16話 ランチタイム

 午前中の公判を終え、一先ず第6評議室に戻った私たち。お昼休みは、概ね1時間となっていますが、厳格な時間の取り決めはなく、刑事部ごとに公判が終わった時間に合わせて流動的に取られています。


 昼食は、裁判員専用フロアー内の会議室で取ることになっており、私たち刑事6部は第2会議室に移動。室内には、今朝注文した日替わり弁当が、各種飲み物と一緒にスタンバイされていました。



「皆さん、お飲み物は何にしますか?」


「日本茶を下さい」「私、ウーロン茶」「水をお願いします」


「コーラってありますか?」



 普段、ファストフード店でバイトをしているという裁判員1番(女子大生)さん。11人分のオーダーを取ると、手際よく備え付けの紙コップに注ぎ分け、どれが誰の分かもきちんと把握。かなり出来る子です。


 裁判官、裁判員、老若男女関係なく、みんなで手分けして飲み物とお弁当を配布し、ロの字型に並べられた長机に座って、全員で『頂きます』。本日のメインは『白身魚の甘酢あんかけ』。なかなかイケます。


 大半の人が日替わり弁当の中、自家製弁当組みも。裁判員2番(女将)さんと、稲美さんです。



「2番さん、すごいお弁当ですね。手作りですか?」


「ええ、嫁の。とは言っても、仕込みの余りを詰めただけなんですけどね」


「さすがはプロのお料理。美味しそうだな~」


「ありがとうございます。まあ、私が裁判員になったものだから、息子夫婦の精一杯の応援らしくて」


「良い息子さんとお嫁さんですね」



 皆さんに褒められ、謙遜する2番(女将)さん。照れくさそうに笑いながら、隣に座った稲美さんに声を掛けました。



「稲美さんもお弁当なのね。とっても美味しそう。毎朝、作って来るの?」


「はい、旦那が」



 と、屈託のない笑顔の稲美さん。意外な答えに、少し驚いている私たちに、



「稲美さんは、結婚してまだ一年で、ご主人も同じ裁判官をしてるんですよ」



 そうフォローしたのは新島裁判長さんでした。


 職業柄、転勤がつきものである裁判官。夫婦の場合、ある程度の配慮はあるとはいえ、新幹線の距離になることも。昨年転勤になった稲美さん、結婚してご主人の勤務地に近い官舎に入居したため新幹線通勤となり、通勤時間の短いご主人が、平日の家事全般を担当しているのだとか。


 帰宅はほぼ毎日最終の新幹線で、朝ギリギリまで寝ている妻のためにご主人が作るお弁当は、肉や野菜などのバランスも良く、見た目も可愛らしくて、愛情を感じます。



「良い旦那さんだこと!」


「正直、旦那には悪いな、と思ってるんですよね。こんなことなら、あっちが新幹線通勤にして貰ったほうが良かったかも知れません」


「どちらにしても、大変ですよね」


「そうですよ。お子さんが出来たら、なおさら大変になるでしょうし」


「それも悩みどころなんですよね~」



 と、稲美さん。いずれにしても、夫婦の協力がなければ、成り立たない環境です。





 ランチを終え、評議室に戻ると、しばしの自由時間。お仕事のメールをチェックする人、喫煙ルームに出掛ける人、食後のデザートを食べながら歓談する人。


 裁判官お三方も、裁判官室へは必要最小限行くだけで、大半は私たち裁判員と一緒に第6評議室で過ごしていました。そんなこともあって、私たちは雑談の中で、裁判所に纏わるたくさんのお話や裏話などもお聞きすることになるのです。


 今日の公判では、怪我などの衝撃的な写真を見たわけですが、事件によってはもっと酷い状態、例えばバラバラに切断されていたり、腐乱した遺体だったりした場合、裁判員は見なければならないのかという話題になりました。



「自分、絶対に無理です! 今日だって、血が出てる写真見ただけで、もう…!」


「あ、私も苦手です。自分の怪我でさえ、家内に手当てしてもらわないと駄目でしてな」



 顔を歪めながらそういう6番(中央市場仲卸)さんと裁判員3番(元大学教授)さんに、苦笑しながら答える新島裁判長さん。



「傾向として、男性のほうが苦手な方が多いようですね。司法修習生の検察研修でも、司法解剖の立ち合いでぶっ倒れるのは、圧倒的に男子と聞きますし」


「いや、あれマジで僕もぶっ倒れそうになりましたよ! 不謹慎かも知れませんけど、正直このまま辞めようかなって、あのときは真剣に考えましたからね」



 そう言う熊野さんの様子に、やはり裁判官も同じ人間なのだと、妙に安心感を覚えます。



「そういえば、今この裁判所でも、大きな事件の裁判やってましたよね?」


「あ、知ってる!」「あの殺人事件の…!」



 それは、犯人が被害者の遺体を山や湖に遺棄したという、全国ニュースにもなった事件でした。もし自分の担当する事件がそれだったとしたら、どんなことをしてでも全力で辞退していたに違いありません。



「まあ、我々は職業柄、致し方ありませんが、さすがに一般市民の裁判員さんにお見せするのには限度がありますから、あまりにも状態が酷い場合には、遠くから写した写真を使用したり、詳細部分はイラストに置き換えるといったような配慮は心掛けているんですよ」


「余程、その写真が重要な意味を持っているのじゃない限り、だいたいの状況が伝われば良いわけですからね」



 と、新島裁判長さんと稲美さん。



「出来れば、全部イラストにして欲しかったです~」


「6番さん、可哀想」「本当に苦手なんですね」



 思わず、彼を慰める私たち。面談の際、血の付いた画像があると説明されましたが、6番さんにしてみれば、思っていた以上だったということなのでしょう。苦手の種類も度合いも、人それぞれですから、こればかりはどうしようもありません。



「それにしても、裁判官の方も大変ですね。お仕事とはいえ、そういう写真を見たりしないといけないわけですから」


「僕たち、ずっと法廷にいるイメージかも知れませんが、事件が起きると、犯人を逮捕しますよね? その逮捕状を出すのも裁判所の仕事なんですよ」



 私の言葉に、ニコニコしながら答える熊野さん。



「え? そうなんですか?」


「よくドラマで『おまえには逮捕状が出てる』ってやってるやつだ!」


「あれって、警察が出すんじゃないんですね」



 この話題に喰い付く皆さん。



「逮捕状を請求する側が『警察』と『検察』で、発布する側が『裁判所』なんです。だから、逮捕状がなければ、警察や検察が勝手に逮捕することは出来ないんですよね」


「でも、警察24時とかで、現行犯逮捕してますよね?」


「逮捕には、『通常逮捕』と『緊急逮捕』と『現行犯逮捕』があって、令状の発布を待っていたら犯人が逃亡したり、証拠隠滅を図ったりする恐れが高い緊急時には、例外的に逮捕状なしに逮捕ができるんです。その場合、直ちに逮捕状の請求手続きが取られるんですよ」


「へえ~!」「そうなんですね~」


「ただですね、これが結構曲者だったりするんですよ」



 と、眉間にしわを寄せながら、割って入る稲美さん。



「事件はいつ起こるか分からないじゃないですか? だから、365日24時間体制で、いつでも令状を発布出来るように、裁判官は『令状当番』があるんですけどね」


「女の子でも!?」「新婚さんなのに!?」


「公務員なので、男女関係ないんです。で、これが昼間ならいいんですけど、夜勤で一人きりのときに、凄惨な殺人現場写真とか、滅茶苦茶ホラーですから…」


「やめて~~っ!!」



 そう叫んだのは、冷静沈着そうに見える裁判員4番(銀行員)さんでした。何が苦手なのかは、本当に人それぞれです。


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