20話 司法修習生

 午前中の公判が終わり、一旦第6評議室に資料を置きに戻ると、その足で第2会議室へ。本日の日替わりランチは唐揚げ定食。稲美さんと裁判員2番(女将)さんのおふたりは、今日もお弁当持参です。


 他愛のない会話をしながら昼食をとり、再び評議室へ戻ってお喋りの続きをしていると、新島裁判長さんに連れられて入って来た男性三人、女性一人のスーツ姿の若者たち。


 すぐに彼らが司法修習生だと分かったのですが、驚いたのは、そのうちの一人、唯一の女性が、以前勤めていた会社の先輩で、現在も家族ぐるみで親しくしている穂高静花さんの娘、莉帆ちゃんだったのです。



「莉帆ちゃん…!?」


「!」



 思わず発した私の言葉に、驚いて声も出せないでいる莉帆ちゃん。



「おや? 5番さんと穂高さんは、お知り合いでしたか?」


「あ、ええ、家族ぐるみで幼い頃から…」



 正確には、彼女が母、静花さんのお腹に宿ったときからの訳ありですが、それはまた別のお話。去年秋、司法試験に合格したという知らせがあり、みんなでお祝いをしたのですが、まさかこんな所で会うとは思いもしませんでした。


 彼女との関係を説明しながら、ふと以前に裁判員選任室で、事件の関係者や司法担当者に知り合いがいた場合、その案件での裁判員にはなれないといった趣旨の話を聞いたのを思い出し、



「あの、この場合、私は裁判員を辞任することになるんでしょうか?」



 そう尋ねた私に、相変わらずニコニコしながら答える新島裁判長さん。



「修習生は裁判にはノータッチですから、その必要はありません。ただ、どうしても5番さんが裁判に集中出来ないということであれば、研修を別の刑事部に移動させることは可能ですが、如何ですか?」



 一瞬、私の不適格事項になれば、この重責から解放される、という不埒な考えが頭を過ったのですが、そうではないなら、ただでさえ忙しい裁判所のお仕事を増やしてまで、修習生のカリキュラムを変更する意味などありません。



「そちらさえよろしければ、私は大丈夫です」


「ご理解とご協力、ありがとうございます」



 というわけで、4人の司法修習生は、私たち刑事第6部の裁判員裁判の評議を見学することになったのです。



「それでは、彼らに自己紹介してもらう前に、司法修習生に付いて、簡単に説明させて頂きますね。

 まず『司法修習』というのは、司法試験を合格した後に、裁判官、検察官、弁護士となる法曹資格を得るために必要な『裁判所法』で定められた法曹教育制度です」



 そう言うと、いつも通り、ホワイトボードを使って説明する新島裁判長さん。


 司法修習では、法律実務に関する幅広い『知識』と『実技』を学ぶとともに、法律のプロフェッショナルとして必要な『職業意識』と『倫理規範』についての教育を受け、司法修習の最後に『司法修習生考試(二回試験)』があり、それに合格すると、判事補、検事、弁護士のいずれかになる資格が与えられます。


 カリキュラムは、10カ月間の『実務修習』と、司法研修所における2か月の『集合修習』に分けて行われ、実務修習では全国各地の地方裁判所、地方検察庁、弁護士会など、実務の第一線で『民事裁判』『刑事裁判』『検察』『弁護』を体験的に学ぶ『分野別実務修習』をそれぞれ2か月ずつ、その後、自らの進路や興味、関心に応じた『選択型実務修習』を2か月行います。


 裁判修習では、実際の法廷で裁判官の訴訟指揮を間近で見学したり、係属中の事件の記録や、法廷でのやり取り、判決の内容について裁判官と意見交換をしたり、その事件の事実上・法律上の問題点についての検討結果を文書で報告し、裁判官から講評を受けたりするのですが、



「何よりも、修習生にとって刑事裁判修習での最大のポイントは、『裁判員裁判の傍聴』なんです。これは、司法修習生だけに許されたことなんですよね」



 というのも、法曹に携わる人間は、一生涯、裁判員に選ばれることはなく、また、検察官や弁護士が評議内容を見学することはないので、実際の裁判員裁判を間近で見られる機会は、司法修習生である今しかないのです。


 そのため、彼らには相応の守秘義務が課せられ、評議中は、裁判長の許可がない限り、一切口を利いてはいけませんし、笑うことも、頷くことも、表情に出すことも許されません。ましてや、寝るなど論外。



「とにかく、評議中は皆さんのご迷惑にならないように、石か空気になったつもりでいろと言い聞かせてありますから」


「それも大変ですよね。僕なら、つい居眠りしてしまうかも」


「自分も寝ちゃいそうっす!」



 そう言った裁判員4番(銀行員)さんと補充裁判員1番(車ディーラー)さんに、賛同する私たち。



「いや、別に寝ても良いんですよ。ただ、もし寝てるのがバレたら、自分の評価に返って来るだけのことですからね~」



 修習生にとって、新島裁判長さんのその言葉は、何より恐ろしいことに違いありません。



「それじゃ、一人ずつ順に、名前、年齢、志望をお願いします」



 と促され、並んでいる順に自己紹介を始める修習生たち。



「はじめまして。藤里ふじさと汐音しおん、26歳、裁判官志望です。よろしくお願いいたします」


「藤里くんのお家は、代々裁判官をされていて、お父さんは○○家裁所長をされているんですよ。お元気ですか?」


「はい、ありがとうございます。おかげ様で元気です」



 いわゆる『サラブレッド』の彼。今どきの若者とは思えないような落ち着いた応対で、幼い頃からそうなるべく厳しく育てられて来たのだろうことが、言動の節々から感じられます。



「はじめまして、諏訪すわ貴一朗きいちろう、25歳です。検察官志望です。よろしくお願いします」


「諏訪くんは、お祖父さんが元検事長、ご両親とも弁護士をされていて、私も司法修習生時代、検察修習ではお祖父さんに大変お世話になりました」


「いえ、こちらこそお世話になっております」



 こちらもサラブレッド。広いようで狭いこの業界では、子供が同じ道を進むケースが多いため、世代をまたがり繋がっていることも珍しくないのでしょう。



「はじめまして。最上もがみ泰芽たいが、26歳、弁護士志望です。よろしくお願いします」


「最上くんは、今期の司法試験を首席で合格したんですよ。学生時代もずっと首席で、特待生だったそうですね」


「はい。我が家はごく一般的なサラリーマン家庭でしたので、両親に負担を掛けたくありませんでした」



 こちらはこちらで、並外れた秀才タイプ。彼の実家がどうなのかは分かりませんが、どんなに実力があっても、経済的な理由で、進学や進路を諦めなければならない人がいる現実があることも事実。やろうとしても、なかなか出来ることではないだけに、思わずみんなから感嘆の声が漏れました。


 サラブレッドに秀才に、絵に描いたようなエリートたち。そんな凄い3人の後で、次はいよいよ莉帆ちゃんの番です。しっかりしているようで、どこか抜けたところがあるので、ちゃんとご挨拶が出来るのかドキドキしていると、



「はじめまして、穂高ほだか莉帆りほと申します。25歳、弁護士志望です。よろしくお願いいたします」


「穂高さんのお父さんは、刑事は勿論、民事に大変精通している弁護士さんなんですよ。私も何度か、裁判でお会いしています」


「僕も、昨年まで民事を担当していましたので、よく存じ上げています」



 新島裁判長さんに加え、熊野さんの言葉からも、莉帆ちゃんの父、伸亮さんの弁護士としての様子が伝わります。



「将来は、お父さんの弁護士事務所を継ぐことに?」


「はい。たくさん勉強をして、弱い立場の方の力になれるような弁護士を目指したいと思っております」


「こんな司法修習生たちですが、どうぞ広い心で勉強させてやってください。よろしくお願いいたします」



 新島裁判長さん、熊野さん、稲美さんとともに、お辞儀をする4人の修習生に、私たち裁判員全員で拍手をし、まるで母親のような気持ちで聞いていた私も、ホッと一安心です。



「それでは、ミーティングを始めましょうか」


「はい」



 それぞれが自分の席に着く中、修習生たちは隅に置かれたソファーに腰かけ、以降そこが彼らの指定席になりました。


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