第76話 約束。

「ほら。これ飲め」


 冬馬はゼリー飲料を三つ放ってよこした。


「いらない。放っておいて」

「飲まないと、いつまでもここで騒ぎ続けるぞ。どっか行って欲しけりゃ、さっさと飲め」


 強引だ。

 けれど冬馬らしい。


 私は一刻も早く平穏を取り戻すため、ゼリー飲料に手を伸ばした。


「それで? いつまでそうやってイジケてるつもりだ?」

「……」


 長く食べ物を口にしていなかったせいか、上手く飲み込めない。

 悪戦苦闘している間も、冬馬はしゃべり続けた。


「こんなことしてても、何も変わらんだろ」

「……説教なら聞きたくありません……別の所でどうぞ」

「嫌だね。お前がそいつを飲み終わるまではここにいるからな」


 テコでも動かないとの意思表示か、冬馬はあぐらを組んで腕を組んだ。


「なあ。どうしたら元の元気な和泉に戻ってくれる? オレに出来ることは何かないのか?」

「……」


 冬馬にしてもらいたいこと……?

 その時、私は今となっては随分昔に感じる記憶に思い当たった。


「去年の春頃、私が誠くんのお手伝いをしに軽音部に行ったことは覚えていますか?」

「当たり前だろ。お前が男に連れ去られたって聞いて、肝を冷やした」

「あの時、誤解だということが判明して、冬馬くんこう言ってくれましたよね?」


 冬馬が嫉妬から暴走しそうになった時の話だ。


『悪かった』

『いえ』

『お詫びに何でも一つ願いを叶えてやる』

『別にいいですよ』

『いや。オレの気持ちがおさまらん』

『はぁ……』

『別に今でなくても構わん。考えておけ』

『分かりました』


 たしか、そんなやりとりがあった。


「あれはまだ有効ですか?」

「もちろんだ。何でも言ってみろ」

「なら――」


 願うことはただひとつだ。


「いつねさんを生き返らせて下さい」

「……」


 冬馬は表情をぴくりとも変えずに、じっと私をみつめている。


「どうしたんですか? 何でもいいんでしょう?」

「……」

「ほら……生き返らせて下さいよ! 出来るものなら!」


 枯れ果てたと思っていた私の涙腺には、まだ水分が残っていたらしい。

 いや、涙は血液から作られるのだったか。

 どうでもいい。


「何でも願いを叶えてやる、なんて、出来もしないこと言わないでよ! もう放っておいて!」


 表情を変えない冬馬に、すがりつくように叫ぶ。


「もう……消えてしまいたい――」

「なら、オレからも言わせてもらおうか」


 冬馬が真剣な顔で言い返してきた。


「去年のクリスマスパーティーに誠を誘った時、オレ言ったよな? 一つ貸しだぞって」

「……」


 確かに言われた。


「だからオレもお前に要求する」

「何ですか?」


 元気になれ、とでも言うつもりだろうか。


「いつねのこと、忘れろ」


 冬馬の言葉は衝撃を伴って私の胸に突き刺さった。


「な……にを……」

「いっさいがっさい全てだ。いつねに関することを頭の中から叩きだせ」


 そんな……そんなこと……。


「いくら想っても、死人は想い返しちゃくれないんだぞ?」

「――れ」


 出来る訳がないじゃないか。


「あんな奴のこと、さっさと忘れちまえ」

「うるさい、黙れ!」


 冬馬の暴言に、私は我を忘れて彼の頬を張った。

 パンッという乾いた音が室内に響いた。

 冬馬は嘲るような表情のまま、こちらを見ている。


「いつねさんのことを忘れろ!? 冗談じゃないわ! 忘れられる訳ないじゃない!」


 何も考えず、思いの丈を言葉に乗せて叫ぶ。


「あの子のことは絶対忘れない! たとえ全世界の人が忘れたって、私だけは絶対に覚えてる!」


 私の心の垣根をぶち壊して踏み込んできた女の子のことを、私は決して忘れない。


「あの子がどんな子だったのか! どんなことを喋ってどんな風に笑ったのか! あの子がどんなに一生懸命、その短い人生を生きたのか!」


 そして――彼女が私にとって、どれほど大切な存在だったか。


「そうだよな。お前が一番分かっているじゃないか」


 一転して柔らかな表情を浮かべ、穏やかに呟いた冬馬が、優しく私を抱きしめてきた。

 私は戸惑うと同時に、思った。

 またしてやられた、と。


「お前が生きていること。それこそがいつねという女がいた証だ。お前は生きて、生きて、生き抜かなきゃならない」

「……冬馬……」

「オレにはいつねを生きかえらせることは出来ない。お前もいつねを忘れることは出来ない。人生にはな、本当に……本当にどうしようもないことがあるんだよ」


 冬馬も泣いていた。

 男の人の涙を見るのは、初めてのことだった。


「どうしようもないことを受け入れて、どうしても受け入れられないことを少しでも変えて……そうやってオレたちは生きていかなきゃならないんだ」

「でも、冬馬。私、つらい。凄くつらいの」

「ああ。オレも辛い。いつねが亡くなったこともそうだが、お前が死にそうになっていることはもっと辛い」


 腕が私の肩に回され、抱きしめられた。

 強く、とても強く。


「辛いから、人は身を寄せ合って生きるんだ。そしてオレは、そうやって生きるなら、相手は和泉がいい」

「……冬馬……」


 涙に濡れた瞳は、でも、強い意思の光を放っていた。


「一緒に、生きてくれるか?」

「……一つだけ、約束して」

「なんだ?」

「絶対に、私より先に死なないで」


 私のその言葉に、冬馬は少し困った顔をした。


「……いや、普通、寿命は男より女の方がだな――」

「知ってる。だから、もし冬馬が先に死にそうになったら――私のこと、殺して」

「……おっかない女だな……どうしてこんな奴好きになっちまったんだろう」


 冬馬は苦笑している。


「約束してくれる?」

「いいだろう。でも、だからってお前が早死にすることは許さんぞ。お前にはこれから先、ずっとずっと付き合って貰うからな?」

「うん」

「じゃあ、約束だ」


 冬馬が私の肩を引き寄せた。

 目をつぶる。

 

 私は、初めてのキスをかわした。



◆◇◆◇◆


 その翌日から、私は学園に復帰した。

 私はクラスメイト全員に、心配をかけたことを詫びて回った。


 クラスメイトは、最初、腫れ物に触るような感じだった。

 でも、冬馬たちが自然に接するのを見て、徐々に普通に接してくれるようになった。


 仁乃さんは、学園からいなくなったままだ。

 今は実家にいるという。


 彼女にも謝らなければならない。

 きっととても傷ついただろうから。

 もうすぐ、春休みだから、二条家を訪れてみようと思う。


 追い返されるかもしれない。

 当然だ。

 それだけのことを、私はしてしまった。

 彼女の勇気を振り絞った告白を、まごころを、踏みにじってしまったのだから。


 拒絶されることを恐れて、近づくのをためらうことはもうしない。

 そんなことをして後悔するのは、いつねさんのことだけで十分だ。


 冬休みを待たず、今も仁乃さんには謝罪のメールを送り続けている。

 着信拒否にはされていない。

 受け取ってくれる限りは、送り続けてみようと思う。


 冬馬とは晴れて付き合うことになった。

 周りの反応は、何を今さら、という感じだったけれど。

 散々冷やかされることを覚悟していた私は、ちょっと拍子抜けだった。


 新年度に入学してくる主人公のことは、今は考えていない。

 何かあったら、その時はその時で全力を尽くすまで。

 まぁ、没落ENDにならない程度にね。


 学期末テストを終えて、春休みがやって来る。

 春休み中に私はどうしてもやらなければならないことがあった。


 それは――。

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