土に爆弾やら機銃掃射する米軍機を迎え撃つ事は出来ずに手をこまねいている。


 だが、その状況にようやく軍部は重い腰を上げたのか、帝都から近いある海軍基地から、数機の紫電改が飛び立つ事となる。


 上空6000メートルに、飛田正彦中尉は紫電改に乗り僚機とともに迎撃に向かった。


 ☆


「ワレ敵発見ス」


 正彦は、ようやくまともに会話が出来るように整備された空中無線機から僚機に向かい伝達を行い、600メートル先にいるP51の群れに狙いを定める。


 その数は5機、正彦達紫電改部隊は5機であり、戦力的には互角――


 既に敵は気がついたのか、散開して自分が優位な高度を取ろうとする。


 その中のP51、一機に正彦は狙いを定めてスロットルを絞る。


 電光照準器には、スマートな機体のP51が映り、正彦は直ぐに弾丸発射ボタンを押そうとした。


 だが、そいつは直ぐに速度を上げて照準器の外へと行ってしまう。


「逃すか!」


 正彦はスロットルを絞り最高速度を上げるのだが、P51の速度には敵わず、そいつは直ぐに逃げおおせてしまった。


 ――日本軍機が米軍機に手をこまねいている原因はここにある。


(やはりダメだ、速度が違いすぎるんだ……! クソッタレ、もっと質が良いガソリンがあれば……!)


 正彦は深追いをせずに、慌てて背後を見やる。


 そこには、弾丸を発射しながら正彦の乗る紫電改に近づいてきている別のP51がいる。


 ☆


 正彦が基地に戻ってきた時、乗っていた紫電改は機体に穴が空き、所々からガソリンが漏れ出しており、「よく爆発しなかったな」と正彦は胸を撫で下ろした。


「飛田中尉殿、司令がお呼びです」


「なんだ? 一体?」


「一週間後に、また大規模な空爆があると、諜報部隊から命からがらその情報を受け取りました。その事でお話があると……」


「そうか、分かった」


「他の隊員の方々は……」


「そういえば誰も戻ってはいない、まさか戦死したのか……?」


 正彦には一抹の不安がよぎる。


 米国の新鋭機、P51マスタングは最高速度700キロを誇り、13ミリ機銃が6門、装甲板がつけられており紫電改の武装の20ミリをもってしてもなかなか墜ちない。


 紫電改よりも性能は劣る零戦で撃ち落としたという史実はあるのだが、それはP51側のトラブル等の余程の運があったのか、操縦士の技量が敵を凌駕していたかのどちらかであろう。


 この頃になると、P51と互角に戦えるのはは陸軍の四式戦闘機疾風か五式戦闘機だけとなってしまった。


 紫電改は性能は疾風等には劣らないのだが、工芸機械と揶揄される精密な誉エンジンには運動制限がかかり、十分に力を発揮できなくなっていた。


 紫電改の最高速度は約600キロ、P51の速度よりも100キロ近く劣っており、性能面でいえば普通の人が陸上選手に駆けっこで勝負するようなものといった具合である。


 正彦はふらふらで疲弊した体で司令部へと出向く。


 司令部の建物は木製であるのは当然なのだが、何かと理由をつけてダメ出しをしてくる、最近の空戦の事をあまりよく知らない人間がのうのうと安全な場所で指示を出すのを正彦は好きではない。


 司令部の人間を全員殴り飛ばしたい衝動にかられながら、ドアをノックして、入ってこい、と言われて中に入ると、かろうじて生き残った迎撃部隊隊員が揃っている。


 一通り揃い終えた後、司令官の醍醐春文は咳払いをして彼らに向けて口を開く。


「諜報部隊から入った情報だと、一週間後に大規模な空爆がある。これを、全機で迎え撃つ。後には何も残らないのだが、乾坤一擲の覚悟で迎え撃ってほしい。新型の燃料がその頃には支給される。それを使い、刺し違える覚悟で迎え撃ってほしい」


「はっ……それは、松根重油でありますか?」


 ある隊員は、疑問に思い醍醐に質問をする。


「いや、松根重油にある液体を入れたものを使う。それはオクタン価200を超える。我が軍が使っている燃料は80のものだ、それを使えばエンジンの性能を最大限に引き出すことができる」


(よっしゃ、これなら、P51やグラマンに勝てる!)


 一通りの説明が終わり、正彦達は意気揚々としてこの場を立ち去っていった。


 ☆


 彼等兵士は戦時の為に常に基地におり、いつ出撃をして良いように準備をするのだが、空中勤務を終えた後は自由時間のようなものがあり、他の兵士は家族や飲み屋などに出向く。


 正彦は、宿舎から出て、基地のそばの丘の上に足を進める。


「晴美さん」


 白のワイシャツと青色のもんぺを履いた、晴美と呼ばれる24歳ぐらいの女性は正彦に声をかけられてにこやかに微笑む。


「正彦さん」


「どうしたんだい? 顔色が悪いのだが……」


 正彦は、青白い顔色をしている晴美を不安げに見つめる。


 正彦と鯖島晴美は幼馴染で、一週間後に婚約をすることが決まっている。


「ううん、私ね、一週間、こっちに帰ってこれない、勤労動員があるの」


「そうなんだな……」


 晴美は正彦をじっと見つめる。


「どうしたんだい?」


「ううん、何でもない」


 蝉の鳴き声がこだましている。

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