第32話 闇鍋。

 五日目の夜。

 この日は夕飯を決めていなかった。

 冬馬が開けておけと言ったからだ。

 いつねさんなどは、


「何か美味しいものが食べられるのかなー」


 などと言っていたが、私は冬馬に限ってそんな生ぬるいことはするまいと思っていた。


 当日の朝になって冬馬は、


「各自、今一番食べたいものを思い浮かべろ。液体はなしな」


 などと言い出した。

 私は大葉を思い浮かべた。


「思い浮かべたら、それをこの紙に書いてくれ。自分以外に見られないようにな」


 冬馬が何をしたいのか分からなかったが、私たちは言う通りに紙に書く。


「折りたたんでオレに渡してくれ。手間を取らせたな」


 みんなから紙を回収すると、冬馬はそれをSPに手渡した。


「何だったのー?」

「夕飯の仕掛けだ」

「嫌な予感がしますわ」


 仁乃さんの予感は的中した。


「今日の夕飯は闇鍋だ」



◆◇◆◇◆



「こういうのは食材を冒涜するようで好かんな」

「堅いこと言うなって。一日くらいいいじゃんか」

「せや。ちゃんと食べるんやしな」


 真面目な誠が難色を示したが、結局闇鍋は強行されることになった。


 カセットコンロに大きめの鍋が用意されている。

 ダシはキムチ風味らしい。

 味が強いので、これなら余程のゲテモノでない限り食べられるだろう。


「闇鍋の前に、ある程度腹を満たしておかないとな」


 ということで、みんなで普通にキムチ鍋を作っていく。

 野菜や肉を入れて煮こむだけ。

 お手軽である。


 お米も今回は上手に炊けた。

 男性陣のお料理スキルも確実に上がっているようである。


「このままごちそうさまでいいような……」

「みのりん、今更よ」

「諦めが肝心」


 三人組の言う通りだが、冬馬がノリノリなのでどうしようもない。


 お腹が膨れたらいよいよ本番の闇鍋。

 字面詐欺だが、部屋は暗くしない。

 危ないからね。


 その代わり、バットに餃子のようなものが十一個並べられている。

 餃子用の皮で具材を包んであるとか。

 こうして中身を分からなくしたものを鍋に入れるらしい。

 次々に鍋に投下して煮る。


「この旅行ではもう恒例だな。くじだ」


 くじの結果は以下のとおり。

 順に、嬉一、遥さん、仁乃さん、実梨さん、冬馬、誠、佳代さん、ナキ、幸さん、いつねさん、最後に私である。


 最初の挑戦者は嬉一。


「俺からかー。いくぜ!」


 思い切って餃子の一つを箸ではさみ、口に運んだ。


「……チーズだ」

「あ、それあたしー」


 どうやらいつねさんが希望したカマンベールチーズらしい。

 日本でもかなりメジャーになってきたチーズである。

 表面の白いカビは、初めて見るとぎょっとするけれど、食べてみるととても美味しい。

 ブルーチーズほど癖がないので、支持者は多い。


「これは意外と美味い」


 当たりだったようだ。

 キムチ鍋にシュレッドチーズを入れる所もあるらしいからね。


 次は遥さん。


「ど、どきどきします」


 おっかなびっくり箸を伸ばす。


「……シーフードですね」

「あ。私のかな?」


 幸さん希望のタコだったらしい。

 日本ではお馴染みのタコだが、ユダヤ教やイスラム教では食べることが禁じられている。

 イギリスなどでは「悪魔の魚(devilfish)」などと呼ばれているのはご存知かもしれない。

 同じヨーロッパでも地中海沿岸などではよく食べられているのだが。


「悪くない組み合わせです」


 二人続けて当たりのようだ。

 そろそろ変なものが出そうな予感がする。


 次は仁乃さん。


「今のところ普通ですわね……?」


 特にためらうこともなく箸を伸ばす。


「に、苦っ!」

「ん? ひょっとして俺のか……?」


 誠の希望したもののようだ。


「なんですの、この苦いのは!」

仁丹じんたんだ」


 誠によると、仁丹とは桂皮やハッカなど16種類の生薬を配合して丸め、銀箔でコーティングした丸薬のことらしい。

 味は非常に苦いとか。

 何でも年配の方々が飲まれるのだそうだ。

 誠、キミはいくつなのだ。


「なんでこんなものを……」

「いや。うちでは別に珍しくないものでな」


 初の犠牲者が出た。


 次は実梨さん。


「変なの当たりませんように!」


 おずおずと箸を伸ばす。


「みょうが……かな?」

「あ。私ですわ」


 仁乃さん希望のみょうがだったらしい。

 蕎麦の薬味として刻んだり、直接味噌つけてかぶりついたり、色々な食べ方のある野菜である。

 風味に少し癖があるので、好き嫌いは別れるかもしれない。

 私は好きだけどね。


「みょうがのキムチってあんまり聞かないけど……うーん……」


 微妙な線だったようだ。

 でも仁丹よりはましだよね。


 次は冬馬。

 言い出しっぺはハズレの法則があるとかないとか。


「何でも来い」


 無造作に箸を伸ばす。


「牛肉だ」

「私でーす」


 実梨さんのリクエストらしい。

 何でもカレーの時の信州牛を思い出したとか。

 部位は一番日本人好みと呼ばれるサーロイン。

 肉汁もタップリだ。


「普通すぎてつまらん」


 仁丹、冬馬に当たればよかったのに。


 次は誠。


「……」


 やはり闇鍋には抵抗があるのか、ややむすっとした顔で箸を伸ばした。


「……甘い……何だこれは……餡といちご……?」

「私ね」


 佳代さんによると、いちご大福らしい。

 いちご大福は意外な取り合わせが話題となって、近年色々な所で目にするようになった。

 けど、傷むのが早いので作り置きはあまり出来ない。

 この近くに売っている所あったのか。


「決定的にまずい」


 それはそうだろう。

 でも、きちんと最後まで食べきる所が彼らしいと思う。


 犠牲者2人目。


 次は佳代さん。


「かかってきなさいよ」


 言葉とは裏腹に箸の先が震えている。


「ん? 何か……ムニュムニュしてる」

「味はどんなのー?」

「なんだろ……お米っぽい?」

「あ。わいや」


 ナキ希望の餅だったようだ。

 餅と聞いて、どんな姿を思い浮かべるだろうか?

 四角いか丸いか。

 関東では四角い餅が、関西では丸い餅が多いらしい。

 今回のはもう佳代さんの口の中なので分からないが。


「普通に食べられるわ」


 キムチ味の餅はアリらしい。


 次はナキ。


「なんやろな?」


 すすっとためらいなく箸を伸ばす。


「……甘い。チョコレートやな」

「す、すいません。私です」


 恐縮しきりの遥さんが希望した生チョコだったようだ。

 この生チョコというお菓子は、発祥を巡って論争がある。

 一つは日本のシルスマリアという洋菓子店が一九八八年に開発したという説。

 もう一つは一九三○年代にスイスのジュネーブにあるチョコレート店が開発したという説。

 どっちでもいいと思うんだけど、揉めているとかいないとか。


「闇鍋の材料に使われるなんて思わなかったんですよ!」

「これはこれで……いや、ないわ」


 犠牲者三人目である。


 次は幸さん。


「まあ、こういうのはハズレこそ当たりだよね」


 楽しげに箸を伸ばす。


「うーん。さっぱり味。梅干し?」

「大葉だと思います」


 私の希望だ。

 大葉よりもシソの呼称の方が有名かもしれない。

 より正確には青じそ。

 比較的強い植物で、他の観葉植物を荒らしてしまうこともあるとか。

 天ぷらにするととても美味しいし、薬味としては優秀なのだが――。


「キムチ味は微妙だね」


 食べられなくはない、という線だろうか。


 次はいつねさん。


「あと出ていないのはとーま君ときー君かー。いやな予感しかしないなー」


 苦笑しつつ箸を伸ばすいつねさん。


「あれ? 何ともな――。~~~っ!」


 最初は平気そうだったのに、いつねさんは急に顔をしかめた。


「辛い! スッゴク辛い! 水! 水!」

「水じゃ追いつきません。牛乳を含んで下さい」


 いつねさんの様子を見て、私は慌てて牛乳を持ってきた。


「オレのハバネロだな」


 冬馬か。


 ハバネロはスナック菓子で有名になった唐辛子の一種である。

 辛さを表すスコヴィル値は三十万を超える。

 これは、そのエキスの辛味を舌で感じなくするには、水で三十万倍に希釈する必要があることを示している。

 例のスナック菓子は安全を考慮してかなり量を抑えているのだ。


「悪意しか感じないよー」

「闇鍋ってそういうものだろ?」


 それにしてもこれはひどい。

 いつねさんは二杯目の牛乳を口に含んでいる。


 四人目の犠牲者が出た。

 

 最後は私。


「選択の余地はありませんね」


 残った一つの餃子を箸で摘んで口に運ぶ。


 おい、嬉一。


「……」

「うわははは。すまん、お嬢」


 ガムってどういうことだ。

 フルーティーなフレバーが、キムチスープと致命的に合っていない。


 闇鍋の前に入れた肉の脂分で、溶けかかっている。

 ガムは樹脂なので、油で解けるのだ。

 前世ではチョコレートと一緒に食べてびっくりした覚えがある。

 余談だが、シンガポールではポイ捨てが問題となり、所持が禁止されていたことがある。

 現在でもキシリトール入りの医療目的のガムが薬局で販売されているのみである。


 本当に今はどうでもいいことだが。


 こうして五人の犠牲者を出した闇鍋は幕を閉じた。


 頼まれても二度とやらない。

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