ジャガイモ畑で剣を抜け

@Florence

舞台エメーリャエンコ・モロゾフ第二幕「決闘の戯」より抜粋

 本作品は、例えるならゲーテがヨーロッパにおいて伝説として語り継がれていたメフィストフェレスから着想を得て「ファウスト」を執筆したように、舞台作品である「エメーリャエンコ・モロゾフ」第二幕『決闘の戯』が子供たちの間で口頭で広まり、いつしか「ジャガイモ畑で剣を抜け」というタイトルで語り継がれるようになった寓話である。児童文学を想定して描かれた作品ではあるが、児童よりも青年からの評判が良く、主人公であるモロゾフの真似をする若者が増えたという。


 エメーリャエンコ・モロゾフは領主の息子だった。憎たらしいほどの美貌に恵まれ、彼が乙女の頤をそっと逸らせば皆が目をつむり、唇を差し出したほどである。だがそんな彼の趣味と言えば畑の野菜をひっこぬくことで、子供達に混じって泥まみれになることが唯一の楽しみのように見えた。ひっこぬいたジャガイモを手に取り、馬車に乗って街へ繰り出し、路地裏の立ちんぼの売春婦にジャガイモを配り続けるという意味の分からないことに精を出していた。

 学問の方はやる気が無さそうであったが、天文学で星の位置を覚えることや、古典作品で詩を学ぶことが女を抱くことに直結すると知ると、猛勉強をし始めた。つまりはバカである。

 そして時は流れそんなモロゾフも20になる。

 親族からは恥の一言で片づけられ、これ以上醜態を晒す前にどこかへ留学するか、改心しこの地を治めるかの二択を迫られていた。当の本人といえば村娘を全員嫁にし、その子供たちと野菜をひっこぬくことを夢に見て酒場に入り浸り、薬漬けになって、女を抱く毎日を送っていた。

 ある晩のことだ。モロゾフがいつものように酒場で女を口説いていると、喧嘩が起こった。それだけならば何の関係もない諍いだが、二人の男が互いに組み合った際に、エールの注がれたグラスがモロゾフと談笑していた女性の服にかかったのである。女性は壊れたムードに愛想を尽かし、モロゾフは三人目の男として乱闘騒ぎに加わった。収拾はつかなくなり、誰からともなく「決闘だ!」という叫び声が上がった。決闘は二人で行うものである。三人では成り立たない。そこで、この場でじゃんけんを行い、勝った二人が決闘を行う運びとなった。勝った二人の内、一人は決闘人として、もう一人はじゃんけんで負けた人間の「決闘代理人」として勝負をする。じゃんけんに勝ち、モロゾフは決闘代理人として剣を抜いた。

 本来決闘とは相手の命を奪うまで行う。しかし、立会人が存在しない決闘において、勝利した人間に報復する行為が散見されるようになってからは、命まで賭けることはほとんど無くなった。今回の決闘も先に一突き浴びせたほうの勝ちというルールであった。結論だけ述べると、モロゾフは勝利し、ここに「決闘代理人モロゾフ」が誕生した。月のきれいな夜のことである。

 決闘代理人モロゾフは不敗であった。そして、彼には決闘を引き受ける条件が複数存在した。その一つが愛である。彼は金銭がらみの決闘は引き受けず、恋人を奪い合う決闘にのみ代理人として参加した。なんとも人が悪い話ではあるが、モロゾフ本人に言わせれば、

「決闘において、懸けるものは愛。賭けるものは命」 

とのことである。 

 モロゾフが負け知らずであった大きな理由に、魔剣の使い手だったことが挙げられる。

 彼が使う魔剣、それは「残像」であった。

 モロゾフは、軽やかな、飄々とした青年という印象が強かったが、実際に決闘の場で彼と対峙すると、その軽やかさが形を持ち、彼が二人に分身するというのだ。

 彼を斬ったと思ったら残像であり、自分の背後を取られている。そして、しまった、と思い振り向くと、そこには二人のモロゾフがいるという。

 モロゾフはこの魔剣によって、瞬く間に決闘代理人としての名をヨーロッパ中に轟かせた。だが、モロゾフが毎回決闘を行う場所がジャガイモ畑であったことから、「剣豪モロゾフ」などの格好いい異名ではなく、「じゃがいもモロゾフ」というなんともヘンテコな名前で知られるようになったのである。

常にふざけていたモロゾフであったが、決闘の場においては真剣であった。

彼は一介の剣士としても普通に強かったのである。

彼の決闘は筆舌に尽くしがたい。後に作家として活躍する彼の残した散文を紹介しよう。


ジャガイモみたいな月があり

虫食い穴には蛆が沸く

二人の間に言葉は無い

虚ろな双眸を睨む

紅く濡れた唇が微かに動く

音は拾えない

だが、何を言いたいかは判った

‘‘死ぬ迄やろう‘‘

嗚呼、上等だ、付き合おう

死がぼくたちを別つその瞬間まで

交わされる斬撃。散る火花。朽ちていく身体。

勝負は一瞬

慟哭の響きで刃が走る

抱擁の柔らかさで流される

一陣の風が吹いた後、

鈍い音を立てて首が堕ちる

飽きて子供に棄てられた、哀れな玩具のように

だがその光景は不思議と美しく

面をもたげた百合にも見えた

虚空を舞う薄紅

描くは鮮血の筆

そこに人は無く

在るのはぼくというケダモノ


無敗を誇っていたモロゾフだが、彼の魔剣はそう長持ちしない。魔剣のタネがバレたのである。彼は決闘を毎回ジャガイモ畑で行っていた。それは彼の提示する条件に

「ジャガイモ畑で闘うならば自分は相手の命を奪うまで続ける。しかし、相手は自分の身体を一掠りでもさせれば勝ちだ」

という決闘相手にとって物凄く都合の良いものがあったからだ。

皆この条件を受け入れ、ジャガイモ畑で決闘は行われた。なぜモロゾフがジャガイモ畑に固執するのかわからなかったが、幼い頃からジャガイモ畑に入り浸ってた白痴の剣士の考えることなど誰も気に留めなかった。

しかし、魔剣の正体はこのジャガイモ畑にあったのだ。

まずモロゾフは決闘の数時間前にジャガイモ畑で相手を待っていた。そこでジャガイモを焼いて食べたりしていたが、彼はジャガイモを焼くと同時に大量のケシの葉を燃やしていたのだ。モロゾフの決闘は霧の深い夜に行われた。これはモロゾフ曰く「女性に自分が傷を負う場面など見せたくない」とのことであるが、とんだ大ほら吹きで、実際はケシの煙が上手く霧に紛れるようにである。

 モロゾフは女好きの酒好きのヤク中であった。今更大量の大麻なぞどうってことない。効くこともあるが、身体がふわふわとして、良い気分で闘えた。

 しかし、相手はどうだろうか。ケシに対する耐性は全くない。その上自分が闘う相手は、エメーリャエンコ・モロゾフという無敗を誇る最強の剣士だ。瞬く間に対戦相手の精神は負の方向、所謂バッドトリップへ入り、「彼が残像を使う」という脳裏に刻まれた先入観により、彼が実際に分身して見えてしまう。モロゾフの名が広まり、相手がモロゾフを恐れれば恐れるほど、モロゾフにとって有利な戦いとなった。

 モロゾフは決闘の条件に、自分は相手が死ぬまで闘うことをあげていた。これを聞いた大衆は「本物の決闘人だ」ともてはやしたが、ただの口封じである。

 残像という魔剣の正体は、モロゾフがケシの葉を燃やしていたところを近所の子供に見つかり、その子供にひたすら大麻を吸わせたところ意識不明の重体。これはまずいと思ったモロゾフが病院に連れていき、そこで事情の説明を要求され、しぶしぶ語る、という形で暴露された。

 この真実を知った大衆は、それはもう激怒した。激怒としか言いようがない。他に言葉が見つからないほど怒り狂った。だが、モロゾフが「君たちはいつだってそうやって怒る。自分は決闘する勇気はない癖に、人の決闘には文句ばかりつけてくる」と言うと、ちょっとだけ、怒りづらくなってしまうのである。最終的には今までモロゾフを決闘代理人として雇った数多のパトロンがもみ消しに入り、すべてはうやむやになった。けれど、うやむやにした所で、人々の鬱憤は晴れない。むしろ溜まっていく。このままでは市民の不満が爆発する、と考えたパトロン達は当時最強とうたわれた、詩人にして鼻高の剣士、シラノ・ド・ベルジュラックと彼を決闘させることで収拾を図った。収拾とは名ばかりで、体よくモロゾフを殺してもらおうと考えたのだ。

 かくして、決闘が行われた。勿論太陽の照りつける昼に、大量の観衆の下で。

 エメーリャエンコ・モロゾフは、代理ではなく、自身の為に決闘を行う。

 モロゾフは自身の為に、祈りと口上を述べる。


 君は大声でぼくの舞台を台無しにしてくれた

 よってぼくの名誉の章典にしたがい、君にぼくを殺す権利を与えよう

 ぼくはいま、ここで君に決闘を申し込む


 大衆が、何言ってんだこいつ、と思ったその数秒後、モロゾフの身体は二つではなく三つに分身した。





解説

 魔剣とはなにか


 魔剣の話をしよう。

 魔剣とは、理論的に構築され、論理的に行使されなければならない。

 一般的に魔剣と言えば、超能力や超常現象の類だ。しかし現実に魔剣の使い手は存在し、ここでいう魔剣とはフィクション的な魔剣ではなく、一種の剣術、剣技の極地としての魔剣である。

 剣術というものが相手を効率よく倒すことを目的としている以上、古今東西、あらゆる流派であっても、源流をたどれば自ずと類似点が見えてくる。いかにして相手より早く踏み込むか? いかにして相手の剣を躱すか? そんな既存のセオリーを全て無視し、相手に必殺の一撃を与える。これが即ち魔剣である。

 だが、セオリーから離れている以上、致命的な欠点を持っていることが多い。

 事実、多くの魔剣は一個人の才能に大きく依存したものや、あるいは習得が極めて困難であるという特徴がある。その為魔剣は大多数には門戸を開いておらず、俗に天才と呼ばれる人間が一代で築き、その一代で滅ぶというのが殆どである。具体例を挙げるならば、東洋に存在したオキタソウジなる剣術家は三段突きという魔剣を使う。これは一回の踏み込みで上段、中段、下段の三つの急所を突くというものであり、まず相手より早く踏み込む神速の足、そして一気に三回突くこれまた神速の腕が必要だ。この魔剣はオキタソウジの身体能力に大きく依存しており、史実を開いても、三段突きを他に使える人物がいたとの記述はない。

 本作品における魔剣とは、ケシの葉とモロゾフという人物に対する大衆の先入観を利用したものであり、実現は不可能に近い、きわめて理論的に構築されたものだと解釈する。


本作品は元は戯曲だ。舞台ではケシの葉を吸うモロゾフとヘロヘロになった決闘相手が見るに堪えない決闘を行う様子が喜劇として演じられ、観客の笑いを誘うものだが、今回訳するにあたっては「魔剣」に焦点を置いた、ふざけた冒険活劇の1シーンのように見えることを意識した。散文の挿入の直前に、彼の決闘を「筆舌に尽くし難いもの」と称したが、文字通りその決闘は「筆舌に尽くし難いもの」だったという訳だ。


余談だが、ケシの葉を吸う若者が増えたという。




 









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