第65話 大晦日。

 クリスマスから断続的に降り続いている雪のせいで、窓の外は一面の雪景色。

 暖房の効いた室内は暖かいけれど、やはり冬なのだなぁと思う。


 私は視線を部屋の外から中へと移した。


 部屋の中央では、今では居候の硬さもすっかりとれたいつねさんがくつろいでいる。

 くつろぐ、といっても姿勢よくお嬢様座りしているので、だらけた感じは全くしない。

 育ちの良さが現れている。


 今日は十二月三十一日――大晦日である。

 テレビでは年末恒例の歌番組が流れている。

 演歌からポップス、最新のアニソンまで、色々な歌が流れてくる。

 ふと、いつねさんがこちらを向いた。


「いずみん、窓の近くにいると冷えない?」

「正直、少し寒いです」


 この分だと、外はかなり冷えているだろう。

 窓越しでも冷気がひしひしと伝わってくる。


「温度設定上げようか?」

「いえ、それほどではありませんので」


 私はカーテンを閉めると、いつねさんの側に寄って座った。


「最近はお笑いの方を見る人も多いけど、やっぱり大晦日はこっちだよねー」

「あのお笑いは、ちょっと苦手です」

「あたしは嫌いじゃないんだけどねー。あの笑いは人を選ぶかもしれないなー」

「ちらっと見たことがありますけれど、芸人さんが気の毒で、見ていてしんどくなってしまうんです」

「身体張ってるからねー」


 漫才とかコントとかはまだ何とか見られるのだけれど、ああいうノリのお笑いはどうもつらい。


「でも、いずみんはもっとお笑いを見て笑う練習をするべき」

「そうは言われましても」


 私はそんなに仏頂面ばかりしているだろうか。


「いずみんは美人さんだからねー。整った顔の人が真顔だと、ちょっと冷たい感じになっちゃうんだよー?」

「美人というのは、仁乃さんみたいな人のことを言うんですよ。私なんて十把ひとからげの普通顔です」

「いずみん、ちゃんと鏡見てる?」

「見てますよ。いつねさんの十分の一くらい可愛げがあったら、といつも思います」

「……こりゃ重症だー」


 自分の顔のレベルなんて、自分が一番よく分かっている。

 私のまわりには綺麗系、可愛い系の美人ばかりなので、劣等感がはんぱない。


「にしても、いずみんがちゃんとテレビ見る人だって分かって安心したよー」

「私はそこまで世間知らずなつもりはないのですけれど……」

「だって、いずみんてば正真正銘、生粋のお嬢様じゃない? ワタクシ、テレビなんて見ませんのよって言われても信じちゃうよ」

「その口調はどちらかと言えば仁乃さんですね」


 百合ケ丘の寮の部屋にだってテレビはある。

 DVDレコーダーも取り付けてある。

 私は完全な無音よりも少しくらい物音がする方が集中できるタイプなので、勉強中はテレビをつけっぱなしにしていることも多い。


「大体、一条家の者が世情に疎くてどうしますか」

「それもそうだねー」


 世の中は日々刻々と変化している。

 一条家は旧家とはいえ、自分たちが変わらなければ時代に取り残されて、やがて淘汰されてしまうだろう。

 昔ながらの古い慣習や価値観が根強く残っていることは確かだけれど、それでも変化せずにはいられない。

 冬馬も言っていたけれど、流れない水は淀むものだ。


「まぁ、東城家と比べられたら、さすがに旧態依然と言われても頷くしかありませんが」

「とーま君の家は新しいもの好きだからねー」


 一条家が新しいものを取り入れ家なのに対して、東城家は新しいものを取り入れ家といえば少しは違いが分かって頂けるだろうか。

 一条家と比べると、東城家はやはりフットワークが軽い。


「みんな、今頃どうしてるかなー」

「のんびりしているんじゃないですか? こうしてテレビでも見ながら」

「冬馬くんがのんびりしている姿が想像できないや」

「まぁ、いつも何かしらしていないと気がすまない性格ですからね」

「お仕事してたりして?」

「大晦日くらいは……いえ、ありうるかもしれません」


 一条家のみそっかすである私はこうしてのんびりしていられるけれど、祖父や伯父は今日も帰りが遅い。

 大企業のエグゼクティブに、休日などあってなきがごとしである。

 東城家の嫡男たる冬馬も、その例に漏れない可能性はある。


「かもしれない……って、とーま君と電話とかしないのー?」

「しませんね」

「どーしてー?」

「……電話、苦手なんです」


 というか、会話そのものが苦手だ。

 今こうして普通にいつねさんとお喋りできているのは、相手がいつねさんだからである。

 他の人とはこうはいかない。


 加えて言うなら、電話は相手のプレイベートな時間に踏み込んでしまうような感覚があるのだ。

 特に冬馬のような何かと忙しい人の時間を貰うのは気が引けてしまう。

 学園では直接会えばすむ話だしね。


「そういういつねさんは、誠くんと電話したりしてるんですか?」

「いやいやいや! 誠君とはまだあたしの一方的な片思いだから!」


 そんな気軽に電話できないよ、ともじもじ言ういつねさん。

 いつねさんのコミュ力を以ってしても無理なのか。


「いつねさんと誠くんで無理なら、私と冬馬くんで成立する訳がないでしょう」

「いずみんと冬馬くんは相思相愛じゃないのさー」

「事実無根です」

「えー……」


 どうしてみんな私と冬馬をそういう目で見るのだろうか。


「冬馬君は絶対いずみんのこと好きだよー? いずみん的に冬馬君は好みじゃないのー?」

「……ノーコメントで」

「お? 前よりちょっと前進を感じるお言葉」


 冬馬は外見も内面も、好ましい人だと思う。

 好きか嫌いかで言えば、はっきりと好きだ。

 でもそれは、例えばいつねさんに対する好きとどう違うのだろう。

 恩も義理もあるけれど、それだけで色恋にはならない訳で。


「私は精神的に幼いのかもしれません。恋愛という感覚が、まだよくわからないのです。単純な好悪とどこが違うのでしょうか」

「うーん……。あらたまって聞かれると私もよくわからない気がするけど……」


 いつねさんは少し考えこんだけれど、


「恋愛は、気づいたら落ちているものだと思う」


 と言った。


「気づいたら……」

「意識したらもう手遅れ、みたいな。引っ張られて引っ張られて、意志の力ではどうにもならない感じかなー」


 だとすれば、私はまだ冬馬と恋には落ちていないのだろう。

 冬馬のことを考えるとそわそわするけれど、そこまで重症ではない。

 ……と、思う。


 乙女ゲーのように、今の私の好感度を表すメーターがあったら、トップはひょっとしたらいつねさんなのではないだろうか。

 親友END?

 いやいや。



◆◇◆◇◆



 コンコンコン、とドアがノックされた。


「はい」

「和泉、今いいかしら?」


 声は祖母のものだった。


「はい」

「ちょっとおそばを作って貰ってるの。いつねちゃんと食堂にいらっしゃいな」


 年越しそばか。


「分かりました」

「さっき源一郎さんも帰ってきたから、一緒に頂きましょう。先に行っているわね」


 使用人に頼まず祖母自ら来るとは、珍しいこともあるものだ。

 それとも、これが祖母の言う「意地悪おばあちゃんをやめた」ということなのだろうか。


「着替えないとねー」


 去年までは、あとは寝るのみの時間だったので、もう寝間着に着替えてしまっていた。


「ぱぱっとすませましょう」


 二人してウォークインクローゼットで着替え、身だしなみを整えてから食堂へ向かう。

 離から本宅へ続く渡り廊下はさすがに寒かった。

 もう一枚羽織ってくるべきだったかもしれないけれど、食堂は暖房が効いているだろう。

 風邪を引かないよう、歩みを早める。


 食堂にいたのは祖母だけ。

 にこにこしながら定位置に座っている。

 いつねさんと私も席につく。


 ほどなく、祖父が佐脇さんを引き連れてやってきた。


「待たせたか」

「まだ大丈夫ですよ。あ、ほら来た」


 使用人がそばの乗ったお盆を持ってやってきた。

 ほかほかと湯気が上がっている。


「家高と家和は部屋で食べるらしいから、運ばせたわ」

「ああ」

「それじゃ、頂きましょう」


 いただきます、とみんなで手を合わせる。


「お味はどうかしら、いつねちゃん?」

「とっても美味しいです!」


 お口にあったようで何より。


 一条家の年越しそばは、関東風の出汁にそば粉百パーセントのそば、エビと野菜のかき揚げというシンプルな組み合わせである。

 もちろん、それぞれの素材は厳選された最上級のものが使われているのだが。


「明日はみんなで初詣に行きましょうね。源一郎さんも明日はお休みなのでしょう?」

「ああ」

「一家(いちいえ)はどうしても抜けられない用事があるって言っていたけれど、家高と家和は来れるらしいわ」


 一家は伯父の名前である。


「今年は和泉といつねちゃんも一緒ね。いつねちゃんがいてくれると家高の機嫌がいいの。うふふ、楽しみだわ」


 祖母が鈴を転がしたような声で笑う。

 そばも美味しいし、ちょっと楽しい気分だった所に――。


「いつねさんはご遠慮ください」


 佐脇の一言で場が凍りついた。


「初詣は一条家の氏神への元日詣です。ご一族の方以外はご遠慮ください」

「何を言ってるんですか?」


 私は佐脇さんに噛み付いた。


 佐脇さんは一体何を言っているのだ。

 いつねさんは私の友達なのに。


「ちょっと佐脇」

「いつねさんがお嬢様のご友人であることは承知しております。ゆえにこそ、滞在には目をつむり、同部屋にも譲歩しました。ですが年中行事は別です」

「佐脇、控えよ」


 祖母と祖父も虚をつかれたようで、佐脇の発言を止めようとしている。

 佐脇さんはこんなことを言う人だったのだろうか。

 接点が少ない私には分からないけれど、祖父母の反応を見る限りイレギュラーな気がする。


 真意は読めない。

 しかし、こんなことを言われれば、空気の読めるいつねさんは――。


「ええと……。分かりました。なら私はお留守番させて頂きます。お祖父様、お祖母様、お気を使わせて申し訳ありませんでした。佐脇さんも、ごめんなさい」


 当然、そう言うだろう。


「いつねさん。大旦那様も大奥様も、貴女の祖父母ではありません。ちゃんと源一郎様と――」

「黙れ佐脇」


 祖父が声に力を込めて遮った。

 顔には純粋な怒りが浮かんでいる。


「大旦那様。これはけじめです」

「黙れと言っている」

「いいえ。先代様の頃から一条家に仕える者として、氏神参拝への部外者の立ち入りは看過できません」


 聞くに堪えない。


「分かりました。では私も参拝は辞退します。私はいつねさんと一緒に近くのお寺にでも行くことにします」

「ちょっ! いずみん!」

「落ち着きなさい、和泉。佐脇、無礼を謝罪しろ。いつねさんは和泉の大切な友人だ。お前の発言こそ一条家に泥を塗る行為だと知れ」

「何とおっしゃられても、私の見解は変わりません。お嬢様、初詣は一条家のご一族のいわば責務です。軽々しく辞退などと申されますな」


 ――もう限界だ。


「いい加減にして!」


 私の大声に、みなが――祖父までもが目をむいた。


「今まで散々厄介者扱いしてきたくせに、今さら一族の責務? ふざけないでよ!」

「お嬢様しかし――」

「私は一条家の人間。それは分かってる。お祖父様には恩も義理もある。だからこれまでずっと色んなことを我慢してきた。でも、こんな風に親友を貶められて黙っていられるほど、我慢強くない!」


 余計なことまで言ってしまっているという自覚も意識の隅にはある。

 でも、感情が荒れ狂って制御できない。


「お嬢様、お友達を大切にされる広いお心には感服いたします。しかし、ただのお友達にそれほどの――」

「ただのじゃない! いつねさんは私の親友よ!!」


 いつねさんが伏せていた顔を上げ、目を見開いた。

 その瞳には、涙が滲んでいた。


「行こう」

「え?」

「いいから!」

「待ちなさい、和泉」


 私はいつねさん手を引いて、食堂を飛び出した。

 これ以上、いつねさんにあんな言葉を掛けられてたまるか。


「いずみん、あたしは別にいいから。ね? 戻ろう?」

「ちっともよくない! みんな、何も分かってない!」

「いずみん……」


 自室へと戻ると、わざと大きな音を立ててドアを閉めた。

 苛立ちは収まらない。


「何が一条家の一族よ! あの人たちが一体何をしくれたって言うの! 疎まれて疎まれて、お祖父様が心変わりしたからって、今さら身内扱い? ふざけんじゃないわよ!」


 分かっている。

 一条家は私に生きる環境を与えてくれた。

 その事実は事実なのだ。


 でも、私は――和泉は、ずっと孤独だった。

 それが当たり前で、自ら求めるほどに。


「いずみん、もういいよ。ごめんね。あたしのせいで、ごめんね」

「違う! いつねさんは何も悪くな――」

「だから、泣かないで」


 言われて初めて気がついた。

 私の瞳にも、涙が浮かんでいた。


「ありがとう。あたしの為に泣いてくれるんだね。本当はずっと不安だった。いずみん、本当はいやいや付き合ってくれてるんじゃないかって。でも、そうじゃなかったんだね」

「……当たり前です」

「ありがとう。本当に嬉しい」


 そうしていつねさんと私は抱き合って2人で泣いた。

 私の中で、ぼっちであるという認識が粉々に砕けた、そんな夜。


 遠くで鐘の音が聞こえた。

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