第55話 公開討論会(前編)。

 選挙活動八日目。

 今日は選挙戦の山場、公開討論会である。


 全ての立候補者が公約を持ち寄って議論しあうというこのイベント。

 この結果いかんによって、投票の行方が決まると言っても過言ではない。

 それほどに重要なイベントなのだ。


「ただいまより公開討論会を始めます」


 選挙管理委員の生徒が開会を宣言した。

 いよいよである。


 すでに三人の候補者は壇上に上がっている。

 どの陣営もスタッフは連れていない。

 この討論会は候補者が独力で切り抜けなければならないのだ。

 ここまでにどれだけ公約を詰めておけるか、自分のものにしているかが問われる。


 そういえば、冬馬の公約づくりを手伝ったりはしたけれど、冴子様や神楽様の公約って知らないことに今気づいた。

 こんなんでいいのか、選挙参謀。

 いや、参謀役を引き受けたつもりもないんだけれどね。


「それではまず、各候補者の公約を発表して頂きたいと思います。初めに西園寺 冴子さん」

「はい」


 名前を呼ばれ、冴子様が壇上の椅子から立ち上がりマイクの前に立った。

 気負いも力みもない、完全な自然体である。


 冴子様は微笑みさえ浮かべて口を開いた。


「私の公約は、一言で言えば『伝統の継承と発展』です」


 これは冬馬の『出来ること、二倍』に当たるキャッチコピーだろう。


「この学園は、お世辞やうぬぼれぬきに、とてもいい高校だと私は思います。何も奇抜なことを持ちださなくても、十分に充実した高校生活が送れるでしょう」


 そう。

 冬馬も最初に言っていたことだ。


「ですから私は、この学園の伝統を重んじ、その流れのままより良くしていくことを考えています」


 と、冴子様はそこで一度言葉を切って居並ぶ学生たちを見回した。

 反応を見ているのだろう。

 聴衆はすでに冴子様の空気に飲まれている。


「具体的にはまず、愛校心を育むことから初めて行きたいと思います。愛校心といっても大げさなものではありません。この学園にはまだ応援歌がありません。これを学生の中から公募して作り、歌い継ぐことによって、百合ケ丘生としての結束をより高めていけたらと思っています」


 応援歌か。

 確かに百合ケ丘には校歌はあるけれど、応援歌がない。

 伝統のある高校にしては珍しいことなのだけれど、あまり意識したことはなかった。

 それを学生たちで作る、と。

 なるほど。


「また、OB・OG会への参加をより積極的に呼びかけていきたいと思っています。この学園で得た縁(えにし)は得難いつながり。三年間でなくしてしまうにはあまりにも惜しいものです。在学中にはつながりがなくても、大学生や社会人になってから、改めてつながることもあるでしょう。いずれにしても、元百合ケ丘生ということで一つのまとまりを作っておくことは、全百合ケ丘生の利益になると信じています」


 百合ケ丘にはすでに「百合の集い」というOB・OG会がある。

 ただこれに参加するには少々と表現するには微妙な額の年会費がかかるので、高校卒業時の感覚でいると、お金を払ってまで加入するメリットがあるのか分からず、結局加入しないという卒業生が結構いるのだ。


 以前、触れたこともあったと思うけれど、百合ケ丘で得られる人脈は宝の宝庫である。

 その真価は、大学のその更に先、社会人になってから発揮される。

 百合ケ丘卒業生は一つの学閥とも言っていい集団を形成しているのだ。

 就職活動は言うに及ばず、どこかの企業に所属してからも、仕事上の付き合いや取引先などで色々と都合してもらえることが多々ある。


 冴子様はそのメリットを改めて強調し、参加を呼びかけているのだ。


「もっとも、伝統を継承するだけでは不十分でしょう。百合ケ丘をより良くするために、私は教員評価制度の導入を提案します」


 生徒だけでなく、教員からもざわめきが上がった。


「教員評価制度は学生が先生方の評価を行い、それを先生方の今後のご指導の糧として頂く制度です。百合ケ丘の先生方は優秀な方がそろっておいでですが、それでも完璧ということはないはずです。学生の声に耳を傾けて頂き、ご自身のご指導のあり方を今一度見つめなおして頂ければと存じます」


 これはなかなか思い切ったことを言ったものだ。


 教員評価制度は既にいくつかの教育機関で導入されているが、その成否については賛否両論がある。

 教員のスキル向上につながるという肯定的意見から、学生に迎合する教育につながるという否定的意見まで。

 ここまでの冴子様の主張は保守本流とも言うべき公約だったから、これはかなり踏み込んだ公約だ。


 ざわめきが収まるまで待ってから、冴子様はまとめに入った。


「百合ケ丘の良い所はそのままに。いえ、さらに素晴らしく。そして足りない所は私たちの手で補い、さらに素敵な百合ケ丘学園にしていきましょう。そのためには私一人の力では足りません。皆さんの清き一票を私、西園寺 冴子にどうぞよろしくお願いします。以上です」


 最後はシンプルに締めて冴子様は締めくくった。


 冴子様の公約をまとめると、


  一.学園応援歌の作成

  二.OB・OG会参加の奨励

  三.教員評価制度の導入


 の三点である。


 どちらかと言えば保守的な校風の百合ケ丘に沿った内容に加え、学生の好みそうな改革的内容も盛り込んだ、隙のない公約だ。

 さすが冴子様。


 冬馬はこんな人と戦おうっていうのだから大変である。


 冴子様は一礼して元の席に戻った。


「ありがとうございました。次は加藤 神楽君」

「はい」


 柔らかい微笑みをたたえた神楽様がマイクの前に立つ。

 どうでもいいが、私は神楽様の笑顔しか見たことがない。

 気が付いてみると、ちょっと怖い。


「この度生徒会長に立候補した加藤 神楽です。改めて自己紹介しておかないとね。僕は西園寺さんや東城君のような有名人じゃないから、知らない人も多いだろうし」


 聴衆からクスクスと笑い声が漏れる。

 おどけたようなユーモアは、冴子様の演説から引きずっていた空気を一瞬でほぐしてしまった。

 選挙管理委員からは咳払いで軽く注意が入ったが、これは神楽様の技ありである。


「えー。僕が目指すのは『親しみのある生徒会』です。ほら、生徒会っていうと何か遠いイメージがありますよね? そういうのをとっぱらいたいと僕は思うんですよ」


 神楽様のキャッチコピーはこれか。

 本人の表向きの雰囲気を活かした、いいキャッチコピーだと思う。


「僕は他の二人みたいにこれっていう明確なビジョンが沢山ある訳じゃないんです。むしろ、みんなにどういうことをして欲しいか、それを問いたい。そしたら日本史の授業でうってつけのものを習ったんです。一七二一年。徳川吉宗。さあ、これでわからないとダメですよ。特に三年生の皆さん?」


 またも笑い声が漏れる。

 一七二一年……あぁ、なるほど。


「そうです。目安箱です。これは今、生徒会室の前にありますが、わざわざあんな僻地まで意見を入れに行こうって人はなかなかいないですよね。なので、これを全クラスに配して、定期的に生徒会が回収するようにしようと思います。どうです、悪くない考えだと思いませんか?」


 確かにいいアイディアだと思う。

 現状の目安箱はすっかり形骸化して機能していない。

 自分のクラスの中にあれば、少しは投書しようとする人は増えるかもしれない。


「さて、皆さん。僕を見て下さい。どう見えます?」


 ふと、神楽様はそんなことを言い出した。

 何かあるのだろうか。

 私には特に変わった所は見当たらない。


「冴えない男? それは言わないで。そうじゃなくて、制服です。制服」


 三たび笑いが漏れる。

 どうやら神楽様はあくまで三枚目キャラを貫き通すつもりのようだ。


 にしても、制服?


「僕はこれ嫌いじゃないんですけれど、中にはもっとお洒落したいという人もきっといますよね? なので、制服は廃止……というと語弊があるかな。何というか、自由制にしようと思うんです。制服を作るとなったら、デザインやらお金やらでえらく問題が大きいけれど、自由制にする分には校則をちょこっと書き換えるだけです。ほらお手軽」


 制服かぁ……。


 百合ケ丘の制服は、ダークグレーのブレザーである。

 男子はそれに同色のスラックスとネクタイ、女子は白チェックが入ったプリーツスカートとリボンタイ。

 上品でお洒落だとなかなか評判の制服なのだが、寮暮らしの私たちにとっては飽きているといえば飽きている。


「もう一つあります。座席を自由制にして、早い者勝ちにしましょう。友人同士で固まって座るのにも都合がいいし、早く来れば後ろの席……じゃなかった、最前列がとれます。おまけに置き勉が減って、おさぼりくん撲滅にも繋がります」


 自由座席制とはまた変わったことを思いつくなぁ……。

 考えてみれば、大学などではそもそも席など決まっていないし、座席が固定されていることのメリットって、学生側にはそんなにないよね。


 うん、これも悪くない。


 ちなみに置き勉とは、教科書のたぐいを家に持ち帰らず、教室の机に入れたままにすることである。


「僕の公約はとりあえずこれだけです。あとは皆と一緒に考えていけたらと思っています。加藤 神楽にも清き一票をよろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げた時、ゴツンとマイクに頭をぶつける神楽様。

 今度こそ、会場からはっきりと笑いの声が上がった。

 照れ隠しの演技……とは思えないほど完璧な演技をしつつ、元の席に戻っていく神楽様。


 神楽様の公約もだいたい三つ。


  一.目安箱の配置変更。

  二.自由制服制。

  三.自由座席制。


 保守色のやや強い冴子様と比べると、ずいぶんリベラルな感じである。

 かといって『親しみやすい生徒会』のスローガンに反するような、大げさな公約は一つもない。

 これはこれでアリだろう。


「ありがとうございました。次は東城 冬馬君」

「はい」


 いよいよ冬馬の出番である。

 冬馬はいつもの通り泰然としている。

 聞けば、冬馬は既に家の仕事の一部を手伝っていて、社員相手にプレゼンすることもあるというから、こんな学生相手の演説などものの数にも入らないのだろう。


「東城 冬馬です。よろしくお願いします」


 おや。

 冬馬らしからぬ、普通な滑り出し。


「私は他のお二人の立候補者に比べて、倍の任期があります。それはつまり『出来ること、二倍』ということです。これは大きなアドバンテージだと思いますので、どうか覚えておいて頂きたい」


 佳代さんの作った大事なコピーだ。

 上手くアピール出来ていると思う。


「私の掲げる公約は大きく分けて三つあります。順に簡単にご説明させて頂きます」


 それにしても、冬馬が私とか言うと、何だか違和感だなぁ。

 冬馬ほど敬語の似合わない高校一年生もいないかもしれない。


「まずは学費の削減です。これは学園側に事前に問い合わせて、実現性のない夢物語ではないことを既に確認してあります」


 学園に確認を取っていたのか。

 さすが冬馬、抜け目ない。


「具体的には、食堂利用費を定額前納制から、変動後納制に変えることで実現します。何をどのくらい食べるかは人それぞれ違うはずです。それなのに食堂利用費が定額前納なのは、考えてみればおかしいですよね」


 冬馬の演説は身振り手振りがどことなくアメリカナイズされているように思える。

 どこかの大統領を連想させるのだ。


「我が校の食堂で提供される食事は大変美味しいですが、その分割高です。少食の学生が割をくっているのです。削減額としては、些細なものかもしれませんが、確実に減らせます」


 この辺りは打ち合わせ通りである。


「次に、文化・芸術教育の推進です。百合ケ丘は進学校としては十分に優秀ですが、その分、文化・芸術教育は手薄になっていると感じます。例えば日本史。大学受験であまり出題されないからと、文化史に割かれる時間は決して十分とは言えません」


 よし。

 ナキの案もちゃんと自分のモノに出来ている。


「百合ケ丘生は卒業後、国際人として活躍する人も多いでしょう。卒業生の進路を見ればそれは明らかです。そうなった時、せめて自国の文化・芸術について最低限の教養を持っておかなければ、国際人としては失格です。これはぜひ改善して行きたいと思います」


 ここまではいいのだ、ここまでは。

 問題は次である。


「最後の一つは、多分賛否が分かれる所だと思いますが、恋愛に関する価値観の啓蒙です」


 先ほどの冴子様の時より大きく会場がざわめいた。

 ポスターなどを発信源として既に広く知られているはずだけれど、やはりインパクトは大きいのだろう。

 討論会本番でも持ち出してくるとは思われなかったのかもしれない。


「百合ケ丘は古風な恋愛観を持つ学生が多く通う学校です。古風な恋愛観が全ていけないと言うつもりはありませんが、現代的な恋愛観に学び、価値観を相対化することは決して無駄ではないと考えます」


 内輪で話し合いをした時よりも、言い方がだいぶマイルドになっている。

 さすがにあの調子で演説したら、反感は必死だろうからね。

 まずは聞いてもらわなければ話にならない。


「自由恋愛は、現代社会の複雑な人間関係を生き抜いていく上で、この上ない練習の場だと私は考えます。また、そのような利を考えずとも、純粋に気持ちと気持ちでつながる関係というのは、古風な恋愛観とはまた違った関係であると思います」


 おぉ……理論武装してきたなぁ……。

 でもまだちょっと苦しそうだ。


「繰り返しますが、古風な恋愛観の全否定ではありません。選択肢の提示と考えて下さい。新しい価値観は古い価値観を必ずしも否定しません。それまでの自分を相対化することで、また更に新たな発見があるものと私は考えます」


 そろそろまとめだろうか。


「一年生ということで、経験不足を懸念される方もいらっしゃるでしょうが、心配は無用です。私には実生活で磨いた豊富な組織運営能力があります。最初は戸惑うかもしれませんが、本当に僅かな間でしょう。東城 冬馬は必ず皆さんのご期待に応えてみせます。どうか皆さんの一票を私に託して頂きたく存じます。ありがとうございました」


 実家の実務経験まで持ち出してくるとは。

 予想される反論には手を打っておくということか。


「ありがとうございました。それでは十分の休憩の後、討論会に移りたいと思います。候補者の皆さんは一度、舞台袖にお下がり下さい。選挙管理委員は舞台設置に取り掛かって下さい」


 これで三人の演説が終わった。

 ここから三つ巴の戦いが始まる。


 本番は、これからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る