第57話 公開討論会(後編)。

「批判するまでもないなんて言わないで、ちゃんと批判してみて下さいよ」


 冬馬が不敵な笑みを浮かべている。

 その顔は、とても追い詰められた者の表情とは思えない。


「……いいわ。言わせて貰うわよ? 神楽君も言っていたけれど、恋愛はごくプライベートな事柄だわ。高校という教育機関が口を出すべき問題ではないはずよ」

「そのプライベートなはずの恋愛を快く思わない言説が、教育機関にはびこっているのに?」

「少なくとも、百合ケ丘の校則に、不純異性交遊禁止の項目はないわ」

「でも暗黙の前提、空気として、自由恋愛に対する風当たりは強い」

「それは仕方ないでしょう。古風な恋愛観を持つ人が集まっているのだから」


 冬馬が饒舌になり始めても、冴子様優位は変わらないように見える。

 しかし、冬馬は笑みを崩さない。


「オレは古風な恋愛観を否定するつもりはないと言いました。選択肢を提示して、相対化することによって自分を見つめなおして欲しいと言っているんです」

「だからそれはプライベートなことだから、外野が口出しすることではないと――」

「百合ケ丘に通う学生の恋愛、どこがプライベートなんですか?」

「え?」


 冴子様の発言を遮るようにかぶせた冬馬の一言に、冴子様を含めて会場が時を止めた。


「家の方針に従って、親の言う相手と結婚する。親や家に対する学生自身のプライベートはどこにあるんですか?」

「……待って。それは詭弁だと思うわ」

「後で考証はいくらでも。今は話を進めます。百合ケ丘に通う学生の恋愛は既にプライベートでも何でもない。それどころか、旧世紀のものを疑問も持たず……とはさすがに言いませんが、いやいやでも結局は従っている。そんな状態が不健全でなくて何だというんですか」


 場の空気が変わったのを感じる。

 前時代的な恋愛観に違和感を感じている学生は少なくないことの証左だろう。


「恋愛の延長上には結婚があります。もちろん、そこまで行く行かないは個人の自由ですが。結婚とは人生のパートナー選びです。家の意向や親の意見を聞くのはいいでしょう。お見合いだって悪くはない。それだって恋愛の一つの形ですからね。でも最後の最後、決めるのは絶対に当事者であるべきだ」


 場の雰囲気が完全に冬馬のものになりかけた時――。


「うーん。それはどうしてかな? 思わず説得されそうになりそうだけど、当事者でなければならない理由はあるのかい?」


 冷水をかけるような神楽様の批判。

 この人は本当にいい性格をしている。

 しかし――。


「人生のパートナーをろくに自分で選べないような奴が、ビジネスパートナーをまともに選べるとでも?」


 冬馬の弁舌に迷いはなかった。

 神楽様の横槍を切って捨てる。


「ビジネスパートナーの方が、人生のパートナーよりも重要だとでもいうつもりかしら?」

「論点はそこではありません。人を見る目をどう養うかが重要なんです。そして、自由恋愛はその格好の場だと言っているのです」

「恋愛を手段化することには抵抗を覚えるなぁ」

「すでに言った通り、自由恋愛をオレは純粋に気持ちと気持ちでつながる関係だと思っています。手段化だなんてとんでもない」


 冬馬は止まらない。

 ひょっとしたら、大人から見れば突っ込みどころ満載の屁理屈なのかもしれない。

 でも、今、この時、冬馬の語る主張は確かな輝きを持っていた。


「でも、そう主張するキミも、結局は家の意向に従うんじゃないのかい? 東城家の跡取りが、自由恋愛を許されるとは思えないけどなぁ」

「オレは自由に恋愛してますよ。実っちゃいませんけどね。ちなみに、一番古風な恋愛観を持っていそうだと皆さんが思っているやつも、自由恋愛してますよ。なぁ、和泉?」


 ちょっ!?


「え。マジ?」

「和泉さんフリーだったの?」

「てっきり冬馬君と……って思ってた」

「アタシもー」

「皆さん、ご静粛に!」


 冬馬の投げてよこした爆弾のせいで、会場は大混乱である。


「冬馬くん!」

「だって、お前。どう考えても最優良物件のオレのこと放って、どこかの誰かさんたちとライブなんか出ちゃうしさー」


 続けて爆弾発言。


「ああ、そう言えば」

「オレも聴いた!」

「私も聴いたよ!」

「凄かったねー」

「ご静粛に!」


 選挙管理委員が金切り声を上げている。


 以前、ナキや誠とライブの練習明け暮れていた私を見た幸さんが、冬馬はいつか噴火するとか何とか言っていたけれど、よりによって何もこんな時に――!


「討論会の趣旨と外れた発言は控えて下さい!」

「おおありでしょう。旧家中の旧家のご令嬢――つまり女性が、自由恋愛をしているご時世に、いつまで目を背けているつもりですかってことです」


 少しふざけかけた口調を元に戻す冬馬。


「何度も言いますが、オレは古風な恋愛観を古いといって否定するつもりはありません。ただ、自由恋愛という価値観があることを知って、実際に実行して、感じてみて欲しいんです。その上で古風な恋愛観のままでいるのであれば、それでいいと思うし、自由恋愛が性に合うならそれでいいし、第三の道を模索するんでも何でもいいんですよ。ただ、単なる停滞はダメです。流れない水は淀む。思考停止は死と同義だ」


 畳み掛ける冬馬。

 聞き手は完全に飲まれている。

 しかし――。


「具体的には、どうするの?」


 冴子様はまだ折れていない。


「恋愛に関する価値観の啓蒙っていうけれど、具体的な中身は何も聞いていないわ」

「生徒会と文芸部協力で、日本に限らず世界中から新旧の恋愛の形を扱った文学作品についてまとめようと思います。また、学校新聞とも協力して、今どきの百合ケ丘生の恋愛模様などを取り扱って貰えるように呼びかけます。さらに必須教養として性教育の徹底を学園側と交渉します」


 具体案まで考えていたのか。

 さすが冬馬。


「これでもまだ、恋愛に関する価値観の啓蒙が、議論にも値しない無価値な主張だと切って捨てますか?」


 冬馬は最後まで不敵な笑みを崩さなかった。


「……いいわ。一考するだけの価値はあるものだと認めましょう」

「仕方ないね」


 やった。

 冬馬はこうでなくちゃ――こうでなくちゃ!

 

「ああ、そうそう。お二人の公約、頂ける所は頂こうと思います」

「……え?」

「何を言っているんだい、キミは」


 まだ何かあるのか。


「冴子先輩の百合の集い加入奨励はいいですし、愛校心云々は別としても応援歌っていうのは捨てがたい。教員評価の導入は学園との折衝を経て来年度辺りからかなぁ……」

「……えっ、えっ?」

「ある意味、神楽先輩の目安箱っていうのは、オレの立場に一番近いんですよね。自由制服制も悪くない。ああ、でも、席の件はちょっとあれかな……」

「だから、キミは何を言っているんだ!?」


 聞き手の全校生徒はもちろん、冴子様や神楽様まで当惑している。


「討論……いや、議論って、何のためにすると思います?」


 みなの当惑には応えずに、冬馬は急にそんなことを言い出した。


「何のためって……」

「誰の意見が最も優れているか検証するためじゃないか」

「それ、違うとオレは思うんですよ」


 何だろう?

 冬馬は何を言いたいんだろう?


「別に誰の意見だっていいものはいい。悪いものは悪い。最初から出てた意見じゃなくたって、議論の最中にいい意見が生まれることだってある。いや、むしろ、それこそが議論の本質じゃないですかね?」


 ……なるほど。

 だんだん分かってきた。


「つまり、誰の意見に関わらず、より良い案を生み出すことが議論の本質――こういうことかしら?」

「それは……確かに……いや、待ってくれよ。それじゃあ、この討論会の意味がないじゃないか。結局、生徒会長には誰がなったっていいってことになってしまう。討論会で生まれた案さえ実行できればいいのだから」


 当然、そう考えるだろう。

 でも――。


「それは違います」


 そう。

 違うのだ。

 なぜなら――。


「何を実行するかについては、オレも先輩たちもイーブンです。でも、その時間的猶予には2倍の差がある」


 『出来ること、二倍』――冬馬は最初から、これで勝負するつもりだったのだ。


 神楽様は呆然としていた。

 あの冴子様ですら、苦笑いを浮かべている。


 みんな、この討論会の最初から――いや、ひょっとしたら、私が何気なく在籍期間のことを話した時から――ずっとずっと、冬馬の掌の上だった訳だ。


「い、いや。それでも経験というのはそう簡単に――」

「あー。そんなに心配して頂かなくても大丈夫ですよ先輩。経験の不足は、先輩方に補って貰う予定ですから」

「な、何?」

「オレが当選したら副会長を冴子先輩に、会計を神楽先輩に担当して貰いますから。確か、指名できるんでしたよね?」

「……あっはは! そうよ、その通り。呆れたわ。もう当選した気でいるのね」


 冴子様が吹っ切れたように明るく笑った。

 生徒会選挙戦が始まってからやや陰っていた、無邪気な笑みだった。


「……」

「神楽くん諦めなさい。私たちの負けだわ」

「冴子……」


 神楽先輩は無表情だった。

 貼り付けたような笑顔がデフォルトの人なので、あれはあれで悔しがっているのかもしれない。

 いや、間違いなく悔しいのだろう。


「今日挙がった議論は全て検討し、二倍の猶予期間を頂いて実行に移し、先輩方2人のフォローも頂きます。Any Questions ?」


 長時間に及んだ討論会の末。

 そう締めくくった冬馬に与えられたのは――。


 全生徒からの惜しみない盛大な拍手だった。

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