第15話 体育祭。(前編)

「おい、お前ら。分かってんだろうな」


 冬馬が肉食獣の笑みを浮かべて言った。


「体育祭は、勝ちに行くぞ」


 本来の体育委員を差し置いて。


 つい今しがた、体育委員から百合ケ丘の体育祭についての概要の説明があったところだ。

 ひと通り聞き終えて、さあ、みんなの出場競技を決めようという所で、冬馬が司会進行を乗っ取ったのである。

 

 百合ケ丘の体育祭は、基本的には普通の高校の体育祭である。

 種目は、徒競走、綱引き、借り物競争、障害物競走、二人三脚、応援合戦、大縄跳び、棒引き、騎馬戦、リレーの十種目。


 説明が必要なのは棒引きくらいだろうか。

 これは男子の騎馬戦にあたる女子の種目で、向かい合う二チームの間に置かれた何本かの木製の棒を、自陣にいくつ持ち帰ることが出来るかを競う競技である。


「自己紹介の時に言ったよな。このオレがいるからには、このクラスを世界一面白いクラスにしてみせる。まずその一歩が体育祭だ。当然、優勝を狙っていくぞ」


 百合ケ丘の体育祭が他と少し違うのは、赤組・白組といった形ではなく、学年も分けたクラス別対抗であるということなのである。


 これにはちゃんと理由がある。

 5月のこの早い時期に体育祭が行われることにも関係しているのだが、クラス別対抗の目的は、クラスの一体感や団結を高め、また、新入生に早く学園に馴染んでもらうことなのである。

 いわばクラス別レクリエーションと新歓イベントを兼ねた行事なのだ。


 その為、競技の半分以上が団体種目となっている。

 個人競技は、徒競走、借り物競走、障害物競争の三種目だけだ。

 もちろん、全ての競技で全クラスが総当り戦を行うわけではなく、チーム分けして行う。

 獲得得点がクラス単位で競われるという話だ。


「冬馬ー。別に今どき体育祭で熱くなれねーよ」

「そうそう。流していこうぜ」

「私、運動苦手だから……」

「私も……」


 鼻息の荒い冬馬に対して、クラスメートたちの反応は芳しくない。


「ばっか、お前ら。体育祭の優勝賞品知らねーのか?」

「え?」

「体育委員!」

「あ、はい。今年の賞品は、食堂のスペシャル焼きそばパン引換券一年分です」

「なに!?」


 教室がどよめいた。


 前にも言ったと思うが、百合ケ丘では食費を前もって全納するため、基本的に自由に好きなものが食べられる。

 だが、例外が存在する。

 それが人気メニューだ。

 基本的に自由とはいえ、食材がなくなってしまえば食堂側も売り切れにするしかない。

 早い者勝ちになってしまう人気メニューもいくつか存在する。


 スペシャル焼きそばパンは、その一つである。

 The 庶民料理とも思えるその名前からは想像もつかない美味しさ、さらに毎日限定50個というレアリティから、幻のパンと呼ばれるメニューなのだ。

 主に男子に。


 いかにスペシャルとはいえ、炭水化物に炭水化物であることには変わりないので、女子は男子ほどには欲しがらない。

 だが、味は本当に美味しいし、またカロリーが必要な運動部の女子には人気が高いことから、女子にも一定数の需要は存在する。 


 私も一度、食べたことがある。

 仁乃さんが入手したのをご相伴に預かったのだ。


 まずパンからして違う。

 天然酵母を利用した特製コッペパンは、焼きそばの添え物などという低次の存在ではなく、小麦とバターのふくよかな香りが口いっぱいに広がる、贅沢な土台となっている。


 次に焼きそば。

 麺は都内にある某有名老舗やきそば店から仕入れた、コシのあるちぢれ麺。

 安っぽさは無く、国産小麦の香りあふれる麺は歯ごたえも極上だ。


 食堂秘伝のタレは、百合ケ丘創設以来継ぎ足しを重ねた深みのあるタレ。

 特上のうな丼屋さんもかくやという貫禄を感じさせる。


 具の豚肉とキャベツにも妥協はない。

 鹿児島産黒豚と群馬県嬬恋つまごい村産の嬬恋キャベツは、料理人たちの厳しい選定をくぐり抜けた逸品である。

 

 産地を厳選された青のりと紅しょうがも、主張しすぎず、素晴らしいアクセントを添えている。


 そしてそれらが、バランスを崩すこと無く渾然一体となっているのだ。


 幻のパンなどと大げさな、と思っていた私は衝撃を受けた。

 焼きそばパンとはこれほどの高みに至れるのか、と。

 まさに至高のメニューである。


「燃えてきた!」

「一度食べてみたかったんだ!」

「部の先輩に貰ったけど、すっごく美味しいのよ」

「へー。なら頑張ってみてもいいかも」


 上流階級の子女とはいえ、彼らも食べたい盛りの若者である。

 いや、上流階級の子女だからこそ、ジャンクフードっぽい焼きそばパンに魅力を見出すのかもしれない。


 とにかく、教室の空気はだいぶ温まってきたと言えるだろう。

 それを見た冬馬がうんうんと満足そうに頷く。


「よーし! それじゃあ、出場競技を決めるぞ! ……と、言いたいところだが、実はもうこちらで選定は済んでいる」

「は?」

「ナキ、遥!」

「へいへい」

「先日の総合健康診断における運動能力テストの結果に基づき、必勝の組み合わせを算出しました」

「一応、事前の根回しはしとるから、そこは一応|斟酌(しんしゃく)してな?」

「という訳で、今から板書する」


 そう言うと冬馬は、黒板にチョークで競技と出場選手を書き出していった。

 どうでもいいが、やたらと達筆である。


 みな自分の出場競技を確かめる。


「おいおい。俺、借り物競争かよ」

「私、障害物競走だ」


 私はというと、二人三脚であった。


「異議は基本的に認めないが、一応、聞くだけは聞くぞ」

「異議あり」


 私はすっと挙手した。


「なんだ、和泉」

「私、いつねさんと二人三脚になっていますけど、どう考えても身長差で組み合わせが悪いと思います」

「なんだ、そんなことか」

「?」

「お前たちは捨て駒だ」

「なっ……」


 捨て駒?


「正確には和泉がな。いつねは犠牲者だ。恩に着ろよ?」

「どういうことですか」

「どういうこともなにも、お前、運動能力0だろうが」


 そこまで言うことはないだろうに。


「だから一番得点効率の悪い二人三脚に回した。異論は?」

「……ありません」


 おのれ冬馬、公衆の面前で。


「いずみん、頑張ろうねー!」

「せいぜい足を引っ張らないように頑張ります」


 その他にもちらほらと異議申立てがあったが、基本的には冬馬たちの原案の微調整にとどまった。

 優秀すぎるでしょう、冬馬。


「うちの学園の体育祭には練習期間が少ない。各自、集中して練習に臨むように。狙うはスペシャル焼きそばパンただ一つ! 勝ちに行くぞ!」

「「「おー!」」」


 クラスが盛り上がっている中、私は一人、ぼっち気分を味わっているのだった。



◆◇◆◇◆



「じゃー、結んである足の方からね? せーの――」


 その日の放課後、私はさっそくいつねさんと二人三脚の練習に来ていた。

 やたらと広い第2運動場を見渡せば、私たちと同じく体育祭に向けて練習に来たと思しき人影がちらほらと見受けられる。

 ちなみに、第1運動場は、一般棟のすぐ近くにある運動場で、俗にいう校庭に近いイメージを持ってもらえればいい。


「いっち、に。いっち、に。いっち、に――あいたっ!」

「痛たた……」


 五回に一回くらいの割合で転ぶ。

 身長差の為、足の長さにも差が生じるため、必然的に歩幅が違ってくるのだ。

 ぶっちゃけ、非常に走りづらい。


「ごめんなさい、いつねさん」

「何で謝るのー? 転ぶのは共同責任じゃん」

「いえ、私が無駄に大きいから……」

「それを言うなら、あたしは無駄に小さいよ。ほら、気を取り直してもう一回ね?」


 いつねさんの朗らかさに救われる思いがする。

 この子は本当にいい娘だ。


「それにね、あたし、本当にラッキーだって思ってるんだ」

「ラッキー?」

「だって、いずみんともっと仲良くなるチャンスだもん」

「……私なんて仲良くなったところで何もいいところないですよ」


 自虐は私のおはこである。


「一条家のお嬢様と仲良くなりたい人なんていっぱいいると思うけど?」

「!」


 まさかいつねさん、そのつもりで?


「じょーだん、じょーだん。そんな顔しないでよ」


 いつねさんがころころ笑う。


「あのね。あたし、人と仲良くなるの割りと得意なんだ」

「分かります」

「だからね、あたしの中では、他人と仲良くなるっていうのは当然のことだったの」

「……」

「なのに、入学式の日のいずみんたら、あれだったでしょう? なんだこの人! 何考えてるんだろう? 面白い! 仲良くなりたい! って、もうぞっこん。他のクラスのみんなとも仲いいけど、いずみんとはもっと仲良くなりたいな」


 こんな私に興味を持ってくれるのか。


「分かってはいるんだー。いずみんみたいな人にとっては、あたしってうざいっしょ?」

「あ、いえ、うん、じゃなくて、ええと……」

「いいの、いいの。でもね、嫌われるのを怖がってばかりいたら、本当に仲良くなんてなれないからさ」


 私はずっと思っていた疑問を口にすることにした。


「いつねさんは、他人が怖くないんですか?」

「怖いよ」


 即答だった。


「怖い。すっごく怖い」

「なら――」

「でもね」


 いつねさんは続ける。


「表面を取り繕っても、上辺だけの『お友だち』になっちゃうじゃない? あたしはそういうの嫌なんだ。だから、もうどうにもならない、絶対に近づくなって言われるまでは、あたし諦めない」

「……」

「でも、いずみんが、あたしのことどうしてもうざかったら、あたし諦めるから」

「!」


 いつねさんが、困ったような笑顔を浮かべていた。


 心臓の鼓動が速いのは、きっと運動のせいじゃない。

 ここで断れば、正真正銘ぼっちになれる。

 一番手強そうないつねさんが手を引けば、きっと誰も近寄ってこなくなるだろう。

 でも――。


 それでいいの?


「私、は――」

「あ! 見つけましたわ、お姉さま!」


 思考を中断したのは、仁乃さんの声だった。


「にののん、どうしたの?」

「お姉さまが浮気しないか、監視に来ましたのよ」

「誰が浮気ですか」

「まー! いつねさんとそんなにくっついて! いつねさん、代わって下さいませ!」

「あはは、やだよー」

「むきー!」


 なんとなく、うやむやになってしまった。

 そして、私はそのことにほっとしている。


「少しは上手くなりましたの?」

「だいぶマシになってきたよー。いずみん、見せてあげよ?」

「はい」


 いっち、に。いっち、に。


「あら。息、ぴったりじゃありませんの。まったく、本来であれば私がその位置にいるべきですのに」

「えへへ」

「いつねさん、気を抜くと転びます」

「はーい」



◆◇◆◇◆



 それから日が暮れるまで練習を続けた。

 私は何も考えずに練習に没頭した。

 考えるのが、怖かったのかもしれない。


 日課の勉強を終えてお風呂に入る。

 ぼうっと、換気扇のある天井を見上げた。


「……」


 いつねさんのあの困ったような笑顔が頭をよぎる。

 何か叫びだしたくなるような気持ちに襲われて、私はぶくぶくとお湯に沈んだ。


 あそこまであからさまで無防備な好意を、人から向けられたことはなかった。

 しいていえば冬馬のそれが近いが、彼はどこか、自分は嫌われるとは思っていない自信のようなものがある。

 あるいは、嫌われても平気というか。


 いつねさんは違う。

 彼女は嫌われる可能性に怯えている。

 はっきり怖いと言っていた。


 彼女と私は、そんなに対して違わないのではないだろうか。


「お姉さまー? 湯あたりしますわよー?」

「うん。今出るから」


 取り留めのなくなってきた思考を中断して、お風呂から上がる。

 髪を乾かしていると、いつもより早く眠くなってきた。

 運動をしたせいだろうか。


 眠気はあったのに、その夜はぐっすりとは眠れなかった。

 いつねさんのあの笑顔が、ちらちらと浮かんでは消えた。

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